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40. 常なる狼

40. Immerwolf


ヴァイキング侵攻に対する籠城戦。

それには’聖戦’なんて言葉が、ここぞとばかりに選ばれた。

本職に意義を与えるための道義だとばかり思っていた。騎士様が立派に努めを果たすための、都合の良い拠り所であると。

徴兵の話が、僕ら市井の民に及ぶまでは、そのように思っていた。

何故って、神様は、産まれて来た僕らに戦う為の肉体も精神も、お与えにならなかったから。

それをいきなり、これは試練であると。

せめて、武器と、それを構えるだけの覚悟、憎しみぐらいは、齎して下さっても良いのでは無いでしょうか。


こんな人間は、きっと神様のご意志に沿えず、大成することは無い。


そう思っていた。


けれど、これはどうだ。


Fenrir様は、全部与えて下さったじゃないか。

僕に、戦う為の、究極的な目的も、人殺しになる覚悟も。

武器と、それを操る肉体を補って余りある程の


力も。


「なんだよ…これ…」


貴方は、僕を選んだつもりは無かったと言った。

しかし、貴方の興味を惹いた結果、

私は、最終的には、貴方の足元に置いておきたいお気に入りぐらいには、なれたのですね?

自惚れだ。でもそう勘違いしてしまう。


胸の高鳴りが、戦場での昂揚に変わった。

これが、きっと、天啓だ。

主の声を聞いたという人類の父は、本当にこのような瞬間に立ち会っていた。


ようやく、理解できた。

神様、対、神様の構図。


端から、僕の戦力など、駒の可動範囲など、把握しきったうえで、盤上を歩かせている。




僕をあの暗殺者からの夜襲から守った、謎の衝撃。

無意識で、それ故無意味な抵抗であったはずが、それが、痛烈な反撃の意味を為した。

今思えば、あれは、Fenrir様の、本当の肉体が部分的に実体を持って顕現したものだ。

前脚で、ちょいと、弾いてやるだけで、彼らは雪屑のように弾け飛んだ。


それが、僕の何も持たない両手でする、甲斐の無い防御に合わせて繰り出されたなら、


ドゴンッ…!!


『なっ…なんだぁっ?今のは!?』


観る者にはまるで、僕が何らかの力を纏っているかのように、映るだろう。

固い絆で結ばれ、主に指一本触れさせまいと傍らで仁王立ちする守護者、或いは、命に触れる契約を執り行った、利益にのみ忠実な魔物。


そのどちらでもない。

後に神話の世界を揺るがす神様が、背後に控えているとは、夢にも思うまい。


一心同体。僕は、狼だ。

その四肢のイメージを作るだけ。それに、貴方が合わせてくれるだけで、

本当の姿の貴方が、攻撃に合わせて具現化される。。


全能の神様の威を借りられるなんて、それは驕りたくもなる。

道理で、神の憑りつく島も無い、只の狼は、このように虐げられるのだ。


しかし今、その蹂躙の構図は、取り払われつつある。


「ちょっと…まずいことに、なりました…」


相手にも、同じことが、起こっている。


咄嗟に僕の手が、顔を覆わなかったら、間に合わなかった。

地面を叩くような爆撃の直後、ジグザクに這う黄金光の筋、遅れて湧き上がった衝撃波。

それは、地盤に与えた亀裂から、漏れ出したかの如く、僕を襲ったのだ。


「Fenrir様っ…これは…!」


また、来るぞ…!


ドゴゴッ…


「うわっ…?」


今度は、床が布のように揺れ、宙に浮いた。

足元を救われては、姿勢を維持できない。転んでしまうと、対処し。


僕は四つん這いで着地し、両手を地面に合わせて叩く。


ドゴーーーーンッ…


3発目は、僕の足元からも、同時に爆音が響く。


「…はぁっ…はぁっ…あぁっ…」


その衝撃を打ち消せた。

分からない。

何だったんだ、今の…?



しかし、今の連撃は、明らかに、今までの狼の襲撃とは一線を画していた。

同業者にしか分からない、自己紹介。だろうか。

表舞台には出たがらない癖に、力を誇示せずにはいられないようだ。


「……。」


観客の声も、もう聞こえない。

だが、その場に居合わせて良いものか、僕だったら腰を浮かせる。

それくらいの、恐怖。


神様が、あの狼の背後にも、君臨している。


彼は胴の半分を此方に見せ、じっと頭を低く下げて構えている。

獲物を、狙い定めているのだ。

どのように狩るか、戦闘力は如何ほどか、どこから狩るか。


ヒュゴォォォ…


狼の周囲に巻き上がる砂嵐、いいや、あれは白い。

彼が纏っているのは、彼が纏うに相応しい、純白の雪屑だ。


神々しい、などと感嘆の声を漏らす。

それが、僕に対しても言えただろうか。


見る者に、美しいと宣わせるだけの、この気迫の具現が。


無理だ。と、今の僕は思う。

これは、神様とは関係の無い、彼自身が纏う覇気だ。

僕には、出せない。


同業者の後光で戦っているのでは、無いのだ。



第二形態。

これは、そうとでも呼ぶべきだ。



倒せるか…?




