死に戻り騎士団長の純愛 〜堅物だった旦那様が突然「死ぬな」と泣きだしました〜
珍しくお屋敷に帰られた旦那様。
騎士団の仕事を書斎に持ち込んでいるようだったので、お茶を持ってきたら……旦那様が突然泣きだした。
「アレット……!? アレットなのか……!」
「は、はい? アレットですが……どうしました? 旦那様?」
「アレット……! 生きてるな、生きてるな……! 俺を置いて死ぬな、馬鹿者……!」
「はぁ?」
あの旦那様が。
騎士団では銀獅子とも噂の雄々しい騎士団長様が。
閨すら一度もともにしたことのない、ただのお飾り妻だった私を。
突然、滂沱の涙を流しながら抱きしめてきた。
……この人、誰? 本物の旦那様ですか?
これは親――だけではなく、国の決めた結婚だった。
クラーク侯爵令嬢の私は、子爵家出身の騎士団長様に箔をつけるため、国王陛下から直々に彼を婿として迎えるよう勅命を受けた。両親は後継ぎに恵まれず、私が女侯爵として叙爵するかどうかの瀬戸際で、この話はまさに渡りに船だった。
そういう事情で、この国最強と言われる騎士団長様と結婚した私だけれど、なんと結婚してこの一年、白い結婚のままだったり。
驚くことに旦那様、我が侯爵家には後継ぎが必要なのに、私と閨を共にしてくれない! それどころか寝室を分けるし、なんなら父から譲り受けた別邸のお屋敷にも帰らず仕事に打ち込む始末。
そんな私が今の状況で、眼の前の旦那様を偽物だと思ってしまうのも、仕方ないと思うわけです。
とりあえず、お茶ののったトレイをどうにかするべく、私はそろりと旦那様を見上げた。
「旦那様。お茶がこぼれてしまいます」
「っ、茶なんてどうでもいい! あんなことがあったんだ、身体は大丈夫か? どこも痛くないか?」
「私はすこぶる元気です。旦那様こそ、何か勘違いされているご様子です。お疲れが溜まっていたのではありませんか? 居眠りなさるくらいでしたら、きちんとお休みください」
「居眠り?」
ようやくそこで何かに気がついたと言わんばかりに、旦那様の動きが止まった。そろそろと私を抱きしめていた腕がほどかれて、旦那様はぺたぺたと自分の顔を触ると、慌てた様子で部屋を出ていってしまって。
書斎に取り残された私は、手元のトレイを見下ろした。
「せっかくお茶を淹れたのに」
少しもゆっくりしない旦那様にため息がこぼれてしまった。
その日の夜のこと。
出かけられた旦那様は今日はもうどうせ騎士団に泊まり込むのだろうと思っていたら、驚いたことに本日二度目の帰宅をされた。
「お帰りなさいませ。珍しいですね。一日に二度も顔を合わせるとは思いませんでした」
「た、ただいま。その、アレット。変わりはなかったか?」
「あえていえば、旦那様が変です」
挙動不審に視線をうろうろさせる旦那様を見上げてきっぱりと言えば、旦那様はうぐっと何かを喉につまらせた様子。図星かしら。自覚あり、と。
「昼からご様子がおかしいですが、お風邪を召しましたか。それなら騎士団から帰宅したのも頷けます。広まってしまうと大変ですものね」
「え、あ、いや、その」
「お医者様をお呼びしましょう。騎士は身体が資本なんですから、お疲れになったらきちんとご自身も労ってくださいませ」
「う、うぐ……」
旦那様がうなだれてしまった。それほどまでに具合が悪いのなら、早くお部屋にお連れしないと。
私では旦那様を寝室にまで運ぶのは無理があるので、執事に頼んで旦那様を連れて行ってもらうことに。執事は旦那様が子爵家から連れてこられた乳兄弟だそうなのだけれど、いいのかしら。担ぐこともせず、旦那様を引きずっている。階段、絶対痛そう。
「奥様、旦那様につける薬はないと思うのですが、お医者様が来るまで、とりあえず看病だけしてもらっても良いでしょうか」
「私が? むしろ私がいてはお休みの邪魔でしょう。身内である貴方がそばにいてあげて頂戴」
「いえいえ。私は医者の手配をしますので」
執事はきっぱりとそう言いきると、さっさと部屋を出ていってしまった。
寝室に取り残される私と旦那様。
さて、どうしたものかしら。
「旦那様、お召し物をお預かりします」
「あ、あぁ……」
「それと、着替えはこちらに。お手伝いいたしましょうか」
「い、いや! 自分でできる!」
寝衣を手に取るとぱぱっと旦那様は着替えてしまわれた。私は旦那様の着ていた服を手に取り、手近な椅子にかけておく。
