19. マーダー・ミトン 2
19. Murder Mitten 2
“あぁ……ああ…くそっ…”
“済まない…”
“ごめん…許して…くれ…”
“Luka…俺は…”
下らない葛藤を、そう吐き捨てながらも、
頭の中は、めちゃくちゃだった。
彼女を、無理やりにでも、連れて来る選択は、無かっただろうか。
俺は、きちんと、神様となってやる。
何故あの場で、そう決意出来なかった。
“グルルルルゥゥゥゥッ……!!”
“う゛う゛っ…うぅぅ……”
結局、自分から、一匹になろうとしただけか。
Lukaを、これから始まる、人間を相手取った宣戦布告に、立ち会わせたくなかった。
それは、本当だ。彼女を巻き込むなんてこと、あってはならない。
もっと冷たい理由を挙げることも、出来たはずだ。
俺が、人間に対して、しようとしていることを、彼女は拒むと知ったから、それだけのこと。
俺の利益に反する。
そうで無くても、Lukaは、俺が人間を躊躇なく喰い殺す様を見て、怯えるだろうと知っていた。
俺は、彼女が見たい景色だけを、見せていれば良いのだ。
都合の悪い事実は、全部、目隠ししてしまえば良い。
彼女は、良い匂いのする料理にだけ、舌を垂らすのだ。
そうさ。
Lukaを招待するのは、俺が理想の国を、狼が闊歩できる縄張りを築き上げてからでも、遅くない。
良い考えだ。人間を導けるなどと本気で考えられるようになった、神様の自覚の現れとしてはどうだろうか。
そしてその時には、彼女は、自分の想像する、優しい人間に触れることが出来るだろうさ。
Lukaを、俺の縄張りに、迎え入れる、か…
口にしただけではあったが、それが現実味を帯びつつあることを実感できて、胸が高鳴った。
“私が、貴方の縄張りで走り回る姿、想像できませんか?”
“貴方が目指す理想の世界に、私はいない?”
どうして覚えたか分からぬ罪悪感を拭い去り、下らぬ妄想で埋め尽くすのには十分な栄養だった。
“それまで、本当に、待っていてくれるか…?”
とんだ自惚れ、何をにやけた顔をしているのだ。
頭が、蕩けてしまったんじゃないか。
それでも、良いじゃないか。
今から、俺は思い切り、そんな春を塗りつぶす。
今は良いんだ。
少なくとも今は、俺の中に、そんな均衡が必要なのだ。
重苦しい復讐の濁流を泳ぎ切るのに、新鮮な空気を求めた息継ぎが。
いずれ、そんなものの助けも借りずに、走れるようになるだろうか。
アースガルズの原野を、彼女を傍らに感じること無く。
本音を漏らせば、自信が無かった。だから、こんな風に、窶れさせられている。
望まれたように演じる中で、身体に入ってしまう力みから、解放されたかった。
これが自然体だと思えるようになるまで、俺は、新しい相棒と一緒に、歯を喰いしばって、頑張って行かなくちゃらない。
態々、足を運んできてやっているのだ。
それに値する、決意を示してくれるのでなければ、俺の苛立ちは収まらない。
もし、まだうじうじと美学を並べ立てて躊躇っているようなら、店内のありったけの食糧で、スープを作らせて、それを全部平らげてやる。
貧すれば鈍する、あいつには今、それが必要だ。狼のような貪欲さ、と言うつもりは無いが、それが決定的に欠けている。
今すぐ、路地裏で蹲る浮浪者の列にぶち込んでやれ。
文無しになれば、流石に究極的な行動に、短絡的に走ってくれることだろう。
足元は、泥だらけの雪ばかりが続いて、甚だ不快だった。
此処でも、冬は終わってしまうと言うのか。
“……?”
馬車の轍を避けるようにして、例の城門から、堂々と入国を試みたところで、いつもと勝手が違うことに気が付いた。
前回は、もぬけの殻だったが、今日は衛兵がいるようだぞ。
メインの大扉は固く閉ざされ、小さく開かれた検問所を危うく見逃すところだった。
何だ…?
この間は、ずる休みでもしていたのか?
