35. 異邦の人々
35. We’re not your kind of people
ほんと、馬鹿みたいだ。
どうして、彼らの中に、自分たちと同じ側面を見出そうなどと考える。
その時点で、彼らに降伏し、迎合しようとしている。
彼らは、化け物だ。
一体どうすれば、僕はこの先、彼らの前で、殺意を剥き出しにせず、平常心を保つことが出来るだろう。
騒ぎ立てている理由が、ようやくわかった。
彼らは、楽しんでいるというよりも、
‘興奮’、しているのだということも。
客前で見せる笑顔を、取り繕うことさえ忘れ。
それに、魅入っている。
だいぶ広い酒場だったが、その梁に吊り下げられた物体が、照明の他にある。
人だ。
僕にとって、僕と同じ、人だ。
彼らにとっては、人、では無いのか。
「嘘、だろ…?」
「あぁっ…、もう、やめでぇっ…嫌だぁっ!!嫌だぁぁぁぁっ!!」
グシャ
高所に吊り下げられた女性が、地面に叩きつけられる音。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーっっ!!」
『どッ…』
異様な叫び声と共に、湧き上がる観衆たち。
「……?」
何やってるんだ…こいつら…?
決して、人が死ぬような高さでは無い。
上手く着地すれば、怪我さえせずに済むだろう。
けれど、それを許さないような趣向が凝らされているらしかった。
目隠しのようなものが巻かれ、落下の瞬間が分からないようにさせられている。
彼女の腰のあたりに括りつけられた縄を、梁に掛けて引っ張り上げているらしい。
両手、両足に、拘束されている様子は無かった。
それなのに、彼女は痛い、痛いと悲鳴を上げる。
どういうことだろうか。
落下地点周囲にだけ空けられた空間。
「ちょ、っと失…礼…」
そこに横たわる彼女の姿を見て、
「あ、ああ…」
僕は、失礼にも、目を背けてしまった。
折られ、外されているんだ。
膝と肘、それから、手首と足首が、通常では考えられない方向に、曲げられている。
腰からぶら下げられた状態から、その四肢全てでどうにか受け止めようとするから、彼女は髪をぐちゃぐちゃに振り乱し、べったりと地に伏して這いつくばっている。
虫、のようだ。
何てことを言うんだ。
でも、
でも、人家に迷い込み、容赦なく叩きつぶされ、ぐちゃぐちゃに変形した、虫の脚のように、地面に広げられていたのだ。
「う゛う゛っ…う゛、うぅ……」
髪が、血に濡れて板張りの床にへばりついている。
呻き声のような、嗚咽のような泣き声が漏れ、
非常なことに彼女にはまだ意識があるらしかった。
目の前には、大量の硬貨と、何らかの数字が机の上に刻まれていた。
賭場が開かれている。
何を当てて、楽しんでいる?
気絶するまでの回数で。
そんな、答えに容易く辿り着く自分に、嫌気が差す。
けれども、それで間違い無いらしい。
何処かで、笑い声に混じって怒号が弾けた。
もしかして、妊婦…なのか…
彼らの臭いは、臭かった。
それでけでは、済まなくなった。
一気に込み上げる吐き気。
口元を抑えようにも、両手が塞がっている。唇が切れそうになるほど、強く噛み締め、ぎゅっと目を瞑る。
けれども、そんなの、何の意味も無かった。
「やだあ゛あ゛っーーーもうやめでぇっ…いやっ、いやだああああああああっっーーーー!!」
今の落下劇が、延々と繰り返される限り。
彼女の悲鳴が止むことは無い。
頂点まで、ゆっくりと釣り上げられ、
その、自由落下の瞬間。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーっっっ!!」
ぞわり、では、この鳥肌は言い表せない。
僕に毛皮があって、それが、全部、首の後ろから尻尾にかけて剥がされるような感触だった。
一瞬だけ、皆の笑いが止んだ。
僕だけが耳を塞いだのか、或いは耳を劈く悲鳴で鼓膜が破れたかと錯覚してしまうほどに、息の合った固唾。
ドチャ…
『うおおおおおおおーーーーーーっ!!』
反動で、より一層熱気を帯びた大歓声が上がる。
「……。」
彼女を覗いて、だったが。
「念のため、もう1回だっ!!」
「そうだそうだ、起きるかも知れねえだろうがっ!!」
……?
「う、あ…」
嘘だ、ろ?
まだ、堕として、反応があるか、見るつもりなのか…?
見れば、分かるだろう?
もう、恐怖で叫び声の一つだって、上げていないじゃないか。
何が、そんなに、
そんなに、掻き立てられる?
最後の落下は、本当に見ていて、醒めるような、
動きの伴わない、つまらない見世物だったと思う。
ひゅうっ…
べちゃ……
『……。』
『うおおおおおおおーーーーーーっ!!』
にも拘わらず、この歓声。
それで、ゲームは終わった。
勝ち負けに関しては、正直、端からどうでも良かったのに違いない。
最終的には、拍手大喝采で、その賭場は閉められた。
その間、何喰わぬ顔で、給仕を続ける?
