欲望の進撃、守護の砦 ①作戦パート
出陣前夜のオロディア侵攻軍では陣幕が張り巡らされ、
香を焚きしめた独特な空気が漂い、華やかで浮ついた雰囲気が広がっている。
その中の一際大きな天幕中央の椅子には、この軍を率いる将軍の姿があった。
周囲には愛人たちが取り巻き、彼の杯が空になるたびに次の酒が注がれている。
彼女らはただの愛人ではなく、将軍が征服した町の娘や
国境を越えてさらってきた異国の女性たちだった。
将軍が声高らかに戦の意気込みを語るたび、
その場の者たちは拍手と笑い声を上げ、一斉に相槌を打っていた。
彼が侵略のたびに戦利品として奴隷にする女性たちは、
働きに応じて下賜される為、士官たちはその恩恵に預かろうと
将軍の発言に大げさに追従する。
そんな喧騒の中、副官ピエールは、この作戦の無謀さに頭を悩ませていた。
本国では、この侵攻に対して危惧の声が上がり、国の会議でも異論が噴出していた。
それもそのはず、今回の侵攻の本当の理由を本国は知らないのだ。
知るのは指揮官であるムタレン将軍ただ一人だったのである。
「増えすぎた犯罪奴隷の処分」という名目で本国の反対を押し切り
兵を集めるという強引な手法でこの遠征を実現させた。
彼の意図を図るべく、本国から目付として派遣されたのがピエールである。
将軍の意図に気付いたのは、軍の編成が終わり出陣前日となったつい先程の事だ。
軍編成の解散命令を出すよう本国に進言すると将軍を問い質したところ
「それはそうと、君は新婚だそうだね。」
突然の一言にピエールは怯えを感じながらも、平然を装い
「将軍がご存じとは。どこでそれを?」
「ファニーと言ったか…赤毛で可愛らしい奥様だそうだね。
なに…部下の事を知るのは、上官として当然だよ。
君の帰りを待つ織り上げたばかりの絹が
濁った泥水に沈んだ麻の切れ端にならねばいいがねぇ…」
この言葉でピエールは自らの立場と、妻の状況を把握した。
「君には期待しているんだよ。
作戦立案を任せようと思うんだが…やってくれるね?」
反論などできるはずもなく、今も将軍の天幕の端で地図と格闘しているのである。
自らの欲望を実現するために5000人もの軍を編成した手腕は恐れ入る。
だがその内訳は通常の軍の戦力とは異なり、
前線に2000人もの捕虜や犯罪奴隷が配置されていた。
彼らは戦意も技量も乏しいが、仮に失っても軍の損失ではない。
将軍の意向を示すための数合わせと、消耗品のように扱われ、
背後には脱走を防ぐための督戦部隊が配置されている。
本国でも軍部では知らぬ者のいないムタレン将軍率いる部隊『シュヴァルツェ』
「ハゲタカ隊」もしくは「エスケープキラー」と呼ばれ、恐怖と軽蔑の対象の
督戦部隊は前線の兵が逃げ出せば背後から容赦ない攻撃を行うのだ。
ムタレン将軍が魔法職を毛嫌いしているため、軍には魔法の援護もなく
物量に頼った単純な戦術で挑むしかないのが実情だ。
それでも欲に塗れたこの軍は、近隣の小国や町程度なら
魔法に頼らずとも圧倒的な戦績を残していた。
将軍の意向に沿わざるを得ない自分の立場に苦しみつつも
妻の元へ帰るには、今回の遠征を無事終えるしか方法がないことも理解していた。
意を決したピエールは作戦の打ち合わせをと将軍の元へと近づき、目を疑った。
テーブルに掛けられたこの軍の軍旗の下では
将軍の下半身に首輪に繋がれた女性が奉仕する姿が見て取れた。
軍議を行う場に愛人を侍らすだけでなく、このような行為を平然と行うとは…
「どうしたピエール、今更恐れることでも見つかったのか?」
ムタレン将軍は嘲笑を浮かべ、杯を置きながら副官に視線を投げた。
