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佐藤 善

 東京。約1400万人の人口でごった返すこの都には様々な人が住んでいる。俺もその内の一人で、しがない事務職員として東京という枠組に嵌められた一つの歯車として機能している。

 仕事を終え、中央線の帰宅ラッシュで満員の電車に乗り込む。世はブラック企業だ残業だと言うが、定時退社をしたとしてもこれだ。いかにここが人で溢れているかが判る。


 電車を降りて駅の改札を通り抜けると、まさに冬だと主張するかのように煌々(こうこう)とイルミネーションが輝いている。

 口から白い息を上げつつロングコートのポケットに両手を突っ込み自宅まで歩いていくが、それにしても寒くて仕方がない。


 帰宅してすぐにかばんを机の横へかけ、コートをハンガーにかけた。そのままスーツも脱ぎ鳥肌を立てながら部屋着に着替える。もしかしたら、主張の強いイルミネーションを見るよりもこの瞬間が一番冬を感じるのかもしれないなと思い、そんな考えが浮かぶような感受性になったのも歳のせいかもしれないと少し辟易へきえきとする。


 佐藤善さとうぜん、34歳、会社員男性。このたった三節さんせつで簡単に紹介出来てしまうのが俺という男だ。

 毎朝同じ時間に起きて、同じ時間の電車に乗り、同じ時間に退社し、たまに買い物をして帰るような、退屈な男だ。

 趣味は音楽鑑賞と小説を読む事。音楽はクラシックを聴く傾向にあり、小説はスリラーやミステリーを好む。と、趣味まで退屈な男だ。


 部屋着に着替えたらいつも通り、台所に立つ。一人暮らしも長くなると料理の腕が上がるもので、少しった物を作りがちだ。


 冷蔵庫からたらの切り身と半分に輪切りされたレモンと野菜類にバルサミコ酢を取り出す。

 鱈の切り身に塩胡椒しおこしょうをし、ビニール袋に小麦粉と共に入れてよく振る。白粉おしろいをされた切り身をオリーブオイルを引いたフライパンに乗せて中火で炒めつつも、パプリカ・ケール・赤玉ねぎを切る。頃合いを見たらフライパンにバターを入れて風味を加えよう。

 皿に焼き上がった切り身を乗せたらバルサミコ酢を適量かけ、薄くスライスしたレモンを乗せる。切った野菜類を添えて少量のドレッシングをかければ、たらのムニエルバルサミコ風味の完成だ。


 切って小分けにしたバゲットをカゴに入れ、テーブルに完成した皿と共に置き、グラスにワインを注ぐ。テレビをつけたら映画のサブスクリプションを起動させ、原作小説を読んだ事もあり気になっていた映画を流しつつ夕飯に手をつけ始める。


 こんな毎日を過ごして、自分の人間性と同じように退屈を感じてるんじゃないかと聞かれたら、答えはいなだ。俺は割と、こういった「なんて事のない日常」を気に入っている。むしろ、大変に幸せだと主張したいくらいだ。

 たしかにいい歳して独り身で寂しくはないかとか、もっと趣味を広げて刺激的な交友関係を築いてみろだとか、そういった意見もあるだろう。俺もそういった考えを否定するつもりはないし、むしろそういった意見にじゅんじればもっと楽しい日々が待っているかもしれないとまで思う。


 しかし、俺の考えはこうだ。


 こういった何気ない幸せこそが、沢山の屍を築いてきた先人達が到達したかった「理想系たる人類社会の恒久的様式こうきゅうてきようしき」なのではないか。それを精一杯享受(きょうじゅ)する事こそ、現代に生きる我々の責務せきむなのではないか。

 以前友人に呼ばれて向かった合コンで、酔った勢いでこの考えを隣の女性に話したところ「佐藤さんって面白い人なんですね」と笑顔で言われた後、俺との会話が途端に少なくなった。少しだけ、寂しい思い出だ。


 映画を観終わり風呂場へ向かう。シャワーで体を洗いつつ、やはり原作の細かいところまでは演出が行き届かないものだなと凡庸ぼんような感想を浮かべた。湯船に浸かり一日の疲れをお湯に流し込むと、明日の仕事でやらなくてはいけない事が自然と頭に浮かんできた。


 髪を乾かし、歯を磨き、パジャマを着てベッドに入る。電気を消して目を閉じると、自然と意識が落ちていった。

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