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7. 下層の案内人

7. Trenchscout


“あんたの言う通りだ…”


“皆、襲撃から生き残った仲間たちだよ。”


昼下がりの乳白に淀んだ空の下、Vojaに連れられ、群れの穏やかな営みを横目に、俺は足跡で荒らされた雪原を歩いていた。


しっかりとした寝床の形跡があり、骨などが散乱している。

ごく最近に、食事の機会に在りつけている証拠だ。彼らの縄張りは、極めて豊かな狩りの機会に恵まれているようだ。

正確に数えると、Lukaを入れて34匹。かなりの大所帯を、養えているらしい。


周りの狼と頑なに挨拶を交わす気が無い新入りを見かねたLukaは、一匹で周囲との熱い抱擁を繰り返すかと思ったが、意外にも控えめに一匹で丸くなって目を細めていた。

俺とVojaの間にも割って入らないとは。もう知らないと思われていないと良いが。

後で、隣に行ってやらないと、拗ねられてしまいそうだ。


だが、群れの近況は、貴重な情報源だ。大事な会話に水を差されずに済んだと思うべきだろう。


“…何があった?”


襲撃に遭う。狼がその言葉を使うことになろうとは。

理由は、一つしかない。


“彼らが、縄張りを犯したのか、それとも逆か?”


“逆…?どういう意味だ?”


“お前達のうちの一匹が、不用意に彼らの前に姿を現すようなことはしなかったかと、聞いているのだ。”


“あいつらだって、腐っても狩人だ。奴らの縄張りに踏み入った者がいたせいで、巣穴の居場所が彼らにばれてしまったことは無いか。”


“……。”


Vojaは、逡巡の後、はっきりとした口調で答えた。


“…いいや、そんなことはあるまい。”


“そう、言いきれるのだな。”


“ああ。そうだ。”


“では、奴らが一方的に、お前たちの縄張りを蹂躙したというのか?何の前触れも無く?”


“それを納得して貰うには、お前に幾らか説明しなくてはならないことがある。”




Vojaが歩くと、どうしても彼を慕い、挨拶をする下位の者たちが現れた。

距離を取って、こうして会話をしているのにも拘らず、むっくりと気怠そうに頭を上げて彼の姿を認めると、尾を揺らして口元を恭しく突きにやって来る。


その度に、彼は目を瞑って顔を逸らし、後にしてくれないかと訴えるのだが、そうすると、隣のこいつは誰だと、ついでに臭いを嗅ごうと試みようと、俺へぶつかって来た。


どうして良いか分からず硬直していると、Vojaは低い唸り声を喉の奥から漏らして、彼らを追っ払ってくれるのだが。いやはや群れのリーダーと言うのは、どこも同じように大変なのだな。


“……どうして、そんなに人間の縄張りを知りたがる?”


“言っただろう。彼らの自分本位な行動が、俺達の生活を容易く脅かすと知っているからだ。元居た群れでも、そうだった。場所が変わろうと、奴らを警戒することは、怠りたくない。”



“お前、何処から来た?彼女とは、いつ知り合った?”


“北部に聳える、あの山脈があるだろう。あの向こう側から来た。彼女とは、あの麓だな。”


“……まさか。本当か?”


“別に、信じて貰う必要はない。彼方側にも、人間と呼ばれる害獣がいたこと以外はな。”


“……。”


Vojaは、元より鋭い眼差しに、獲物を見定めるような光を湛えて、俺の瞳を覗き込んだ。

俺が異質な存在である疑念が高まっただろうか、しかし、もっとましな嘘も考え付かなかったのだ。

これで構わないだろう。彼らが絶対に裏を取れない世界からやって来たことは、事実なのだから。



“良いだろう。信じてやる。”


“確かに、彼らは危険だ。それを我々も、身を以て知ったのだからな…”


Vojaは、語気を強めると、俺から視線を逸らして、再び歩き出した。




“まず、お前が懸念し、それ故知りたがっているであろう住処は、此処からそんなに遠くない。”


“ほう…?”


“お前がLukaを連れて来た方角とは真反対…南東の方角に進めば、彼らの石造りの山々が見えて来る筈だ。”


これは、嬉しい誤算だ。

早速、彼女を救った行いが報われることになろうとは。


“そんなに近いのか。見たところ、小高い丘しか見当たらないが。”


“ああ、今からでも、夜更けには辿り着くだろう。”


“なんだと…!”


それは、直ぐにでも向かいたいぞ。

いつ、抜け出そう。数日ぐらいは、この群れと行動を共にしなくては怪しまれるか。しかし、そんな風に気を遣っている暇はない。彼女の療養のため、既に数日を無為に過ごしているのだ…


“どうした。そんなに意外だったか?”


“い、いや…”


“それでは、人間にとっても、何の障壁にもならないのでは無いかと、思ったのだ。”


此処に縄張りを構えるのは、余りにも愚策だ。

余程狩りの立地が良いにしても、もう少し彼らの存在を考慮するべきでは無いのか。


そして、だからこそ、お前達は群れの数を激減させることになった。違うか?


“…そうだな。しかしそれでも、今までこうして、互いに干渉しあうこと無く、平和に暮らして来た。”



“そして、お前の推測は、間違いだ。俺達を襲ったのは、あの土地の人間ではない。”


“…何だと?”



