45. 産み落とす大枝 2
45. Birthing Boughs 2
自分でも、何故そのような理由を述べたのか分からなかった。
別にSirikiがVojaやその他の狼にどう思われようが、関係は無い筈だった。
増してや、群れの長に考えを改めて貰いたい気持ちも無かった。
人間に対して、それぐらいの殺意が無ければ、寧ろ困る。
それ故、Sirikiの方から、恩を売る様な形での、狼達へのはたらきかけは無用にさえ思えたことだったが、それでも、無害、ぐらいに立場を引き上げなくては、後々面倒である気がしたのだ。
マイナスを、中立のゼロに戻すぐらいの自己紹介の必要性が。
“…お前も、疲れているらしいな。”
Vojaは、俺の発言を馬鹿にするどころか、まるで取り合う気が無いようだった
“まあ、今すぐに、Sirikiとか言う人間について揉めたいと言うのではない…”
“お前が、契約を履行するつもりであると分かっただけで、十分だ。”
“怪我も酷いだろう。そういう時は、お互い様だ。”
今、この場でSirikiを群れの境界に留まらせることの是非について論争するのは、お互いのやりたいことでは無い。それは確かだった。
ここで喰い下がっても、俺に勝てない。であれば最低限の権利の保証が為された今は、群れの長の意見を尊重しようということらしい。
“話はそれで終わりか?であれば、一匹にして欲しい。”
“あ、ああ……”
“それから、この後に人間と用事が無いのであれば、Lukaの元へ向かってくれるか。”
“彼女から大事な話がある。”
“…?分かった。”
“それと、次の狩りの予定を、今日中に教えてくれ。”
“本当に、一緒に出撃するつもりか?”
“お前の判断による。今日中に、目ぼしい群れ仲間たちと接触してコンディションを確かめてくれ。そういう把握も、お前の役目だ。それで厳しいという判断なら、俺が加わる。”
“や、やってみよう…”
面倒だと言っている場合では無い。Vojaが本気で俺に長に仕立て上げる為に必要な知識を齎そうとしているのが伝わって来る。余計な接触はしたくなかったが、そうも言っていられないようだ。
“あと群れで喧嘩があったら、無理に仲裁に入らず俺を呼べ。顔ぐらいは貸してやれる。”
“…そうさせて貰う。”
彼は俺が頷いたのを確かめると、四肢を投げ出して横になり、物憂げな表情で目を瞑った。
苦しいのだ、休みたいだろう。これ以上、喋らせてはなるまい。
俺は出来るだけ足音を立てぬよう、疎らな白樺林の外れを後にした。
気分が落ち着く場所というのは分かる。長のお気に入りの場所というのなら、俺も、今度は一匹であそこに赴くこともあるだろう。
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今度こそ、少し暖かくなってきたか。
この土地の春を経験したことが無いから、確かなことは分からないが、どうか凍土が融ける程度のことであって欲しいものだ。
だが弱った身体には、皮肉にもそれが支えになる。お前もきっと、そう思っていることだろう。
“それにしても…”
あいつは、本当に大した狼だ。
爪を剥がされ、毛皮は刺し傷だらけ。唯一の頼みの牙も、欠けてしまって、四肢で自由に走ることも儘ならない。
それでも、狩りには参加するつもりだと?