寝衣に着替えた旦那様がうろうろと落ち着きなさそうに部屋を行き来していたので、ベッドに入るように促した。
「お、俺がここで寝たら、貴女はどこで寝るんだ……!?」
「何を今更。私には旦那様がご用意した別室がございます。そちらで寝ますよ」
「べ、別室……。そ、そうか、そういえば、そうだったな……」
やっぱりおかしい。
私はいそいそとベッドに横たわった旦那様の顔を見下ろした。
「旦那様、何を隠しておられるのです?」
「か、隠す? 俺が?」
「騎士団長ともあろう方が情けない。昼間にお茶をお持ちしたときからずっとご様子がおかしいではありませんか。何を気にされているのです」
きし、とベッドがきしむ音。
体重をベッドに乗せ、まるで旦那様の寝込みを襲うかのようなはしたない姿勢だけれど……こんな程度で旦那様がこの白いままの結婚を撤回してくださるのなら安いものよ。
「……何か、思い煩っているのでしたら、私が忘れさせて差し上げます。私に身を委ねてみるのも一興でございましょう」
私は跡継ぎを産まないといけない。
そのためならば、様子のおかしい旦那様の心の弱さにつけ込んでみせるし、多少の恥じらいなど脱ぎ捨てる。
クラーク侯爵家たるもの、家の血を残すことが使命なのだから。
それにこの婚姻は国王陛下の勅命あってのもの。
騎士団長の子を産むことを、国にも望まれている。
クラーク侯爵家が今後も血を残すために選ばれた旦那様だ。
そうだと言うのに、旦那様はいつもいつも――
「……すまなかった」
ぽつりと旦那様がつぶやいた。
え?
「アレット、すまなかった……!」
旦那様が私の頬に手を当て、苦しそうに顔を歪ませた。
どうして私は、謝られているのかしら……?
「お前がそんなに悩んでいるなんて、知らなかったんだ」
私が……?
なぜ、旦那様が悩んでいるのではという話から、私が悩んでいるという話にすり替わったかしら。
ちょっと旦那様の考えに理解が追いつかなくて、次の言葉が出てこないのですが?
いつもならこうして私が色仕掛けをすれば、穢らわしいものを見るように私を突き放すのに、それすらもなく。
ただただ、私を憐れみの表情で見上げてきて。
……この人は、本当に誰なのかしら。
私の知る旦那様では、ない。
頬に添えられた手がおもむろに下へと下がっていく感触がした。唇を撫で、首をつたい、胸を通り、腰へ伸び。
ぐっと力を入れられて、気がついたら私はベッドの上に転がされていた。
「アレット、すまなかった。これが罪滅ぼしになるとは思わないが……君が望むなら、俺はやり直したいと思う。俺は、貴女を愛しているんだ……!」
旦那様が、私に覆いかぶさっている。
これはいったい、どういう状況なの。
旦那様が私を押し倒している?
「……ありえません」
思わず本音がこぼれてしまった。
近づいていた旦那様のお顔が、ピタリと止まる。
「貴方は旦那様ではありませんね。旦那様に成り代わって私を手籠めにしたかったのでしょうか。旦那様が私を愛しているなどと言うはずがございません」
「あ、アレット?」
「貴方の目的はなんです? クラーク侯爵家の断絶? それとも旦那様への汚名をご希望でしょうか。どちらにせよ、私を傷物にしたところで意味はございません」
相手を挑発するように嗤ってやれば、旦那様と思っていた人が目を丸くした。さほど驚くことでもないでしょうに。
「私が貴方に抱かれたところで、私は旦那様に嫌われておりますからさほどの影響はないでしょう。腹さえ無事なら、たとえ傷物になっても旦那様からお情けをいただいて、クラーク侯爵家の血を残して見せます。それが私の役目ですから」
たとえ悪漢にこの身を委ねざるを得なくても、貴族の誇りは捨てはしない。この身がある限り、子を産める身体であれば、私は貴族としての義務を果たすことができるから。
そう思ってまっすぐに旦那様とそっくりな顔を見上げて見れば――彼は鋭く私を睨みつけてきた。
私はそのことが少し意外で。
そう、これだ。
この表情こそ、騎士団長たる旦那様の標準装備。
それを向けるのが、たとえ妻である私であっても。
「……そうか、そうだった。だから貴女は死んでしまったのだった……俺が、貴女を抱かなかったから……」
「いったい何を……ん、っ!?」
旦那様の顔が近づいてきたかと思ったら、不意に呼吸が止められてしまって。
あれ? これは、私の唇と旦那様の唇が、触れ合っている――?
