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 夢を見た。

 エヴァがまだ幼かった時の夢。アレンを「お兄様」と呼んでいた頃の、エヴァがいちばん幸せだった頃の夢だった。


 お母様もお父様も、殆ど屋敷には帰らなかった。二人にそれぞれ別の家庭があるのだと知ったのは、確か16歳の頃。ドレスを仕立てるために乗っていた馬車の窓から、お母様が、見たことのない優しい笑顔で小さな男の子の頭を撫でて、小さな女の子と手を繋いでいるのを見たからだった。

 エヴァはそれから少しした頃に、お父様が赤ちゃんを抱いたとても綺麗な人と、エヴァより少し歳が上に見える少年と歩いているところも見た。お父様は赤ちゃんがぐずると仕方がなさそうな顔で抱っこをかわって、「そら、私のお姫様は何がご不満かな」とあやしていたのだ。


 だけどあの頃の幼かったエヴァは、そんなことも知らなかった。どうして両親が自分に冷たいのかも分からずに、ただ頑張ればきっと振り向いてもらえるはずだと思ってひたすらに努力をして、それでも駄目で、ふくらはぎの裏には家庭教師に付けられた鞭の跡がたくさんあった。

 アレンは、お兄様は、そんなエヴァのために頻繁に公爵家へ来てくれていたのだ。馬車を走らせて、庭園の隅で泣いているエヴァを何度も見つけてくれた。「もう大丈夫だよ」と笑いかけて、抱きしめて、「お兄様がついているから」と慰めてくれたのだ。


 ────誰に知られることもなく、最果ての森の奥で朽ち果てるが良い!!


 大好きなお兄様。

 大好きだった、お兄様。




 ◾︎


 ぺちぺちと優しく身体を叩かれる感覚で、エヴァは目を覚ました。少し眠り過ぎていたらしい。ここ最近は眠るのが早いのもあって、明け方には目覚めていたのに、すっかり日が昇っているようだった。


「ぎ、ぎ、ゔ!」


 知らない音。知らない鳴き声。ずっと近くにあるそれに、エヴァはハッとして身体を起こした。ばくばくと恐怖に動く心臓に、すっかり眠気が覚めたのが分かる。

 声の主を探すようにきょろきょろと視線を動かして、慣れた触手の感触が、ぺちんとエヴァの手を叩いたことに目線を下に移す。

 そしてエヴァは、そこにあった景色にギョッとした。


「……クロ??」

「 ぎ、ゔゔ 」


 クロのずんぐりとした本体に、口のようなものが現れていたのである。鳴き声の正体もわかった。昨日まで出会った頃のままだったクロは、鳴き声、というよりは唸り声を出すようになっていたのだ。

 しかし見た目は口というよりは引き裂かれた傷のように近い。エヴァが驚いて「あなたどうしたの!」とクロに駆け寄ると、クロは触手を伸ばし、甘えるようにエヴァに抱きついた。


「クロ……??」


 触手を伸ばされることはあっても、ぎゅうと抱きつかれるのは初めてだった。驚きながらもそっとクロを撫でれば、クロは「 ゔ ゔぅ…… 」と心なしか嬉しそうに唸る。取り敢えずは、怪我をしたというわけではないらしい。クロを何度か撫で回してそのことを確かめたエヴァはホッと息を吐いて、ふとクロの身体が血塗れなことに気がついた。焦っていたから、今まで気付かなかったのだろう。

 クロは色が黒いから血の色、特に乾いた血が付いていても分かり辛いけれど、触ってみれば流石にわかる。乾いた血の感覚に、「どこかお出かけしていたの?」とエヴァは仕方ない子供を見るみたいに微笑んだ。


「仕方のない子。少し身体を流さないとね」


 くすくすと笑いながら、エヴァはクロを抱きしめたまますっかり知った様子で洞窟を出た。森はちょうど日が昇った頃であり、相変わらず薄暗いけれど見えないほどではない。何度か森を散策するうちに見つけた川は幸いにして洞窟からほど近い場所にある。時々魔物がそこで身体を休めていることもあるけれど、襲い掛かられなければそのままにしておける程度には、エヴァも最果ての森にすっかり慣れていた。万が一襲い掛かられても、クロの方が強いと知っていることもある。


「 ギ! ゔ、ゔぁ"あ"…… 」

「少し冷たかったのね。ふふ。大丈夫、大丈夫。気持ちいいでしょう?」

「ゔ ゔ ゔ……」


 エヴァもまた足をつけるように川に入れながら、そっと優しく撫でるようにクロの身体を洗っていく。暫くするとクロはいつもみたいにエヴァの手のひらに擦り寄ってきた。「よしよし」と声に出しながらまた撫でると、「ゔぁ」と気の抜けたような唸り声が出る。それがなんだか面白くて、エヴァはまたくすくすと肩を揺らして笑った。


「……クロ、ねえ、あなたもしかして」


 クロの身体を洗ううち、少しずつ分かった。クロが身体につけた血は多く、けれどその中で、新しくできた口の周りがいっとう血で汚れていたのだ。

「ゔぁ?」とクロが身体を傾ける。これは多分、エヴァの真似だろうと分かった。エヴァは時々不思議がる時首を傾げるから。明らかに、昨日よりも意思疎通が取れている。


「……魔物を、食べたの?」

「ゔぁ!!ゔ、ぅゔ」


 クロはエヴァの問いに、どこか得意げにそう声を上げて触手を伸ばした。ぱしゃぱしゃと水面が跳ねる。きっと肯定しているのだろう。ほめてほめてというみたいにしてるのは、もしかしたらエヴァが木の実を食べながら、ずっと食事をしないクロのことを心配していたからかもしれない。


 水に濡れたクロの身体が、気のせいだろうか。昨日よりも大きく感じられた。エヴァは魔物の死体を思い浮かべてゾッとした感情が、けれどクロのはしゃぐ姿にみるみると萎んでいくのを感じていた。

 そうだ。たかだか魔物ひとつがなんだというのだろう。昨日だってその前だって、エヴァはクロに守ってもらっていた。その分沢山の魔物が死んだけど、ちっとも心は痛まなかったではないか。


 それよりも、クロがようやくお腹いっぱいになれたのかと思うと、その方がずっと嬉しい。


「よかったぁ」


 そう呟いたのは、頬が緩んだのは、殆ど無意識のことだった。

 きゅ、と水に濡れたクロを抱きしめる。やはり水の温度が冷たいけれど、それ以上にホッとした。


「ね、クロ、やっぱりあなたお腹空いてたのね。ふふ。可愛いお口」

「ゔぁ!ギ!ぐぁ!」

「これからは、一緒にご飯を食べましょうね。昨日よりも大きくなってるのは、やっぱりクロが子供だから?」


 鳥の雛は最初、生まれる前から蓄えられていた栄養を消費しきるまで餌を食べないと聞いたことがある。

 もしかしたら、クロもそうだったのかもしれない。今までは必要なかったけど、お腹が空いてきて、ようやく口という器官ができたのだろうか。なんにせよ、クロが健やかで居てくれるならそれで良い。

 エヴァが「ふふ」と声に出して笑うと、クロは触手をエヴァの腕へと巻きつけると、もっと撫でてというみたいに引き寄せた。






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