ピエールは深く息を吸い、
「守備軍がこちらの進軍を予期して、
進行ルート上に砦を建設する可能性がございます。
もし完成すれば、突破に手間がかかり、想定外の遅れが生じる恐れがあります。」
ピエールの言葉を聞くと、眉間に皺を寄せたが、すぐに鼻で笑い飛ばした。
「砦だと? 奴らが小細工を弄する時間がどこにあるというのか。
せいぜい国境の反対側で震えていることだろう。
仮にだが、たかが即席の砦など、我が軍がその気になれば容易く粉砕できる」
「しかし、もし砦が完成すれば、守備側の兵も配置されているでしょう。
時間と兵力の浪費を避けるため、迂回や準備も検討すべきかと…」
ピエールは冷静に提案を続けたが、将軍は苛立った表情を浮かべ、
手を振って言葉を遮った。
「ピエールよ、そなたは我らの力を信じぬのか?」
将軍は口元の冷笑を浮かべ、周囲の士官たちを見渡し続けた。
「砦があろうがなかろうが、我が軍に立ちはだかる障害など存在しない。
我々はまっすぐ突き進むのだ。誰にも邪魔はさせん。
もう良い。軍議は我らで進める故、下がっておれ。」
周囲の士官や愛人の嘲笑、侮蔑の視線を浴びながら
ピエールはムタレン将軍の天幕から出て行った。
背後に付き従う兵は恐らく自分の監視だろう。
諦めの感情と故郷の妻を思いながら、遠征先の地を眺め溜息を吐く。
――――――――――――――――――
ギルドの酒場では、次から次へとハンター達が集まるにつれて
続々と侵攻軍の情報が寄せられていた。
アリアは集まった情報を手際よく整理していた。
表情は冷静で、情報を時系列に並べ、広げた地図の上でペンを走らせながら
オロディア軍の動向や配置、侵攻時期についての全貌を把握し、
ゆっくりと立ち上がり、皆の注目を一身に集める。
「皆さん、静かに聞いてください。」
その声が響くと、ざわついていた酒場は一瞬で静まり返った。
「国から正式な防衛戦の依頼を受注しました。
侵攻してくるのは、隣国オロディア軍約5000人です。」
その言葉に、ギルド内が再びざわめき始めるが、アリアは冷静に続ける。
「指揮官は…ムタレン将軍です。」
その名が告げられた瞬間、ギルドの面々に緊張が走った。
「ムタレン将軍…って有名なの?」
ソファが小声で呟くと、隣のマウロとデイルも困惑の表情を浮かべる。
「知らねぇのか?」
傍らのコードが低い声で代わりに応じる。
「ヤツは…ただの将軍じゃねぇ。
腐臭漂う狼の皮を被った脂ぎった欲望の塊さ。
笑いながら他人の血で酒を飲むハゲタカだ。」
「ヤツが来るって事は、洞窟の存在をどっかから嗅ぎ付けやがったな。」
なおもムタレン将軍の名でざわつくギルド内をアリアが鎮めようとする。
「皆も十分知ってるようね。
これで今回の防衛戦は負けるわけにはいかなくなったわ。」
国境周辺の地図をギルド職員が広げ終えたところでアリアは続けた。
「1つ目の作戦はこうよ。
オロディア軍約5000人の内、前線に配備される
犯罪奴隷2000人の中に潜入して、裏切りを扇動するの。
この国の開拓地に住居の確保と仕事を回す事で生活基盤を提供する。
この点については国の承諾済み。
加えて今回の戦闘には参加しなくていい条件で説得してちょうだい。
開戦と同時に、彼らを煙幕でカバーしつつ、正規軍と先陣の間に混乱を作る。
先陣は砦をすり抜けてこちら側へ入国、あとはギルドで請け負うわ。」
「ずいぶん簡単に言うじゃねえか。
具体的な潜入方法とか、向こうの警戒状況とか、細かい部分は丸投げか?」
コードはエールを片手に、片眉を上げてアリアを見つめた。
アリアは少し微笑みながら、軽く肩をすくめた。
「あなたの得意分野でしょう?
