開戦の狼煙と策謀の砦 ③開戦
朝霧が立ち込め、薄暗い大地が戦場に変わる前の静寂が広がる。
砦からは、見張り台に立つハンターたちが遠方を眺めていた。
斥候の報告通り、地平線の彼方からオロディア軍の旗が次々と現れ、
黒い波のように押し寄せてくる。
「…来たみたいね」
アリアがそう呟くと、すでに戦準備を終え開戦を待ちわびるハンターたちも頷く。
「一応形式的にでも最後通牒だけはやらないと、こちらの正当性を示すためにも必要よ」
そう言ってアリアは傍らのハンターに目を向ける。
「オリバー。あなたがやってくれる?
オロディア軍が話を聞くとは思えないから、気を付けてね。」
「任せとけってんだ!」
指示を受けたオリバーは当然とばかりに、見張り台へ駆け登っていった。
「オロディア軍よ!指揮官に告げる!
本国の代表として、貴国の侵攻の意図を問いたい!
こちらには貴国との開戦の理由もなく、侵攻される謂れもない!
直ちに引き返すなら追い打ちはしない!
こちらは無駄な流血は望まない!」
どこまでも届くようなよく通る声で、見事な口上を述べた。
いつもギルドで大声で飲み騒いでいる男だが、あれでも大分抑えていたらしい。
その声は敵陣の兵たちにも届いた。だが、誰も返事をしようとしない。
後方の輿の上のムタレン将軍が、退屈そうに目を細めて側近に呟いた。
「何だ?くだらん戯言を…
答える必要などない。まっすぐ突撃させろ!奴らの砦など、ただの砂の城だ。」
号令と共に、オロディア軍の先陣2000人が一斉に突撃を開始した。
泥まみれの犯罪奴隷たちが、渇いた声を上げて前方へと走り出す。
「予想通りね。
オリバーご苦労様。降りてきていいわよ」
そう言って周囲のハンター達に再度作戦の確認を行う。
「作戦通りなら、コードの手引きで先陣はここを素通りする予定よ。
向こう側に抜けるまでこちらからの手出しは厳禁だからね!」
周りのハンターはもちろん、皆そちらには興味なさげに奥の本陣を見つめる。
オロディア軍先陣の先頭に立つピエールは、本軍と十分距離を取ったのを確認し
付き従う2000人の兵に向け、振り返り叫んだ。
「昨夜の打ち合わせの通りだ!
開いた扉の入り口から反対側まで一気に突っ切るぞ!」
――――――――――――――――――
ピエールにとってコードという男の事はよくわからないが。
この戦いに生き残り、もう一度ファニーに会うは、これしか手がない事も理解していた。
故に突撃前日の昨夜、この先陣内でも名の通った男たちを集め作戦を打ち明けた。
話を聞いた犯罪奴隷たちは否応もなく作戦への参加を希望した。
一つの質問さえなく受け入れて軍内へどう伝えるかを打ち合わせしだす男たち。
説得が第一の難関だと思っていたピエールは不安に思い尋ねた。
「何も聞かないのか?
向こうが俺の言う通りに動くとは限らないんだぞ?」
男たちは何を言いだすのかとばかり口々に答えた。
「あの国からあんたに交渉があったんだろ?十分だ」
「違ぇねぇ。ここらじゃ一番信用できる国じゃねぇかよ」
「あそこが相手で突撃になりゃあ、どうせ全滅だ
なら信じたほうが助かる見込みはあるだろうよ」
本国近衛兵団出身のピエールは、他国の情報には疎かった。
ましてや今回の相手は政治的にも話題に上がらない国なので
全くと言って情報もなく、重鎮に言われるがままでここに派遣されたのだ。
「あんた良く分かってないんだろう?」
「あんたに話を持って来たのはコードって男だろ?
