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マッチョorバトルあり恋愛系

美貌の令嬢は理想の巨漢に嫁ぐ



「喜べ、サウィーナ。縁談が調ったぞ。

 無論、お前がかねてより希望していた通りの条件を持つ男だ」

「まぁっ、(まこと)ですか?」


 とある晴れの日、実父より応接室に呼び出されたロンジダル侯爵家が三女サウィーナ。

 彼女は、テーブルを挟んだ正面の椅子に腰掛ける神妙な顔をした父親から開口一番そう告げられて、はしたなくない程度に小さく目を見開いた。


「うむ。聞いて驚け。

 なんと、ジエド帝国のボゾロ大将軍閣下だ」

「っあの高名な血染めの狂い巨獣ボゾロ大将軍様が?」


 言葉と共に父から釣り書き一式を差し出され、サウィーナは恭しく受け取ってから、喜色も露わにその場で中身を改め始める。


「本当にジエドの大将軍閣下ですのね。

 あぁ、そうですわ。

 ようやく長らくの敵国であったヌディクを征して、落ち着いて内政に力を入れられる段階へ至ったのですもの。

 ここで国の英雄の婚姻という、これからの平和を象徴するような話題を提供できれば、きっと効果的に……いえ、いいえ、お待ちになって?

 よくぞ、その様な御方との縁談が(わたくし)なぞに舞い込みましたわね?

 自国からの選出でもなく、同盟国の中で最も歴の浅い我がペパイオンの、それも侯爵家の三女である私にまでお話が回ってくるなど、通常、考えられないことではなくて?」


 そう呟いて、懐疑的な視線を向けてくる娘に、ロンジダル侯爵は浅く頷いてから口を開いた。


「うむ。集めさせた情報によれば、閣下の噂と容姿で尻込みする令嬢が続出しておるらしい。

 それを乗り越えた数人も、顔合わせでことごとく恐怖に震え、全て白紙に戻ったようだ。

 ジエドの意向としても、そのような者たちを英雄の妻には据えられんとのことでな」

「いくら貴族女性の多くが中性的見目の男性を好む傾向にあるとはいえ、まさかそんなことが……」

「そのまさかが有り得たから、今回の縁談がある」

「……左様ですか」


 納得のいかない様子ではあったが、サウィーナはそれきり黙り込み、再び手中の釣り書きに目を落として内容を読み込んでいく。

 そんな娘の姿を眺めながら、ロンジダル侯爵は小さく息を吐き、椅子の背もたれに体重を預けて腕を組んだ。


「しかし、昔から妙に運の強い娘だと思ってはいたが、よもやここまで都合のよい話が転がり込んで来るとはなぁ。

 お前の美しさに惚れ込んだ身の程知らずな連中への牽制に、理想像を周知させておったのが効いたのかもしれん」

「最低でも体重百キロ以上の骨太の巨漢。強き戦士であれば、なお良し……ですわね。

 巨獣とお噂のボゾロ閣下であれば、これ以上なきお相手にございましょう。

 なんとありがたいこと」


 ほぅと熱い吐息を零しながら微笑むサウィーナへ、侯爵は呆れた眼差しを向ける。


「結果次第では、そのまま婚約者として閣下の屋敷に留まることになる。

 まぁ、お前のことだ。どうせ上手くやるのだろう?

