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5. 付きまとう者

5. Fylgja


“はぁー……”


一体、どうしてこうなった…


溜め息に続く悪態を吐こうにも、隣に彼女がいるせいで、俺はそれを呑み込まねばならなかった。

人間の言葉で、代わりに吐き捨てれば良いかと言えば、そういう訳にも行くまい。

幸せそうな寝息を立てているところだ、彼女はきっと、群れ仲間にまた会える夢を見ている。

そんな所に、怯えさせてはならない。人間の声は、どんな形で介入するかわからない。


ああ、何故こうにも、彼女のことで神経をこんなにも擦り減らさなくてはならない。


自分が、このような選択をしたのだから、俺のせいだ。それは分かっている。


しかし、此処で、こうしてのんびり、彼女の介抱に時間を費やしている暇は無いだろう。

近場の狼の群れへの接触が容易になるのは、大きな利点ではある。俺だって、ミッドガルに降りて早々、出来る限り波風は立てたくない。良好な関係を築きたいとも思わないが、群れの長の自尊心を激しく傷つけるのは、もっと本意ではないのだ。


だが、その為に数日を動かず無為にするのは、見合っていない対価であると思うのだ。

一刻も早く、人間が住む都市へ辿り着き、神々の世界へ戻る為の礎を探す必要がある。

代弁者として、人々とのパイプラインの役割を果たす操り人形と接触しなくては。


それは、慎重に選ぶ必要がある。誰でも良い訳じゃない。


そいつは、誰に対してでも温厚な皮を被り、自分の為なら平気で嘘を吐けるような臆病者だ。

その癖、己の野心を正当化し、実現してくれるような飼い主を、ずっと探している。

俺の存在を、神様だと信じて疑わず、俺の言葉を後ろ盾に、俺を恨みつつも、どんな非業だろうとやってのける、そんな愚か者が…



中々に、馬鹿げている。

俺が、誰かを導くだとか、それに値する人間を探すだとか。

でも、やらなくちゃならない。


俺は、此処で第2の生を謳歌しようとは思わない。


そんな、そんなことを考えていたら。


“ねえ、Fenrirさん…”


“っ……!?”




“ど、どうした…”


気が付いたら、こんなことになっていた。


“ル、Luka…”



断っておくが、俺達狼の間に、呼び合う名前は無い。

俺に、こんな名前が与えられたのだって、元々は俺が、神様の子供として生まれることを期待されていたからに過ぎない。

俺達は、臭いで、声で、きちんと相手のことを呼び合うことが出来る。


出逢った狼の一匹一匹に、名前を付けたがるような変人もいた。

それに俺も倣おうと言うのでは無いことだけは、この場ではっきりさせておきたい。


これは、俺が、俺自身を顧みる時に、その顔だけが瞼の裏にありありと思いだされた時に、その狼を確かめる響きが、俺自身から発せられる内に欲しくてすることだ。


そう。その名前を、Lukaminaルカとして、

俺が、一生を添い遂げることが叶わなかったことを悔いた、ただ一匹の雌狼として、

己が記憶に刻みたいと思っている。




彼女が、しっかりと元居た群れの一員として機能し始めたのを確認するまでだ。

それまで、こうして守ってやっているだけ。

俺の遠吠えに応えてくれた礼は、それできちんと払えている筈だ。

口に出すと、それだけで彼女を悲しませてしまいそうで、心の内に仕舞い込んでいるけれど。

それ故決意は、容易く揺らぎそうでいけない。



駄目だ、すぐ傍にいる彼女を感じただけで、緻密に練り上げていた思考が、すべて吹き飛ばされてしまう。碌に、既に鮮明に描かれているべき道筋について、考えを巡らせることが出来ない。




我が狼…

彼女が、そうとでも言うのですか?


私が、神々の世界で巡り合うことの出来なかった。

消失の末仔であると?


「故に、主が名付けるが良い。」


「それは…どういう、ことでしょう?」


光栄であると、受け取るべきでしょう。

しかし適任なら、思い当たらない訳にも行きません。


「この物語は、きっと廻めぐる。欠ける一匹などおらぬ。」


「主なら、きっと出会えるはずだ。」


「その時に、主が思いついた名で、彼女を呼ぶがよい。」




そう告げられてから、そんなに時間が経った訳でも無く。

また、ゆっくりと微睡みの中に、時間を費やすことも失念していたから。

俺は、咄嗟に思いついたこの名を捨てられずにいる。


この世界で最初に出逢った雌狼であるというだけで、運命めいたものを感じているようでは、俺の頭も、あいつと同じぐらい満開の花畑だったという訳か。



“どうして、くっついて寝ては、駄目なんですか?”


