36. 波止場の恐喝者
36.Dockside Extortionist
ここは、荷捌き用の埠頭だ。
首輪で地面をずるずると引き摺られる痛みで一瞬だけ意識が戻った気がする。
朧げな視界の中で見上げた、幾つも海に向かって伸びた板張りの桟橋の間に係留する船舶が、一つや二つでは無かった。
そのどれもが、画一的で、どれが海賊船、即ちヴァイキングのもので、どれが諸外国の寄港船で、そしてどれがヴェリフェラートのものであるのか、正直見分けがつかない。
本来、帆を上げるのだから、日中であれば、国旗や、或いは神様を描いた何らかの旗を目にすることができるはずだ。
その、割合、とでも言えば良いだろうか。それで、コンスタンツァ港の、現在の世界的価値が分かるだろう。
もし、これらの半数以上が、彼らのものだとしたら。
完全に、この港町は、腐っている。
元より、海賊船が彷徨く海域など、どの国だって寄りつこうとはしなくなる。
ただでさえ貴重な船舶の機会も、これではヴァイキングの為にやって来てくれた貢物にしかならない。
豪商さえも、もう市場を機能させることは無い。僕らヴェリフェラート市民が入手できる輸入品など、激しい規制の下では激減するだろう。
そうなれば、骨の髄までしゃぶり尽くされて、急速に廃れていくのは僕でも想像できた。
直に、誰もいなくなる。
この街は、もう終わりだ。
いや、彼らだけの、港町になってしまう。
その意味で、教会の戦略は、僕には的外れであるように思えた。
あの場所で、信仰を求めるヴェリフェラート市民さえも、直に西部へと移住を始めるのでは無いか。
寧ろ、それで、良いのか。
同じような姿かたちをした、偽りの拠点が、国中に広がって増えるだけ。
果たして僕と貴方だけで、それを喰いとめることが、出来るのでしょうか。
「フェン…リ…ル、様…」
昼夜を問わずに開かれる市場、それは僕が想像した通りの栄華を誇るコンスタンツァ港の賑わい。
客層を、日中と夜中で分けるのも、理に適っている。
そして夜の市場は、日の目を浴びないが故に、幾らか反権威主義的で、アンダーグラウンドなものが混ざっていても良い。
この闇市場は、ヴァイキング向けに、特別に開かれたものだったのだ。
それ故、彼らの趣向に、特別会っている。
本質は、陸地で在ろうと変わるまい。
略奪の対象は、
僕ら、植民だ。
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酒場で経験したのとは、また違う、異様な熱気が漂っていた。
身体が、熱い。首を絞められ、脳に熱が集まっている。
頬のすぐ傍で、松明が燃えているのでは無いかと思うほどだ。
布袋を被せられ、顔の周りだけが自分の荒い息で熱いのだと気付くまで、だいぶ時間がかかった。
両手は後ろに回されたまま。
足にも、ご丁寧に、歩幅を制限するほどの短さの鎖で繋いであるらしい。
何も、そこまでしなくても。
僕ら何て、簡単に抑えつけられるじゃないか。
どうしてこんな。
それとも、みすぼらしく、可哀想な見た目の方が、買い手の同情を誘えて良いのか?
身包みを剥がされていること、裸足の脚が触れる床が木の板であること。
僕に分かるのは、それだけだった。
ジャララッ…
再び、首輪が強烈な力で引っ張られ、僕は小さく悲鳴を上げた。
立ち上がることを強要されている。抵抗する気力も無いが故に、ふらついて膝を折りかけ、また首元にショックが与えられる。
もう、嫌だ。言うことを聞かない駄犬でも、此処までされるだろうか。
歩幅さえも、足枷で制限されているのに、そんなのお構いなしだ。
ようやく首元を襲う痛みが感じられなくなった頃には、僕は只々、見えないの力に怯えるだけの、立派な奴隷だったのだ。
外が、めちゃくちゃにうるさい。
激しく興奮した、この声の主たちは…
「ぶぁはっ…」
突如として、頭を覆う布袋が外された。
頭髪も一緒に引っ張られて、僕はまたしてもふらつく。
冷たい空気が、気持ち良いと思うことになるとは、思わなかった。
「……?」
ここ、は……?
『さあ、お次の商品は、こいつだっ!!』
『うあおああああああああーーーっっ!!』
てっきり屋内かと思っていたけれど、頬を打つ寒風は、磯の香りを含んでいる。
僕はどうやら、街頭に設けられた舞台のような場所に立たされていたのだ。
見渡せば、桟橋を横切って組まれた木組みの骨組みが、仮設の観覧席を囲っていた。
雨除け代わりの帆布が頭上に広がっているが、ところどころ火の粉で焦げ、まるで襤褸の天幕のよう。
客席には、酒樽を逆さにした即席の腰掛けが並び、興奮した客らがその上に足を乗せて叫び合っている。
背後には無言の番人が数人、棍棒を下げて睨みを利かせていた。
両手と両足には、変わらず枷を嵌められたまま。
先までと違うのは、首輪から、二本の鎖が伸びていることだった。
そう、左右に、二人…いやもっといる。
数珠つなぎに拘束され、僕一人ひとりが中央で照らされている。
『知らねえ奴はいないだろう!見た目は華奢だが、現在連勝中と噂の…、現地民の剣闘士だぁぁ!』
司会人だろうか。右後ろの方で、何やら叫んでいる。
それでも舞台の下の熱狂は収まらない。
やれ、やれ!
