49. 反省部屋
49. Timeout
今でこそ、内気な様は妹と心を入れ替えたように篭りがちな性格ですが。
子供の頃はこう見えて、活発な人間だったのです。
長男ということもあってか、何かにつけて、男らしくすることを求められていた記憶があります。そして周囲の期待に従順に順応できるぐらいの器量は持ち合わせていたのかと。
とにかく、手に追えない腕白小僧を演じていました。
他愛もない悪戯で、周囲を困らせるのが好きでした。
元よりやり返す術を知らない使用人たちは、格好の的であったように思いますし。
妹をいじめるのも、簡単に周囲の人間の注意を引けた。
要するに、構って欲しかったのです。
度を越すまで、そしてそれを咎められるまで、それこそ毎日のように。
当然、悪い行いには、報いがあるものです。
それすらも待ち侘びていたと吐露すれば、倒錯していると思うやも知れません。
ですが、それが一番確実な方法でした。
お父様とお母様に会える。
なぜなら私を叱ることのできる人間は、それだけしかいない。
使用人などに、そんな資格があるはずもありません。教育係でさえ、たった一人の男児たる私には甘かった。
「まあ、またこんな悪戯して…」
「これまた派手にやってくれたな…息子よ。」
それだけで私は、何の反省の色を示すことも忘れた。
目を真っ赤に腫らした妹の隣で、私が満面の笑みでいるものだから、二人が困った顔をして怒るに怒れないでいたのを、今ではちょっぴり申し訳なく思っております。
ですが本当に私は家族4人が同じ場に居合わせる時間を、心から大切に思っていました。
その後に待ち受けている、悪い子への罰のことなど、どうでも良いと思える程には。
Sirikiさん、それからFenrir狼の前で話した我が家系について、嘘偽りはございません。
マルボロ家とは、その血の一滴残らずを、国の防衛に注ぐことが使命であると、幼き頃から教えられて育って参りました。
父は僻境に犇く国賊からヴェリフェラートを護り、今日までの繁栄をお支えした、立派な軍人です。
東部湾岸を睨む兵力の一切は、我々マルボロ家が抱える騎士達でしたし、一部の城壁、それから国王に直接お仕えする親衛騎士への派遣も、惜しまず続けて参りまいました。
蛇足ですが、私自身、一応、軍人として、鍛えられた身でもあるのです。通過儀礼みたいなものですが。
何が言いたいかといいますと、父は厳格なお方でありました、ということです。
思い返せば、子育ての方針にも、それは色濃く、どす黒く反映されておりました。
ああ、そうは言っても、打つとか殴るとか、そういったことはされませんでした。
自分に対しても、きっと規律正しく、厳格だったのだと思います。
「やれやれ、また、‘お仕置き部屋’ 行きだな。」
子供に反省させるために、一人きりで、自分と向き合い、どんな悪いことをしたかを自覚させる方法の一つに、誰もいない小部屋に閉じ込める、というのがあるかと思います。
暗くて怖いよ、ここから出してよ。壁の内側を擦って咽び泣く。
そう言った罰の側面も十分に加味されていてなお、
私にとっては、何の効果もありませんでした。
だいたい、使用人しか使わないような、掃除道具部屋でしたが、前述の通り、何の薬にもならず、その時間は、次はどんな悪戯で二人に驚いてもらおうかと考えるのに費やされましたから。
そして、お約束の時間が経つと、だいたい、お夕食の前にはお許しが出ていた記憶です。
「お兄ちゃん!お母様が、もう出ておいでなさいって!」
妹が鍵を持って、いつも迎えに来てくれたのです。
私に苛められたことなど、何も根に持っていない様子で。
「ええ!今日は、お父様もご一緒にお食事なさるの!」
私が、ちょうど10を超えるぐらいになった頃でしょうか。
力も体力も付いてきて、もはや誰の手にも負えなくなってきた年頃です。
武術の訓練も始まって、得意げに剣聖を気取っていたのも良く無かった。騎士道など、まるで身に付くはずもなく。
件の掃除部屋も、窓から庭へ飛び降りることを覚え、お灸を据えるには、本当に痛い目に遭わせるしか無いのではないかという荒れっぷりでございました。
そんな折し日、それは起こりました。
側で仕えていたメイドの一人への苛烈な嫌がらせに、彼女の我慢の限界が訪れたのか、私は彼女を激しく泣かせてしまったことがありました。
とは言っても、スカートを捲るとか、虫を彼女のキャプに入れておくとか、そんなものばかりでしたが。
何かが、きっかけとかではなく、日頃の積み重ねの結果でしょうが。
小さい頃から良くして貰った、お気に入りのメイドでした。
ですから、面食らってしまいました。
「もう耐えきれない、こんな小童!」
そのようなことを、メイド長へ向かって罵り、足音も荒く鞄を持って部屋を出て行ってしまわれたのです。
「こんな仕事、今日限りで辞めさせて貰います!」
そしてあの日、私は初めて、いつもとは違う、別のお仕置き部屋へと連れて行かれたのです。
「わあ…!」
初めて知りました。お屋敷に地下室があること。
結構、色々な部屋を探索しては、荒らし甲斐のある美術品の品定めをしていたので、秘密の部屋がまだ残されていたことに、私は大興奮でした。
「父上…ここ、は…?」
