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19. マーダー・ミトン 5

19. Murder Mitten 5

おいおい。一体どうした。

まるで、人が変わったようじゃないか。前世の記憶でも、思い出したか?

布切れとフードで顔を覆い、マントで全身を隠していても、お前の臭いは誤魔化せない。

だが、俺にそう錯覚させるだけの変貌ぶりは、飽きっぽい聴衆にとってさえ、鑑賞に値したのである。


最後の犠牲者には、とことん容赦が無かった。


始まるまで、彼は口元を抑え、爆ぜる焔先をぼうっと眺めていた。

自分の息を止めているように見えた。それが、彼らと同じ苦しみを味わい、少しでも自分の行動を顧みていることを、誰かに示すためだけの贖罪に思えて滑稽だった。

縄を強く握りしめていた手は擦り切れ、悴んでひび割れた皺の至る所から血が滲んでいる。


だが、震えの類は、見て取れなかった。

毛皮を纏った俺を除いて、彼だけは、この中で寒さを感じずにいる。


「……。」


袋から漏れた呻き声を聞くだけの耳があったのか、俺が知らせるでも無くSirikiは、バケツの取っ手を掴むと、底を左手でひっくり返し、冷や水を頭から浴びせかけた。


「ひゃぁぁぁぅっっ!?」


暖炉の傍らで体温を取り戻したばかりの大男は、気の小ささが滲み出る情けない悲鳴を上げ、ずぶぬれの布に塞がれた口で息を吸おうともがく。


「うぶっ…う゛う゛っ…むぐっ…??」


それを心配する様子も無く、Sirikiはふくよかな首元に入念に縄を巻いて行く。

これから、息を吸うことに許可がいることを教え込むのだから。必要ないってことが、ようやくわかったか。


そう。何というか…


様に、なって来たな。


「ひゅぐっ……っ…!っ…!」


縄の使い方にも、緩急が出て来た。


そして、自分で100よりも大きな数字が数えられるようになったらしい。

限界まで締め上げた男の首を、すんでのところで解放してやり、俺に次なる会話の機会を齎してくれる。


「んっ…ぶはっ…?はぁっ…う、あ゛ぁっ…あ゛あっ……」




「夜分遅くに済まない。」


「すぐ終わる。ちょっとした人探しに、付き合って貰えるだろうか。」


「…君の名前を、聞かせて欲しい。」




そうそう。俺はお前に、そういう役割を望んでいたんだよ。


人間との会話を、スムーズに行いたかった。

会話をしている相手が、神様の顕現であると、悟られることなく。


必要なら、その席に相手が着くことを、取り計らってくれる。

その上、人間らしい説得の力に、とことん頼るような奴だ。


今みたいに、本人の口から、犯人の自白を聞くことに拘るような。


「こんばんは、イーライ。」


「確かに今宵は、頗る冷える。良い夜だ。」


果たして、本当にそうか?

…いや、待て。違ったな。

俺は単に、アテレコ(Revoicing)を頼まれただけだ。


お前は、お前自身の動きが、自分自身の意思に依るものでありながら、それがより崇高な意思によって決定されている感覚を得たいと言った。


きっと、貴方の思い通りに動くから。


確かに、動かしてやりたい魅力がある。

お前はそれを、俺に示しつつある。


しかし、まだ俺は、お前に合わせている感覚がある。

吹き替えとは、そういうことだ。その域だ。


俺の本心が口を突いて出るような。

そんな演技の、汗の迸りが無い。




「なっ…なんだ、あんたっ…?俺は、なんd…」


しかし、会話が気に入らなくなった時点で、好きに切ることのできる手軽さに、味を占めてはいないか。テンポの悪い返事を、少しも許そうとしない。


「いっ…イーライだっ…俺は、イーライ・ウィンターズ…だ!」


「ああ、さっき聞いたよ。お前からな。」


「頼むっから…おれっ…俺…泳げないんだっ…」


確かに、急いだほうが良い。

外の様子が、目を凝らしても伺えぬほどに暗い。

もうすぐ夜が明けるぞ。


初めの二人は、本当にグダグダだったからな。時間がかかり過ぎた。

気絶してぐったりとした女に激しく狼狽え、分りもしない脈を取り、生きているから放っておけと怒鳴られるまで、くどいほど大丈夫かと確認を取り、次の奴に行こうとしなかった。


