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18.会食恐怖症

18. Deipnophobia 


“Fenrirさん…これ…”


“これ、なんて名前の、食べ物ですか…!?”


“ロウブスカス、と言うのだ。”


“すっごい、美味しい…”


“だろう。”



“どこで、捕まえて来たんですか…!?”


“人間の住処に、落ちている。このまま。”


“このまま!?”


“狩るのは、俺でさえ、容易ではない。もっと食べたいからと言って、取りに行こうとは思うなよ。”


“この、とろとろになったの、お肉…ですよね…?”


“何の肉かも、分らないだろう。それは…”


“俺も、聞いて来るのを、忘れてしまった。今度、取りに行くとき、聞いておこう。”


目を輝かせて、質問攻めをしようとするも、口が忙しそうで、俺はゆったりと構えていられる。

お陰で、どきどきしながら、彼女が、料理を頬張る様を眺めていられた。


“え……”


“…また、行っちゃうんですか…?”


Lukaは、そこだけは、聞き流してくれなかった。

まだ、目の端の毛先に、水玉が残っている。


しゅんと垂れた両耳。思わず齧りついてやりたくなる。

しかし、済まない。まともに取り合ってやることは、できないのだ。

俺は彼女の痛切な質問には答えず、心地よく雪原を滑る春風に目を細め、甘言で埋め合わせることにした。


“次は、何か別のものが良いか。甘いケーキなんてどうだ。”


“けー…き…?”


“ベリーを啄んだことはあるか。あれとは、比べ物にならないぐらい、甘いぞ。それに、食べ応えもある。”


“そんなものが、人間の縄張りに…?”


“ああ、そこら辺を嗅ぎまわれば、落ちている。”


“だが、特別な食べ物だ。俺も、年に一度ぐらいしか、在り付けたことは無い。”


“へえー……”


懐かしいな。こうやって、安心できる場所で、人間が作った、脂っこくて、塩からいご馳走で、舌を駄目にするのもまた、縄張りを超えた冒険の醍醐味と言うものだ。


“ありがとうございます。Fenrirさん。”


“……う、む。”


…俺はそれを、初めは死ぬほど嫌がったくせに。

食べさせてもらえること、それが、どれほど嬉しかったことか。その感動それ自体を否定するつもりは、これっぽっちも無い。

しかし、人間が作ったものを、身体に受け入れることに、確かに勇気が必要だった。


「俺は…狼としてお前等人間に救われることが…どうしても受け入れられない。」


「だからお前がやったことは…!…正しいとは思わない。」


「だが、…それならば、俺に出来るのならば…せめて人として、お前が俺なんかのためにしてくれたことを…ありがとうと言って受け入れたいのだ。俺に、できるのなら…。」


そんなことを、俺は言っていた。

彼女が、狼として、狼の戦利品を受け取ったことは明白だ。

…俺は、お前を、騙していることに、ならないだろうか。

それだけが、心残りでならない。


彼女が、本当に、人間によって救われることが無ければ、それで良い。

その為に、俺がやるべきことは、決まっている。


“好きなだけ、食べさせてやるさ。”


しかし、此処で、お土産を見せびらかすのが悪手であるのは、明白な事実であった。


見ろ、肉をこんがりと焼くよりも強烈な匂いに誘われ、風下の端で座り込んでいただけのはずが、舌を垂らした狼たちが、周りを遠巻きから囲んでいる。

特に、よだれが酷い仔狼は、今にも狼見知りを破って、俺の元に近寄ってきそうだ。


気持ちは分かるぞ。白昼堂々と、こんなことをしている俺にも、責任がある。

だが、Lukaだけを離れに誘って、こっそりと振舞うような展開には、ならなかった。


そして彼女が、このような気まずさを共有する筈も無い。



“おい…あれ、食べ物、だよな…”


“めっちゃ、旨そうな匂い、して無いか?”


“あの雌狼、ずるいなあ…”


“あいつ、最近この群れに入って来た奴だよな?食べ物の在り処を、知っているのか?”




そして、その中で、ひと際殺気を放つ狼が一匹。


“…お前、何をやってる?”


“見ての通りだ。ちょっと狩りが上手く行ったものでね。彼女に振舞ってやっているのさ。”


“それは、見ればわかる。”


“何だ、欲しくたって、お前には分けてやらないぞ。”


“そいつらにも、お前からきちんと伝えてやれ。リーダーの役目だろ?”


“俺が、そんなことを言う為に、お前に口を聞いていると思うか?”


“やれやれ…一口くれと、正直にせがめば良いものを…”




“なぜ、帰って来た。”


その一言で、春の淀んだ空気は失われた。


“……。”


“なぜ、俺の前に、再び姿を現したのかと、聞いているのだ。”


“驚いたな、俺は、いつの間に、追い出されていたと言うのか…?”



“それは、群れの意思か?であるのなら、何故、俺が縄張りに足を踏み入れた時点で、誰も警告の吠え声を上げなかった?”


“お前が、俺を、認めないというだけだろう?”


