30. 渡り鳥の経路 3
30. Migratory Parcours 3
「ふぅー…」
良い夜風を浴びられている。
寝静まったヴェリフェラート市街地は、少し耳を休ませてやれば、在りし日の幽霊街を思い出させるものだ。
ちょっと、化けの皮から外に飛び出してやっただけで、どうだ、身体はこんなにも生き生きしていやがる。
喉元が疼く、吠えたくて堪らないのだ。
しかし、これ以上は、控えなくてはな。
朧月が、もう少しだけ分厚い外套を纏っていさえすれば、俺たちの闘争劇は成就していただろうか。
「仕方がないな。」
さながら狼の群れだ。一匹を仕留めるのに、総掛かりで囲いにかかっている。
混戦を避けながらSirikiを逃す道筋が成就しなさそうであることを悟った俺は、腹を括ることにした。
元より、確かめる必要はあって、であれば直接、聞いてやった方が早いのだ。
俺がヘマをしたのであれば、痕跡として残して良い限界を、なるべく早く把握する必要がある。
Sirikiのヘマで、こいつが勝手に窮地に陥っているだけなのであれば、特段俺の方からはたらきかけたいことは無い。
だから、頭領と思しき人間に話しかけた。
一人だけ、べらべらと命令口調で喋っていたな。他の輩と違って殺気を感じられなかったのは、手練れた彼女の能力が故か、或いは犬も殺したことの無いのに戦線に立っている腑抜けか。
「何者だ…?貴様。」
俺よりも良く夜空に通りそうな、覇気ある女性の声だった。
あまり、隠密の場であることを理解しているように見えないが。
出しゃばりな裸の王でしかない。であれば逆説的に、接触の価値がある。
「ご機嫌よう…深更に及んで団体様とは。」
「しかし分からんでもない。無性に人の潜まぬ路地を、ふらりと散策してみたくなるものだよな。」
面倒くさかったから、姿は見せなかった。
彼女らが潜んでいた路地裏を睨むことのできる屋根から、神様らしく天の声を降らせる。
「……。」
彼女は答えなかった。代わりに、小声で合図をしたのが見てとれた。
排除せよ、か。まあ先ほどまでの狼藉の言動と乖離しない。
そうなると、単刀直入に行かなくてはならないか。
「俺は、お前たちが血眼になって探している人間を知っている。」
実際、それは効いたのだ。
フードの裾が、頭の上を僅かに滑って揺れた。
「居場所を教えてやることが出来ると言っているだけだ。」
「つまり、我々の標的の、お仲間である…と?」
やはり、こいつは馬鹿だ。
訳あって誰かを追っていることをばらした上に、俺にその人物の答え合わせをする機会を与えてやっている。
側近の顔が見てとれたなら、きっと目だけは呆れ返っているに違いない。
これで、はっきりした。
彼女は少なくとも、汚れ仕事の類において素人なのだ。
上に立ってはいるが、誰かが為に、のこのこと出てきただけ。
大抵そういう奴のせいで、周囲は酷い目に遭わされるのが常、という訳だな。
「ただ知りたいだけだ。お前さんたちが、何故あいつを追いかけているのかを。」
「話してやる道理は、ない。」
俺が潜んでいた屋根をぐるりと囲って、既に反対側からよじ登ろうとする伏兵の金属爪の音が小さく響く。
躊躇が無い上に、仕事が早い。やはり先にSirikiと袂を分っておいて正解だった。
早めに会話を切り上げたいのは、こちらも同じではあるが、姿を暗ますべきだろうか。
「おいおい…!交換してやろうと言っているのだ。そりゃあ無いだろう?」
「貴殿が喋ろうが喋るまいが、関係のないことだ。…我々がそれを信じるとでも?」
「ただの人殺しなら、あんたらの出る幕では無いはず、と思っているのだ。」
「あいつは何者だ?何らかの、特別な力…あるいは地位を備えた、あんたらにとって脅威となり得るような、そんな災厄の種なのかい?」
「答える義理は無いと…」
「俺は、あいつの場所を知っていると言っているんだ。そんでもって、俺もそいつの命を狙っていると言ったら…」
「どうする?」
「…。」
「では、貴様を…」
「此処で排除しなくては、ならないな。」
利害が一致しないことが、これで示された。
彼らはSirikiを、確保したいのだ。
これは良いニュースだろうか。
俺の尻尾を掴みたいのなら、まず生け捕りにして、切り捨てようか絶妙に悩ましい程度に辱める。
しかし、生死を問わず、という条件が、先の襲撃によって、付されていると鑑みれば。
やはりあいつは、己の犯した罪によって、このような受難を受けていることになる。
日頃の行い、というやつだな。こればかりは。
「であれば、此方も用はない…邪魔したな。」
なら、全然良いのだ。勝手に仲良く、追いかけっこに興じてくれ。
前足を投げ出して伸びをし、尾を翻して屋根の縁から姿を消そうとした時だった。
「ま、待て…!」
「ほ、本当に…そいつの居場所を知っているのか?」
「知る必要が、無かったんじゃないのか?」
なんだ、会話を引き伸ばしたいのは、お前のほうか。
俺を捕らえるまで、もう少しだけ注意を地上に引き付けたい、と。
「我々との…取引に、応じてもらいたい。」
「あんた、商いに疎いようだな。取引ってのは、互いに利益が見込めるときに、するものだ。」
「…金なら、幾らでも出せるだろう。」
「俺は、賞金稼ぎではないのだよ。」
「さっきも言っただろう?俺はお前さんが、あのガキを追いかけている理由に、ちょっと興味があっただけだと。」
「そしてそれも、今醒めた。」
「…こいつらは、返しておくぞ。」
ズドッ…
どちゃっ、どさっ…
「きゃっ…っ!?」
俺は丁重に、優秀な暗殺者たちを持ち主の元へ返してやった。
側近が、落下する胴体から彼女を庇おうと壁へ押しやった時、情けない、とてもこの場で出して良いものではない声が漏れた。
「……。」
ぽんこつにも程がある。
笑いを堪える身にもなってくれ。
もう、取り直しようが無さそうだな。
さて、Sirikiは何処に…
「お、お願いです…」
…?
「ごめんなさい。無礼をお詫びいたします。どうか、お待ち頂けませんでしょうか?」
踵を返した尻尾だけ、屋根の縁から見え隠れしてしまったかなと思った刹那だった。
恥を忍んでというよりも、非情な物言いを纏うのを止めたというべきか。
「Aimer様…ここは…」
「兄上に似た人相を、これ以上探している時間はもう無いのですっ!」
部下を制するそいつの声は、忽ちに覇気を失い、
俺の予想に反し、余りにも素直な態度で協力を求めようとしたのだった。
フードを外し、金髪を後ろで束ねた頭を緩く振って天を仰ぐ。
「死体で構いません…言値でお買い上げいたします。」
皆同じだ。まるで、神様に縋るように。
「我々に、受け渡して貰えないでしょうか。」
「捕らわれた私の血族を救い出す為に、必要なのです。」




