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いくつもの偶然と悪夢のような奇跡が交わって、"それ,,は生まれた。
名前のない魔物。元のない魔物。
魔物と呼ばれるものの多くは、元となった生き物が呪いに侵食されて生まれるもの。けれど"それ,,は、親もなく元となったものもなく、ただそのものとしてあるとき突如出現したものだった。
食事も必要としない。争うまでもなく、他の魔物は"それ,,の前に道をあけた。目的もなく、ただ森を彷徨っていた。多分、寂しかったのだろう。孤独だったのだろう。それが孤独ということかもわからなかったけれど、ひとりぼっちが嫌だったのかもしれない。
"それ,,が見たこともない、呪いで出来ていない生き物と出会ったのは、そんなある時のことだった。
魔物は人間を最も好んで食べるものだ。はるか昔の神代、魔物が魔物として成立するようになった頃から、魔物という生き物は須くそういう風に出来ている。けれど食事を必要としない"それ,,にとって、例え人間であろうとも食料の対象にはならなかった。
目的があったわけではなかった。それでも、"それ,,は人を助けた。はじめて、自分以外のものに触れた。
はじめて、抱き締めてもらった。
しあわせという感情も知らなかったけれど、その時"それ,,は確かに幸福を感じたのだ。きっと人であれば、涙が出そうなほど嬉しかったと、幸せだったと表現するような感覚。甘えるように擦り寄れば、人は答えるように撫でてくれた。
名前のない呪いの塊だった"それ,,は、やがて人にクロと呼ばれるようになり、やがて人をエヴァと知った。
エヴァはいつだってクロに優しかった。クロがエヴァの為に頑張れば、エヴァは「ありがとう」といってクロを撫でてくれた。クロがどんなことをしても「仕方のない子」と微笑んでくれる。クロのことを思ってくれる。
エヴァは他の魔物にとってはとてつもない御馳走で、それまでクロの前に道を開け続けていた魔物達は、けれどこぞってエヴァに襲いかかるようになった。クロはそれを助けられることが、エヴァの役に立てることが嬉しかった。
エヴァが困った顔、後に心配していたのだと知るけれど、とにかくエヴァの顔が晴れなかったから、クロは少しずつ食事をとることだって始めた。
魔物の死体を吸収するように触手を伸ばせば、やがてはじめの頃はなかった裂けたような口がクロの身体に歪に出来た。
それだけではない。クロは魔物を食べる度かしこくなったのだ。
エヴァの言いたいことが前よりもはっきりとわかった。エヴァに伝えたいことが、前よりもより伝えられるようになった。そうして広がった視界、晴れた思考で見るエヴァは、やっぱりクロに優しかった。それがわかるのが嬉しかった。
クロが少しずつエヴァの伝えたいことをわかるようになる度、すごいすごいと褒めてくれるエヴァ。
びちゃびちゃと魔物を食べる度、身体じゅうを汚すクロにくすくすと笑ってくれるエヴァ。
川の水で、撫でるように優しくクロを洗ってくれるエヴァ。
寝る前にエヴァがしてくれるお話も、子守唄も、魔物を食べれば食べるほど、少しずつ意味がわかっていった。
寝る前のエヴァの優しい声が、クロはとても大好きだった。
「出来るだけ早く帰ってくるつもりではあるけれど、クロ、少しあなたが心配だわ」
「ぎ、ゔぁ、あ"」
「寂しくはない?寒くはない?お腹が空いたら、少しここを離れても構わないから、ちゃんとご飯を食べるのよ」
「ゔゔ、ゔ」
「でも、必ず帰ってくるから、どうかそれだけは信じて」
そう言うと、エヴァはいつもみたいにぎゅっと優しくクロのことを抱きしめた。触手を伸ばしてすり寄ると、エヴァが「くすぐったい」とくすくす笑う。エヴァがクロに頬擦りをしてくれる感触も、クロはとても好きだった。
「あのね、クロ。もし私が……そうね。日が暮れて、暗くなって、夜になっても戻ってこなかったら、私のこと探しにきてくれる?」
「ゔぁ!ゔああ!」
「ふふ。嬉しい」
「でも、やっぱりクロが心配だわ。クロは優しいから」と言いながら、エヴァはそっとクロのことを撫でてくれた。「ゔああ、ゔああ」とクロが鳴くと、エヴァがまた優しく微笑む。
「いい?クロ。もし私が夜になっても戻ってこないで、クロが迎えにきてくれる時、万が一人に攻撃されてしまったら必ずやり返すのよ。必ずよ」
「ぎ、ぎぁ、ゔぁー」
「クロが傷付くことに比べたら、他の人なんてどうでも良いんだから。ね?クロ。約束してくれる?」
「ゔぅゔあ"ーー」
クロがぐりぐりとエヴァのお腹に身体を擦り付けると、エヴァは「もう」と肩を揺らして笑って、クロの、多分頭みたいなところ、一つだけの目の上に優しく唇を落としてくれた。
クロはそれがどんな意味を持つ行動なのかはわからない。だけどエヴァがしてくれる優しい仕草は全部嬉しくて、触手を伸ばして喜んだ。
エヴァが森ではない場所に行く後ろ姿も、時々不安になるみたいに、心配するみたいに振り向くところも、見えなくなってもずっと見ていた。
エヴァを待っている間は不思議とお腹が空かなくて、クロはずっとずっと、エヴァの帰りを待っていた。食事なんかよりもずっと、エヴァを待っていることの方が大事なことだったのだ。
やがて、太陽が一番上に来て明るくなり、エヴァが戻ってくることなく沈んでいった。
暗くなった。夜が来たのだ。エヴァと約束した時間。
クロは一歩、森から触手を伸ばして歩を進めた。
最果ての森と呼ばれる呪われた場所から、厄災と呼ばれるものが人の住む場所へ。女神の加護の残る場所へと足を踏み入れたのである。
同時刻。王都では、およそ三百年ぶりの神託が下されることになる。




