6. 煌積の合流点 3
6. Shimmerdrift Confluence 3
“見えたわ…!Fenrirさんっ…”
“ああ……。”
そう不安げに鼻先を舐めるな。
特段、緊張することは無いだろう。俺は自分自身を嗤った。
同じ姿かたちをした、同胞じゃないか。
今や俺は、巨躯すら身に纏えていないのだ。どんな違いだって、ありはしない。
そう心では気楽に構えて見せても、本当の狼は、俺が意図しない所作から、俺が異質な存在であることを容易く見透かしてしまうのでは無いかと、どこか震えていた。
尻込みをしてはならないと分かってはいても、
彼女の安堵に満ちた吠え声と、はちきれんばかりに振られた尾を見て、同時に走り出す気にはとてもなれなかった。
此処は、姿を隠す必要のない彼らの安全地帯。窪地の雪原には、思い思いに毛皮を丸めて寛ぐ、彼らの姿があった。
丘上から現れた俺達の姿を認めたのは、僅か数匹であったが、それは既に、彼らが俺と彼女を脅威と見做していないことの証左と受け取って良いだろう。
想像していた以上の大所帯だ。
遠吠えは、いつだって合唱の参加者以上の存在を聞く者に思わせるが、野生でこれだけの群れが存続できている事実に、俺は素直に感激させられた。
狼が、生きていられる。それだけで、古巣よりも、此処は俺達にとって良い世界に違いない。
“ウッフ…!ウッフ…!!”
彼女が真っ先に向かう先には、一匹の雄狼がいる。
“Luka…!”
尾をゆったりと振り、走り寄る彼女を迎え入れる様は、兄妹を寧ろ思わせた。
血が繋がっていないことは、縄張りの境界で嗅いだ臭いで感じてはいた。
毛色が違うことは、その証左にはならないだろう、純白の彼女に対し、俺に似通った、森林に溶け込む色合いを纏っている。しかし耳の形が、広い三角をしており、雌狼を想わせるほど頬に毛皮を蓄えた、体格の良い雄狼であった。
“Voja!”
そう、彼は、そういう名前で呼ばれていた。
“会いたかった…!”
“無事だったのか…Luka…!”
顎下から、物凄い勢いでぶつかる彼女を受け入れ、鼻先を舐めようとするも、半ば暴れるように感情を噴出させる彼女を捉えられない。
それはもう、尾を眺めずとも再会を喜び合うのに相応しいやり取りだった。
“急に姿を消すものだから、俺はもう…”
“ごめんなさい、Voja。”
“でも…私…どうしても…どうしても自分から、この群れを去りたかったの。”
“なんてことを言うんだ、Luka…”
“去らなきゃいけないと思ったの。”
“……今も私…皆と一緒にいたくないと、少し思ってる。”
“それが、Vojaにとって苦しいことも、分かっているつもりだわ。”
“もう良い…君がこうして、戻って来てくれたなら、俺は…”
“俺は今度こそ、仲間を守れる狼になって見せる。”
“君のことも。”
“……。”
“やれやれ…これに懲りたら、二度と逸れないよう、見張っておいて欲しいものだな…”
そうやって、額を寄せ合っていた二匹の空気に水を差したくなったのは、自分が蔑ろにされたと感じたからではないが。
強いて言うなら、彼に悪い印象を与えたかったからだと弁明しておこう。
温かく迎え入れられては、堪ったものではないから。
彼はLuka越しに、ぶつくさと文句を垂れながら追いついた俺に目を移す。
足音で、もう一匹が付きまとっていたことは、だいぶ遠くから、とっくに気が付いていたことだろう。
Vojaと呼ばれたリーダーの狼は、注意深く俺の姿を眺めるべく、頭を降ろして俺を睨んだ。
“Fenrirさん、紹介しますね!”
“Vojaよ。新しいパックのリーダーなの。”
新生の…?