それに引き換え、本当に躊躇いが薄れ始めたな。

本当に、初めに女性と老人に手をかけた人間の手つきとは思えない。


或いは、消去法で。

もうこいつしかいない、と。決めつけているのかも。


俺の尋問だけを早く耳にしたいが為に、こいつの返答を飛ばしているきらいがある。


その癖、やはり先ほどの男を締め上げている時よりも、興奮した様子が無い。

疲れが出始めていてもおかしくは無いが、呼吸を荒げるでもなく、耽々と。


その順応性だけは、軽蔑に値する。




しかし、おかげで悠々と構えていられる。

もう、会話にだけ集中していられる。数字を数える必要は無くなったことは、思った以上にストレス・フリーであったのだ。

俺が、この男の生き死にを気に掛けることが、負担では無かったと言えば嘘になるのだ。

しかしそれも、こいつが殺したい相手を、一人に絞り込む作業に付き合ってやっているからこそ生まれる煩わしさ。本来、俺が被るべき呵責では無い。

仮にそうだとしても、肩代わりしてくれる相手がいる。神様というのは、大変崇高なお方だ。




確かに駒として、百点だ。



…さあ、後はお前次第だ。


お前が言いたいことを、俺の口から引き出せるか?それだけだ。


お前が口を割らせようと、吐かせようとしている相手は、その布袋を被せられ、四肢の自由を奪われているご友人では無いということさ。


どちらが主導であるとか、そういう段階を、この先、越えてくれるか?







「…どうだろう。一つ落ち着いて、深呼吸しようじゃないか。」


もう一度、Sirikiに昂揚の息遣いが無いことを確認した上で、俺は念を押す。


「大丈夫か…?」


今の言葉は、彼に向けたものだ。

俺もまた、イーライという男が余裕を失い、ぶよぶよと身体を躍らせている様子を見て、加虐心をそそられることも無い。

その点において、乖離は無い筈なのに。


確かな相互の(Mutual)齟齬(Disorder)が、感じられていたのだ。


確かに、此方がリズムを提供することは、会話を続けるにあたって欠かせない気遣いだと、俺たちは4人に教えて貰ったばかりだ。


しかし彼には、それを圧しつけ過ぎているように思う。


酸素を奪われ、命乞いもまともにさせて貰えず。


息継ぎで精一杯の返答は、当然お前の気にくわない。

聞くに堪えない喘ぎ声は、忽ち止めさせられてしまう。


「はーぅ…ひゆぅぅ…ゥゥゥゥッ……っ?」


そのせいで、彼の意識は、徐々に遠のき、






発狂、その一歩手前に見えるが。




「やめ…ろっ…!てめえっ…!!」




「眼を醒ましっ…やが…れ…!」





「シリキィッッ!!」


「……っ!?」


名前を呼ばれたそいつは、びくりと震え、その場に凍り付いてしまった。

一瞬だったが、躊躇いと表現するには、十分な長さだったよ。


まずい、と思った。


この大柄な男が、どうやって、この拷問吏の正体を見破ったのかは、定かではない。

確かに、店主は、そういう名前で知られていただろうが。この状況に陥っている原因として、この店を襲った何者かを想像するのが、自然では無いのか。

きっと、幻覚だ。そういう妄執に、憑りつかれていると言うより寧ろ、縋っている。


「シリキ…?そいつが、お前の手にかけた人間の名か?」


「お前っ…奥さんに逃げられて、狂っちまったのか!?」


いや、狂ってなどいない。正確に、泥酔する前の記憶を有している。


「いつ、そいつを屠った。何のために?」


「やめろ…こんなこと…しやがって…!」


「ふっ…っぐ……っ」


ひゅ、という小さな呼吸音と共に、再び全身がのたうつ。

Sirikiは耳を塞ぐ代わりに、必死で、首元の縄に力を込める。

表情が分からないが、目玉が零れ落ちそうになるくらいに見開き、布切れの下で顔を真っ赤にしているのは間違いない。


本来の目的を忘れかけている。

このままでは、確実に終わる。



「何故、彼女を、誰を殺した!?」



その言葉で、はっとしたのか、僅かに手が緩んだ。


しかし、加減がなっていない。

渾身の力を振り絞って捩った身が、図体に合わぬ非力な椅子と共に、大きく傾いてしまったのだ。


「っぁああああああああああ!」


縄だけは一丁前に握りしめ、肩越しに覆いかぶさったままのこいつは、何が起きているのかも理解できず、地面に打ち付けられる。


ごっ…がちゃゃーんっっ!!


