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52. 不自由な人々 3

52. Gimp 3


Fenrirと、利益を共にする人間がいる。

考えてみれば、そんなに不思議なことでも無かったらしい。


あの、Sirikiという人間が、あいつを崇める理由が何であるかなど、何の興味も無かったが。

その見返りが、これだと言うのなら、説明がつく。

あの人間は、俺と同じことがしたいのだ。


大事な群れ仲間を殺された。

友かも知れないし、家族かも分からないが。

彼らの吠え声が忘れられず、思い出に囚われて、薄れゆく臭いのことしか考えられなくなってしまった。


単に狩りの頂点から陥落したことが、矜持を傷つけたからであったなら、どれだけ良かっただろうか。

若気の至りだと、後から振り返って、笑えたなら。でも、そうはならなかった。

この蟠りは、何らかの手段で、果たされなくてはならなかった。


それが、

それが、人間を喰い殺してやることだとしたなら。


これは、何らかの気持ちの整理になるだろうか。

本気になることはあるまいと知っていた。崖から足を踏み外してこの身を自ら潰すのと同じぐらい、無いことだと。

だが、Fenrir、お前が現れたことで、全ては絵空事では無くなり始めたのだ。

狂わされたとは言わない。だが、お前のおかげで、踏ん切りがついたのだ。

お前は、俺の知っている狼の中で、最も狼から遠く離れた存在だ。

そんなお前と噛み合ったことで、お前に親近感などを憶えてしまっている。


もしかしたなら、俺もまた、狼から外れた道を進むことが、できるのか。などと。


襟好みはするまいと思った。

人間という、一括りの獲物が俺の好物になっただけだと。


…それと同じことが、Sirikiという人間の選ぶ道にも、開かれてしまった結果が、目の前で行われている、獲物に対する整理だと言うのなら。

こんな知見が得られるとは、思いもしなかった。

人間は、人間を殺すのだ。

あいつにとっての狩りの対象が、ヴァイキングという、人間にとっても別種と看做せる存在があるというのだ。


これは、重要なことだ。


だが、Fenrirの命令を、彼らは忠実に守るだろうか。

俺はそれを確かめる為だけに、目の前で行われていることを、見守る必要がある。


お前が俺に、この光景を見せたかった理由を、延々と考えながら。


でないと、俺の中に、入り込んでくる。


「先ほど申し上げました通り、一週間、あらゆる生命活動を怠って来た彼にとっては、消化さえも難しいことの一つです。」


声にならない叫びは、隣で腰掛ける人間が、俺には分からない言葉で饒舌に吠え立てる間もずっと。


「お゛お゛っ…げぇぇっ…ぇぇぇっ…ごぼっ…」


「あぐぅ゛ぅ゛っ…ぶぅぅっ…」


彼は、何かを食べさせられていた。

飲み込まされていた、と言った方が、正しかっただろうか。


注ぎ口の広い筒のようなものを、またも喉元に押し込まれ、粘り気のある、泥のような物体を流し込まれている。


「乳離れした赤子に与える食事よりも、うまくは行きません。動物でしたなら、吐き戻しに当たるのでしょうか。」


「これでも、ほぼ確実に、吐いてしまいます。びくびくと痙攣しながら、それは苦しそうに。」


「やっと胃袋が慣れて来たら、ようやく次は、腑まで届きます。しかしそこでも受け付けず、結局は下痢をだらだらと漏らすのです。」


「ですが…それは衛生上宜しくありませんし、処理をするのも面倒です。大抵の場合、事前に縫って塞いでしまいます。」


「う゛ぅーーっ…!う゛ぼっ…おごごっっ…」


「まあ、口も、後から同じように塞ぐのですが…こちらは完全にとは行きませんので。後々見てみると、顔の周りが酷く爛れている、ということもままあるのです。何故だかお分かりですか?胃の中の酸が、ずっと纏わり付くからでございます。」


