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45. 産み落とす大枝 3

45. Birthing Boughs 3 


“あっはっはっは…はーびっくりした。ほんと面白い方ですね。Fenrirさんって!”


“……。”


全部で5匹だ。

どの一匹も、彼女の純白の毛皮の片鱗を有さない。その推察一つだけでも、俺の誤解は覆された。


“一体どう考えたら、この仔たちを私が産んだことになるんです?”


“い、いや…全く以てその通りだ。”


“いつ私のお腹がぱんぱんに膨らんでましたか?”


“すまない、気が動転して…”


“ずっと傍にいてくれたのに。”


“……。”


目に見えて、ショックを受けた表情をしたのが自分でも分かった。というか、隠せなかった。


しかしそのお陰で、俺はこの群れに潜む特別な事情を垣間見ることができたのだ。

驚くことに、これらは、Vojaの仔ですら無い、というのだ。


“まあ、びっくりするのも、無理は無いですよね…”


“今は、少しでも多くの仲間を作ることが優先だからって、Vojaが誰でも仔狼を設けて良いことにしてるの。”


“それは、普通じゃできない判断だ…寛大なんだな。あいつ。”


“ええ…と言っても、当の本人が、まだなんですけど、周囲が自分の仔を優先するといけないから、とかいって、”


“そう、だったのか…”


俺は瞼に焼き付いた光景をみとめたくなくて、彼女をじっと見つめて視線を逸らす。


“だが、そうやって、腹の辺りに群がっている仔狼に、誤解をせずにいられるだろうか。”


お前、そうは言っても本当に…


“落ち着いて下さい、Fenrirさん。違いますよ…!”


”ミルク出ないけど、子供たち、お腹すいているみたいだから。仕方なく、ね…“


“腹の毛皮を、しゃぶっているだけなのか…?”


“ええ、我慢できないみたい。でも今すぐにあげられるご飯は無くって、失敗したなあ、さっき…”


驚くべき代理行動だった。

仔狼たちは、得られるものが無くとも、皆で腹の一部になって、母親の愛情に満たされている。

いいなあ、微笑ましい。

こういう実感が欲しくて、きっとVojaはそういう方針を取ったのだろう。

命を危険に脅かされる日々に、欲しいのはいつだって良いニュースだ。


“お前がだめでも、直ぐに母狼が帰って来るだろう。それまでの辛抱だ。”


俺が微笑みかけると、どうしてか、彼女は対照的に固くなる。


“それが、そうもいかなくて…”


“…?”


“彼女…実は今は調子が悪いの…”


“弱っているのか、それは大変だ、母乳にも影響する…”


“いや、そうじゃなくって…言いづらいんですけど…”


Lukaは、目を泳がせ、周囲を探るように耳を回した。



“彼女、育児放棄気味なの。”




“放棄…だと?”


聞き返すほどには、意味の取れない囁きだった。


“ええ…ぽっきり、仔狼たちに興味を示さなくなっちゃって、毛皮を舐めてあげることもしないから、もしかしたらと思ったら、洞穴の中に取り残されて、鳴いてるのを見つけたの。”


“だから私が非番をしてるって訳…初めてだから、うまくやれるか分からないけど、それは他の雌狼も協力してくれるから…”


“ネグレクトか…!?”


“そんな冷たい言い方しないでください。Fenrirさん…”


“しかし、この仔らに、何の罪もない…!”


“落ち着いて…彼女だって、この仔たちが可愛くないなんて少しも思ってない。”


“それでは、仔狼たちは、母親の愛情を知らぬまま、成狼を迎えると!?”


俺は思わず、怒鳴ってしまった。

仔狼たちは、一切気にかけず、夢中で母狼の柔らかな薄い毛皮に群がっている。


“番の雄狼はどうした!両方が捨て置くなど…”


感情的にならざるを得なかった。

どうしても、自分の境遇と重ねることは、俺自身を慰さめ、正当化する行為であるがゆえに、譲れなかったのだ。


“旦那さんは…”


“Vojaと一緒に、群れを出て行ったわ。”


“……。”


“なん、だと……?”


どうして。

どうしてお前が身籠っていたと誤解するより、辛い現実を突きつけらなくてはならない。

そして、それを表情に正しく出せない自分が、まるで悪気が無いような意思表示をしているようで許せなかった。


よく考えれば、自然な道理だ。

本来、群れの長たるVojaが、見初めた雌狼との間に仔を設けることを考えれば、

その代わりの役を担うのは、当然彼の次に強い狼であるはず。


Vojaと共に、人間狩りに向かった狼たちは、群れの主力だった。

彼を心の底から慕い、地獄の底まで着いて行くと誓った、彼らのうちの一匹が、

家族さえもを置き去りにして、


咄嗟に吐いた言葉に、嘘は無い。

仔を愛さないなど、有り得ない。心無い行いだと。

口に任せた言葉がそのまま、いや倍となって自分に帰って来る。

俺はきっと疲れている。いらぬことを思い出して、それを燃え上がらせて、何になる。

必要な瞬間があるとすれば、それは俺自身が関わることだ。

今、伝えるべきでは無かった。




“Fenrirさんが今考えていること、当ててあげましょうか?”