あまりこんなことを言うものじゃないが。俺から言わせて貰えば、一命を取り留めるどころか、群れの戦線に赴こうとするお前の方が、化け物だ。
しかし…狩りには、行かなくてはならないよな。流石に助力に甘えてはならない。俺が行くべきだ。
俺の方が、誰にも邪魔されることなく、ゆっくり数日眠りこけたいのに。
ああ、古巣が恋しい。何処かに、俺専用の洞穴は無いものか。
あいつの言う通りだ。今は、人間がどうこう言っている場合じゃない。
傷ついた身体を癒し、群れの体裁を保つことに、集中すべきだ。
Vojaの指示に従い、Lukaの小さな足跡を辿って、雪解け水で勢いを増した河川を北上する。
彼女の右後ろ脚の傷は、もう大丈夫なのだろうか。
痕跡を見る限りは、残りの3本と同じだけの体重が乗り、また不自然な方向に曲がって接地されていないように見えるが。
治りが速いようで安心だが、それよりかは、俺のせいで体調を崩させてしまった、例の事件の方が気がかりだった。
さっきの吐瀉物は、Lukaのものだっただろうか。
Vojaの看病として、自分の意志で吐き出したのならそれで良いのだが。どうしても気にかかってしまう。そのような給餌の芽生えとは、ある特定の狼に向けて、自然と発露するものであると考えれば、やはり俺には不自然に映る。
“……Luka、いるか…?”
何となく察しは付いていたが、彼女が向かっていた先は、この群れが仔育てに使っている空き巣だった。
そうと判れば、俺の尾は自然と垂れざるを得ない。
彼女は、そうか。まだ療養中か…
思った以上に、消化器官に負担がかかっていたのだ。
俺が人間に作らせた料理を食べさせたせいで、こんなことになってしまうだなんて。
となると、先の吐き戻しも、本来なら自分が口にするべきようなものだったのでは。
募る罪悪感に、首を垂れてみても、返事は無い。
洞穴に、気配はあるが、眠っているのだろうか。
屈んで覗き込めるほどの高さの入り口の前で目を凝らすも、確証は無い。
元より、こういうのは、男子禁制だ。夫の狼ぐらいしか、許されるものではない。
本来の使い方をされていない状態であっても、その掟を破るのは、憚られた。
踏み荒らされた入り口の足跡に、Lukaのそれは混ぜられてしまっていたから、確かだとは思うのだが。
“…しかたない。”
入り口に近い陽だまりで、昼寝を決め込むとしようか。
群れに戻って、誰も近寄りがたいであろう俺の狩りへの誘いに対する反応を楽しむか。
…前者だろうな。想像しただけで憂鬱で、貧血なのか、眩暈がする。
きゅー…
“……?”
何だ、今の鳴き声。
小動物の類なら、聞き訳が付かない。
“Luka…起きたのか?”
俺は尾を翻し、もう一度洞穴に向かって語り掛ける。
“身体の調子はどうだ…?俺が不在の間、苦しいところは無かったか?”
“Vojaに、お前に会って来るように言われたのだが…”
ぴー、ぴー…
……?
どうしたのだ。そんな甘え声を…
いや、Lukaじゃない。
中に…誰かいる?
“え…?”
“ま、まー?”
それは、一匹では無かった。
俺よりも、Vojaよりも疎かな足取りで、転がるように陽の下に現われる。
“まま!”
茶色の短い毛だけを纏って、まるでそういう果実のようだ。
瞑らな瞳も、開いているのか、閉じているのか分からない。
それは次の冬までは肌身離さず温めてやらなくてはと不安に駆られるほど。
“ち、違う…俺は…”
心臓は、不自然に脈打った。
これは…どういうことだ?
俺は知っている。産まれて2週間ほどだろうことを。
体力が付き始めて、いよいよ手が付けられなくなるというところだ。
“あら、Fenrirさん、お待ちしてましたよ!ごめんなさい、ちょっとうとうとしてて…”
巣穴の奥の方から、ようやく知った声がする。
“ル、Luka…これは…”
“Vojaに言われて来たんでしょ?お見せしないといけないですよね…”
“ままー!!”
“ほーら、ままはこっちですよー…”
この甲高い鳴き声、理解が追いつかず、頭がくらくらする。
一歩退いたら、なんと、本当に尻餅を付いてしまった。
“Fenrirさんっ?大丈夫ですか!?”
“そん…な…”
洞穴の主は、仔狼たちであったのだ。