彼がもし、僕と同じ恩寵を受けているのであれば、それは彼の身体感覚の延長を補うだろう。

視界を失って尚、僕の位置を正確に割り出した彼は、今や、僕と対等な条件で土俵に立っている。


そうとしか、考えられない。

でなければ、僕以外(カミサマ)の襲撃には、反応できない。

どうして、微動だにせず、御することができた。


「っ……!」


考えるのは後だ。初めから、この狼の目が見えない前提で戦うことに意味が無いことは、変わらないのだから。

再び真っすぐに向かって来る狼に対し、もう一度右手を広げ、5本の爪で水平に空を切り裂くと、視界が歪むほどの勢いで、巨大な透明の前脚がそれに倣った。


ザシュッ…!!


爆音と共に、湿った土煙が上がり、目の前の狼は衝撃に吹き飛ばされる…はずだったのだ。


「いない…?」


一瞬だけ晴れた視界に、相手が消えていたから、壁に叩きつけられた狼の姿を探そうと、右手へ頬を背けたのがいけなかった。


“本体は、無防備か?”


「……っ?」


“であれば、まだやりようはある。”


左肩だ…!

ナイフを失ったせいで、がら空きの傷口を…


噛み付かれた感覚は無かった。

爪の無い前脚では考えられない鋭い感触に、僕の肉が解けたのが分かった。

ぞっとした。

痛みは無い。視線の端に、真っ青に硬化した傷口が見える。


咄嗟に身体を捻り、左からの襲撃に背中を向けるようにして庇う。

傷口を抉られるよりも、首裏を晒す行為がどれだけ愚かであるか、冷静に考えればわかることだが、戦闘経験の無い僕は、まんまと狼の狩りに誘導されつつあった。


勿論、僕だって、馬鹿じゃない。

背後への防御として出来ることを、狼の身体を以て具現化しようとした。

反射的、というのが、脳だけが人間の自分にとって、そもそも無理がある。

その上で、四つ足の獣が背中に圧し掛かられるような攻勢に出られること自体が、難しい局面だと思い知った。


此処から繰り出せる動きなんて…


「グルルルルゥゥゥゥ!!」


僕は、どういう訳が、唸った。

そうすることで、貴方との息が合う(リンク)ことを信じて。


身体を仰け反り、飛んだのだ。

足首に罅が入ったのではと思うほど強い力で地面を蹴り、宙返りをして、相手の上空を舞って躱す。


“……!?”


やったことも無いような動きだった。人間でさえ、そうなのだから、狼にも、実現の補助ができる訳が無い。


しかし、背後の、飛び掛かろうとする凄まじい殺気が、消えた。

直下に、狼の影が見える。


「ぐっ…!」


着地は、見事に失敗。

どうせ、挫いていた脚だ。今更傷めたところで、大して変わらないと思ったが、裸足に直に響いた。


けれどもこれで、逆に僕が裏を取れた恰好だ。


仕留められる…!


“誰に教わった?聞くまでも無いな…”


「え……?」


“それは、俺がFenrirに対してやった反応だ。”


“何故俺が、予測できないと思ったのだ?”


いない。

目の前に、僕を襲おうとしていた筈の狼の影が。


“お前、どうやら、本当にFenrirが裏で操っているらしいな。”


“何処だ?何処で、見物している?”



“お前を殺せば、分かるのだと良いな。”



傷めた足を庇うため、屈めていた身を上げようとした、その刹那だった。


「っ…?」


息が詰まった。

鳩尾に、鈍痛が走る。


動けない。


これは…鼻先…?

いや、拳…?


