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24. 真昼の決闘 4

24. High Noon 4


もう、神様の力は使えない。

少なくとも、この決着がつくまでは。


認めよう。Vojaは、俺よりも数段頭が切れた。


引き分けにしたければ、そうするが良い。その一言で、俺を、狼の土俵に引き摺り込んだのだ。


退路を断つのとは、まるで違う。

此処で、Vojaの挑発に対して怒り狂い、神力を奮うことこそ、俺が狼としての負けを認める行為であるのだから。


或いは、こいつの嗅覚は、直観では無く、既にきちんと、俺の正体を見極めている。

だからこそ、このような形で、俺に釘を刺すことが出来た。

追い詰めたような驕りを微塵も示さないのは、きっとそのせいだ。

そのような邪推さえ、出来てしまう程。

お前は、俺に対して、完璧に振舞ったのだ。


“ひゅーう…ふぅー…ひゅぅぅ…”


唾を飲み込むな。血痰が詰まって、本当に息が出来なくなる。

喘いではならない。出来るだけ、腹の収縮を大げさにして、肺に空気を送り込むことだけを考えるんだ。

喉の穴から息をしたって、用は足りる筈だろう。


“ふぅぅぅ…ふひゅぅぅぅ……”


よし、それで良い。

まだ…やれる。


“そうか…”


Vojaも俺が食い下がるつもりであることを認めたのか、俺に見せびらかしていた尾を翻し、ゆっくりと向き直った。


“ならば、来い。もとより、貴様のターンだ。”


“……!!”


そう言い終わらない内に、既に後ろ脚は地面から離れていた。


Vojaは視線こそ、鬱陶しく纏わりつく俺をあしらうことなど、造作も無いといった様子で醒めたものだったが、身体はきちんと、正対して、構えの姿勢を取った。


彼は、自分の言葉の価値を貶めない。

手負いの獣は、本当に何をするかわからない。


“ふんっ…!!”


俺は前足に乗せた重心の弾みに合わせて、高々と飛翔する。


“……っ?”


きっと、低く構えることの幼稚さを諭され、素直に制空権を取りに行ったと思ったことだろう。

彼の視線が、俺の鼻先に釣られて上昇するのを確かめ、そう確信した。


前半身は、彼が見た通りの動き。

だが、後半身では、しっかりと尻を落として、雪の上を滑っている。

傍から見れば、お座りの姿勢で接近するような、間抜けな恰好に違いない。


だが、お陰で距離が縮まった。

俺が試したかったのは、これだ。


“ふしゅぅっ…!”


鳩胸のように膨らませた肺から、一気に息を吐きだした。

それと同時に、首元から、とめどなく溢れる血が噴き出す。


“ちぃっ…!”


姑息な目くらましではあったが、しっかりと目を見開き、俺から予想外の動きを見逃すまいとするVojaに瞬きをさせるのには十分だった。


一度、目に入ってしまえば、両手を持たない俺たちは、前腕で可愛らしく拭うより他ない。


Vojaは、後ろに飛び退り、俺から十分な距離を開けられた確信が持てなかったのか、そこから突発的に走り出した。


“くそっ…”


追撃が無いことを確認して、顔面をぶるぶるっと震わせると、苛立ちを隠せない様子で右腕で擦り、視界を開ける。


“……?”



“何処へ…?”



“それで、隠れているつもりか?Fenrir。”


耳がせわしなく動き、やがて彼は俺が潜む方角へ向き直る。

何のことは無い。Vojaの疾走に歩幅を合わせ、周囲の幹で、俺の姿が隠せるだけの太さを備えた一本の裏に飛び込んだのだ。

完璧にやれば、こうして数秒だけは稼げることが分かった。

足跡はこうして白日の下にきちんと残されている、しかし、それは役に立たないと、冷静なVojaは見向きもしなかった。

俺たちも暴れ過ぎた。足元には、もう俺の行先を予測できる足跡は無い。

そう判断した上で、彼が頼ったのは、俺の喉元から漏れる、この、すうすうという呼吸音だろう。


“出てこいっ!そんな戦術が許されると思っているのか?猶予が無いのは、お前の方…!”


“…そうか。今度は、俺の番だ、と言うのだな。”


そう言うことだ。分かっているじゃないか。

お前から定義したルールだ。


躊躇わず、飛び込んで来い。


俺は、息を殺して…いや、息を漏らして、待った。



ざくっ…ざくっ…さくっ…



ざら雪を踏み拉く音。

ぐるるるという、威嚇の唸り声。


彼は、躊躇いなく、俺に位置を知らせて、先制させるのを待っていた。

きっと、俺の姿を認めて、真っ先にすることは、安全な距離を開けることだろう。


段々と、気付き始めているはずだ。

俺の戦い方が、狼のそれから離れつつあることに。


だが、神様の力は使っていないんだ。

お前に真正面から太刀打ちするのは、またの機会に譲ってやる。


あと3歩、あと2歩…あと…


今だっ…!!


