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39. 止まぬ囁き

39. Unending Whisper 


暗闇の中、ずっと皆の声が聞こえていた。


痛いよ、もう、耐えられない。

何も見えないんだ。

誰かが、俺を、殺そうとしている。

何処にいるんだ、ボス?

助けてくれ。



行く手を阻む鉄格子は、噛み切れなかった。


ずっと、悲痛な吠え声で、助けを呼んでいるのに。

俺は、何一つしてやれなかった。


俺のことを信じて、俺と一緒なら、きっと一矢報いてやれると信じて、着いて来てくれたのに。


俺は、大切な仲間を、全員見殺しにしたのだ。

人間以上に、自分が許せなかった。


知っていたさ。お前に負ける前から、俺には群れの長を務める資格なんて無いって。


3匹とも、もう声は聞こえない。

一度でも人間に牙を突き立て、立派に戦えたなら、どれほど救われただろうか。


彼らは、弄ばれるように、人間の歓声の元、死んでいった。


きっと次は、俺の番だろう。


俺が負けたら、犬死にだ。

お前達を殺した人間だけは、俺が屠って見せる。

喉元を喰いちぎって、

お前達に聞こえるほどの大きな遠吠えで、狩りの終わりを告げてやる。




貴様が、俺を狩る者、か。


こいつの臭いは、残念ながら、同胞を侮辱した人間とは違うようだ。

しかし、諦めるものか。

喩え首輪を嵌められようとも、視界を奪われても、牙を折られても、爪を剝がされても。


必ず俺の友を殺した人間に辿り着くまで、何度でも、戦ってやる。


どうだ、見たか。

既に、俺の身体の下に、お前は組み伏せられているぞ。


“お前は、俺の本当の標的では、無いようだな…”


渾身の力を込め、噛みついた人間の肉。

これで生き延びるだけの日々にも、いつか必ず終わりが来ると信じて。


“話にならん。とっとと、俺の仇を出せ!仲間を殺した人間は、何処にいるっ!?”


だが、あり得なかった。


“……?”


齧り付いた獲物の臭いは、


“馬鹿なっ…?”


あいつの残り香を、漂わせていやがったのだ。







“なぜだっ…!?なぜお前がっ…!?”


“フェンリルっ…!?”


それは、人間の食べ物に仕込まれた巧妙な毒が如く、俺を激しく動転させた。


同時に背中に走る、激しい痛み。

何かが、毛皮を貫いて、刺さっている。呼吸するたびに、肺が軋んだ。

しかし、こんなものは、お前たちが受けた苦しみに比べれば、掠り傷にもならん。


馬鹿な。あり得ない。

俺は貴様に敗北し、此処で人間に生け捕りにされ、見世物として弄ばれる顛末まで、筋書き通りだったと言うのか?


観客席の何処かで、人間の群衆の中で、お前は、ほくそ笑んでいる。


絶望の余り、力が抜けそうだった。

此処で、最期まで足掻くことさえ、お前の望む通りであるとするならば。


俺は…

どうして、誰のために、戦っている?





しかし、その時、声が聞こえたのだ。


『ねえ、君。』


『このまま負けるわけには、いかないよ。』


……?


『僕は、君の頑張りを、ずっと見て来た。』


『狼の毛皮を纏った怪物に、君が負けてしまったところもね。』


何だと…?


ふふっ…やっぱりそうか。

あいつが、狼であって良いはずが無い。


しかし、そう言うお前は、誰なんだ?


『君の味方さ。』


興味が無いな。

この期に及んで救いの手を差し伸べる奴に感化される程、落魄れてはいないのさ。

そうするくらいなら、俺は黙って物言わぬ藁に縋る。


少し芝居がかったその演劇的な言い回し、反吐が出る。


『そう言うなよ。僕は、君にどうしても、勝って貰いたいと思っている。それだけは本心なのだから。』


『僕らには、共通の敵がいるってことさ。』



『このまま、Fenrirを野放しにしておいて良いのかい?』


どういう意味だ…?


『彼は、君が率いていた群れの長に居座るだろう。しかし、君も見て来たとおり、あいつの本質は、狼では無い。』


『彼は確かに他の誰も及ばない狩りの力を持っているかも知れないけれど、それだけだ。元の群れを維持することは出来ず、忽ち統制を失い、崩れていくだろう。』


ああ…全く以て、同感だ。

見ものだな、あいつが無力さに打ちひしがれる様を、拝んでやりたいものだ。


『…意外だな。』


何がだ。


『これだけ仲間想いの君が、阻止しようと思わないだなんて。』


……。


『良いのかい?あいつの好き勝手にさせて。』


クククッ…


お前、そんなに話術が巧みでは無いらしいな。


『何を言うんだい?僕は君の為を思って…』


口では、確かに、あいつの失敗を願ったが。

俺はFenrirが、群れを壊滅に導くような失態は決して犯さないと知っている。


俺が一度、負けた相手だ。

そんな奴が、俺よりも無様な姿を見せられては困るのだよ。


分からないか?