 心配はしていない、あちらで幸せになりなさい」

「えぇ。もちろんですわ、お父様」


 などという会話がペパイオン側でなされていたなど知る由もなく……同時刻、(くだん)のボゾロ大将軍は、宮殿内にある自身の執務室に押しかけてきた自国の皇太子の眼前で、辟易とした表情を隠しもせずに、毎度のごとく押し付けられた釣り書きを開いていた。


「……シャスタ殿下。

 私の花嫁候補が国内貴族間で何と呼ばれているか、ご存知ですか?」


 書類の文字をひと撫でし、大将軍は厳つい顔をゆっくりと上げて、生来よりの鋭い眼光を正面へと飛ばす。

 対して、シャスタ皇子は感情を読ませない薄い笑みを浮かべ、平然とこう返した。


「あぁ、生贄だろう? 愉快なことを考えるよなぁ」


 皇子がわざとらしく笑い声を響かせれば、分かりやすく眉間に皺を寄せるボゾロ大将軍。


「笑いごとではありません。

 他国のご令嬢まで巻き込んで、一体何をやっておるのか」

「いやさ、将軍。此度の者は一味違うぞ。

 何故なら、このサウィーナ嬢の理想は巨漢の戦士であるらしいからな」


 不機嫌に唸る大男を恐れもせず、シャスタ皇子は机上の絵姿を指さし、釣り書きに記載のない情報を舌に乗せる。

 途端、将軍の眉間の皺が更に深まった。


「それを素直に信じる者がどこにいますか。

 これだけの美しさです。数多の縁談に(きゅう)し流布させた虚言でしょう」

「なに、そうとも限らないさ」

「たとえ真実であったとしても、私のように十四も歳の離れた無頼漢など想定されてはおりますまい。

 殿下……お戯れは程々になさるべきかと」


 ボゾロ大将軍は、戦場での勇猛果敢ぶりから血染めの狂い巨獣などと呼ばれ恐れられているが、平時においては、多少融通の利かぬきらいはあるものの、良識ある実直な人柄の男であった。

 しかし、見目の凶悪さと、あまり無駄口を叩きたがらぬ軍人気質もあり、そうした彼の穏やかな本質については、自国内ですら浸透していない現状にある。


「戯れ、ね。

 国の英雄には、誰の目にも幸福であって貰わねば困るのだよ」

「あぁ、まったく。ありがたいお話で涙が出ますな」


 功績を重ねたことで、大将軍という職に加え、皇帝より伯爵位を賜ったボゾロであるが、彼の出自、それ自体は辺境地方のしがない子爵家の四男という、箸にも棒にも掛からぬ立場にあった。

