14. 夜明け歩き
14. Dawntreader
「さて、と……」
これで、人間の縄張りでの用は一旦済んだ。
ずっと見張っているつもりは無い。頃合いを見て、また顔を出せば良いだろう。
この世界に来てからというもの、本当に運が良い。
仕組まれているのではと、訝しんでしまうほどだ。それでも、進んで飛び込んでしまえる程に。
神様とは、こんなにも気分が良いものなのだな。
まさか、こんなに早く、お目当ての人間に巡り合えるとは。
彼には、出来るだけ多くの有望な人間に巡り合い、その中から選ぶと言ったが、
その必要も、無くなった。
後は、じっと待つことにしよう。
果実が美味しく実るまで、
もし、一つだけ、彼を放っておいて、懸念すべきことがあるとすれば…
いいや、あり得ないな。ある筈がない。
あいつに、自分から、自らの首に牙を突き立てるような度胸も、それを遂行する勇気も在りはしない。
見ただろう?どうしても、自分が大事で堪らないという顔だ。
結局のところ、ああいう人間は、自分が死ぬことにしか、逆説的に興味が無い。
仮に、その一点において、俺の期待を超えて来ると言うのなら、
それはそれで、俺の見込み違いというだけの話だ。
そうさ。放っておけば、勝手に熟れて行く。
…だが、このまま帰るのも、何だか、勿体ないな。
全能感を気取って、格好つけるのに夢中だったから、この土地のことについて尋ねるのを忘れてしまった。
城壁の中に入ってからと言うもの、林立する建物に阻まれて、周囲の地理が、さっぱりわからぬ。
既に失権した後だろうが、王城はどこだ。
しかし、まあ良い。
観光気分で、ゆっくりと歩いて回ることにしようじゃないか。
「……。」
街中は、人間の踏み拉いた路面ばかりが続くかに思われが、新雪には全くもって、足跡を付けた獲物の様子が無い。月明りが無くとも、歩きやすいな。夜道には街灯がほぼないが、家の隙間から漏れる微弱な燭台の光だけでも、こうしてはっきりと夜目が利く。
これが、あいつの愛した街並みであったのか。
もっと、活気があった、見知らぬ人々との出会い頃を懐かしんでいたのだとばかり思っていたが、
極めて、退屈だ。
何しろお前が、好ましい空気へと作り替えたのだからな。
これが、リシャーダ・ポートのあるべき姿だと受け取って、間違いはあるまい。
そう。俺の見立てでは、こんな瘦せ細った土地から大国を育てるだけの資源庫、いわば貿易港のようなものがある。
そして、そこが侵攻を続けた略奪者の牛耳る、本物の城となっている筈なのだ。
近くに、水の流れがある。このまま運河に沿って、街を縦断していれば、いずれ辿り着けるだろうか。
潮の匂いが漂ってきても良さそうなものだが、密集した石造りの壁が阻むのであろうか。凍り付いた空気は、どちらかと言えば、どこかの家屋で作られた料理の残り香、あるいは汲み取り桶や家畜の糞尿の臭気など、そうした人間的な営みを告げた。
しかし、こんなに人気が耐えているようでは、探索も捗らなさそうだ。
彼の家屋を離れ、南東に進んでいる筈なのだが、割れた樽や扉、荒らされた民家の残骸そして落書きや血痕のかすかな痕跡が、寧ろ目立つようになって来た。
くすんだ石壁にヒビが入り、そこかしこに詰められた藁が見えるし、突風で、木製の戸がきしむ音が微かに聞こえる。
…中心地の方が、腐っているなんてことがあるだろうか?或いは、海上からの侵略の歩みが早いのか。
どれくらいこの土地が、外部からの侵略によって汚染されているか、つまり、治安の廃れ具合を見るには、もう少し明るい時間帯を選ぶ必要がある。
次に来る時には、案内役を誰かに勤めさせることを、覚えておこう。
闇夜は、略奪者にとって、活発だが、獲物が姿を現さないのでは、意味を為さない。
彼らも、薄暮薄明性という点では、狼に似ているようだ。
それでも人間の姿をした生き物を直に感じながら、彼らが住む世界を歩くのは、本当に久しぶりだ。
実際のところ、アースガルズで生まれてから、鉄の森へと追放されるまでの1年だけは、こんな場所で暮らしていたと言うのが、自分でも信じられない。
ちょうど、これくらいの大きさの図体の頃が、一瞬だけではあったが、俺にも、あったのだ。
あの頃は、とにかく人の目が恐ろしくて、自宅の前の公園と、自室を、行ったり来たりするだけだった。
「それに比べれば……」
本当に、怖かった。
成長の証と言うことにして良いだろう。
こんなことが、出来るようになったのだと、仔狼に向けて、誇って良い。
あの神様が、俺を人間の世界へ、無理やりにでも引っ張り出そうとして来たからだ。
お陰で、俺はこうして、膝を震わせること無く、尻尾をしまい込むこと無く、壁一枚向こうの人間の息遣いを感じながらも、悠々とすり抜けて行ける。
そうだとも、夜の静寂を破る、小さな物音は、獲物と大差ない。
今はこうして、皆が寝静まった真夜中の徘徊を楽しむに留まっているが。
いずれ、白昼の元、人間の前で、堂々と闊歩できるようになるだろう。
俺だけじゃない、すべての狼たちが、彼らから命を狙われることのない時代が、すぐにやってくる。
それどころか、俺たちが、彼らを狩る側へと変わる日も、そう遠くないのだ。
それがどうだ。怖いもの見たさで、遠吠えの一つでも、聞かせてやりたい衝動に駆られるほどだ。
一体、周辺の人間たちの、何人が、目を醒ますだろうか。
想像しただけで、喉がくすぐったく疼く。
さっきの料理、ロブウカウスだったか。冷め切っていたが、旨かったなあ。
恐らく、あいつの番が作ったものだろう。同じものをあいつが作れるのかどうかは、これから先、結構重要になってくる話だが。
「そうだ……!」
まだ、何処かに、俺が平らげることのできる食い物はあるだろうか?
そこら辺の残飯では、話にならない。俺の舌は、狼の中でも、かなり肥えている。
全然興味の無い人間でも良いから、食事何処を襲うのもありだな。
それでは、例の蛮族と何ら変わらないか。
しかし帰る前に、彼女の為にお土産を咥えるぐらいの歓待を受けても、罰は当たらないはずだ。
もう少し、うろつくとしよう。夜明け前に、城壁を抜けさえすれば良い。
ひょっとすると、俺が気に入った配役を与えられた人間の幾つかを、嗅ぎ当てられるかも知れない。




