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「あ」
ぴちゃ、と青い血がドレスに飛び跳ねた。
最初に見た時はバキボキと音がするクロの食事シーンが少し怖かったけれど、今となっては慣れたものである。骨を食べかけたクロが振り返って、ちょっと肉片がついたままの骨を口に含みながら、ごめんなさい、というみたいに「ゔゔ……」と頭らしき部分を下げた。黒い目が申し訳なさそうに伏せられていて、エヴァはそれが面白くて、ついクスクスと肩を揺らした。クロは魔物を食べるごとに少しずつ生き物の形に近づいているようで、今日の朝には一つの目ができていたのである。
「大丈夫よ、クロ。ちょっとびっくりしてしまっただけ」
「ゔあ、あ」
「美味しい?」
「ゔゔゔ」
多分、肯定したクロに「よかった」と笑って頭を撫でた。クロはあまり綺麗に食べるのが得意でなくて、食事中は結構周りに血やら肉片やらが飛び散るのである。だからエヴァは自分の木の実が汚れないよう、大きな葉っぱの皿の上に乗せた木の実を膝の中に抱えるようにしながら食べるようになっていた。それでも一緒に食事を摂るのは、やっぱりクロを家族のように思っているからである。
両親とも違う。アレンとも違う。決してエヴァを裏切らない、ずっとエヴァのそばに居てくれるたった一人のエヴァの家族。
エヴァはやっぱり木の実と果物だけの食事だから、クロが食事を終えるより先に食べ終わる。暫くクロがお腹を満たしている様子をどこか微笑ましい気持ちで眺めていた。とうとう骨も残らず、辺りに血やちょっとの肉片が飛び散っているだけになると、クロがこてりと転がるようにしてエヴァの方を振り向いた。
「お腹いっぱいになった?」
エヴァが手を伸ばすと、クロはよじ登ってエヴァの腕の中にやってくる。撫でながらエヴァがそう聞くと、「ぎ、ぎ、ぁ」とクロが擦り寄った。
「そう……、足りないの……」
だけど、クロは日を追うごとに身体を大きくしているからか、日を追うごとに食べる量を増やしていた。それに、どんなに食べてもすぐにお腹が空いてしまうのである。「お腹が空くのは辛いものね」とのへにゃりと眉を下げたエヴァに、クロがきゅうんと子犬が喉を鳴らすみたいに、「ゔぅぁ……」と唸った。
「なら、早く新しい魔物を探しに行かないとね。いっぱい捕まえて、夜の分まで確保できると良いのだけど……」
「ゔぁ!」
「食事が終わったら水浴びもして、服も洗って……。うん、夜にはお話もしてあげる」
夏が終わろうとしているのだろうか。果ての森にも季節があるらしく、ここ数日は少しずつ日の出ている時間が短くなりつつあった。今はまだ朝だけれども、それだけのことをしたらきっと日が暮れてしまうだろう。いくら森に慣れつつあるとはいっても、エヴァはただの人間で、あくまでもクロに守られているだけだから、この最果ての森を夜中に出歩くのは怖い。
クロは上機嫌に「ゔ、ゔ!」と声をあげて、エヴァもそれに応えるみたいにくすくすと笑った。口元を隠さないで笑うのは最初はあんまり慣れなかったけれど、いざ慣れてしまうととても楽で、何よりも楽しい。
「ねー?」と首を傾げると、クロもまた「ゔぁー」と返してくれる。パンもお肉も食べられないし、服も靴もボロボロだけど、王都にいた頃よりもずっと幸せで、足取りが軽くなった。
「……あ、でも」
「ぎぅ」
「このままだと、きっと冬は越せないわ……」
取り敢えず、クロに狼の魔物を食べる時、毛皮を残してもらったりしたほうがいいのだろうか。加工方法はわからないけれど、なんとなく干したら使えそうな気がしなくもない。
それまでに人里が見つかったり、もしくはクロの身体が順調に大きくなってくれたら何とかなるだろうか。クロの身体は冷たいけれど、エヴァが抱いてたらちょっとはあったかくなるのだ。
足元を眺める。靴はそもそも森を歩くためのものではないからだろう。劣化が早く、つま先が破れて、殆ど使い物にならなくなっていた。ドレスの裾も破れて、本来のものよりも短くなっている。
「……やっぱり、人里を探すのを急いだ方が良いかしら」
「ゔあー」
「ね。季節の移り変わりなんかのせいで、クロをひとりぼっちになんてできないもの」
にこにことエヴァが笑えば、クロもまた裂けたような口で真似をするようににたにたと笑う。今日はクロがお腹を空かせているからできないけれど、明日からはもっと意欲的に捜索範囲を広げよう、と決めた。