 ゆえにこそ、将軍は政治的な話題を苦手としている。


「嫌味だなぁ。

 とにかく、サウィーナ嬢との縁談はもう決定事項だ。

 君も諦めて受け入れ準備を整えておくように」

「……こちらの都合で相手方の貴重な時間を無駄に浪費させてしまう以上、出来る限りの誠意をもって事にあたらせていただきますとも」

「こらこら、将軍。その様に失敗前提で動くのはいただけないぞ。

 ご令嬢にも失礼だろう?」


 朗らかな笑みを浮かべて小さく首を傾げる皇太子。

 ボゾロ伯爵のため息は深い。



~~~~~~~~~~



 そんなこんなで迎えた、見合い当日。


「ペパイオン王国、ロンジダル侯爵家が三の娘、サウィーナでございます。

 此度は名高き大将軍閣下との良き縁を賜り、恐悦至極に存じます」

「む、うむ。

 ジエド帝国、帝国総守護大将軍ボゾロ・ジ・ネズダンである。

 サウィーナ殿。遠き地より、よくぞ参られた」


 楚々と微笑む令嬢に、一瞬だけ驚きに眉を上げた将軍が、深く頷いて返す。

 初対面のうら若き乙女が、青褪めて震えることも、悲鳴を上げることも、失神することもなく、当たり前のように会話を成立させた事実に、彼は内心でいたく感心していた。


 強面であるとか体躯が厳ついといった姿形だけの問題であれば、政略と割り切って婚姻に踏み切れる女性もあったかもしれない。

 しかし、戦場で誰より多くの命を屠ってきた大将軍は、いつしか、常に全身から殺気にも似た独特の威圧感を放つようになっていたのだ。

 当然ながら、蝶よ花よと育てられた貴族のご令嬢に、彼の暴力的なオーラに耐えきれるだけの精神力が備わっているわけもなく……。

 結果、見合いの失敗が相次ぎ、ついには帝国と比較的関係の希薄なペパイオンにまでお鉢が回ってきた、という流れである。


「長旅直後では、よくよく疲労も蓄積していよう。

 本格的な見合いは明日からを予定している。

 まずは客室へ案内させていただくゆえ、十分に休息を取られよ」

「はい、閣下。ご温情、痛み入ります」


 ちなみに、ボゾロ大将軍は年齢三十一歳、身長一九二センチ、体重一三四キロという、はち切れんばかりの筋肉を有する厳つい山賊顔の猛者(もさ)だ。

 対して、サウィーナは身長一六八センチのホッソリとした十七歳のご令嬢である。

 ただでさえ、何人もの女子供を気絶させてきた凶悪な容姿の大男であるからして、若く美しい乙女をエスコートする様は、弱みを握り無理矢理に従わせている外道の図にしか見えなかった。


 だが、嫋やかで儚げな雰囲気を纏う麗しき侯爵令嬢サウィーナは、その外見と裏腹に大層図太い神経を持つ娘だ。

 数々の女性が撃沈してきた彼の圧についても、彼女はいっそ好ましいものとして受け止めてみせたのである。

 いや、むしろ、恍惚といった感情でもって、全身でソレを浴びていた。


「……晩餐の準備はあるが、疲労が重いようであれば断っても構わない。

 その際は、部屋へ食事を運ばせよう」


 自らの外見の威力を知っているため、遠回しにサウィーナを気遣うボゾロ。

 だが、当然ながら、それは不発に終わる。


「いいえ、閣下。ぜひとも参加したく存じます。

 はしたないことですが、(わたくし)、未来の旦那様となるやもしれぬ御方と早くお話ししてみたいのです」


 彼女は淑女然とした態度を僅かに崩して、無垢で好奇心旺盛な少女の顔を覗かせた。

 もちろん、男心を擽るための計算である。

 あまり女性慣れしていない強面軍人は、令嬢からの純粋な興味と僅かに垣間見える好意を受けて、てきめんに動揺した。


「う、うむ。では、その、晩餐はローハンの刻からだ。

 この屋敷には私以外の家人などもおらぬゆえ、基本的に堅苦しい装いは不要と思ってもらって良い。

 生家同様、楽に過ごされよ」

「まぁ。閣下の深きご配慮に感謝致します。