スキンヘッドでニヤニヤした面のどこにでもいそうなヤツだ。違うか?」
言われたピエールは驚いた表情のまま頷いた。
「だったら、話は間違いねぇよ。
後は皆に上手く伝えられりゃあ、問題ねぇ。あんたも考えな。」
ここでも言われるがまま、ピエールは男たちと共に打ち合わせを始めた。
――――――――――――――――――
手筈通り砦の門は空いたままだ。
気になるのは、見張り台の上にいる戦場には似つかわしくない
華やかで軽やかな出で立ちの1団だ。よく見ると此方に杖やロッドを向けていた。
図られたか!やはり罠だったのか!困惑して振り返るピエールに周囲の男が告げる。
「心配するな。あいつらはこっちの援護だろ。無視していい。」
見張り台のノエルたちスプライトクインテットのメンバーを含む魔法職のハンター達は
迫りくる先陣の突撃とタイミングを合わそうと詠唱を始めた。
「後ろの本陣に派手に見せちゃうわよ。
先頭の真上に誰か花火上げちゃえ。頭上は結界張るから心配しなくていいわよ。
後は本陣との間に派手にファイヤーウォールと煙幕お願い。」
ノエルの声に集まった面々は頷く。
「今よ!せーのっ!!」
本陣から見える先陣の突撃は、ほぼほぼ成功に見えた。
間に合わせの砦に、寄せ集めの軍。砦の入り口の門さえ閉じていない。
まさか迎え撃つつもりなのか。と誰かの声に嘲笑すら聞こえる。
先頭が砦に届こうかという所で、閃光が爆ぜた。
少し遅れて爆音とともに先陣の至る所に覆い尽くすような巨大な火の壁。
土煙に邪魔されて様子は伺い知れないが、壊滅的な打撃を受けたに違いない。
「卑怯者どもめ!
あのような手ばかり使うから魔法使いは好かんのだ!
あれだけの質量!連発はあるまい!続けて督戦部隊を進ませよ!
背を打つ相手がいないのだ。ヤツらにもたまには戦をさせてやれ!」
ムタレン将軍はそう喚くが、先陣の損失は気にも留めない。
元々先陣とピエールはこの戦いで使い捨てる予定だったのだ。
突撃が成功すればそのまま砦に閉じ込め、焼き払う予定であったし、
今のように失敗に終われば、こちらとしては手間が省けるといった所だ。
「督戦部隊の準備はどうだ?」
聞かれた側近の一人も先陣の様子など気にせず報告する。
「ハッ!指揮官のタキミン殿より
“いつでも準備は出来ております。覇者の先駆けを賜り光栄です”
との報告を受けており、閣下の号令をお待ちです。」
覇者とは、タキミンめ。つくづくこちらの喜ぶ言い方をするわいと笑みを浮かべながら
ムタレン将軍は側近に命じた。
「タキミンに伝えよ。
栄光の槍先はそなたの物だとな。前方の土煙が収まり次第突撃を命じるのだ。」
側近は頷き、伝令を走らせた。
後方が土煙に覆われた先陣では、ピエールを含めほぼ半数が砦に突入していた。
頭上の爆発には驚いたが、こちらに被害は全くなかった。
そればかりか、反対側の門に続く道は開かれ、広場では当面の糧食を渡され
砦の反対側の天幕で使者が来るまで休んでいるよう伝えられた。
「打ち合わせ通り、ここからは先は私の仕事ね。
行ってくるから、後はよろしくね。」
アリアが残った面々にそう告げると、先陣の最後尾に付き、
何やら書類を抱えて数人で砦の外へと向かっていった。
「みんなもご苦労様~。
魔力使い切った人は休んでていいわよ。」
ノエルが攪乱部隊の魔法職にそう告げると、ファイヤーウォールを発動した数人が
「張り切り過ぎて魔力が空っぽだ。後は頼むよ」
やり切ったと言わんばかりの笑顔を向けて見張り台から降りていった。