“自分のせいだ。でしょ。”


“そう思うのは…気持ちは分かりますけど、良くないと思います。”


そうだ。

そうも、思っている。


“彼は自分の意志で、この群れを離れたんです。”


“彼女とその仔狼たち、そして群れ全体のことよりも、Vojaへの、群れの長への思いが勝った。”


“そのことを、否定しないであげてください。”


“Vojaだけが帰って来たとき、彼女は静かに真実を受け入れた。”


“それだけでも、強い狼だと言ってあげて下さい。”


“もし私だったら、迷わず群れを離れて、貴方の向かった先へ向かいます。”


“お願いだから、彼女を責めないであげてください。”


“……。”



Lukaには、母親としての風格、いや面影を十分に見出すことが出来た。

だから、彼女が今零した涙は、母親を代弁して尚、俺の喉を抉った。


埋め合わせとして、何ができるだろうか。

彼女に噛まれることで、少しでも復讐心の矛先を確かめさせてやることか。

群れ全体を機能させることで、彼女自身にも役割を自覚させてやることだろうか。

それとも…Vojaが示唆していたのは、そういうことか。


“でも良かった。本物の乳を吸わせてあげられる雌狼が彼女以外にいなくても、何とかなりそうで。”


“そう、なのか…”


“もう、20日くらいかな。吐き戻しなら食べられるぐらいまで成長してくれた。”


“ぎりぎり、私や他の雌狼でも育ててあげられそう。”


そうか、それでお前に、消化の良い食べ物の提供者としての発想が芽生えたのか。


“母親の件は…残念だ。だが…そうだな、頑張って、この仔たちを育てなくてはならないな。”


こんな気丈な振る舞いが、どうか報われて欲しい。


“ええ。Fenrirさんも、ぜひ遊び相手になってあげてください。”


“いや、俺は…”


“狩りに必要な遊びを覚えさせてあげるのも、成狼の役目ですよ。”


“だから、ね?”


“……仔守りはもう、たくさんだ。”


“あら、そうだと思った。Fenrirさん、仔狼に好かれるタイプでしょ?”


“やめてくれ。本当に、苦手なのだ…”



目をつぶって大袈裟に首を振ると、そうだ、狩りだ。と会話を切り上げる糸口を見つける。


“Vojaに頼まれて、チームの編成をしなくてはならない。”


“あら、それは大事なことですね。そろそろ行かないととは、皆思ってると思います。”


“私も行かせてくれますよね?”


“お前は仔狼たちを優先しろ。見たところ、お前が ‘ママ’ のようだからな。”


“うん…でも、必要そうだったら、遠慮なさらないでください。”


“ただでさえ、人間への恐怖心が高まっているから。皆できるだけベストな布陣で挑みたいと思っているはずよ。”


“ああ、その点については、承知しているとも。しかし、留守にするのは、まずかろう…”




そして俺は、ある一つの失態に辿り着く。


“Luka…ひとつ、教えて欲しかったんだが、この洞穴に、誰か他の奴が来なかったか?”


“え…?今朝Vojaが顔を出してくれて…それから、他の雌狼も、二匹、来てくれたかしら。交代でお世話してあげてるんです。”


“ほ、他に…その、狼じゃない奴を目撃したりとかは?”


“何の話ですか?”


“いや、此処が安全な場所であるか、確かめたかっただけだ。心当たりが無いのなら、それで良い…”




“それじゃあ、また、逢いに来る…山ほどの獲物を、今度はお前じゃなく、この群れへ齎してやらなくてはな。”


“お願いですから、一匹で無理なさらないでくださいね?”


“ああ、お前も、仔狼のことで必要な協力は、仰いでくれ。”


横になった彼女の鼻先に、少しだけ自分のそれを近づけると、尾を翻し群れとの合流を急いだ。


ように、見せかけて、

俺は雪解け川の手前で進路を変える。


“しまった…!まずいことに…”


“あいつ…何処へいきやがった!?”


先までの罪悪感が薄れる程の焦燥に、俺は悪態を吐いて鼻先を地面へ近づける。


そう、俺が群れへと戻ったその日の晩。

Sirikiに一夜を越せるよう匿ったのは、あの洞穴だったのだ。

もう命を繋ぎとめる余力も無く、寒さを凌げる場所の候補も無かった。


その時点では、仔狼たちと、御守りの役を捨てた母狼の話など、全く知らなかった。

いくら疲労困憊のSirikiでも、仔狼たちに気付き、野宿の方法を取るか。

違うな、あいつはそんな柔軟なやつじゃない。絶対に、明け方までそこにいた筈だ。


もし仮に彼が死んだように眠っていたお陰で奇跡的にやり過ごせていたとして、その後の消息はどうなっている?

あいつの眠った痕跡は無いか。一応、それとなしに視線を送って目を凝らすが、けっこう奥まで続いているのか、確証が持てなかった。


番の狼でさえ、食糧を渡すぐらいの用でしか入ることは出来ない禁制が容易に想像できるから、無理に確かめることもできない。

下手に潜り込もうとして、彼女が目撃者となるのは、最悪の事態だ。


いずれにせよ、ここに置くのは間違いだった。この群れの異常性をもっと早く知っておくべきだった。

この状況では、群れにおいて、途轍もない害になり得る。


“一刻も早くSirikiを探し…”


“追放しなくては…”


まだ良識のある成狼であれば、距離を置いた接触も可能だったのに。

もう俺が狼側に立って、あいつを追い払う形でしか、軌道の修正は望めまい。


ああ、困ったことになった。あいつを匿える場所は、もう何処にも無いのか。



何も知らない仔狼たちが、Sirikiの臭いを覚え、それを安全なものと見做し、下手をすれば父親として興味を持ち始める。その前に。




人になれた狼(ネイティブ)が誕生すれば、この群れは終わる。





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