 では、お言葉に甘えまして、いずれ妻となった暁の予行演習と思い、飾らぬ内向きの姿で過ごさせていただきますわね」

「ごほっ!」


 あまりに予想外かつ婚姻に前向きすぎるセリフに、軽く咽る無頼漢。

 帝国の英雄、十四も離れた娘に翻弄されまくりである。


 楚々とした笑みの奥に機嫌の良さを滲ませる令嬢であったが、ふと彼女は僅かに表情を曇らせ迷うような仕草をした後、ゆっくりと大男を見上げた。


「もし、大将軍閣下」

「む。いかがした、サウィーナ嬢」

「烏滸がましいこととは存じますが、ひとつお願いがございまして」

「……伺おう」


 願いと聞いて、一気に警戒心を引き上げるボゾロ。

 同盟関係にあるとはいえ、サウィーナは仮にも他国の娘だ。

 よって、帝国の不利益となるような言質を取られては不味いと考えたのである。


「そ、その……ボゾロ様、と、お呼びしてもよろしいでしょうか」


 が、そんな彼をあざ笑うかのように、大層可愛らしい懇願が可憐な唇から紡がれた。

 面を食らった将軍は一瞬だけ思考を停止させ、やがて鈍いままのソレで何とか了承の意を示す。


「っお、あぁ、う、うむ。構わん」

「まぁっ、ありがとう存じます。

 ボゾロ様は大変お優しい御方なのですね」

「え、いや。その様なことは……」


 ご機嫌にほほ笑む美貌の令嬢サウィーナに、ボゾロは困惑し通しだった。




 数刻後。

 宣言通り比較的シンプルなドレスで晩餐会へと姿を現したサウィーナ。

 貴族令嬢が人前で晒すには少々質素とも取れる装いだったが、余計な飾りがない分、彼女自身の魅力が引き立てられ、ボゾロの目にはいっそ淡く輝いているようにすら見えたという。

 実際のところは、特殊な化粧や希少なドレス生地による効果なのだが、まぁ、女性の舞台裏について事細かに語るなど野暮天というものだ。


 さて、ジエド帝国においては、食材と神に感謝を捧げるため食事は無言で行うことが国教的なマナーとされている。

 もちろん、そうした規律に準じて、帝国民のボゾロも、この日のために必死で異文化諸々を学んだサウィーナも、沈黙と共にゆっくりと料理を口に運んだ。

 それでも、将軍がチラと視線を向ければ、気付いた令嬢が控えめな微笑みを返すなど、晩餐会場には穏やかな時間が流れていた。


 やがて、食後の一服として、帝国の特産品である焙煎黒茶(コーヒー)が運ばれてくれば、ようやく二人の会話が開始される。


「サウィーナ殿。貴女ほど美しい女性であれば、引く手数多であったのでは。

 何も、遠き異国で十四も年嵩の、それも全身傷だらけの獣の如き無頼漢に、よもや生贄のように捧げられる必要など……」


 どこか伏し目がちな将軍が、出だしから不穏な低音を響かせた。

 いかにも望まぬ内容であったからか、令嬢は無作法であると知りながら、己の発言でもってソレを遮る。


「ボゾロ様は、(わたくし)が国内で婚約相手の条件と掲げていた内容をご存知でしょうか」


 けして大きくはないが、ハッキリと耳に通る声だった。

 いつも以上に深く微笑むサウィーナに、少々の圧を感じたボゾロは、軽く自らの姿勢を正してから答えを厚い唇に乗せる。


「あー……確か、巨漢の戦士、と」

「えぇ、その通りです。

 そして、ボゾロ様ほど逞しい殿方を、私は寡聞にして存じ上げません。

 理想以上の素敵な御方との縁談を前にして、なおお断りする理由がありましょうか?」


 彼女の問いかけを受けて、益荒男(ますらお)は顔を顰め、整えられた焦げ茶の短髪を右手で盛大に乱す。

 次いで、小首を傾げる令嬢へ、睨むに似た強い眼差しを向けながら、こう返した。


「……サウィーナ嬢、本気で言っているのか?

 他国のご令嬢に無礼があってはいかんと取り繕っては来たが、口調だってこの通り、実際の俺は貴族らしい優雅さとは縁遠い、戦うしか能のない荒くれ者だぞ。