“……。”


“また、それか。”


狼としては、普通のことであるのは、重々承知の上だ。



俺は何も言わずに立ち上がると、火照った顔を背け、彼女が傷つかないように、別に嫌っている訳ではないことを示すのに、ほんの少しだけ距離をまた取って、その場に座り込む。


すると彼女は、痛く寂しそうな表情で、俺の心をねじ切るかと思いきや、自分が沈めた雪のお盆の匂いをすんすんと嗅ぎ、寧ろ嬉しそうにその中に収まって丸くなるのだ。


“……。”


まるで、自分を追い出すのが楽しいとでも言うように。俺が諦めようとしないのを良いことに。

こんな不毛なやり取りを、かれこれ、10回は、繰り返している。


…もう、周囲にお前が座らなかったスペースが無いぞ。


それは、彼女が足を引き摺りつつも、歩くことが苦痛にならなくなった、良い証左ではある。

実際、右後ろ脚を曲げたまま、ぴょん、ぴょんと小刻みに飛ぶような歩行を、彼女はしなくなった。


まだ多少引き摺ってはいるものの、変な癖が着く前に、自然と歩けるようになるだろう。

そうしたら、ゆっくりでも、西へ歩みを進め始めて行ける。今よりも焦燥感に苛まれることは、少なくとも無いだろう。

それまでは、こうして辛抱強く、彼女の相手をしてやらなくては…


糧を得た彼女の自己治癒力は目を見張るものだがあるが、それだけで此処まで物事が上手く進むはずが無いことは、彼女自身、分かっている筈だ。

恐らく眠っている間に付けた、妙な匂いの正体に、薄々勘づいている。

だから、毛皮を染めた血の筋を舐めようとしない。


それが、人間の匂いでは無いことだけを理解し、それ故俺に、これは何かと穿鑿することはせずにいてくれているのだ。

俺が、只の狼では無さそうなことを、受け入れてくれる器量がある。

ありがたいことだ。


だが、それが、俺がボロを出さぬように立ち回らずにいて良い理由には到底ならない。



彼女を隣で眠らせるのが厭わしい理由の一つに、彼女の眠っている間に、狩りを済ませてしまいたいというのがある。


もう流石に、神様としての自身を顕現させてしまうような、愚かな真似をすることはしないが。

そうした時に、丸裸の俺は、狼としてあまりに未熟であったのだ。


彼女の耳に、俺のみっともない喘ぎ声が、悪態が聞こえたりでもしたら、そう思うと気が気でない。

傲慢にも奇跡を振り翳す様を目撃されるのも、あってはならないことだ。

いずれ、俺の本当の狩りの技量を彼女の前に晒す日が来ようとも、それまでには、俺は涼しい顔をして、彼女の為に大きな獲物を仕留めることのできるような、強い狼になっていなくてはならない。


結局俺は、多少なりとも、神性の力に頼らざるを得ないことを認めるより他無かった。

それが、神々の目に留まるリスクを常に伴っていることは、重々承知しているし、少しだけならという曖昧な線引きと解釈の拡大が、やがて身を滅ぼすことも理解しているつもりだ。


だが、彼女の数時間の微睡みの中で、あれだけの数の大物を狩ることは、生身の狼には不可能…いや、一頭でさえ、厳しいと分かった。

この牙では、一噛みで致死量の傷を負わせることは出来ない。泥沼の追跡を経て消耗させた末に、群れの力があって始めて、ようやく押し倒した獲物を囲い込み、息の根を止めることが出来る。


その過程を省略する為に、大狼の口が、どれだけ便利で、俺に飽食を齎したことか。



“…こんなこと、早々に止めなくては。”



神々に目を付けられてからでは、本当に遅いんだぞ。



…でも、彼女の為に、やらざるを得ないのだ。


寝息が規則正しくなった頃合いを見計らって、俺はゆっくりと立ち上がる。




ぼろぼろと涙を流しながら、咽ぬよう必死に肉塊に齧り付く彼女の様子を見て、確信した。


ああ、彼女は、Lukaは、


俺のせいで、安心してしまったのだと。


もう大丈夫なんだ。助かったのだ、と。


そう思わせてしまったのは、他でもない、この俺だ。




俺に餌を与えると言って来たあいつを、何処までも重ね合わせ、彼の言動と照らし合わせた結果として、常にあいつよりも優れていようとする自分に嫌気が差す。




“……すぐに戻る。”




でも本当に、気が付いたら、こんなことになっていたのだ。


“それまで、ゆっくり休んでいてくれ。”


俺があいつを否定するためには、あいつが俺を幸せにした以上に、彼女を幸せにしてやるより他無いのだと今は思っている。







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