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15. 夜更け歩き

15. Dusktreader


冬は、盛りを終えたんじゃ無いのか。


きっと具合が悪いんだ。空気が、肌を削るように冷たい。


昼過ぎから軽く雪が降ったらしく、通りは薄い白をまとっている。それでも市の中心地―城門から少し南へ延びる幹線道沿いの市場は、例によって人影のざわつきがあった。

ここは港から続く輸送路こそ断たれつつあるが、それでもヴェリフェラート内では最も大きな取引場だ。高い柵や板張りの屋台が並び、農夫や行商人が名残の穀物、毛皮、塩漬け肉などを売買している。


かつてはここに溢れていた外国商人の姿は、もうほとんど見当たらない。荒廃した輸送網と長引く戦火で交易が激減したからだろう。

だが驚くことに、人々は完全に店じまいするでもなく、それぞれ細々とした取引を続けている。彼らにとっては敗国であろうと、日々の暮らしを維持するしか、ないのかもしれない。


「おい、そこの兄ちゃん! 新鮮な果物はどうだ? 今となっては貴重品だが……」


そう声をかける店主を、僕は軽く振り返る。

まだ日は高くないが、ちらほらと買い手がいて、慌ただしく屋台の準備をする音があちこちから聞こえる。この活気とも言えぬわずかな賑わいを、敗国らしい最終的な頑張りだと思うと、胸がざわつくばかりだ。