そう叫んでいるに違いない。
弄ばれる。
さっきのお店で見た、床に叩きつけて、何回まで耐えきれるかを当てる賭け事。
それと同じようなものが、今から始まろうとしてるんだ。
「い、嫌だ…」
それ以外の可能性を、すべて否定してしまった。
一度、そう思い込んだが最後、僕はどうにかして助かる方法は無いのかさえも、考えようとしなかった。
頭が、理解を拒んで、痛みも何も感じない、人形になろうとする。
「あ、ああ…」
人形は、膝で笑わないし、歯も鳴らさないのに。
「ふ、フェン…りる、さま…」
ブォォォオオオ~~~~~~
「……?」
けたたましい角笛の音が、会場に静粛を呼びかける。
『あーっ!わかった、わかった!!盛り上がるのも無理はねえが、ちょいと静かにしてくれやっ!』
その方向を見れば、此処にもいる、王国騎士のボディーガード。
買収されれば、どんなところでも、主人を守り抜くのか。これじゃあ盗賊の用心棒と、何が違うというのか。
『分かってる、説明しよう!なんと…前の持ち主が、こいつを手放すことに決めたらしい!!』
『ああ!そこにいるな!?感謝するぜ!盛り上げてくれてありがとうよ!!皆拍手だっ!』
何だ…?分からない、何を盛り上がっているんだ?
『これから連勝が続けば、今よりもっと値段は跳ね上がるだろうな!』
『買ってすぐに、闘技場へGOって訳だ!がははっ!』
『よーっし…そんじゃあ、2,000 Denierからスタートだ!』
金額の部分だけ、聞き取れた。
僕が、徴収兵士として遠征に出るのに支給されたのに比べて、倍ぐらいの額だ。
『3,000 Denierだっ!!』
『俺は5,000 Denier出すぞっ!!』
え…?
何だ、こいつら?
でも、やっぱりそうだ。僕を競売にかけている。
これは奴隷市場ではあるが、
しかし人身売買、では無い。
僕は、どういう訳か、彼らの立場になって、この異質な空間の説明に取り掛かろうなどとする。
右手にいたのが、買い手のついた奴隷だったのだ。そして次の商品が、僕だったということになる。
『10,000 Denierだっ!文句無いだろう!』
『おおっ、いいね!他はいねえか?』
『たかが奴隷と思わず、バンバン行ってくれよっ!』
しかし、額が冗談じゃなくなって来たぞ…
いよいよ悪趣味なオークション会場じみてきた。
そして、少しだけ、この奴隷市場の概要がつかめて来た。
闘技場のチラシを見せた僕が、此処にいる、ということは、
彼らは、手持ちの駒で、戦わせる、対戦型ゲームのようなものに興じているのだ。
強いカードが欲しい。
もし、これがFenrir様の筋書き通りであるのなら、僕はどうやら、向かうところ敵なしであるその ’狼’を殺せるかも知れない、目玉商品。
そう考えてみれば、どいつもこいつも、余り自分のことを、奴隷にしては、蔑んだ、哀れな目つきで見ていないような気がする。
どちらかと言えば、そう、期待の入り混じった目で、僕を品定めしている。
「……。」
怒りが、込み上げて来なくちゃならないはずなんだ。
同じ、人間では無いと彼らが考えているとしても許されて良いはずが無い。仮に彼らのトレーディングの対象が、例えば狼だったとして。僕は同じように吐き気を催したはずなんだ。
どうして、今、この場で、彼らの殆どが理解することの出来ない悪態を吐くこともしない?
これも、潜入任務のためだと割り切っているから?
僕は、本当に、恐怖に身も心も、家畜化されてしまったのか?
両脇を揺らめく松明で照らされた僕を、夥しい数の出席者が、品定めをしながら、見守っている。
彼らは、いわばヴァイキングの中でも富裕層だ。
帷子に毛皮のベストを着こんでいただけの装いとは違って、毛皮の立派なマントに、装飾の多い衣装を着飾っている。
だが、それ以上に目立つのはまばらではあるが、現地民の顔も見えたことだった。
「ふざけるな…」
地位は大前提として、金さえあれば、平等に参加券が与えられている。
先までの論理さえ通用しない。もう、別の人間、ですらないのだ。
僕の帰りを待ってくれていたリフィアは、こんな奴らのせいで。
段々と、数字を叫ぶ声の間隔が、まばらになって来た。
そろそろ、買い手が付く。
此処から先、僕はその主人の所有物として、闘技場で、猛獣と戦うことになるだろう。
せめて、ヴァイキングに落札されたい。
同じヴェリフェラートの人間に首輪を付けられるのだけは、どうしても我慢ならなかった。
そんなことが、あって堪るか。
今のところ、最前列で、手を挙げたヴェリフェラートの平民顔の奴が、最終落札者だ。
フードから覗かせる表情…若い。澄ました顔をして、僕と同じぐらいの年頃じゃないか。
見ているだけで、腹が立ってきた。
もしこいつに買われたら、任務を忘れ、怒りに身を任せ、本当に牙を剥きかねない。
頼む、こいつだけは…
その時、特等席の隣で、何やら蠢く影があった。
「お、やーっと出品されたか?待ちくたびれたぞ…全く。」
「は、はい…本当に、この方で、間違い無いのですね…?」
「……?」
誰かが遅れて空席に飛び乗るのが見えたのだ。
「ああ、見かけによらず、上玉だ。だからこいつは、是非とも、手に入れなくちゃ、ならないぜ?」
「…なあ?王子様よ。」