「セレナ~。ソファちゃ~ん。
こっちへいらっしゃいな。」
頭上から声を掛けられた2人は見張り台へと登っていく。
まずソファが、続くセレナが見張り台への梯子に手を掛けると
周辺に人だかりが出来、歓声が上がる。
何事かと下を覗いたソファは瞬時に状況を理解した。
裾が踊るように揺れるパレオスカートを履いたセレナに釘付けの野蛮な男たち。
あたかも空から救世主が舞い降りた瞬間のように、彼らの表情は歓喜に満ちているのだが
ソファから見ると、まるで餌を待つ欲望に飢えた獣どもだ。
高みにいる者からの施しを期待しているその姿は、哀れな家畜そのもの。
その中に当然のようにマウロとデイルの姿も確認できた。
憤怒の表情を浮かべるソファに気付いたノエルとセレナは微笑みながら
「いいじゃない。ソファちゃんが損したわけじゃなし。」
「下を向いてるより、上を向いている方が男らしいわよ?」
「緊張感が無さすぎです!大体この軍の指揮官は誰でどこで何してるんですか?」
怒りの矛先をどこに向ければいいか分からないソファは
勢いに任せて、作戦立案から不在の指揮官について質問を投げかけた。
「出番もまだだし。まだ来てないわねぇ
ノエルに機嫌よく仕事させたいんじゃないかしら?」
そう言うセレナにノエルが答える。
「いっつもそうなの!
“信頼してる”だの、“待たせたか?”だの、
どうせどっかで飲みながら見学してんのよ!あの『グータラ親父』は」
そう言うノエルにセレナが可笑しそうに笑いながら
「それはそうと、もうすぐソファちゃんの出番よ?
練習はバッチリかしら?」
その言葉に反応したノエルが悪戯を思いついた少女のように
「最後の練習よ。
下のバカたち何人かに向けて、泥団子をご馳走してあげて。」
ウインクとともに笑みを浮かべるノエルの提案に、ソファも乗った。
「土と、水の応用試験ですね。見ててください!」
即座に脳内にイメージを浮かべ、目標を定める。
風が愛撫すると広がる裾から覗く美脚が無防備に晒されるたび
さらに秘奥を見極めんと間抜け面を晒す男たちだったが
「べちゃっ」「ぐぼっ!」「ごぼるっ!」「ぶふぅっ!」
数人が奇妙な音を発し、何やら吐き出し苦しんでいる。
「はいは~い。
サービスタイムは終わりよ。みんな準備してねぇ。
あと今いるコ達。顔は覚えたから、この後頑張らないと
向こう1ヶ月は、ギルドの飲食代は全部『あなたたち持ち』よ。頑張ってねぇ。」
ヒラヒラと手を振り、天使の微笑みで悪魔の条件を告げるセレナ。
今さらながら顔を背けるもの、持ち場へ戻るものと様々だが
なおも苦しみ咳き込むマウロとデイルに向けてソファも叫んだ。
「あんたたちもよ!役に立たないようなら
当分私の練習に付き合ってもらうわ!もちろん治癒じゃないわよ!」
予想される未来を想像し、泥団子をうっかり飲み込むマウロと
飲み込んだ泥団子に苦しみながらも頷くデイルの2人も持ち場へと戻って行った。
「やるじゃない。
4発中3発命中ね。1発はクリティカルよ。」
おなかを抱えて爆笑し、涙さえ浮かべたノエルが手を差し出す。
「メリハリよ。メリハリ。
緊張したままだと張りつめちゃうわ。
それに見られてるって意識してると、より美しく磨かれるものよ」
ソファには意味不明な言葉を並べながらセレナも手を差し出す。
「なんかスッキリしました。
もうすぐ出番ですね」
言いながら差し出された手に両手を勢いよくぶつける。
振り返った眼下では土煙が晴れようとしており、
黑い旗を掲げたオロディア軍が砦に向かい進軍を始めたところであった。