一歩退こうにも、立てなかった。

正確に言うと、引っ張られた。


右手を。



ぐちゅっ…がりがりがりっ…



「……?」


噛まれている。


「ぎゃああぁっっ!?」



有り得ない。

首元や、傷口ではなく。

武器の、拠り所を。

‘手’ の役割を、知ったうえで。


狙って来た。


「あ゛あ゛っ…あ゛がががぁぁっ…!!」


手の甲から、これだけの血飛沫が飛ぶとは、想像もしなかった。

必至で振り払おうとするも、相手の首を振らせることさえ叶わない。

そして、それ以上に恐ろしいことは、指先から、肩にかけて、急速に感覚が失われていることだった。


この狼の牙から、何かが広がっている。

毒…?

いや、凍傷だ。

体温が奪われている…まずい!


「や゛めろぉっ…あ゛あ゛っ…ぎゃああぁっっ!?」


今度はしっかり、痛覚があった。

ぼろぼろの左腕で、叩きつけるも、躍起になって、耳に噛みついてみるも、無駄だった。


「グルルルルゥゥゥゥッ!!」


“狼の真似事か?もう少し、牙を伸ばして、出直すんだな。”


殺れる、殺れる筈だ。

なんで、なんで、噛み砕けないっ?

今、貴方がこの狼の頭蓋に牙を突き立ててれば、それで終わるのにっ…


「ぐっ…がっ、はっ…」


激痛で力が抜ける寸前のところで、僕が狼の腹を何度も蹴り、背中に刺さっていた燭台の棘を、毛皮を引き裂くように、肉をかき回すように、ぐりぐりと抉る。


じゅうぅぅっ…


“ぎゃうぅっ!?ぐぁぁっ!?貴様っ…ぎゃああぁっっ”


この煙…焼けている?

良く分からないが、悶えている。


だが、ようやく離して貰えた右手は、中指と薬指の間が、見るも無残に広がり、裂けていた。


「あぁっ…あ゛あ゛っ…あ゛あ゛っ…」


“はぁっ…はぁっ…あぁっ…”


互いが痛みに悶え、追撃の余裕が無いことに、心の隅で安堵する。


「あぁっ…あっ…あぅぅっ…うぅっ……」



“だいぶ、これで、剥がせたな。”


しかし、微笑んだのは、相手だけだった。


この狼は、強い。


敵を見れば、不敵に笑う。ニタリと垂らした舌が躍る。

逆境こそが、大好物。

喩え相手が、神様でも。


憑依装着、なのか…?


でも、この動きは…


狼では、無い。


後ろに、いる。

人間の姿をした神様が。




『行けーっ!こんな華奢な坊主、とっとと噛み殺しちまえっ!』


『そうだそうだーっ!お前には何としても、勝って貰わなきゃならねーんだ!!』


皆、狂っている。戦場に降臨した神を、彼らは拝みたがっている。

次は、自分がその人になりたいと羨みながらも、観客でいられる安堵を享受して。


そうした歓声が、戦士を益々勇敢にするとは、思ってもみなかった。

全員、この場に引き摺り出してやりたいと思うほどだったのに、一変して僕は、この独壇場を見られることに、否定しがたい快感を覚えていた。


でも、今、それ以上に、喉元に込み上げてくるのは。

想像を超えた戦いに胸震わせる感動と、


「げほっ…ごっ…」


“グフッ…ヴゥゥゥ…”


血の代償だった。


その証左を吐き出し、顎を痙攣させる。


僕らは、生身だ。

身体は、互いに限界を迎えつつある。


「歪な交差とは、思いませんか…我が主よ…」


「狼である貴方が、人間である僕について、」


「貴方の好敵手である同業者(カミサマ)が、狼に勝たせようとしているんです。」


ヴァイキングの間で、俄かに尊敬を集めている、その有力候補とは、人間の姿をしている。

でなければ、わざわざ、同じ姿をした狼から、こんな尊厳の奪い方はしない。

前提のようなものではあったが、改めてそう確信するに至った。


裏を返せば、相手は、貴方の神経を逆撫で、どんな手を使ってでも、貴方に勝ちたいと思っているということだ。


そこを、貴方は隙と捉えたがっていた。

相手の信者を、かっさらうチャンスだと。

だから、僕を通して、この狼を捻じ伏せようと企てたと、そう思っていました。


でも、気付いたのです、この戦いを通して。

貴方の本心は、同業者の思う壺であると。




「急に、手を、抜きすぎ、です…我が、狼…」


どうして、捨て身で僕に噛みついて来た相手に、何もしなかったのです?


僕の身体の気も、少しは使って下さい。

どさりと膝を着き、観客席に向かって、笑いかける。


「僕ら…目的は、一致していました、よね…?」


「この狼に勝つことは…手段だ。」


「でも…目的は…神様の…台頭じゃ、ない…」







「本当は、この狼のこと、助けに来たんだ。」






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