意図せず息巻いた音を聞き逃さなかったらしい。Vojaの反応は、俺より僅かに勝った。


“なっ…!?”


だが、俺が伸ばした牙の方が、長かった。


雪溶けの季節は、被った雪の重みや、溶ける過程で引っ張られて折れた枝たちが姿を露わにする。


ぱしんっ


引っ張り出して口元に携えた枝先は、Vojaの頬に見事に命中した。


枝ごときで、狼の毛皮を引き裂くことなど出来ない。

それこそ、振りかざす様は、悪あがきにしか見えなかったことだろう。

或いは、冒険の果てに手に入れた宝物を咥えて遊びに興じる、仔狼。


だが、またもう一度、目を閉じた。

そして、距離を取ろうと試みた。


そして、待っている筈だ。

俺が口元から玩具を離し、お前に迫るその瞬間を。


そこだっ……っ!!


俺は、額からVojaの隙だらけになった胴に向かって、体当たりをかます。


どんっ…


二匹の体重が、樹皮に叩きつけられ、Vojaが短い悲鳴を上げる。

余りの衝撃に、目玉がぶるぶると震えた。


そうは言っても、大狼が、頭突きをしたのではない。細い白樺の幹と言えど、僅かに撓っただけだ。


枝先を彩って実った氷が、ばらばらと光を背に受けて落ちる。



奇麗だった。


俺の間違いでなければ、屑の吹雪く様に、俺もお前も、息を奪われていた。


“こいつっ…!!”


“げほっ…ごほっ…”


今度は、もっと露骨だ。

彼が苛立たし気に向けた顔面に向かって、血反吐を吐き出す。


これでは堪らないと、Vojaは、今度は俺とそこまで距離を開けずに顔面を背ける。


“ひゅうぅっ…ひゅうぅ……”


“何度も同じ手をぉぉっ…!”


そうして再び姿を隠そうとする俺に向かって、悪態を吐く。



“……!?”



“俺は、お前が力尽きるまで戦うことを望まないぞ…!!”



死に物狂いだった。


俺は、息を止めていた。

此処しかない。これが使えるのは、一度きりであると分かっていたからだ。


“も、もう良いだろう。Fenrir…!”


“お前、このままでは、本当に…”




Vojaは、完全に俺のことを見失った。




バラバラと音を立てて流れる、氷吹雪の中、


“ぐるる…”


“どこだ…”


大柄な狼が一匹、姿を隠すことの出来る大樹の裏を、一つ一つ、慎重に見て回る。


“まさか…本当に…”


“逃げたのでは、無いだろうな…?”


“……。”


Vojaの尾が、萎み、ゆっくりと垂れていく。

何故、そんなに、悲しそうなのだ。


俺が、見込み違いの、腰抜けだったからか。

それとも、本当は。

俺がお前を、ぶちのめしてくれると、期待していたからか。


“……。”


苦しい。

勇気とは、こんなものだっただろうか。


視界が、血走ってぼやける。

どちらにせよ、これで終わりのようだ。



彼は、耳を引き、首を垂れ、完全に臨戦態勢を解除する。

そして大木の裏に付けられた傷を見て、俺の残り香を求め、思わず鼻先を近づけてしまったのだ。



――――――――――――――――――――――


“Fenrirさーん、あの木に生ってるリンゴ、取って下さい。僕のジャンプじゃ、届かないです。”


“お前ぐらいの狼なら、登って行けるだろう。”


“出来ませんよ。爪を喰い込ませても、すぐ落っこちちゃいます。”


“そう言うものか…?面倒くさがって、俺にやらせようとしていないか?”


“そんなこと無いですよ。僕らは、みんな、木に登れません。もしかして、Fenrirさん、そんなことまで、できちゃうんですか?”


“え、いや、”


“良いなあ…!今度僕にも、登り方、教えて下さい。”


“…仕方ないな…”


“えへへ、ありがとうございます。Fenrirさん。”


――――――――――――――――――――――


だが、お前は、登ったことが無いだろう。


この爪で、垂直に壁を登ることのできる狼など、いないのだ。


――――――――――――――――――――――


「飛び降りる前に、説明してくれても良いじゃないか…、こんなところに巣穴を用意してたなんて、想像もつかなかった。」


「俺は、掴まっていろと、きちんと伝えたはずだ。」


「あっそうですか…」


「Fenrir……その、爪で岩肌ひっかいても痛くないの?」


「ん、これか?そうだな…お前たちに例えるとだな…ケーキに指を突っ込むような感じだ。」


「そんなこの壁甘くないよ?全くもう…ほんと、規格外なんだから…」


「でも、すっごいハラハラして、楽しかった。ありがとう、Fenrir。」


――――――――――――――――――――――


垂直に切り立った崖に開いた巣穴で、仔を設けるなど。


できる筈が無い。


そんな酷使に耐えられるだけの爪と、それに負けないぐらい頑強な牙を生え揃わせている獣など。


お前は、知らないんだ。







遥か上空から、落下する、



“……!!”



声を失った獣の、忍殺の一撃が、迫っていることも。





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