“そいつらも、群れでの移動をしているようだった。”


“お前と同じ、北部からやって来たよ。”


“……。”


それで合点が行った。

道理で、少なくともお前からは、言葉の端々に、俺を仇としたい気持ちが見え隠れする。




“…と言っても、あの山脈が途切れた辺り、もっと東部の方からだったがな。”


“どれくらいの数だ。”


“かなりの数だ。俺達のような規模とはまるで違う。”




“少なくとも、別の人間の群れを蹂躙するのに十分な兵力を持った、武装集団だったと言っておこう。”


“その犠牲となったのが、直ぐ近くの人間の集落だ、と。”


“そして、多くの仲間たちがその戦争の最中で、乱獲に遭ったのだ。”




背景は知る由も無いが、不幸にも、ここら一帯の狼達は、その巻き添えを喰らってしまったと言うことか。


食糧としてよりは、冠雪の土地を生き抜くのに必要な毛皮剥ぎが、寧ろ適当だろう。

或いは、狂戦士のような集団が、道中にあるすべての命を奪って回る様な、そんな進軍が許されて良いだろうか。


“彼らは、今も、その襲った縄張りに?”


“そのまま、南東へ向かって、過ぎ去って行ったよ。今はいない。”


民族移動…か?


定住が目的では無いとするならば、本当に、略奪の限りを尽くし、次なる蹂躙の為の蓄えとするだけの蛮行であったと言うのか?


そうだとしたら、戦争の引き金となる為だけに、走り回る怪物のようなものだ。


それに妙だ。では、何故彼女は、敢えて北部へと向かうような危険を冒したのだろう?


“さっき、元居た群れの話をしたよな。俺は、お前が、そいつらのことを知っているのでは無いかと思っている。”


“そこでも、人間の存在は脅威だったか?”


なるほど。それで繋がった。先の間はそういうことだったのか。

期せずして、俺の証言が彼らを襲った人間像と、重なってしまったらしい。

そうなると、これ以上、嘘を吐けない。彼らの目撃情報にそぐわない発言は、慎まなくては。


“ああ…。俺の群れも、一度、人間の襲撃に脅かされたことがある。”


“そのせいで、お前は群れを離れることになったのか?”


“随分、俺の過去を聞きたがるのだな。去る者は追わず来る者は拒まずだと思っていたが。”


“勿論、そのつもりだ。穿鑿をするつもりは無い。不快にさせてしまったなら、謝ろう。”


“だが、純粋に、興味があるのだ。俺達も、あいつらに関する情報は、お前と同じか、それ以上に欲しい。”


“それは、そうだろうな。”


交換条件に持ち込まれると、厄介だが。彼らにとって有益な知見があれば、共有しておきたいと思うのは、俺も本心から来るところだ。


“それにお前の言葉は、俄かには信じ難い。”


“…どのように、嘘が混じっていると思うのだ。”


“そうは思っていない。しかし、あの稜線を一匹で越えてやって来る奴がいるとは…”


“中々に、難儀させられたぞ。彼女の遠吠えが無かったら、進路を見失っていたかも知れない。”


“……それは、互いにとって、僥倖だったみたいだな。”


“そんなところだ。”


彼女のことを持ち出すのは、まずかったか?

余り、良い印象を持たれていないと考えたのは、どうやら俺が性悪論を狼に対してまで押し付けてしまっていた為だと反省こそしているが。それでもこいつが、Lukaに並々ならぬ感情を抱いているのは間違い無いことだった。

兄妹のようだと思ったが。本当に、産まれたときから、一緒に過ごして来たのに違いない。

だがそんな二匹の間柄を穿鑿するほど、俺も無礼な狼じゃない。そもそも、興味が無い。


“嘘だと思うなら、Lukaに直接、話を聞けば良い。彼女とは実際、あの北部の山脈の麓で出逢った。証言してくれるはずだ。”


“ああ…お前の武勇伝、とくと聞かせて貰うことにするよ。”


“他に、不審な余所者について、確かめて起きたことはあるか?”


“そうだな。あんたについて、もう一つ、気になっていることがあるとすれば…”




“お前は、一匹狼に似合わない。”


“……は?”



“その体格なら、簡単に群れのリーダーに成り上がれただろう。”


“いや…風格からして、既に、そうだったはずだ。俺にはわかる。”



“どうして、群れから離れることを選んだのだ。”



“お前の群れにも、何か、あったのではないかと、俺は感じているのだ。”



“……。”




“済まなかった。これ以上、穿鑿はしない。無粋だったな。”


“勿論、彼女に聞くつもりも無い。”




“どうか、この群れでの生活を楽しんでくれ。お前のような、逞しい狼がいると、とても心強い。”




“しかし…お前が言った通りだ。”


……?


“同じように忠告させて貰おう。俺は群れを守る立場にあることを忘れるな。”


声音を下げることで、威嚇とするつもりも無いらしい。

俺に反抗するだけの度胸があるかを確かめる意味もあっただろう。

彼は、他の狼達のことさえ気にせず、ともすれば、宣戦布告とさえ受け取れる吠え語を挙げた。


“グルルルルゥゥゥゥッ……”



“奴らの縄張りに安易に近づき、そのせいで我々が彼らに脅かされるようなことがあれば、俺はお前を許さない。”



“あいつらがそうしたように、お前に相応しい死をもたらしてやる。”







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