活気が戻ったとは、到底言えないが…
仰いだ空に、もう一つの変化点があった。
紫に褪せた夜空を背に、春風とは到底言い難い寒風で、国旗がはためいているのが良く見える。
そして、城壁の遥か貴壁に、誰かいる。
首元に、立派な毛皮をあしらったマントを纏った、衛兵騎士が一人、此方を見降ろしている。
いや、俺に気づいている感じではない。
兜のT字の隙間が、勝手に視線の向けた先を想像させるだけだ。
あれが、この国の正規戦力か?
何故、この間は常駐していなかったのかが気になるが。
これは、実質的な終戦を意味すると見て良いだろう。
此方にリソースを裂けるようになったというよりも、他国にこれ以上付け入る隙を与える訳には行かないという、表面上の維持戦力と言うのが適当だ。
不当な商売を持ち込もうとする行商人や、夜盗を取り締まる役目が、本来の彼らの責務だったが、
俺みたいな、崩れかけの国家基盤を立て直すことを邪魔する第3勢力を締め出すことこそ、今の彼らの役目であるのだ。
或いは、既に潜伏済みの第3勢力が、根を深く張った後か。
そんな疑念が芽生えたのは、騎士様の衣装が、門番を勤める衛兵の格好と、まるで違ったからだ。
それが、爵位から来るものだとしても、最前線に配備されるような軽んじられ方に矛盾していた。
空洞の窓から覗かせる彼らの衣装は、いかにも擦り切れて、ただ単に形として宛がっているだけという雰囲気が伝わって来る。寒そうに腕を組み、うつらうつらと首を落とす様子も、きちんと役目を果たしている甲冑纏いとは大違いだ。
…外来者をと言うより、内側を監視する役、という感じだ。
どうせ、誰も俺を咎めやしないだろうと踏んでいたが。
その時は、よろしく頼むぞ。
“さて…”
“で…どう、突破したものか。”
野犬など、まず捨て置くか、面倒くさそうに、追い払われるかのどちらかだろう。
それどころか、別段、気付かれること無く潜り抜けることも出来そうだが。
俺は、気が立っているんだ。
検問窓の内側では、二人の衛兵が凍えを紛らわすように小さく火桶を抱え込み、交互に欠伸をしている。 背を伸ばしても、この姿では窓枠まで届かない。
この姿、では。
「おい、火がゆらいだぞ。」
「は? 風よけの板が閉じてる…」
「だ、ろ……」
突然、蝋燭が潰え、部屋を圧し潰すような暗い帳が降りる。
「夜分に失礼。」
「なっ…何…何者…だっ…!」
「開門を、頼みたいのだが。」
「うっ…うあ゛っ!?」
椅子が倒れる音と共に、二人揃って、尻もちを付き、互いの存在を確かめようと手を伸ばし狼狽える様子が見て取れる。
ああ、武器も、持たされているだけなのか。
兵士ですら、無いようだ。
「入門の許可は、降りそうか?」
人間の声が、思ったよりも上から漏れていることには、気が付いている。彼らの視線の先は、揃って天井だった。
「その通用門で良い。」
「……どうも。」
しかし彼らはきっと、気が付くまい。
窓いっぱいに押し付けられたのが、狼の瞳であったなどと。
「歓迎されているな。人を導くには、顔だけで足りるらしい…」
内部に入り込んでしまえば、充満した人間の臭いが鼻を突く。
表向きの平定を裏付けるように、内部の淀みは増していた。
少しの間、留守にしていただけだと言うのに、荒廃ぶりは加速している。
見た目には、変わっていないように見えても。
彼らの息遣いに、重苦しい喘ぎが、漏れている。
彼らに、敗北の自覚が、芽生えたのだ。
「ここだったな…」
以前、訪れた際に残しておいたマーキングの痕は、しっかりと残されていた。
灯りは、見えないが、来客が、あるようだな。
迎えてやっている所に、邪魔をするのは、無粋と言うものだろうか。
しかし、皆、いやに静かでは無いか。
仮にも飲食店であるなら、もっと会話なんかが弾んでも、良いものだと思うが。
…いや、どうやらこれから、ゆっくりお話をしようということらしい。
「どうやら、間に合ったようだな。」
すべて、俺の取り越し苦労であったようだ。
やはり、俺の目に狂いは無かった。
さあ。
こいつは、何を見せてくれると言うのだろう。




