49. 反省部屋 2
49. Timeout 2
きっと周囲は、残念がったに違いありません。私が改心することを期待していたにも拘らず、却って非行をエスカレートさせる結果になったのですから。
いつか、勘当されてしまうかも知れませんよ。
そんな脅しも、終ぞ現実味を増すことはありませんでした。
知っていましたとも。たった一人の後取りを失って、一体何の意味があるのでしょうか。
それでも一応、罪の重さは、拘束時間の長さによって償われたのです。
時間の感覚の一切を奪われていながら、空腹の訪れる度合いによって、何となくそれは感じ取っていました。勿論、餓死に追い込むほどの長時間ではありません。精々、夕食を抜きにするとか、それくらいのものです。
そうでしたか。もっと、居座って良いのですか。
私の、完全勝利です。
威張り散らして、好き放題に我儘が罷り通って、
その上、こんな楽しみを、毎週のように享受できると、知ってしまったのですから。
私はもう、何処へも行きませんよ。
申し訳ありませんね、Fenrirという神のお方。
初日のお話の続きを致しましょうか。
お招きする機会など滅多に無く、是非とも、お屋敷のご案内をさせて頂きたいのです。
あれから私は、せめて背後から襲われるような最期からは身を守ろうと、牢屋の角で膝を抱えて座り込み、暗闇の中でめそめそと涙を流しながらも、必死に声を押し殺すため、両手で口を押さえておりました。
最初は、怖いものに対する考えが、点で定まっていなかったのです。
それは実態の掴めない恐怖でした。ベッドの下に潜む怪物や、森の中に潜む狼であったのです。
それらが、檻の前を通り過ぎる瞬間に、彼らの興味を惹くようなことをしてはならない。その一点だけに集中して、気が狂いそうになる自分を必死に保とうとしていたのです。
ですが、この広大な敷地に深く根ざす地下牢が、一体何の為にあるかを考えれば、私は寧ろ声を挙げ、その存在を知らしめるべきだったのです。
此処には、寧ろ人間が押し込められていることが、確約されているのですから。
父上が、私を同類だと蔑んだ、罪人が、私と同じか、それ以上に酷い姿勢で、四肢と首を枷に繋がれている。
しかし、その結果として、どのような見てくれになっていようと、それでも彼らは、人間であるのです。
そして存外、彼らの存在は近くにあったと知った時、私はどれだけ希望に満たされたか。
たとえそれが、自らを鎖に繋がれた同類に貶める行為だったとしても、実態のある誰かを歓迎せずにはいられませんでした。
それは波状に広がる水面の雫のように。
ある瞬間、何の前触れもなく、囚人たちは一斉に、嗚咽にも、呻き声にも取れる哭き声を漏らしたのです。
「…!?」
思わず、ぞわりと鳥肌が立ち、膝の間に顔を埋めていた私は、はっと顔を上げました。
「な、に…今の…?」
ううう…とか、おおぉ…とか、人間の言葉として聞き取れないようなものではありましたが、それでも僅かに恐怖を人間の痕跡を見つけた喜びが勝ったのです。
それにしても驚きました。反響がそう錯覚させるだけなのかも知れませんが、私が想像するよりも遥かに広く、また上下に連なった構造に収容されているようだったので。
そして、時間の感覚を同じく奪われている筈の彼ら全員の間に、何らかの共通の合図のようなものがある。でなければ、こんな風に、それぞれの牢屋で視界を奪われた罪人たちが、反応を示すはずがありません。
何でしょうか。召集された兵士たちがする点呼のようなものかも知れません。
それとも食事とか、トイレの時間?
「いやだぁぁぁっっ!いやだぁぁぁぁぁーーーっっ!!」
っ…!?
突然、はっきりと聞き取れる声で、殆ど絶叫に近い声が、頭上のほうからした。
「もお゛いや゛あ゛っ!!いやっ…こないでぇ゛ぇ゛っ!!」
今度は、背後の、いや、もっと奥の部屋の方から。
聞くものを同じ境遇に引き込もうとするような叫びが。
「な、何してるんだ…?」
視界は変わらず、奪われたままなのに。
今まででのどんな手がかりよりも、肉薄する。
「ぎゃああああぁっっーー!!」
次の悲鳴は、いよいよ私をびくりと震え上がらせ、纏わり付く鎖が大きくジャラリと揺れました。
「……。」
もう、苦痛によるそれとしか、捉えようがありませんでした。
今や一斉に、そこかしこで、始まっている。
何と言えば良いのだろう。
これは、法の下に正しく起きているものなのか?