 今ならばまだ間に合う、後悔してからでは遅いのだ」


 そんな将軍の態度に、サウィーナは浮かべる笑みを貴族的なものから幼気(いたいけ)な少女のソレへと変えて、唇に添えた指先の奥から空気を震わせる。


「うふふ。本当にお優しい方。

 貴方様はご自身のことを荒くれなどと称しますが、それは表面上のことで本質とは異なりますわ」

「なに?」


 思いもよらぬ反応に、男の太ましい眉が怪訝に寄せられた。


「だって、ボゾロ様は感情の赴くまま誰も彼もへ乱暴狼藉を働くような、非道な真似はなさいませんでしょう?」

「……は?

 いや、それは人間として当たり前のことでは」


 当惑する将軍へ、令嬢は更に言葉を重ねる。


「本当に?

 あらゆる立場の弱者へ平然と暴力を振るわれる殿方が珍しくないこと、軍部にお勤めの大将軍閣下ならばよくご存じでいらっしゃるのではないかしら」

「む……」


 口を噤むボゾロ。

 考えるまでもなく、思い当たる節は確かにあった。

 それは戦場のみならず、日常の軍部内ですら少なくない光景だ。

 もちろん、集団の総大将として、無用な不和の種を見過ごすことはない。

 ゆえに、目撃のたび厳重な注意や指導も行っていたが、ただただ問題が水面下に隠れてしまうばかりで、けしてゼロになることはなかったのだ。


「何者をもねじ伏せる特別な力をお持ちでいながら、理性と慈悲の心を忘れぬボゾロ様こそを、(わたくし)は敬愛致します。

 好ましい見目とお力に加え、精神性も気高い貴方様に嫁げるのですから、感謝こそすれ、まさか厭うなど到底有り得ませんわ」


 透き通る青の瞳に数えきれない星屑を浮かべて、サウィーナは頬を薄く赤らめながら、じっとボゾロを見つめている。

 妙齢の女性からそのような熱ある視線を向けられた経験のない伯爵は、酷く落ち着かなげな様子で黒目をウロつかせた。


「何故だろうか。妙に俺という男が美化されているような気がしてならない」

「まぁ、とんでもないことです」


 表情はそのまま、彼女は僅かに首を傾げて頬に右手を添える。

 旗色が悪い、そう感じて将軍は低く唸った。


「ううむ。もはや貫禄すら感じる沈着ぶりだが、サウィーナ嬢は本当に十七歳なのか?」

「ふふ、おかしい。

 さしもの私も、年齢を詐称した経験はございません」


 頬から口元に手の位置をずらし、令嬢は鈴のようなコロコロとした笑声を零す。

 相手が気分を害した様子はないが、少し嫌みっぽかったかと、ボゾロは側頭を軽く掻いたのち、小さなため息を吐いた。


「……だろうな。悪かった」

「えぇ、謝罪を受け入れます。

 (わたくし)のような若輩の小娘相手にも当然のように非を認められる懐の深さ、ますます素敵な御方」

「そう、やたらに褒めるな…………いたたまれん」

「あらあら」


 お可愛らしいこと、という感想はさすがに飲み込んだサウィーナである。


 国内外の敵味方共に恐れられる血染めの狂い巨獣も、こうなっては形無しだ。

 隅に控える使用人たちも、いつにない主人の姿に心の内で驚き通しであった。





 さて、そんな夜から三日後の朝。

 食後に恒例の焙煎黒茶を嗜みながら、見合い中の男女らしく雑談に興じるボゾロとサウィーナ。


「……あー、サウィーナ嬢。

 今日はガラム教における月に一度の礼拝の日でな。

 といっても、わざわざ教会へ赴くほど熱心な信者も少ないのだが。

 俺の場合は、併設されている孤児院への寄付と視察をかねて、時間の取れる限りは参加するようにしている」

「まぁ、左様ですか」

「それで、あまり屋敷に籠りきりでは貴女も退屈ではないかと思ってだな。

 あまり楽しい場所でもないゆえ無理強いはせんが、良ければ共に出掛けてはみまいかと、な。