「アレット、覚悟するといい」
「え?」
「俺はお前を殺させない。クラーク侯爵家の血の呪いから、絶対にお前を守って見せると約束する。愛してるんだ、アレット」
よく分からないまま、旦那様のような人は私に何かを約束しようとしていることは理解した。
それに何より、クラーク侯爵家の血の呪いを旦那様は知っている……?
そんなこと、ありえないのに。
私がこの眼の前にいる旦那様に対して、どう対応すれば良いのか考えあぐねていると、その手がドレスの裾をたくしあげてきたので。
「どこを触ろうとしているんですか無礼者!」
「あだ!?」
こちらも手痛い思いをするけれど、見過ごせずに頭突きをさせてもらいました!
「旦那様のふりはおやめなさい! 解釈違いです!」
「は? え? 解釈違い?」
「人を呼ばれたくなければさっさとこの部屋を出てお行きなさい! もしくは私に不貞の事実を作りたいだけなのであれば、その気持ち悪い旦那様像をやめて子種だけ置いていくのがよろしいわ!」
「き、気持ち悪い、か……!?」
「愛を囁く旦那様など気持ち悪いです! あなた、誰の手のものかは知りませんが、色仕掛けなんて向いていなくってよ!」
ええ、ええ!
それはもう!
「私がこの一年、必死に旦那様に色仕掛けしては無視されてきた以上に向いていませんわ……!」
きっぱりかっちり断言して見せると、旦那様のふりをした何者かは衝撃を受けたかのような表情でゆらりと上体を起こした。
「き、気持ち悪い……妻から気持ち悪いと言われた……そんな……」
ぶつぶつと何ごとかをつぶやきながら、よたよたとベッドを降り、寝室を出ていく。
数秒数えたあと、私は寝室から廊下へと顔をのぞかせ、控えていた執事に声をかけた。
「先ほど部屋を出た旦那様は偽物です。すぐに追手をかけなさい」
「は? 偽物、でしょうか」
「旦那様の振りをして私に色仕掛けをしてきたのです。不貞の事実を作ろうとしたのでしょう。おそらく本物の旦那様はまだ騎士団にいるでしょうから、一応、連絡だけいれておきなさい」
「は……はい」
乳兄弟とはいえ、執事も騙されていたのかもしれない。見た目だけは旦那様と寸分違わなかったから無理もないわ。
私は諸々の指示を出すと、ほっとひと息ついて寝室へと戻る。
本当に卑劣なことだ。
旦那様のふりをして、私に不貞を働くなど。
「あと三年……。二十歳になるまでに旦那様の子を産むことができなかったら、クラーク侯爵家はおしまい。私は死ぬしかない。やるしかないの。一人でも多く、クラーク侯爵家の血を残さないと……!」
それがクラーク侯爵家に産まれた女子の運命なのだから。
❖ ❖ ❖
レグホーン王国第一騎士団団長のオラースは、妻のアレットにより寝室から追い出されたあと、書斎の机で情けなくも頭を抱えてしまった。
「妻に気持ち悪いと言われた……」
「そりゃ坊っちゃん、突然態度を変えたら誰でも気持ち悪がりますって。俺も気持ち悪いですもん」
「うるさいジョス! お前には事情を全部話しただろう……!」
「知ってますけど〜」
オラースはいまいち半信半疑でいるらしい乳兄弟の執事に、八つ当たり気味にもう一度その事情を叩きつける。
「何か手を打たないと、三年後にアレットが死んでしまう……!」
「それなんですけど、本当にただの夢じゃないんですか?」
「何度も言わせるな! 俺の中では本当にあった出来事なんだ! アレットが死んだら俺も死ぬ……!」
オラースはぐっと唇を噛んだ。
オラースがこんなにも焦っているのには理由がある。
騎士団長オラースは一度、戦場で死んだ。
赤い満月の日、三十年に一度と言われる魔獣の大量発生が起こり、国を守る守護結界が弱まったのが原因だった。
オラース率いる第一騎士団は前線に駆り出され、魔獣の猛威を振り払った。
必死に戦っていたある日、オラースの元にひとつの手紙が届いた。
内容は妻アレット・クラークの訃報。
表向きの死因は病死。
でも実際は服毒による自死だった。
国の結界を維持していたクラーク侯爵家。
これは国王陛下を筆頭に国の重鎮とクラーク侯爵家しか知らない機密だそう。近年この結界の負担がクラーク侯爵家にのしかかり、スタンピードによりその負担がさらに激増し結界維持が困難になってしまった。
