24. 真昼の決闘 3
24. High Noon 3
やはり、そうだ。
神様の力に頼らずとも、十分やっていける。俺には、群れの長を務め上げる資質がある。
その自信が、揺らぐことは無かった。
それでも、確信せざるを得なかった。
こいつの牙は、
俺の喉元に届き得ると。
何らかの、この世のもの成らざる力を感じたのだ。
この狼から迸るオーラ、俺には見える。
仮にも、致命傷を互いに負い得る戦いの中で、こんなことを言うのは、大層間抜けに聞こえるかも知れない。
だが、こんなことをされるとは、夢にも思わなかったのだ。
目の前から、彼を見失った。
“……?”
全く、同じ動きだった。
俺と。
確信は無いが、相手から見た、俺の動きは、このようなものだった。
眼下に、彼がいる。
喉を搔き切る最短の動きで、懐に突っ込んできた。
そう言えば、それはVojaが俺の動きを正確に学習し、目の前で披露して見せたことを褒めることになっただろう。
だが、それでは埋め合わせられない程に目が当てられないのは、一瞬、俺が無防備であったこと。
何が起こったか、本当に、分からなかったのだ。
同じことをされる、そのことを今まで、想像したことさえなかったのだ。
何を言っているか、分からないかも知れないが。
“なるほど。やはり、我流だったか。”
彼が、俺の喉元から口を離したことを、屈辱的に感じる余裕さえ無い。
心境を慮る様に、Vojaは呟いた。
“お前の住んでいた群れでは、そういうやり方を本当にするのか、と思っただけだ。”
そんな戦い方は、普通は、しない。
そう窘められている。
その証左に、俺自身が、実際に、こうして、虚を突かれている。
卑屈に這い蹲っていただけだったから。
首元に、牙を突き立てられるのは、自分の意思でだけ。
貴方の牙だけ。
ふと、気になった。
この身体。もしかして、
いつの俺の姿を、しているのだろう。
お前、教えてくれないか?
いいや、きっと、奇麗な首元の毛皮を見たはずだ。
でなければ、お前は、この一撃を、ポピュラーだと言うはずだ。
こうやって、俺たちは、互いを傷つけて来たのだ、と。
お前は知る由も無い。
“……。”
ほっとしたような、少し残念な気分だ。
微動だにしない俺を見て、Vojaはまだ、勝ち誇った様子を見せない。
それどころか、俺に背を向け、悠々と、洞穴の方角に向かって、歩き出したのだ。
もう、終わりだと言うのだ。
“互いに、良い暇つぶしになったじゃないか。”
“これに懲りたら、二度と群れには近づかないことだな。”
“無論、Lukaにもだ。”
“これ以上、彼女に変な夢を見させないでやってくれ。”
“あいつは、自分が、普通の狼である自覚が足りない…”
“グルルルルゥゥゥゥ…”
“……?”
面白い。本気にさせてくれるじゃないか。
こんなにもあっさりと、序列をつけられたのは、同じ大狼に頭を踏みつぶされて以来、二度目だ。
だが、このまま終わると思うなよ。
確かに、俺とお前では、同じ狼の身体を操った時の、乗り手の性能に、明確な力量差があるようだ。
しかし、俺の躯体が、お前よりも優れていないと、どうして言える?
正々堂々だとか、そんなものをお前が吠える筈も無いだろう。
これを御前試合か何かと勘違いしているのは、お前だけだ。
背中に飛び乗り、首根っこの毛皮を毟り取ってやる。
姿勢を僅かに下げ、音の無い渾身の一歩に力を込めた、その時だった。
“ふっ…”
Vojaは、別れを告げる友のような表情で、振り返り、そして笑った。
敵を見れば、不敵に笑う。
逆境こそが、大好物。
こいつは…
“俺が、人好しに見えたか?Fenrir。”
“っ……?”
彼が微笑んだ、その不気味さそれよりも、俺の度肝を抜くことがあった。
歪めた口元から覗かせた牙。
それが、真っ赤に染まっている。
そんな筈は無い。
互いが、戦うことを了承し合った段階では、彼の見せたそれらは、手入れが行き届いていた。
あれから俺は彼に、一噛みを許したことだって…
そう思う根拠を、Vojaの慈悲、驕り、そんなものに求める他無い時点で、既に終わっている。
けれど、触れられた感覚さえ、無かった。
恐る恐る、Vojaの追撃に注意を払いながらも、眼下に視線を向ける。
染みているのだ。
俺の眼には、それは色鮮やかに広がっていた。
“これで、俺の負けは、無くなった。”
“助からない深さだ。間違いない。否定はしないだろう?お前が俺を狼として認めるのなら。”
ボタタッ…
“あとは、お前次第だ。足掻きたいようにしろ。”
“俺は好きなだけ、お前の気が済むまで、相手をしてやる。”
“引き分けにしたいのなら、付き合ってやるぞ。”
“此処からが、本番だと言っても、笑わない。”
“俺は、知っているからな。手負いの獣ほど、手強いものは無いと。”
“ぐっ…ひゅぅ…ひゅぅぅ…?”
俺は、憎まれ口を叩いてやろうとした。
不敵に笑ってやれるだけの余裕を見せようとしたその刹那、
俺の薄ら笑いは凍り付く。
声が、出せない?
“喉笛を噛み切った。”
“息も次第に、吸えなくなる。お前が思うよりも、ずっと早くだ。”
“ひゅーっ…ひゅーっ!!”
俺は、ようやく溺れるということを覚えた。
お前が怖がる理由が、分かったよ。あいつは金槌で、水の中に全身を沈めるのを、何よりも嫌がっていた。
実のところ、俺にとって息が吸えなくなること、それ自体は、寧ろ慣れて、好ましい感覚とさえ言えた。
誰かが殺してくれないかと願ってやまない、若かりし頃の俺は、過って殺してしまった、最愛の狼の亡骸の口元に首を寄せて、自分を仕留めて貰う妄想に浸っていたものだ。
だが、自分の意志と乖離する呼吸の簒奪は、
俺に、より明確な、死の淵の輪郭を、描いて見せたのだ。
“ひゅぅっ!?…ぅぅっ…ひゅ、ひゅう?”
吸いたいと思えば思うほど、結果は悲惨なものになる。
治療できる。確信は無かったが、結局のところ、俺はこの程度の傷でどうにかなったことは無い。
もっと酷い目に遭わされたことだってあった。
額から口の下まで、大剣で貫かれたり、全身を巨鎚で丁寧に砕かれたり。
しかし、それもすべて、神様の世界での出来事。
今の俺は、少なくとも神様としての力を明示してやらなければ、自らを救えないと思った。
それさえも、こいつを叩きのめしてからだ。
誰も、俺の神力を目撃することが無いと確信が出来てから。
何という屈辱だ。
俺は、自らの命の猶予を、あろうことかこいつに与えられた。
その制限時間内に、同じだけの反撃を、喰らわせられるかと、聞いているのだ。