そいつは初耳だ。
つまりこいつ、今までのリーダーとの争いを、制し、その座に着いたのだ。
確かに一目見ただけで、その素養を備えていると分かるが…
この違和感は、何だ?
“Voja、彼はFenrirさん。”
“私のことを助けてくれた、命の恩狼。”
“……。”
Vojaは、俺の匂いを嗅ぐようなそぶりを見せなかった。
こういう時、どうしたら良いのか分からないが、
偉い方と言うか、力の強い方が先に、嗅ぐんじゃないのか?
そうしたいなら、そうすれば良いし、俺は別に、お前に興味が無いので、此方からどうしようという気も無かったので、その場で動かずにいた。
“Voja…彼も、群れに加わりたいの。良いでしょ?”
自分を引き合わせる役割を進んで演じなくては。一瞬淀んだ空気を鋭敏に感じ取った彼女は、恐らく争いの中でつけられた罅のある鼻先を舌で触れ、そのように冀う。
“ああ…”
“Lukaが、世話になったようだからな。”
彼は逡巡を、尻尾の一振りに巻き込み、こう答えた。
“ようこそ、Fenrir。”
“我々は、お前を歓迎する。”
“それはどうも…”
その言葉を聞き入れないほど、器量の小さい奴では無いらしい。
しかし確信した、彼女がいなければ、俺は決してこの群れに受け入れられることは無かったであろうことを。
“よかった!これで、一緒にいられますね、Fenrirさん!”
Lukaは俺に対しても、Vojaに対してしたようなやり方で、喜びを分かち合おうとする。
“やめろっ…Luka…”
“それに俺は、そんなに、長居をするつもりは無い…!”
ぼそりと呟いた俺のことを、Vojaは見逃さなかった。
“…どういうことだ?”
“そうよ、どうして?あんなに、私がいた群れに会いたがっていたじゃない。”
“い、いや…暫く、仮住まいとさせて貰えれば、十分なのだ。俺にはまだ向かうべき…”
やはり、彼女と共に来るのは、悪手だったか。
恩を売ったなどとは思って無いが、怪しまれずに群れの一匹となって溶け込めるなどという後付けの打算は、とんだ誤りであったようだ。
“さ、行きましょ!皆にも、Fenrirさんのこと、紹介させてください。”
“必要ない…!遠巻きから、行動を共にするだけだ。”
“みんなー!こっちに来て!新しい群れのメンバーよー!”
“ばかっ…ふざけるな、Luka…!”
大勢の狼達に、臭いを擦りつけられるなど、考えただけでぞっとする。
昼寝に勤しんでいた群れ仲間たちが、頭を擡げて此方を見ている。
これは本当に、はやい所お暇した方が、良さそうだぞ。
彼女には、申し訳ないが…
“そんな控えめでは困る。Lukaを助けてくれたお礼ぐらいは、させてくれないか。”
“その言葉だけは、本心であると受け取っておこう。しかし、余計なお世話と言うものだ…”
“だが…”
合流した甲斐があった。
この群れには、暫くどころか、かなり間、拠点となって貰うかも知れない。
“なあ、あんた。”
俺は小声で、Vojaに語り掛ける。
“この近辺の地理について、教えてくれないか。”
“良いだろう。具体的に、どんな情報を…”
“近くに人間の住処を探している。”
“……。”
その言葉で、先までは彼女の前で隠していた獰猛な目つきが露わになった。
今にも、上唇を捲り上げ、門違いな憎しみの唸り声を漏らしそうだ。
“なぜ、そんなことを知りたがる?”
“当然だろう。あいつらは脅威だ。事前にその存在が分かるなら、頭に入れて置きたいと思っただけださ。”
“それに俺を本当に歓迎すると言うのなら、寧ろ進んで知らせておくべきなんじゃないか…?”
“なんせこの群れ、彼らから襲撃を受けた残党のようだからな。”