机の天板が割れ、バケツが吹っ飛び、そして脚の折れた子気味の良い音が混じる。


机で腹這いになっていた俺も、流石にちょっと腰を浮かせた。


しまった…!


見れば、背もたれの後ろに縛り上げられていた筈の身体が、自由になっているでは無いか。

冷水に付けておいたから、握力も失われ、もともに動かせなかったはずなのに。


下手くそ。どうして、もっときちんと縛っておかなかったのだ。

一番まずいのは、何より、Sirikiがまだそれに、気が付いていないこと。


知能は、仔狼未満か。まだ、縄を締めれば、こいつが動かなくなると勘違いしてやがる。


確かに、巻き付いたそいつのせいで、イーライは布袋を脱げないままでいる。

しかし、視界が塞がれていようとも、背後に覆いかぶさる ‘そいつ’ が邪魔であることぐらいは、死に物狂いの中でも理解できることだった。



「っらああぁぁっっ…!!」




背負い投げの要領で、彼の身体は容易く宙を半回転する。

その際にも、そして情けなく尻から叩きつけられた際にも、悲鳴の一つさえ上げなかったのは、

まだ彼が、俺に声を奪われたままであるから、らしかった。


だが、Sirikiは、投げ飛ばされた訳では無かった。

この期に及んで、笑ってしまうほどに律儀に握りしめていた縄の両端が、彼を友人の首輪と繋ぎとめていたのだ。


「う゛ぉっ!?」


結局、イーライも頭から地面に叩きつけられ、ぐしゃ、という音と共にSirikiの股の間でバウンスする。


「うぐぅっ…」


すぐさま起き上がろうとするイーライに対し、Sirikiは呆然と尻餅を突いたまま動かない。


「んぐっ…げほっ…え゛はぁっ…」



「…っ!?」


流石に、もう縄に頼っている場合では無いと悟ったのか、両手を着いて後退ろうとするも、もう遅い。


「シリキィッッっ!!」


皺枯れた雄叫びと共に、前に両腕を突き出し、目の前にいるSirikiを押し倒すと、そのまま、馬乗りになった。




イーライは自分の顔に纏わりつく布袋を脱ぎ捨て、そして、自分を散々に痛めつけた兇漢の覆面を遂に剥ぐ…


「んぐっ…!?っ…!」


か、に思われた。


しかし、違ったのだ。

イーライは、自分の視界を得ようとはしなかった。



代わりに、脅威を取り去ることを真っ先に選んだのだ。


今度は、太い両腕が、Sirikiの首元に、添えられていた。

揉み合うでも、闇雲に殴りつけるでもなく。


彼には、攻勢の自覚があったのだ。

今なら、やれる。

方法を、選んだうえで。


こいつが、Sirikiであるという確信があるからか?

正体を暴く答え合わせは、その後で良いと。



まるで非対称的だ。



お前は、全く、苦しむ様子も。

命乞いで観衆の同情を誘うこともしないじゃないか。


そして、イーライの方はと言えば、

こいつもこいつで、対話の席に立とうとしない。



どうしようか。

目を見張る光景ではあったが。特段、何かをしてやろうという気には、ならなかった。

何故なら、俺の喉もまた、絞められている状況。

助力の類は、してやれない。


「っ…ぎゃああっ!?」


突然、イーライの叫び声が、店内に響き渡った。


「あ゛あ゛っ!?てっ…めぇっ……!!」


何だ…?