「それにしても、興味深いところが、彼らがそうした生理現象に苦しむのは、決まって夜中なのです。身体が弱るのは、命を奪おうとする悪霊の類が夜に力を増し、寝込みを遅そうと漂うからでしょうか?」


「しかし、ここは常夜の世界でございます。彼らが巣食うとするなら、これ幸いとばかりに、絶えず苛むでしょう。ですから、これは、身体が覚えているものに違いありません。…不思議だと思いませんか?一週間もの時を、日の光も浴びず、それこそ時間の感覚さえ蕩けてしまうような幽閉の中でも、保ち続けているのです…」


カン、と匙が桶に触れ、革の下で息がひっくり返る音。


口元から、液が漏れる。

鼻は、摘んで塞ぐのが面倒になったのだろう。

分厚い革の覆いからでは窺い知ることは難しかったが。

一度、べちゃ、と潰れる音が聞こえる程に殴打されてから、鼻血をだらだらと流しているのに違いない。


「ぶはっ…!はーっ…はーっ…おごっ…お゛っ…お゛う゛っっ…」


「それにしても、流石はヴァイキングと言ったところでございましょうか。中々命乞いの類を喋ろうとしませんね。」


彼は前足を台座に付いて頬杖を突くと、物憂げに溜息を吐く。


「或いは単に、貧弱過ぎて、まだ覚醒にすら至っていないのかも。」


「彼は…何者なのです?移住を決めたヴァイキングらを束ねる頭領といったところなのでしょうが、にしても他の屈強な戦士と比べて、足らないように思うのです。」


「人のことを言えた義理ではありませんが、闘技場で戦わせたなら、女子供にも負かされそうではありませんか。」


「ああ…そもそも、王都語がわからない?そうだとしても、我々に理解できぬ言葉で叫んでも良いはずです。いえ、直にそうなるのですが…」


「しかしご安心を!私の方で、翻訳者をご用意できます。この者たちと違って、信頼できる聖職者がおります。」


「それとも、神様である貴方様には、仲介が必要無いのでしょうか?」


「そうでしたら、大変心苦しいのですが、今後の為に、誠に勝手ながら、今回限りは立ち合わせて頂けないでしょうか。彼女の能力をきちんと確かめた上で、登用したいのです…」


彼の媚びるような微笑みに、俺は、ふすん、と鼻を鳴らして、視線を逸らす。


「ああっ…決して、落胆させませんとも。」







人の王は、呻き声さえ挙げなくなってしまった。

気絶させられたのでは無い。これ以上、顔面を革面の下で潰されることに怯え、無抵抗になったのだ。

今では大人しく、喉をごくごくと鳴らして、桶から注がれる液体を、落ち窪んだ腹の中へと流し込んでいる。


満足の行くまで乳を啜る仔狼のように、静かだった。


「…ねえ、Fenrir様。」


裾の長い衣装を膝に巻きつけ、寒そうに身体を揺すって、居住いを正すと、

嫌な静けさに耐えかねるように、彼はまた、俺に向かって話しかけようとする。


「突然、このようなことをお話しするのは、驚かれるかも知れません。ですが、私の独り言と思って、耳を傾けて頂けませんか。」


“……。”


今となっては、本気で此処に来たことを後悔している。

俺の獲物が凌辱されているこいつに対する憤りでは無く、

本能的に、俺は此奴のことが好かない。

人間の臭いの経験に乏しい俺だが、それでもこいつからは、度し難く不快な香りが漂っている。

それは、はっきり言ってしまえば、Sirikiよりも俺に脅威として警鐘を鳴らす臭いだった。


「貴方様は、人あらざる存在、でございますね?」




目の前の、獲物を生かす為に行われているらしい授乳が終わるまでの辛抱だ。

俺はこれ以上、呼びかけに対して反応するのを止めた。


「それゆえ、理解し難いことでございましょうが…」




「人とは、それがもし本当に人であるなら、本来その罪を赦されるべき存在でございます。」


「…そうお思いになったことは、ございませんか?」




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