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51. 真面目な身代わり

51. Solemn Simulacrum


“なあ、Fenrir。”


“…うん?”


“取り返せるか?彼らの亡骸を。”


“…分からない。”


“Voja…お前の頼みでも、確約は出来ない。”


埋葬などと言った文化を持ち合わせいないことは明確だったにもかかわらず、だ。

別にそういった嫌いがあっても、軽蔑するつもりはない。寧ろ自分も、亡骸を愛撫するような習慣を持ち合わせていただのから寄り添うべきでさえあっただろう。


しかし、彼が悼み、零した言葉の意味は違うと悟った。


Vojaが、仲間の死骸を取り返したいなどと零していた理由を、俺はもっとも捻くれて取らざるを得なかったのだ。

寛大にも、縄張りの内部という神聖領域に招き入れる危険を冒してまで、Sirikiに固執する理由。


彼は、Sirikiが俺に縋る理由を既に嗅ぎつけている。


Sirikiが自分の命を賭してでも、俺を護ろうと足掻く理由。

それは、彼が失った番を、生き返らせることができると信じていることだ。

少なくとも、彼女に会わせてやるという言葉を、彼女を殺した奴を知っているという言葉を、Sirikiは信じている。


それ故に結ばれた契約でなければ、この関係は歪だ。

人と、狼が、行動をともにするなど。


そう睨まなければ、嗅ぎつけなければ、そんな言葉が出て来るはずが無い。

そして、俺への交渉材料として、手札が一枚増えることになる。


俺が、Sirikiと、仲間3匹で交換に応じるなどと考えているのだ。

そうに違いない。


であれば、その誤解を解く為、その叶える手段とやらについて、俺はこの狼に話してやらなければならないか?

Sirikiには、行く行く北欧神話体系について話さなければならないとは思っていたが、群れを巻き込むことになるのは想定外だ。

一度、神としての現し身に、Vojaを選んでしまっただけでも、こいつは不幸と言わざるを得ないのに。


…俺はきっと、荒みたいのだ。そうでもしないと、とことん邪推しなくては、春の陽気に気が狂いそうだ。


だが、今はそれどころでは無い。

そもそも、ヴェリフェラートに赴くとか、そういう状況に無い。


本当に、まずいことになった。

Sirikiをやはり群れに関らせるのはまちがいだった。


あいつが仔狼に臭いを嗅がせてしまった以上、いち早く群れの外に追い出さなくてはと心に決めた矢先での失踪。

手遅れになる前に、俺の方から、動かなくてはならないのに。




一つ目の問題は、言ってみればそれほど憂慮すべきことでも無かったかも知れない。


“その…あんたは、悪い奴じゃない。誤解していたよ。”


それは、俺が2番目では無く、一番目に食事に在り付くことになった、例の狩りの後のことだ。

喧嘩を吹っ掛けられると思って悠長に構えていたら、とんだ不意打ちを喰らってしまったのだ。


“それに思い出したんだ。ボスはいつもこう言ってた…”


“此処では狩りが上手い奴が、一番カッコ良いんだってな。”



“イケてるぜ、お前!”


“……。”


Vojaの、群れ仲間への一喝のせいで、彼らの俺に対する態度が、少しずつ協力的なものになって来てしまったのだ。


雰囲気が良くなること自体が、問題なのだ。

居心地が良くなること自体が、俺への重い足枷となる。

それは俺が狼としての生活を享受する上で、初めから懸念し、だからこそ慎重立ち回り続けて来たことだ。


なのに、全てが裏目。逆効果であったのだ。


そしてLukaも益々、嬉しそうに俺に鬱陶しく絡む。俺が今度こそ何処へも行かないことを確信したような顔をする。


横になって眠っていると、むくりと起き上がり、俺の目の前まで歩み寄る。そこまでは良いが、これ見よがしに顔を跨ぎ、鼻先で口を突いて熱烈に挨拶を申し出るのだ。

まるで、自分が眠っている間に姿を消さなかったことに感謝し、これがその褒賞として相応しいことを知っていますとでも言うようだ。


春先の緩やかな寒風に混ざる生温かさほど、気持ち悪いものはない。



ああ、やるべきことばかりが増えていく。

全能の神様とは程遠いと思い知らされる。

いや、一介の狼に身を窶してできることには、限界があるということか。

しかし、そろそろ俺の代わりとして、十分な器が手に入る予定だったのだ。

所謂、代行者を気取って、神様の力を行使するのに自然な器として動けるぐらいにSirikiが育ってきた矢先のこれだ。


何らかの妨害が、はたらいていると見るのが、利口な獣のすることだろう。


転送の類のルーン文字を敷く。

初めてVojaと出会った頃、人間の縄張りに赴くと言う俺に、彼が態々忠告してくれた。


“だが気を付けることだ。春先には、東西に延びた氷河の一部が、足元を失う。“


Sirikiの痕跡は、そのまさに溶け始め、支流の沢で途絶えていた。


縄張りの狼であれば、仔狼でもなければ誰もが得ている知識が故に、彼らは寄りつかない場所に仕掛けられたそれは、狼の生態をきちんと理解した上で、明らかにSiriki一人を狙ったものだと言うことが出来る。


そんなことができるのは、凄腕の狩人であると同時に、神様のニオイがわかる狼で、尚且つちょっとしたいたずらの為に神隠しの真似事ができる…神様だけ。


どちらを優先すべきかなどと言っている余裕すら無いと言うのに。

Sirikiの居場所を突き止め、救出するのが先か、

それともSebaに出会い、やっとの思いで手に入れた戦利品から情報を聞き出すのが先か。


“……。”


風は南へ変わった。山嶺を降りて、彼らは俺よりひと足先に港に流れて行くだろうか。


既知面積の広い方からだ。一番単純に思える選択肢から潰すのが、こういう時は自分を落ち着かせる意味で、最も足掛かりとして有効だと思っている。

慎重に確かめる必要がある。故に後者だろうな。Sirikiに悪運の加護が纏わりついていると信じよう。


それもこれも、群れを離れられる状況を作り出さなくては、何も始まらない。

とにかく、尤もらしいが、それほど波風の立たぬ理由をでっち上げる。

Vojaは、多めに見てやると言ってくれた。

その一点において問題は、Lukaの説得のみかに思えたが。

そうは問屋が卸さない。


“ねーねー、おじさーん?”