ですが、そこは、私が今まで部屋と呼んでいたような、絨毯が敷かれ、全ての調度品が煌びやかで、使用人によって手入れの行き届いていたものとは、一線を画しておりました。
まず、寒かったのです。恐怖を助長させるのには、ちょうど良いぐらいに。
第二に、地面を見て、石畳であることに驚きました。
そうか、ここはお外に繋がっているから寒いのか。
でしたら、装いは、これでは確かに寒い。
外は、雪がしんしんと降り続けています。お部屋に戻って、マントと、ブーツと、それから買ってもらったばかりの、毛皮の帽子を身につけてはいけませんか。罰でなければ、そうお願いしていました。
そして、そして、この変な臭い。
これだけ冷たいのに、鼻奥に妙にこびり付く、何とも言えない不快な香。
「まっ、お待ちください、父上…」
父上の外套の裾にしがみ付き、掲げた灯りと、両脇に等間隔で並ぶ蝋燭の灯りでは到底探りきれぬ回廊の先をじっと見つめ、いつ怪物が現れても、背中の後ろに隠れられるように身構えます。
段々と、反響する私と父上の足音の区別がつかなくなって。
代わりに、足音が増えているような錯覚に囚われ、それだけで十分に今日見る夢は悪いものになりそうでした。
「今日は、ここで反省していなさい。」
しかし、父は私に、今日は夢を見なくても良いと仰ったのです。
「え…」
「こ…れは…?」
初めて、その時知りました。
マロボロ家の仰せつかった役目とは、国賊の徹底した排除。
その使命には、血生臭い後始末も含まれるのだと。
「悪人が私たちの国に蔓延るのを防ぐ場所だ。」
「今のお前には、相応しかろう。」
私が何不自由なく過ごしていた足元には、
私たちの知る由の無い、庶民の暮らしなどでは無く、
蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下牢が、広がっていたのだと。
父上は、確かに、そう仰いました。
私は、陽の光を見るに値しない、罪人であると。
「ま゛って゛っ!お父上っ!置いでかないでっ!」
「本当にごべんなざいっ!」
ジャラッ…
父上の棚引くマントの裾を掴もうとする手を、枷が阻む。
手首が、じんと傷んだ。
「これっ…痛い…外してぐださい゛っ」
「ちゃんと、牢屋で、良い子に反省しますからあ゛ぁっ」
足に繋がれた鎖がピンと張って、僕は膝を付いて転んでしまった。
「あ゛っ、う゛っ…」
冷たくざらついた首輪の裏側が、私の喉をひゅっと捕まえ、ここに居ようと連れ戻す。
身体が恐怖で強張りました。この首輪が生きていて、そのまま私の細い首を潰すように締め上げていくような妄想が脳裏を掠めたからです。
ギギギィ…
そして
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」
そしてこの牢屋は、独房でした。
日の届かぬ地下に窓があるはずも無く。
灯りは、父上が手にしている灯りだけ。
それを、置いて行って。お願いですから。
でないと、私は、
何も見えない真っ暗闇で、四肢の自由と体温を冷たい鎖に奪われながら、
いつお許しが出るかも分からない時間を過ごすのですか?
それって、それって、
ねえ、父上。
本当に、迎えに来てくださるのですよね?
私を一生、罪人と同じように、閉じ込めるなんてこと、しませんよね?
こんなところで、楽しかった日々を思い返すことさえも出来ずに、
死ぬまで。
その考えが脳裏に植え付けられたとき、自分でそれを想像できたことが、一番恐ろしかった。
「嫌だあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっーーーー!!」
その声が途切れるた後に訪れる静寂が恐ろしくて、自分でも出したことの無いような、あらん限りの声を張り上げて。
「……。」
それで、何も起こりませんでした。
あれだけ不気味に反響していたはずの足音はすぐに消え、二つ目の角を曲がった父上の影も消え、鉄格子の輪郭もわからなくなりました。
泣くことさえ忘れて、恐怖に耳だけが敏感になる。
だ、誰か、誰かいないの?
本当に、本当に、置いて行かれてしまわれたの?
私のことが、本当に嫌いになって、疎ましく思われてしまったんだ。
ちょっとでも、父上と母上に会える時間が欲しかっただけ。そんな私の我儘な下心も理解してくださっていると、二人が両親であるが故に、子供ながらに信頼していたのに。
普段のわんぱく小僧が、本当に彼らの目に映る私だったなんて。
そんな風に、全てを悪い方に考えて、私は殊更に僻みました。
普段の私からは、自分でも想像もつかない程に、臆病な思考へと追いやられてしまったのです。
ですが、私はそのせいで、性格を歪ませられたと言いたいのでは無いのです。
ご安心ください。
そのあと、ちゃんと私はお屋敷に帰して貰えました。
ちょっと、風邪をひいて、鼻水を垂らしてしまうぐらいで、別に体調も何とも無かった。
恐ろしい体験でした。
今でもそう断言できるにも関わらず。
私は、むしろ今まで以上に、罪を重ねることに励んだのです。
また鎖に繋がれ、死ぬほど恐ろしい囚人としての時間を味わうことを、自ら求めたのです。
向かいの牢屋に捕えられている、あの住人に会いに行く、それだけのために。