「っめっろ……。」


「めろっ…てんだろぉがあぁぁぁぁっぁーーーーー!!」


「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねーーーーーー!!!!!!!」




「ごぼぼっ……ごふ……おぼ…」



「……。」




「はぁっ…はぁっ…ん…ぁっ…」


どさっ…


脇に避けられた死体が被っていた布袋はびちょびちょで、破かれた隙間から、潰れた眼玉が顔を覗かせている。


「げほっげほっ……」


首を絞めた状態のまま、絶命したのだ。

一時的な筋肉の弛緩が始まるまで、彼は犠牲者らの復讐に甘んじていたらしい。



最期は、呆気なかった。



「料理が得意で、助かったじゃないか。」


「店主ってのは、常に愛用の包丁を外套の裏に持ち歩いているものなのか?」


尤も、俺が最初にご馳走になった料理より、さっきのはまずかったぞ。

やはり、お前が作ったのでは無かったようだな。

がっかりだ。死人にレシピを教わる為にも、お前の願いを叶えてやる動機が出て…


「っ?…ぐげっ?げぇぇっ…!え゛ぇぇぇぇぇ……」


同時にやって来た咳と嘔吐に、身体を折り曲げ、マスクを脱ぐ間も無くその場に蹲る。


ちょっと、面喰った。

まさか、今の今まで、人の命を奪う自覚が無かったとは思わなかったからだ。


びちゃびちゃと、汚く吐瀉物が飛び散る音が暫く続く。


「……。」


喉元に手を当てたまま、やがてSirikiは呼吸を荒げてよろよろと立ち上がる。

吸って、吐いて、大きく吸って。

犠牲者たちよりも、よっぽど苦しそうにしていやがるのが、滑稽極まりない。


まだ、肩が震えて笑っていた。

泣いているのではないと、断言できたのは、彼は嗚咽を混じらせることなく、またも天井を見上げて、こう呟いたからだ。


「もう、後戻り、できないよね…」


おや…

こいつも、狂ってしまったか?







「これで、はっきりした。」


……?


「あんたが…、犯人だって。」




「誰も…誰も、吐かなかったじゃないか!」


「この中に、いるって、言ったのに!!」


「つまり、そういうことだ…そうだったんだっ!」


「リフィアを殺した奴は、この人たちじゃなかったんだ…!!」



俺は、何も答えず、Sirikiの一言一句に怒りが籠り、興奮して震えるのに耳を傾けていた。


にんまりと嗤って、沈黙を決め込む。


嘘吐き、と言う言葉を、飲み込んだのが分かって、ますます愉快だった。

こいつ、馬鹿だ。

人を自分の手で殺めて、やっと、罪の意識が、芽生えたと思ったらこれか。




しかし…どうする?

ちょっと、身構えてやる必要が出て来たか?


確かに、野心のある奴が欲しいとは言ったが。

この場で変な気を起こすようでは、見込み違いだ。


その表情。

今ここで、こいつを殺さなくては、ならなくなるのは…


カラーン…


「……?」




「……僕は、貴方に刃物を向けるようなこと、しません。」




「初めから、思っていました。」


「リフィアの命を奪ったのは、ヴァイキングって奴らのせいだと。」


「貴方は、神様、ですよね…?」


「彼らを率い、教え導く…戦の神様。」



「だから、僕が、憎むべき相手であるはずなんです。」



「でも、僕は…」


「僕は貴方に、気に入られたいんだっ!」




「どうしても…どうしても、リフィアに…」


「逢いたいんだ…」




「どうか、僕を導いてください!」



Sirikiは仰々しく片膝を立ててマントの裾を払うと、俺の前に跪いたりなどして、机上で悠々と尾を振る俺に向かって恭しく右手を差し伸べたりなどする。


生気のない青の両目に、涙が零れて伝う。


「今みたいにぃっ、どんな…ことだって、やってのけますから!」



「貴方が目的を果たすまで、都合の良い人形で在り続けるからぁっ…!」




「僕を選ぶと…仰って下さい!」




「お願いですっ!」









「……。」




「…貴方のことを、僕、何とお呼びしたら良いですか?」







「ああ、良かった…本当に、良かった…」


「もう、大丈夫だよ…リフィア…やった…やったんだ…僕…」


恍惚とした表情で、戯言のように呟く様を見て、俺は口元を歪ませずにはいられない。

それは、悪くない響きだった。



「お願いします…僕のこと…救ってください!」




「ああ…我が大神…!」







「フェンリル様…」






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