 あぁ、いや、改宗を迫るつもりなどは毛頭ないぞ。そこは誤解しないでくれ」


 未だ引け目や迷いの消えぬ大将軍ではあったが、彼女の心情や己の立ち場を考えれば、敢えて突き放すような真似も出来なかった。

 よって、現在、彼は予め立てられていた大まかなスケジュールに従い、令嬢と共に過ごす時を細々と重ね続けている。


「喜んでお供いたします、ボゾロ様。

 うふふ、初めてのデートが教会だなんてロマンチックで素敵ですこと」

「ゴホッ! デっ、いや、そ、そうか、うむ」





 それから、午後の食事時を過ぎた頃合いに、逞しい鱗馬(りんば)の牽く馬車に乗り込んだ巨漢と令嬢。

 護衛という意味では不要に等しいが、御者や連絡要員として三人の騎士を引き連れ、ボゾロとサウィーナはガラムの教会へと向かった。

 道中、どこか浮足立つ二人は、しかし、到着早々に頭の切り替えを余儀なくされる。


「……おかしい、静かすぎる」

「ボゾロ様?」


 礼拝の日であるというのに、教会の正面扉は隙間なく閉ざされ、常に響いている孤児院の子どもたちの無邪気な声も聞こえては来ない。

 異様な気配を察知した大将軍は、騎士二人をそれぞれ屋敷と軍本部に走らせ、残る一人は馬車の護衛と併せて周囲の見張りをするよう小声で指示を飛ばした。

 これで彼がただの一般的貴族であるなら、危険な場所には近寄らず、即座に帰還することが正解であっただろう。

 だが、ボゾロは腐っても国の英雄であり大将軍の地位に就いている男だ。

 己の身可愛さにこの場から踵を返すなど、立場と心情、どちらからしても出来ようはずがなかった。


「サウィーナ嬢。今から教会へ入るが、何があるか分からん。

 おそらく俺の傍が一番安全だ、出来るだけ離れるな」

「は、はい……っ」


 険しい顔で敷地へ繋がる門を睨み付ける大男を、令嬢は場違いにも頬を赤らめながら見つめている。

 いわゆる戦闘モードに入り殺気立つボゾロに対し、サウィーナは激しく胸をときめかせていた。

 不穏な現状も理解できぬ愚鈍な女、というわけではない。

 全てを把握した上で、ソレはソレ、コレはコレと平然と思考を切り分けているのだ。



 軋む木製扉をゆっくりと開いて、二人は緊張と共に礼拝用の大広間へと侵入する。

 正面のステンドグラスや側面上部に並ぶ窓から差し込む光で暗くはないが、シンと静まり返る空間には、どことなく不気味さが漂っていた。


 慎重に、一歩、二歩。

 中央の通り道を踏み込み進めば、毛足の長い絨毯に靴音が吸い込まれていく。


「……いるな」


 サウィーナの頭上でボソリと低いしゃがれ声が落ちた。

 瞬間。


「ジエドの悪鬼ッ!」


 長椅子や柱の陰から幾つかの影が飛び出す。

 読んだ気配から既に襲撃者の位置を掴んでいた将軍は、即座に腰の大剣を引き抜いて彼らを迎撃した。


「ヌディクの残党か!」


 戦闘行為に勤しみながらも、ボゾロは冷静に相手を観察し、正体を看破する。

 それは、ジエド帝国が征したはずの、先の敵国ヌディクの戦士たちであった。


 多勢に無勢と思いきや、まったく危なげなく男たちを薙ぎ倒していく大将軍。

 あまりの快進撃に残る数名が及び腰になったところで、奥へと続く廊下から一つの声が上がった。


「そこまでだ!」

「ぬっ」

「このババアの命が惜しけりゃ、武器を捨てな。

 まさか御国の英雄様が、神に仕える修道女を見捨てるなんてぇ非道な真似はしねぇよなぁ?」


 そう告げながら、気を失い力なく項垂れている老婆を腕に抱えた厳つい男が姿を現す。

 人質にされているのは、この教会における最高責任者だ。

 彼女の皺の重なる細首には短剣の鋭い刃が添えられており、いつでも掻き切れる体勢で男は悪鬼を見据えている。


 向けられる憎悪から敵の本気を悟り、小さな呻きと共にボゾロの動きがピタリと止まった。