“…。”


聞こえないふりだ。

興味を失うまで、樹皮の裂けた白樺のように立ちすくんでいれば良い。

俺はどうすれば良いか、知っている。

目の前の二匹だけでなく、五匹全員に囲まれていることに、動じてはならない。


“寝てるのー?ねーねー!”


“嘘だよ!さっき僕らのこと見てたもん!”


こんな時に、臨時の父親役など、やっていられるか。

狩りを率いてやるだけで、十分貢献できていると言ってくれたじゃないか。

それとも、俺はこんなことまで、償いとして買って出なければならないのか?


今も俺の眼前を通り過ぎる仔狼どもから、鼻先を近づけずとも漂って来る、Sirikiの臭い。

俺が父親の代わりを放棄すればどうなるか。誰かが代わりに遊び相手を名乗り出る。それで、愛撫の仕草一つで、大ごとになる。


この仔、人間の臭いを、纏っていやがるぞ。


仮にその父親の経験不足で、人間のそれだと言い当てられなくても、不思議な臭いは、群の間で、それはスムーズに共有される。

少しでも気になる臭いの元があれば、誰だってその場に寝転がって、毛皮に擦り付けて持って帰るのが自然な行為だからだ。自分がそうして来なかったのは、単に共有する相手がいなかったのと、俺が転がり回ることが、小規模な破壊行為だと知っていたからに過ぎない。

とにかく最終的には、怪しい臭いとして、群れ中で騒ぎになるのは免れない。


だから俺は、この仔たちを、一匹占めしなくてはならなかったのだ。

まるで、大の子供好きで、父親を亡くした彼らを幸せにしてやりたいという思いに溢れているようでは無いか。そう映ってしまうのが堪らなく嫌だった。


皮肉なことに、俺はLukaだけがお守り役を健気に務めているという、一見不自然なこの状況にどうにか救われていたのだった。

代理夫婦、などという、歪な群れの核に、俺と彼女がいる。

誰もが俺たちを優先しようとする、群れの中心に。

養子の、その逆だ、などと言ってみる。

この仔らが、俺と彼女を呼び寄せたのだ。そう表現してみることで、幾らか被害者面ができて、他の狼を寄せ付けない理由になるような気がする。


Lukaは、どういう訳か、何も知らないふりをしてくれている。

単に鈍っているのだ、とVojaは憂慮する。

彼に言わせれば、‘ぼんやりとした人間への好奇心’ という奴だ。それは、彼女が自ら人間の痕跡を求めて歩き回っていた過去に依るものだ。俺が誤って振る舞ってしまった人間の料理にも、Sirikiの匂いがこびりついていたのかも分からない。

或いは単純に、俺が人間の世界を歩き回り過ぎたせいで、俺の臭いと勘違いしている、とか。


それとも、俺が見過ごしている何かを隠している、か…


どちらにしても、偶然出来上がってしまった狼の営みを、自分から崩せず、むしろ雁字搦めに縛り上げられてしまっていたのだった。


“ぱぱー?”


“ぱ…?”


俺は思わず、Vojaとの喧嘩に挑んだ時でも見せなかったような瞬発力で退いた。

ざらざらに溶けて固まった足元の雪飛沫は、舞わなかった。

しかし、それが仔狼には、殊更面白いのだということを、俺は過去の経験から何も学んでこなかったと見える。


“きゃーっ!やっぱり起きてたっ!”


“わうぅーっ!わうぅぅっ!!”


俺は、自ら進んで、ネズミの次に格好の獲物を買って出てしまったのだ。


“あ、あ…え…”


忽ち踏み場を奪われ、足元が覚束なくなる。

前にも、こんな気分を味わった気がする。

でもあの時は、もっと、もっと仔狼たちは、小さかった…


それに、彼らには、ちゃんと母親と、父親がいて…


で、でも、俺がこうして悶え苦しんでいるのを、笑って眺めていやがったっけ。


“うふふっ…Fenrirさん、上手いですね。知ってましたけど。”


“ぼうっと見ていないで、助けてくれ!”


母親のような顔をして、のんびりと前足に頭を預け、

可愛らしい表情を傾げる。

くそっ…お前も同じように、傍観者を決め込むのか。




“あーあ、これが私たちの仔だったらなあ…”


“っ…”




“ふふっ、冗談ですよ。”


“ほら皆ー…!あんまりFenrirさんのこと、困らせたらダメですよ!”


口元に一匹を拾い上げ、優しく唸って見せる。


“ちぇー、はーい。”


“ままー、お腹空いたよう…”


“あら、それじゃあ、食べ物を探さなくてはね。”


“お母さん、洞穴でもぐもぐしたいなあ。皆、一緒に来てくれるかしら?”


“うん!”




……。


誰か。

誰か、助けてくれ。


“お、俺も…”


“一緒に…”



本当に、苦しい。


もう、こうなったら、こいつら全員を舌で突き回し、

Sirikiの匂いが消えてなくなるまで、愛撫してやるしか無い。


胸の奥で込み上げ、迫り上がって来る吐き気。


“食べさせて、やり、たい…”


こんなの、到底、享受できることでは、

耐えられることでは無いのだ。



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