僕は膝下まで伸びた外套を身に纏い、フードを目深にかぶったまま、市場の端のほうをぶらつく。

しかし、この市場に来た本当の目的は買い物じゃない。夜明け前に家を出て、こうして喧騒に混じっているのは、言い表せないざわめきを紛らわせたいだけ。

だから今は誰とも言葉を交わさず、黙って雑踏を縫い歩き続けている。



―なんて。


笑っちゃう。


これは、僕が自宅から持ち出した包丁だ。

鞘に納めるでもなく、ベルトに帯刀するでもなく、刃をむき出しのままマントの内側に隠して持ち歩いている。

もし突風で裾がめくれでもしたら、一発で露見するだろう。あるいは人通りの多い道で誰かと肩がぶつかったら、刃先が誤って相手の身体に当たるかもしれない。


「っと、失礼……」


実際、さっきすれ違いざまにぶつかった行商人に謝罪するとき、内側でぎゅっと握った刃が冷や汗を誘った。

もし切っ先が向いていれば――あり得ない想像に背筋が凍える。


快感を、覚え始めているのか、はたまた。

いつだって、内省は追いつかない。




自分でも、何をやっているか、分らないんだ。

自暴自棄に陥り、世界を恨み、危険を顧みなくなってしまった自分を演出するのに酔っているだけであるなら、即刻、咎められるべきだ。

自白の時間が欲しくて、済んだ空気を吸う為だけに、深夜徘徊など、こんなご時世で、楽しんで良いことじゃない。

身ぐるみ剥され、やられるのは、寧ろ僕の方だろう。


それでも僕は、日が堕ち、辺りの人気が耐え始めてからの時間を、こうして過ごすことで、自らを試す行為にのめり込んでいった。


子供がやる分には、質の悪い遊びで、済むだろう。

尾行ごっこ、とでも言えば良いだろうか。

そうでないなら、十分に、変質者の才能がある。


一人、誰でも良いから、適当な市民に目をつけて、それをできるだけ遠くから、その人が家路に着くまで、追い続ける。

それだけだ。

玄関が分かったら、また別の人を適当に見つけて、その繰り返し。

それで、周囲に標的が見当たらなくなったら、僕も家に帰って良い。


その間、ずっと、刃物は、剥き出しのまま。

ぶら下げた右手に、こうして携えているだけだから、切っ先は、当然目の前に向けられている。


獣としての品性に欠けていると思った。

狼であったなら、それは必要な時に、鼻先に醜い皺を作って、獲物に対して剥かれるものだから。

それが、ずっと目の前にちらついていると言うのは、群れで暮らすことさえぎこちない。自ら孤立していくのが目に見えていた。


あの狼、あれは、群れを従えているのだろうか。

そんな訳は無いな。

でも、この世界で、狼として顕現する理由がきっとあって、その目的の為に、群れの一匹に扮しているのかも知れない。

そう。僕は、あれが狼の姿をした神様だと、信じることにしている。

あれは、僕が、彼女の死を受け入れない代わりに見た夢。それでも良い。

醒めずに済むなら、僕は幾らでも、盲従していたい。


聞いたことが無い。狼の神様なんて。

少なくとも、僕が生まれ育ったこの国に、そんな存在を説く教義は無い。


だから、ひょっとしたら。

単なる憶測に、過ぎないのだけれど。


あれは、ヴァイキングが連れて来た、精霊的な存在なのではないかと思っているんだ。


彼らの戦場を駆け抜ける様は、常軌を逸していると言ってよかった。

本来、戦闘の訓練を受けた騎士であるなら、命知らずの闘志を携えているのだろうか。

国王は戦地に、まともな戦闘経験のある人材を配備する気は無かったらしく、生憎僕は、味方にそのような気迫を纏った兵士を見つけられていない。


けれど、傍から見ると、あれは兵士の極致というより、単に狂っていた。


間近で見る前に、逃げ出していた。目が血走っていて、鬼の形相をしていたからじゃない。

彼らの母語を、僕は知らない。雄叫びが、不穏な獣の吠え声に聞こえて、人外の降霊を思わせたからでもない。


何と表現したら良いのだろう。強靭な肉体にそぐわず、寧ろ、逆だった。


死を恐れていない、とかじゃない。

一度、死を経験済みであるのでは、

そう思わせるほど、冷静な、いや、冷血と言った方が正しいか。



彼らを、そうした存在に至らしめている、戦の神様がいるに違いない。

あの狼は、その権化だ。



リフィアの命を奪ったのは、直接的であろうと、無かろうと、ヴァイキングの侵攻のせいだ。

そして、そいつらが崇める存在というのは、僕にとって、異教の神、復讐すべき相手ということになる。


だが、逆に。その教えに触れられるなら?

僕は、僕が見た、異様な力の恩恵に肖ることが、叶うかも知れないんだ。


取り入る。

もう、どうせ、こんな身で、国の為にヴァイキングと戦おうなんて、微塵も思っちゃいない。

僕は、僕の面倒を見てくれる方を味方する。

それで、良いのでは無いか。




しかしそれも、神様のお気に召す人間であることを示せなければ、何の意味も無い。


暗がりに視線を落とし、裏路地に付けられた足跡を、目が慣れるまで凝視する。


「……。」


此処は、さっき、人目を避けながら、とある夫婦の家路を先回りして見届ける為に、一度通った。

新しく付けられた痕跡は、無いだろうか。

今日は、冷たいながらも、晴れている。凍り付いた足元では、自分の足跡さえ加えられそうにない。



彼は、僕を、見張っていると言った。

きっと、僕が、包丁握りしめて、ガタガタと歯を鳴らして震えているのも、見ている筈だ。

滑稽極まり無くて、まずまずのアピールになっただろう。


あと一つ、何か、絞り出せないだろうか。

何一つ思い浮かばない、僕の中に潜んだ狂気を、どうにかして、表出させることは、出来ないだろうか。



……それ自体が、凡才の足掻きと言うものだ。



僕が唯一、ねじけていると思ったのは、

人殺しの相手を、ヴァイキングの徒党とするのはどうだろうかと、思った点だ。


こんなことを言うのは、今から、彼らと同じ穴の狢になろうと言いながら、殺して躊躇いの無い相手とは、必然的に彼らであるという都合の良さに、我ながら嫌気が差したためだ。


でも、彼らに僕の殺意が暴かれた際に、いざ膂力で勝負しなければならない可能性を考えると、まずやってはならないことだとも思う。


やっぱり、自分より弱い相手を殺そうと思う方が、卑屈で、臆病で、それが、狼の趣向に合うような気もする。




「…分からない。」


狼の舌を満足させる料理を作る。


僕はどうやら、腕に自信がありながらも、開業以来、最大の難敵に直面しているらしかった。





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