「へへ、戦場じゃあ人質を無視して平然と向かって来やがったが、さすがに一般人だと話が違うかよ。

 おらっ、そのまま武器を捨てろ!」


 無言でヌディクの男を睨みつけながら、将軍は悔し気に歯を食いしばり、手の力を緩める。


 その時だ。


 巨漢の背からフワリと姿を現した美貌の令嬢サウィーナが、並ぶ長椅子の横に設置された燭台のロウソクを一本引き抜いた。

 あまりに自然体かつ流麗な所作で行われたソレを、思わず黙って見守ってしまったヌディクの面々。

 一足早く正気に戻った人質を抱える男が、彼女の不審な行動を咎めようと口を開いた。


「おい、女! 貴様、何をやって……」

「えいっ」

「は?」


 緩い掛け声と共にロウソクが前方に投げ出されて、大きく弧を描く。

 男が反射的にその軌道を視線で追いかけた刹那、隙と見た将軍が弾丸の如く飛び出した。


「ぬんッ!」

「っぐぁ!」


 一瞬で十メートル近い距離を詰めたボゾロが、左腕で老婆を奪い返しつつ、剣を握ったままの右拳で男を殴り抜け昏倒させる。

 彼がリーダー格であったのか、途端に教会内の残党らは及び腰となり、互いに顔を見合わせていた。

 そんな烏合の衆と化した彼らを、ただの一人も逃がさぬよう、椅子を越え、柱を蹴り、壁を走って、縦横無尽に暴れ回る凶獣。

 まさに鬼と化した大将軍を、サウィーナは長椅子のひとつに腰掛け、うっとりと輝く瞳で眺め続けていた。




 全ての敵を掃討し、一所(ひとところ)に積み上げ終わった頃、軍の兵士たちが教会内へなだれ込んで来る。

 ボゾロは素早く彼らへ情報共有を図り、次いで、捉えた罪人の輸送や敷地内の安全確保、住民の保護など一通りの指示を出した。

 そして、部下からの報告を待つだけの状態となったところで、入り口付近に佇む侯爵令嬢へと声を掛ける。


「すまない。怖ろしい思いをさせた」

「いえ、それ程でもございませんわ」

「ふむ。しかし、驚いたぞ。

 殺気立つ狼藉者を前に、よくぞ平静を保っていたな。

 無謀を叱りたい心もあるが、実際、ロウソクのくだりは助かった」


 小さくひとつ頷いて、巨漢はサウィーナを見下ろす目を僅かに細めた。

 それを受けて、彼女は常よりほんの少し深い笑みを浮かべて、鈴が鳴るような可憐な声を響かせる。


「一助になれたのであれば、良うございました。

 この度は本当にもう、(わたくし)……」

「あぁ」

「興奮いたしまして」

「は?」

「女の身では一生叶わぬものと諦めていたのに、まさか戦場(いくさば)における凛々しく荒々しいボゾロ様のご活躍を(じか)にこの目に出来るだなんて、不謹慎ながら感激しておりましたの」

「……何だって?」


 ここまで来て、鈍い益荒男はようやく疑問を抱いた。

 もしかして、サウィーナ嬢は少々趣味が、特に男に対するソレが偏っているのでは、と。

 ボゾロ・ジ・ネズダン、三十一歳。あまりに遅すぎる気付きであった。


「あぁ、けれど、残念です。

 せっかくのボゾロ様との逢瀬の時が、まさか、この様な形で終わってしまうだなんて」

「サウィーナ嬢」


 眉尻を下げ、悲しげな苦笑を見せる令嬢。

 無頼漢は、つられるようにして顔面の中央へ皺を寄せた。

 近くで作業をしていた兵士数人の口からヒッと小さな悲鳴が漏れる。


「えぇ、心得ております。

 ボゾロ様は、どうぞ大将軍閣下としての職務を遂行なさってください。

 彼らを殺めず制圧したのは、私という若い女性に気を遣った面もありましょうが、何より国内で手引きをした者がいるのではないかと疑っておいでだからでしょう?」

「む」

「蛮族と名高いヌディクの民が、各地に配されたジエド国軍の厳重な警戒網を飛び越えて、誰の耳に入ることもなく王都の街中に完全武装で現れるなど、まず有り得ませんものね。