もちろん成功報酬の依頼だけど、今回は実入りがいいわよ?
大筋は今説明した通り。
作戦の肝になる部分だけに、頼りにしてるわ。」
「やっかいな仕事押し付ける割に、煽るじゃねえかよ。
でもまあ、あんたの言う通り、俺の仕事だな。いいぜ、やってやるさ。」
コードは鼻で笑い、エールを一息に飲み干すと
背後にいるハンターたちに軽く手を振ってそのままギルドを後にした。
その後、アリアは視線を集め、再び真剣な表情で話を始めた。
「さて、2つ目の作戦について説明を続けるわね。
まず、オロディア軍の侵攻ルート上に砦の建設を既に手配済みよ。
国内の特にドワーフの職人が急ぎ向かっているわ。」
一部のハンターが驚いた表情を見せるが、アリアはその反応に一切動じない。
「開戦までの突貫工事になるから残念ながらそこまで強固なものは期待しないで。
そこで重要なのが、魔法職の協力よ。」
「それ、アタシたちも参加していい?」
一人の女性が優雅に手を伸ばしながらアリアに問いかける。
「ここへは古い馴染みに会いに来ただけであんまり乗り気じゃあなかったんだけど
このままじゃあ、この国から出れなそうだし、相手がムタレンって聞いて
ウチのコ達がやる気になってるのよね。」
しっとりとした甘さと鼻にかかった音色を奏でる声の主はそう続けた。
声の主はノエルという。
スプライトクインテット … 数日前にこの国に来たばかりの彼女たちは
全員A級ハンターの称号を持つ、名前通り5人編成の魔術師パーティーだ。
ギルド内では彼女たちの存在に気付くとやや驚きの声が上がる。
「直接戦闘には参加するつもりがないから、防衛魔法を提供するわ
砦の手前で地形操作して迷路でも作っちゃおうかしら?
ムタレンへの嫌がらせと、向こうの動きを一時的に止められるはずよ。どう?」
「協力感謝します。是非お願いしたいわ。
報酬についてはなるべく早く国から提示して貰います。」
アリアが傍らの職員に指示を出そうとすると
「別に戦闘に参加するわけじゃなく『お手伝い』と『嫌がらせ』だから報酬はいいわよ。
…でもアリアちゃん?条件と言うか、一つお願いがあるの…
ここの『お節介さん』にアタシの元へ来るよう伝えてほしいのよ。」
「…理由を聞いても?」
アリアは何となく事情を察し、ある人物を思い浮かべながら聞いてみた。
「『お仕置き』と『お礼』よ。」
悪戯っぽくノエルがアリアにウインクしながらそう告げると
同性ながら引き込まれるようなその笑みに、アリアも釣られて笑みを浮かべ、宣言した。
「必ず実行します。」
なおも少しの喧騒が残ったギルド内に、アリアは最後の作戦を告げた。
「準備できるのはここまで。
あとはみんなの仕事よ。
さっきも言った通り、依頼主はこの国よ。
依頼内容は砦の防衛及びオロディア軍の殲滅。撤退すれば良いそうよ。
戦力差はあるけど、ここのハンターは大丈夫でしょ?