そうだとしたら、住民が定期的に享受する、自分が何故此処に居るかを思い出させる為に刻まれるようなものだろうか。
…それとも或いは、これは何の役にも立たない、
拷問、なのだろうか。
悪いことをした人間が最終的に報いを受ける場所が、地獄である。
そんな異端の戯言を、私はいつも鼻で笑っていました。
不信仰な者の魂だけが行く場所であると教わっていた私には、全く無関係の心配事だったのです。
しかし、我が国の清浄さを保つための機能としてではなく、
その前に、地獄はあるべきだ。という考えに基づくのなら、
これは、まさにそうだ、と言うことができたのです。
従って、私がその時点で導き出した答えとは、前者でした。
これは、これは、罰だ。
悪いことをした人間に対して、当然の報いとして行われる、罰。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっっーーー!!」
「いや゛ぁぁっ、!お゛ぼっ、お゛っ…ぎゃァァアアアアアアッッッ」
気づけば、もうそこら中で、男女問わずに響いている。
頭がおかしくなりそうな、一歩手前でした。
不気味さで言えば、狼の遠吠えと、良い勝負。
私は、一瞬でも人間の声を耳にして喜びました。
そしてそれを恥じるべきだったでしょう。
しかし、ある疑念が頭をもたげ、私を天井から見下ろしているのです。
順番に、これは繰り返されるだろうか、と。
牢屋に住まう罪人の一人一人に、漏れなく執り行われる管理であるとしたら?
ま、まさか…
父上は、本当に私を罪人として扱い、それに相応しい報いを与えようとしていらっしゃるのですか?
いや、父上にそんな意思無かったとしても、罪人を嬲り、地上にまで届いてもおかしく無いような絶叫を絶えず吐かせ続ける為だけに存在する、此処の使用人どもに、
私と他の罪人との区別が、きちんとつく保障がどこにある?
吐き気が込み上げてきた。
夕食前の空腹に、胃酸が喉元をじわりと焼く。
コツ、コツ、コツ…
「っ…!」
誰か来る…!
喜怒哀楽など関係なく、賑やかさで、僅かに恐怖が薄れていたなどと思い上がった私は、再び腹に雪を被せられたような悪寒によって引き戻されました。
それが脱走者でないことは、この私自身が示している。
悪い考えは現実になってしまった。
私が捕らえられている階層にも、‘彼ら’ がやって来ていたのです。
空き室を装わなくては、私はとんでもない目に遭わされる。
私が、子供のよく通る金切り声で、罪人らに呼応し、混ざり合うことになる。
大丈夫、大丈夫だから、私をいたぶることなんて、まさか…
口元を抑えようとして鳴らしてしまった鎖の音で、心臓が張り裂けそうになる。
ガチガチと鳴る歯の音が押さえきれず、舌をぎゅっと噛んでごまかそうと必死でした。
お願い、どうか、通り過ぎて…
まるで品定めを免れたいと死んだふりをする獣のように、しかし目だけは、僅かな濃淡の揺らぎさえも見過ごすまいと、見えない鉄格子の先を必死に凝らしました。
複数人の足音が、恐らく鍵束でしょう、擦れる金属音と共にどんどんと大きくなり、同時に、私と同じようにそれを恐れるものたちの呻き声が、風に吹かれた茂みのように騒めき立つ。
私の部屋の面する通路が、灯りで照らされたのが分かりました。
足音は、まだ大きくなる、止まらない。
まさか、まさかそんな。
カチャ…
風貌は、何も分からない。
少なくとも、3人でした。逆光でその姿を拝むことは出来ず、足元だけを見た限りでしたが。
私は、どのように弁明することで、彼らに赦しを乞う事ができるか、必死に考えようとしました。
受けるのは、最も軽い罰であるべきであるという類の理屈が通ったとして、
それがどれくらい、私を痛めつける結果となるかについては、議論の余地がありそうにない。
でも高々、無抵抗な使用人たちへの度が過ぎた悪戯で、まさか。
あっても、良く撓る棒で手の甲を打つぐらいでは。
そんなこと言うと、反省の色が見られないとされるでしょうか。
どれだけ素早く頭が回ろうとも、私の口は猿轡を噛まされた様に、全く動かなかった。
いいえ嘘です。舌を痛いくらい噛んでも、歯の奥がガチガチとなって止まらない。
最も恐ろしかったのは、彼らもまた一言も口を開かなかったことです。
話が通じないであろうことは最早明らかで、その上で彼らが人外である可能性を捨てきれなかったから。
しかし…
突然、視界が再び真っ暗になりました。
き、消えた…?
いや、違う。
振り返ったんだ。
外套の揺らぎに合わせて再び光の筋が漏れ、そう確信する。
彼らの用があったのは、向かいの住人だったのです。
ギイィィィ…
ガッ、ガララララ…
目の前のそれでない鉄格子が軋む音に、私の身体は鉄枷に耐えきれぬほど脱力しました。
牢屋の入り口が左側にあったのだけは、覚えていたのです。今聞こえたのは、反対側だ。
た、助かった…
正直に吐露します。
この時、私はあろうことか、漏らしてしまいました。
きっと召使たちは、何も言わないでしょうが、耐え難い恥辱には変わりないことです。
しかし、股間を伝って尻に広がる温かみの方が有難いのですから、此処は本当に酷い場所だ。
「……?」
「……、…。」
ぼそぼそと、何か言っているのが聞こえる。
しかし、それを掻き消すような悲鳴が耳を劈いて、何も頭に入ってこない。
ですが、ふとした違和感に気を払ってやるだけの余裕が少しだけ産まれました。
不思議なことです。一体なぜ、向かいの囚人は、それまでの罪人たちが示したような過剰な命乞いをしなかったのです。
そしてその答えは、非常に明確でした。
「だ、旦那、様…」
「お…慈悲、を…」
え…?
「私は、坊ちゃまに、何も…」
なぜなら、私が好んで苛めていた彼女もまた、新入りだったからです。