“それは、それで、結構だ。お前に大きな決定権があることを否定するつもりは無いが、俺は群れの端で、こうしてお前たちのお零れに預かっているだけで良い。”


“狩りにだって、召集があれば、喜んで参加し、群れの力になろう。”


“害を及ぼさないどころか、俺は役に立つんだ。”


“群れが…お前じゃないぞ…拒む理由は、一つも無いはずだ。”


“もちろん、手柄だって、多くは望まない。”


“食料は、こうして、自力で調達できるしな。”


“このっ…!!”




“ああ、わかった。俺が、本当に人間の住処へ行って来たことが、許せないのだな。”


“無事に帰ってきて、その上こうして戦利品を持ち帰って来たことが。”


“俺が帰ってきたことが、大層気にくわないという顔だ。”


“俺が、あいつらに捕らえられることでも、期待していたのか?”


“っ……。”


Vojaの上唇が、ぴくりと動いた。


“残念ながら、そうは行かない。これでも、人間様には、丁重にもてなされる側のようでね。”


“こうして、狼も涎の滴る供物を、手に入れることができるのさ。”




“こんなものを、よくも俺の群れに持ち込んでくれたなっ…!!”


ずかずかと、俺とLukaの間に割って入ると、鼻先を底に突っ込み、中身の無い鍋を豪快にひっくり返した。


“ったく…この人間の臭い…鼻が曲がりそうだ…”


そう思ったが、残っていた汁滓が、どす黒く重たい雪に広がっていく。


“やはりそうだ!お前の臭いを嗅いだ時から、そう確信していた!!”


“お前は必ず、群れに不幸をもたらす!!”


“ちょ、ちょっと!Voja…!!”



“追い出したければ、そうするが良いさ。”


“群れの端まで、わざわざやってきて、下っ端に向かってするように、俺を見下ろして唸り、そうやって怒鳴り散らすと良い。”


“俺は決して、お前に腹を見せることは無いよ。”


“貴様ぁぁっ…!!”




“俺は、お前が率いる群れの、一匹狼だ。”




“出ていくつもりは無い。…今のところはな。”




それとも、此処で、皆の前で、序列をつけておこうか?

そう煽ってやろうか、考えたが、やめておいた。

望むところだ。彼は真っすぐにそう答えるに違い無かったからだ。


こいつは、俺に勝てない。

狼としてなら、勝るだろうが、結局のところ、本性のところで、悲しいかな、否応なしに、捻じ伏せられてしまう定めだ。


そうなれば、こいつは、躊躇いなく、群れを出ていくだろう。こうして、喧嘩を吹っ掛けた手前、己の矜持が、俺に付き従って、群れの周囲をうろつくことを許さない。


その時、群れのリーダーの座に収まるのは、誰だ。


この戦いに、勝った者。


そいつは、ちょっと面倒なのだ。

俺は、もっと責任の無いポジションに付きたい。


人間と狼の縄張りを、好き勝手に行き来できる、今のような、身軽さが楽しくて堪らない。



そしてお前が、この群れの秩序を必死に守ろうとしているのも、理解はできる。

喩え、互いの命に触れる牙のぶつかり合いになると分かっていても、お前は引かぬだろう。


その喧嘩、受けて立ちたい気持ちも、ちょっとはある。


だが結局のところ、決死の王座の争いなんて、互いに願い下げなのさ。


“フシュルルルゥゥゥッッ……!!”


Vojaは到頭、上唇を捲りあげ、鼻面に深い皺を刻み込む。


醜いな。俺はこんな顔を、一々人様に向けていたのか。


“お、おいっ…やる気だぞ!”


“こいつはえらいことになった…”


ボスの臨戦態勢に、周囲の狼たちは、耳を寝かせ、与太足で彼の傍から退いた。

若い狼たちは、目を見開いて刮目し、老狼らは、また始まったかと遠巻きで見物を決め込む。


“ンククッ…”


“降参だ、ボス。”


“グルルゥッ?”


Vojaは、牙の隙間から、間抜けな声を漏らす。


“お前…何の、真似だ…!?”


“見ての通りさ。”




“どうして驚く?”


“俺が、狼でない『何か』にでも、見えていたのか?”


“くっ……!!”


俺は雪の上で軽快に反転すると、身体を揺すった。


“Voja。あんなことを言ったが、俺は一応、お前にも期待していたんだ。”


“何ぃ…?”




“あれから、人間の街で、お前よりもずっと、助けてやりたい奴に会えた。”


“だが人間の方が、有望だなんて、本音を言えば、認めなく無いのさ。”


“だから、頑張ってくれよ。お前。”




“5人なんて、どうやら、あっという間のようだぞ。”



“……?!”




そうとだけ言い残すと、俺は彼女に気さくに声をかけた。


“さあ、行こう。Luka。”


“こんなところでは、のんびりと食事も楽しめないようだ。”






“……信じてたのにっ!”


“俺も、お前のことを…期待していた!!”




“俺の…俺たちのことを、救ってくれると…本気で…!!”




“……本気で、素晴らしい狼に出会えたと思ったんだっ!!”







“……それは、見当違いだ。Voja。”


“俺は、俺と一緒に、地獄まで堕ちてくれる奴を、探しているだけさ。”


“そして、俺は、狼として、真に二流だ。”




“互いに、見込み違いだったような。”




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