維持ができないならその家を交代すべきだと国王が決め、結界の要を譲渡する儀が行われた。
結界は血により維持される。
結界の要を譲渡するには血を一度断絶しなければならない。
今の要は、侯爵家最弱と言われたアレットで。
アレットは自分の力不足により国を危機にさらしたことに責任を感じ、自ら毒を煽ったらしい。
それを聞いたオラースは。
なぜ、と。
なぜアレットはそんな大切なことを自分に教えてくれなかったのかと。
その決断を、一人で決めてしまったのかと。
戦場で戦う夫の力を信じてくれなかったのかと。
スタンピードが終息したあと、オラースは国王陛下に直訴した。
国王陛下は「アレットが前線で戦うお前を守ったのだ」と言った。
守られても。
守ってくれても。
守りたかった者を守れなければ意味がない。
その後のオラースは我武者羅だった。
我武者羅に、どうして自分がこんなにも荒れているのか分からないまま、スタンピードで発生した魔獣の残党を屠り続けて。
その果てに、戦場で息絶えた。
死の間際、アレットにしてあげられたことはなかったのかと想い、きっとそう想うことこそが、人を愛することであったのだと後悔し――
気がついたら自邸の執務室にいた。
それが今日の昼のことだった。
混乱した。
ものすごく混乱した。
眼の前に死んだはずのアレットがいた。
死の間際にあれほど想った女性がいた。
その気持ちを抑えられるはずもなく。
「どうしてこうなったのか、神の気まぐれか……だがせっかくやり直す機会を与えられたんだ……! 俺はアレットといちゃらぶ夫婦になるんだ……!」
「現在進行系で偽物扱いなうえに気持ち悪がられてますけど」
「ぐっ……!」
ジョスの言う通り、自分の気持ちを素直に伝えようと、死ぬ直前に後悔したことをすべてやり直そうとしたところ、アレットにものすごい毅然と拒絶されて。
「……俺の嫁、かっこいいな」
「気持ち悪がられてるのに惚れ直してやがる……」
「うるさいジョス! 主人に向かってなんだ!」
「主人がちょっと頭悪そうに見えちゃうから……」
「なんだと!」
オラースはむっとして椅子から立ち上がる。
そのタイミングで丁度、書斎の扉がノックされて。
「失礼します。……ジョス?」
「はい、奥様」
「旦那様は……」
「あ〜、旦那様ですね! 大丈夫ですよ! 驚かせてしまいましたね。お酒を飲まれてしまわれたようで、つい戯れがすぎたと今反省しているところです」
「ジョス!?」
アレットがやって来て、オラースはハッとする。そこに酒癖が悪いという印象をジョスによって植え付けられて、オラースはさらに内心が荒れてしまい。
「あ、アレット! 嘘だ! これは、その、俺は決して偽物じゃないし、さっきのことだって本心で……!」
「旦那様」
「な、なんだ!?」
「騎士は身体が資本です。お酒はほどほどに」
パタン。
扉が閉められ、アレットが書斎から出ていった。
残されたオラースはジョスをジト目で睨む。
ジョスはあははと軽く笑って。
「前途多難ですね?」
「アレットぉ……!」
オラースは毅然とした妻を思い、頭を抱える。
とにもかくにも、オラースは心に決めている。
三年後、アレットが死んでしまわないように、ありとあらゆる手を使おうと。
そのためにはまず。
「アレットとちゃんとした夫婦になりたい……!」
「それよりも先にスタンピード対策やら結界やらなんやらあるでしょうが」
ジョスにパシッと釘を刺されてしまう。
とはいえオラースにも主張はあり。
「だが、我慢した果てに俺は死んだんだぞ……! アレットのように可愛らしい女性にどう接して良いのか分からないまま過ごした結婚生活の果てがあれなんてあんまりだ……!」
オラースは天井に向けて大きく咆えると、ふうと息を吐き出した。
そのまま視線を机の上に落とす。
「とはいえ、やることはやらねばな」
騎士団から持ち帰ってきた国の結界についての資料。
妻を口説き落とすために、まずはクラーク侯爵家に隠されたものを知ることから始めよう。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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