目覚めたら地獄から天国までの逆バンジー
朝のギルド内の酒場は、昨日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
昨晩、冒険者たちは盛大に酒を酌み交わしていたが、
今朝になるとほとんどの者がすでに依頼を受けたり、訓練に出かけていた。
残されたのは、二日酔いで頭を抱えているマウロ、デイル、そしてコードの3人だった。
彼らはテーブルに突っ伏し、どうにも動ける気力が湧いてこない。
「昨晩は何がどうなったんだ…飲みすぎたな…完全にやられた…」
「これじゃ2つ目の依頼どころか立つのもやっとだぜ…」
マウロとデイルの会話にコードが加わる
「俺もだ…これじゃ戦いなんか無理だ…」
(あんたはどう見ても戦闘要員じゃないだろ…)
マイロとデイルはそう思ったが口には出さずに目で会話を終えた。
痩せた体型に鋭い目つきが特徴的で、一歩間違えば盗人といった風貌だ。
彼は軽装で、動きやすいベストを着用しており、身軽さを保ちながら索敵や偵察を得意としている。
敵の動向を察知し、仲間に伝えるのが彼の役割だ。
戦闘で前衛に立つことはほとんどなく、背後から敵の弱点を突いたり、
仲間に指示を与えて効率的な狩りを行うのが得意だという。
役割は『優秀な現場指揮官』だと昨晩の宴で自己紹介していたが、
どこをどう見ても盗賊にしか見えない、とマウロとデイルは心の中で思っていた。
ふとソファがいない事に気付いてギルドを見回していると何やらアリアと相談しているようだ。
昨晩初めてソファが酒に強いことを知ったのだが、何かを考えると頭が痛い。
ソファは受付でアリアと依頼について真剣に相談しているところだった。
彼女、いや彼女たちは酒に強く、酔っぱらいが1人また1人潰れていく様を愉快に眺めながら、
静寂の訪れたギルドの片付け、ギルド併設浴場で湯浴みを終えてから眠りについたのだった。
「新しい依頼が来たの。内容はゴブリンのコロニーの討伐なんだけど、受注条件が少し厳しいの。」
アリアがそう切り出した。
「受注条件って?」
「小規模コロニーなんだけど確認されている出入口が2つはあるみたいで
脱出口の待ち伏せに1組、他に出入口があったときなんかの為の予備で
3パーティー以上かBランク以上のハンターでの討伐依頼なの。
ソフィ達が行くなら昇給はまだまだだから…」
アリアは手元の資料を確認しながら続けた。
「行くなら他のパーティーに声をかけてあげるわ。
宴会の片づけを手伝ってくれたソファへのお礼ね。」
ソファは内心ほくそ笑みながら、アリアの言葉に反応しないよう努めた。
彼女の言葉には少しの褒め言葉が含まれているが、
若干ながらアリアからは、条件さえ満たせば受注するでしょう?という期待も感じていた。
何故ならゴブリンコロニーにわざわざB級ハンターは手を出さないし、
ギルドが冒険者の許容範囲外の依頼提案をするとも思えない。
酔っ払い2人に相談するまでもない。答えは一つだ。
「ありがとう、アリア。パーティーを紹介してくれると助かるわ。」
アリアはソファにニコリと笑いかけると、ギルドの奥にいるセレナに目をやった。
「セレナ、お願いできる?」
セレナは「仕方ないわね」というような仕草ながらも、すぐに厨房へ向かっていく。
数分後、彼女は香ばしい匂いを漂わせるスープ皿を持って戻ってきた。
大きな鍋で煮込まれたスープは、セレナの補助魔法と、
数種類の薬草を彼女特製のブレンドで混ぜたこのギルドの名物料理だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このギルドのハンターなら知っている。
これを食べさえすれば二日酔いの苦しみから解放されるのだ。
このギルドのハンターなら知っている。
セレナは酔っ払いだらけのハンターに滅多にこの料理を出さない事を。
このギルドのハンターなら知っている。
特別な場合を除き、彼女がこの料理を出すときは…
誰かが何かの生贄になるのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「さあ、バンビちゃん。これ食べて、少しでも頭をスッキリさせて」
セレナは笑顔で皿をマウロとデイルの前に差し出すと
2人は机に突っ伏したまま互いに顔を見合わせ、何とか皿に向き合おうとする。
ふと彼女の差し出したであろう料理の匂いが鼻腔を刺激する。
二日酔いの体に冗談かよと言いたくなる大蒜の匂いに顔を顰めたと同時に
嗅いだことのない香草の匂いが調和し、頭痛が和らいでいくのを実感した。
頭を起こし、前を見ると真っ白なスープ皿には鮮やかなミルキーグリーンのスープ。
スープの向こう側には、2つの透き通るような、それでいて妙に艶っぽい果実が…
果実と果実の間には深い深淵が覗き、食欲とともに体の中心から力が湧き立ってくる。
「何が見えるの?」
果実の上方から全てを包み込むような神の囁きにハッとして視線を上げる。
女神がいた。
濡れた瞳…(彼女も昨夜は飲み過ぎて寝不足)
火照った頬…(スープ作ってただけ)
潤いたっぷりの唇…(スープ味見しただけ)
みずみずしい肌…(スープ作ry)
「自分で食べれる?あ~んする?」
首をかしげながらテーブル越しのこちら側のスプーンに手を伸ばしてくる女神
濡れた瞳、火照った頬、潤いたっぷりの唇、甘く漂う吐息、
更にその下には巨大なみずみずしい果実…
2人の脳は覚醒(…意識や感覚が鋭敏になること)した。
と同時に女神の肩越しに、ソファの凍てつくような殺気を込めた視線。
2人の脳は覚醒(…眠りや無意識の状態から目覚めること)した。
貴族のように姿勢正しく、それでいて目にも止まらぬ早業でスプーンを手に取り
目の前のスープしか見ていない風を装い、スープを無心で味わう。
途端に今度こそ脳は覚醒した。
口から鼻に抜ける様々な香草の香り。
飲み込んだ瞬間に口から体の隅々まで治癒魔法のような回復効果と爽快感。
だが刹那でその効果が切れ、逃すまいと次の一口、また次の一口と
至福の瞬間とは、苦しみの後にやってくるものなのかと悟りを開いた者のように
物言わず無心でスプーンを口に運ぶ。
そんな2人を横目に見ていた苦しみの最中の男が一人。
「セレナよう…俺にも少し分けてくれよう…」
コードだ。
「やぁよ」
穏やかな声でハッキリと拒否するセレナ
「頼む…地獄の隣に天国ってのはないぜ…一思いに殺すか慈悲を…」
体中の水分を失ったかのような掠れた声で懇願するコード。
「お願いがあるんだけどぉ、聞いてくれるよねぇ?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このギルドのハンターなら知っている。
一連の流れを見ていたギルド内の全員が、そしてコードも悟った。
(今日は俺⦅コード⦆か…)