報酬はいつも通り。参加希望は今からここで受け付けるわ。
質問は受け付けないから、みんなよろしくね。」
この言葉が終わると我先にギルド内のハンターが依頼に殺到する。
状況が飲み込めないソファたち3人はギルドの片隅で縮こまり
ただただ事の成り行きを見守っていた。
「なんでみんな喜んで依頼受けてんだ?」
「オロディア軍は良く知らないけど、
今の作戦が上手く行ったとしてもまだ3000人はいるんだろ?」
「こっちはハンターが全員参加しても100人かそこらだぞ」
「死にに行くようなもんだよな」
マウロとデイルは口々に不安をぶつけ合う。
ソファも交えてどうすればいいか話し合いをする3人の元へ
「ここの連中は他の国の軍部じゃ有名なのよ。」
その声に振り返りながらマウロとデイルが見上げた頭上には
熟れた果実から染み出た蜜を受け止めたかのような
淡い桃色の布に包まれた誘惑の香りを放つ立派な白桃が2つ。
「どこ見てんのよ!」
テーブルの下から正面に座る、舌を垂らして餌を待つ犬2匹の脛を蹴りつけ
「何が起きてるのか説明してもらえますか?」
ソファの声と痛みに現実へと引き戻された2人は、改めて声の主を確かめる。
「どうもこうも見たまんまよ。
オロディア軍がこの国の洞窟に目をつけて攻めてきたの
それを迎え撃っちゃえって、国から依頼が来たから
みんな慌てて受注中って感じかな」
セレナはそう言いながらソファの肩に手をつき、隣に腰掛ける。
「見たまんまって…
作戦通り事が運んだとしても、向こうは3000。こっちは良くて100。
戦闘にすらならないんじゃないの?」
ソファは言葉が通じているのかというような口ぶりでセレナに問いかける。
「あら?ここのハンターに憧れて来た割には、随分ねぇ
アリアが仕切るギルドの情報部の仕事はカンペキよ。」
「情報が間違いなくても、作戦が成功する訳じゃ…」
向かいから食い下がるマウロの口に、セレナは摘まんだ野苺を指ごとしゃぶらせる。
「しょうがないわね…。
まず1つ目の作戦だけど、コードはあれでとても優秀なのよ?
ここじゃ誰も口に出して褒めたりはしないけど、
出来ない事はしないし、受けた依頼の失敗はないの。
あなたたちも見てたでしょう?」
言いながらマウロの口から手を抜きそっとその唇を撫で濡れた眼差しを送る。
呆けた表情のマウロを横目にデイルが問いかける。
「だったら、あのノエルとかいう魔法使いのパーティーはどう…」
リテイク映像のように、セレナは摘まんだ野苺をデイルにも指ごとしゃぶらせる。
「彼女たちは有名人よ。
スプライトクインテットって言って、いたずら好きな妖精さん達の集まり。
土、風、水の魔法にかけてはエキスパートよ。
ここの『お節介さん』に用があるみたいだけど、
迷路でも作って閉じ込めちゃおうって、いかにもノエルらしい悪戯だわ。」
デイルの口からも手を抜き、唇を撫で妖艶な眼差しを送る仕草は完璧なリテイクだ。
…呆けた表情の引き立て役の男優達は放送禁止物だが。
涎を垂らしながら餌を求めて目を輝かせる犬2匹に追加で蹴りを入れながら
半ば諦めの表情でセレナを見据えソファが問う。
「だとしてもよ
100対3000じゃ話にならないわよ!」
「どうして?」
最後の野苺を自分の口に運びながら、きょとんとした表情で返す。
「山脈を抜ける洞窟に挑んで帰って来ては飲み騒ぎしてる連中よ?
そこらの軍程度の連中なんかダンジョンの入り口にうようよいるわよ」
さも当然のように言うセレナに、ソファは言葉を失った。
「見てれば分かるわよ。
そうだ。怪我した子達の治療に私も砦に行くから、一緒に行く?」
3人はお互いを見つめ合い、セレナに向き合って頷いた。
「お利口さんね。
オトナの戦い。見るのはとてもいい経験になるわ。
本番は駄目だからね」
甘い響きの声と言葉に涎を垂らさんばかりの犬2匹を睨みつけ
ソファはセレナに促され、アリアの待つ依頼受付へと赴いた。