 未だ婚約すら結んでいない、それも同盟国として歴の浅いぺパイオンの小娘ごとき……構っているような時間など、あろうはずも……」

「……すまない」

「謝罪は不要です。ボゾロ様に非はございませんわ」


 要するに、緊急事態ということだ。

 場合によっては、国が割れかねないレベルの。


「サウィーナ嬢」

「はい」

「俺はこのまま軍の本部に向かう。

 事と次第によりけりだが、何日と泊まり込むことになるやもしれん。

 正直、貴女には帰国を促すべき状況であると思う」

「…………はい」


 忙しくて相手を出来ないから、などという平和な理由ではない。

 帝国側が招いたとはいえ、他国の籍を持つ人間が大将軍の周囲に侍っていれば、余計な憶測を招く可能性があるからだ。

 古来より、余所者、異物という存在は、何くれと槍玉に挙げられ易い。


 だからこそ、寂しげに俯きながらも、サウィーナは反論の言葉を持てずにいた。

 だからこそ、サウィーナは次にボゾロが発したセリフをすぐには飲み込み切れなかった。


「だが、その……もしも、だ。

 サウィーナ嬢さえ構わぬのであれば、お、俺が戻るまで、屋敷を守っていて欲しいと……今後の、そう、予行演習だとでも思って」

「え?」

「他国の、無関係の人間でなければ、守りようはある。

 婚約にしろ婚姻にしろ、直接殿下に届け出ればすぐにでも成立しよう」

「え、えっ、あの……」


 珍しく、無垢な少女のように狼狽える侯爵令嬢。

 困惑に喘ぐばかりの彼女へ、大男は神妙な眼差しを向けて告げる。


「勇敢で何事にも臆せず、賢さと冷静さを兼ね備え、世情にも精通し、それでいて、可憐で健気……。

 血に塗れた凶獣には過ぎた女性だが、共にこれからを歩む者として貴女ほど相応しい人間を俺は知らない。

 いや…………いや、違うな。

 率直に言おう。

 俺はすでに貴女を愛し始めている。

 だから、妻として娶りたい。もっと深く愛せるように」


 熱い瞳がサウィーナを焦がす。

 飾り気のない言葉は、彼女の乱れる脳内にもスルリと入り込み、浸透し、反響した。


「ボゾロ様……っ」


 心臓が大きく跳ね、そのまま音を立てて走り出す。

 深い歓喜に呼応して、頬は薔薇色に染まり、瞳に涙の膜が広がっていく。


「頷いてくれるか。サウィーナ嬢」


 無骨な懇願への答えは、とっくに決まっていた。


「はいっ……はい、喜んで!」


 湧き出ずる感情の群れに背を押されて分厚い胸に飛び込めば、太く硬い腕が令嬢の繊細な肢体を優しく包み込む。



 美貌の侯爵令嬢サウィーナは、こうして、理想以上の巨漢猛者ボゾロ大将軍と、無事、婚約を結ぶに至った。

 今はまだ芽が出たばかりの互いの恋心も、そう時を待たずして、大輪の愛に変わることだろう。



 淡く夕陽に照らされる彼ら二人を、兵士達が実に様々な表情を浮かべて静かに見守っていた。








 おわり

作中に出てくる鱗馬は、麒麟(幻想生物の方)の角と髭がない感じでご想像ください。


その後の二人のおまけ小話↓

https://ncode.syosetu.com/n2319ci/29/

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― 新着の感想 ―
[良い点] けっして身体的には強くない彼女ですが、その精神力はきっとゴリゴリのマッチョをも凌ぎそうですね。 そういった意味でも強い女性は大好きです。  結婚後に夫を上手に操る(?)彼女の様子が読みたい…
[良い点] すごくよかった! 長編で読みたい。
[一言] 私もシリーズものとして短編中編での続編を希望しま〜す! こういうの大好物ですっ
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