お前があいつとどういう間柄なのかは、知ったこっちゃないが。


俺はFenrirという狼を信用しているんだ。

あいつは、俺が組み伏せられなかった、唯一の狼だ。


腕は確かだ。群れとの関わり方も、俺とは理想が異なるが、それはあいつが育ってきた群れとの違い、それだけでしかない。

俺とは違う家庭を築き上げ、俺では出来なかった大儀を成し遂げる。


その理想に着いて行けなかった狼が、此処で一匹足掻いているだけ。

それだけだ。


悪いが、俺は貴様の復讐の道具に堕するつもりは無い。


『それは、残念。とても。』


話は終わりか?

それともまだ、何かをチラつかせて見せて、恰も平然を装うか?


『言っただろう?僕は君の頑張りを、ずっと見て来たと。』


『君の覚悟は立派だ。何もかもを捨てて、此処までやって来た。』



『それでも、僕にはわかる。心の何処かで、彼女のこと、臭い、まだ嗅ぎたいと思っている。』


……?


『そこまで、諦められるほど、君は強くない。』


Lukaに何をしたっ!?

指一本でも触れて見ろっ、俺は貴様を今すぐ…


『勘違いしないで!僕は何も君に対して酷いことをしてやろうなんて思っちゃいない。』


『ただ、確かめさせて欲しいだけ。』




『Fenrirは、本当に彼女に相応しい(つがい)だと、思っているの?』



……。



『Fenrirは、本当の意味で、Lukaのことを、幸せにできるのかな?』



『君も見たよね?彼は彼女を、半ばたぶらかすように甘やかし、それ故、いとも容易く人間によって命を脅かさせた。』


やめろ…


『これからも、Fenrirは、Lukaの願いを、叶え続けようとするだろう。彼女もまた、Fenrirのことを信じて疑わない。』


やめろと言っているのが、聞こえ無いのか…


『Fenrirは、本当に、ずっと護れるのかな?彼女を、人間から。』


当たり前だっ、それに、俺にはもう関係ないこと…


『知っているよね?悪意ある人間が、君たちをどのように扱うか。』


『一度でも、彼の利益に反すると見做された彼女は、』


頼む…そんな筈…


『今の君みたいに、なってしまわないかな?』


“やめろおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっっっ!!”



ガキーンッ!!


眼前、眉間の辺りで、何の前触れも無しに、金属音が鳴る。


“なっ…!?”


葛藤に身を委ね、完全に隙を晒してしまっていたのだ。


だがそれ以上に、俺を動揺させたのは、同時に、鼻先を掠めた、微かな匂い。


“…Lukaっ!?”


幻だろうか。

視界を覆われた今の自分にとって、より研ぎ澄まされた嗅覚、そして聴覚、これ以上の拠り所は無かった。


人間が、彼女に嵌めた罠だ。

Lukaの右脚に喰らい付いた、鉄鋏の牙が閉じる音。


ふわりと広がったのは、彼女を誘き寄せたであろう、甘ったるい餌の臭い。

その中に隠し切れずに埋まっていた、食べ物を手掛けた人間の捏ねた手の臭いだった。


“まさか…!?”


“まさかお前が…っ!?”


どれだけ噛みついても、頑として彼女を離してくれなくて。

人間がやって来ることに怯えた俺は、

…俺は、到頭、彼女のことを…




“どこだっ!?どこにいるんだぁぁっ!?”


目の前の景色は、何処までも鮮明で。

俺は、短絡的で、最も悲観的な結論へと跳躍する。


“どこに…”


嘘だ。

嘘だ嘘だ嘘だ。


Fenrirと、一緒じゃないのか?

まさか、俺を探して…


『ね?分かっただろう?君は今、助けを必要としてる。』


“くそっ…っ、くそがぁぁぁぁぁっ!!”


あの戯けが。

どうして、止めなかったんだ。


彼女は、お前が思っている以上に、信念を曲げない、強い狼だ。


『人間の形をした神様の助けであっても、怪物よりはましだ。違うかい?』


“今、助けに行くぞっ!”



……。


俺は、どのみち、もう終わりだ。

此処で、どうなっても良い、でも。


“おいっ、人間…!”


“今回だけだ…今だけは…”


“ガルルルゥゥゥ…!!くそが…くそがぁっ…!!”


“俺は、いつもそうだ…誰も…誰も…”




“俺は……Lukaを…”





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