できる訳が無い。
ずっと、釘付けだった。
膝を折らずにいるので、精一杯だった。
でも、でも…
一番、この場で異質な人間とは、ヴァイキングでは無かった。
彼女のことを、僕を含めて、誰一人として、助けようとはしなかった。
そうして、自分自身に、良心の呵責を迫って見せるけれど。
笑ってしまうほどに、何も湧き上がってこない。
先まで沸き立っていた周囲も白け気味で、どうやらもうお開きのムードらしい。
気付けば、窓の外は真っ暗闇だった。
もうこんな時間か。
ヴァイキングたちが、酒瓶やら、骨付き肉やら、戦利品を片手にぞろぞろと掃けて行く。
本当に、外套も何もいらないのか。寒さ知らずだ、な…
「はっ…」
危うく、犠牲者として、彼らを見送るところだった。
「や、やらなきゃ…」
「あいつらと、は、話さないと…」
ようやく我に返った僕は、どうにか自分の任務に集中することで、自制心を保とうとする。
結局、彼らとも情報交換の機会は、訪れなかった。
かと言って、これから店仕舞いをする店員の人たちと、地獄のような時間を過ごす訳にも行かない。
きっと、店主の妻か何かだろう。今、彼らの事情を聞いたって、何にもならない。
コンタクトを取るとしたら、やはり、ヴァイキングの方だ。
彼らを逃せば、次のチャンスが、いつ訪れるか分からない。
此処は、一か八かだ。
「Fenrir様…どうか…」
神様の名を呟くことで、平静を取り戻そうとする所作。
正直、今の僕は今までで一番信心深い。
「ちょっと…ちょっと!そこのあんた!!」
僕は、初めに注文を寄越したヴァイキングの一人に大声で呼びかけた。
「……?」
そいつは、全く反応を示すことなく、出口に向かって行く。
人違いだったろうか。異邦人なんて、正直全員同じに見えるから困ってしまう。
けれども、あの白髪に髭を三つ編みにして、木の輪で止めてある装飾、間違いない。
僕は治りかけの右足を引きずり、どうにかその影まで追いつくと、もう一度叫んだ。
「あんただよ!」
これ、その決闘とやらが始まるまでに、何とかなるかなあ。いざとなったら、Fenrir様が、治癒して下さると期待しているのだけれど。
「アア…?」
「そう!…ちょっと、良いですか?」
隣まで近づくと、すごい体格差だ。肩を掴むのに、頭の上まで手を掲げなきゃならない。
「あっ…あの…えっとですね…」
話しかけられたのは良いが、歯がガチガチと鳴って、咄嗟に会話を続けるための言葉が出てこない。
何でも良い、ヴァイキングについて、話題になることの一つや二つ、あっただろう。
「こんな噂話があったもので、聞きたかったんですけれども。」
「どうやら最近、ここらで、‘やばい酒’ が出回っていると…」
何喋っているんだ、僕。
それでもその男は、それらしい反応を示さない。
ちゃんと、僕の言葉が分かるのかさえ、怪しくなってきた。
「ええ。何でも、ヴァイキングが愛飲していて、僕らが飲むと、かなりクラっと来るようなやつ。」
「そう!これです!これ…!」
そのラベルのデザイン。間違いない。
僕が、皆に飲ませた酒だ。
頬の傷とは、反対側の蟀谷が痛い。
大男のガタイの良さが、僕のお得意様の風貌と重なったのだ。
思い出すべきでは無い、布袋から覗かせた、イーライの血眼の視線が突き刺さる。
「この酒についての事件について、聞きたいんだ!」
「それ挑戦して、死人も出たとか…」
「そういう話、知らない…ですか?」
駄目だ、全く、きょとんとしている。
酔って機嫌が良かったのが、どんどん、視線が厳しくなっていくのが、嫌でも分かった。
というか、自分でも、どうかしていた。
簡単な注文ができるだけで、このヴァイキングの奴が、僕の言葉を理解できるなどと思ってしまったのだろう。
自分が逆の立場だったら、相手が安心して喋りかけて来ても、全く同じ反応を示すだろう。
何気ない会話で彼らの輪に取り入る作戦は、失敗だ。
でも…手掛かりを得るのなら、もう此処しかない。
僕は、この男の興味を惹くのを止め、ポケットの中に仕舞い込んでいたチラシを開いて見せた。
「この見世物をやってる場所を、教えて欲しいんだ!」
「あんた、何か知らないかっ!?」
「……?」
その瞬間、そいつの目つきが変わった。
僕を、完全に酔いの醒めた様子で、じっくりと睨みつける。
「ハァー……」
嗤いも、しなかった。
そいつは、ゆっくりと振り返ると、酒瓶を飲み干して空にしてから、無造作に投げ棄てた。
僕らが一杯で気絶してしまう程の奴だ、それが、半分ほど残っていたはず。
やっぱり、本当に、何とも無いのだ。
「着イテ来ナ。」
「え…?」
僕に分かる言葉で、そうとだけ言い放ち、寒空の表通りへ出る。
「まっ…待って…!」
呆気に取られて立ち尽くしていた僕は、はっと我に返り、入り口の傍に掛けてあった外套を引っ掴んで羽織る。
一歩一歩がでかいな。遅れないように歩くので、精いっぱいだ。
きっと、互いが、同業者同士が、示し合わせた通りなのだろう。
僕が偶々話しかけた相手が、この催しへの参加志願者を、闘技場へと連れ出す役目を負っていたこと。
それが幸運だとは、特段思わない。
Fenrir様は、きっとこれさえも、予見していたと思う。
そして同時に、彼方側も、僕らがその罠の巣に飛び込むことを、予言していたのだろうから。
雪がちらついているのを見て、僕は急いで留め具を掛け、身体を包み込んだ。
これだって、どうせ案の定と言うべきなのだろう。




