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第三話 本当の名前

 俺の入っていた培養槽があるのは魔術工房の地下で、浴室は地上部分にある。


 貴族や富豪の家でしか見ないようなバスタブが置かれていて、火術の魔術具で井戸水を温める設備がある。『鋼の城』にいたころは風呂の設備に頓着しなかったが、任務で各地を回っていてもここまで整った浴室は珍しいと思った。


「では、お風呂から上がったらこちらの着替えを着てくださいね。工房の見習いという感じの服を用意しました。それとも魔術師らしい服が良かったですか?」

「いや、見るからに魔術師という格好は当面必要ないだろう」

「当面は、ですね。では、用意はしておいた方が良さそうですね」

「……何か楽しそうだな」

「それはもう。クレイ……シード君のこれからを、私が一番楽しみにしていますから」


 興味がないと言われるよりはいいが、あまり優しくされるのは性に合わない。こちらから見返りを出せなければ均衡が崩れていると感じるからだ。


「さっきも言っていましたけど、恩に報いるとか、何かお礼をしなきゃとか、そういうのは全部なしで大丈夫ですよ。シード君がそれで落ち着かないなら、貸し二つくらいで考えておきますが」

「二つ……器を用意してくれたことと、もう一つは何だ?」

「ここに暮らしてもらうことですよ。あ、この言い方だと私がお願いしてる形ですから、やっぱり貸しは一つですね。それとも相殺しちゃってますか?」


 どうしてそこまで――と言っても、彼女は今のようにふわふわと笑うだけだろう。


「聖女様にお部屋を使っていただいても、まだ部屋は空いていますし」

「そうか……家賃と食費は稼いでこよう、魔術師ができるような仕事はあるか?」

「お金のことも考えなくて大丈夫ですが、『鋼の城』にいたころは、任務の報酬はどうなっていたんですか?」

「……そんなものは無いな」


 ミレイナは半ば分かっていて聞いたらしく、呆れたように帽子の鍔を引っ張り、顔を隠す。


「やっぱり、十分に尽くしてきたと思いますよ。シード君は」

「……最後には、自分を育てた場所に弓引くような不良魔術師だがな」

「弓引くと、決めてはいるんですね」


 妹を『鋼の城』から解放する。そして俺やミレイナ、『鋼の城』の干渉の外にいる魔術師たちを、本当の意味で自由にする。


 それは『鋼の城』を根本から変えるということだ。まず『鋼の城』の特級魔術師たち、そして保有する古代魔術具に対抗する力を得なくてはならない。


「アーシャリス様もおっしゃっていましたが、古代魔術具や、それぞれ得意とする術式が異なる特級魔術師たちを相手にするには、こちらにも相応の準備が必要になります」

「そうだな。新しい術式を覚えるのは必須として、仲間を増やすか……」

「……私のことも戦力と数えてくれていますか?」

「巻き込むわけにはいかないと言いたいが、それを言うには遅いか」


 そう言うと、ミレイナが俺を見つめてくる――深い瑠璃色の瞳は、見ていると吸い込まれそうだと感じる。


「……あっ。で、では……そんな格好でいると風邪を引いてしまいますし、ゆっくりお風呂に入ってきてくださいね。お湯を作る魔術具の調節はできますか?」

「火勢の調節は魔力制御の基本だからな。感覚を戻しておきたい」

「くれぐれも慎重にお願いしますね、シード君といえど、新しい身体は試運転中と思ってください」


 ミレイナは微笑み、俺を残してドアを閉める。


「……ん?」


 彼女が出ていったあと、脱衣所の棚に何か置いてある。俺の着替えではなく、それは女性物の服だった。


 これが何を意味するのか――と真面目に聞くと何かミレイナを怒らせそうな気がするので、あえて触れずに意識の底へと封じた。


   ◆◇◆


「ミレイナ……さん、服を着てみたがおかしくないか?」


 工房見習いらしい服というが、思ったより仕立てが良く、着心地は悪くない。だが十二、三歳に相応の服を着るのは落ち着かないものがあった。


「すごくお似合いですよ、シード君。うちの子として、どこに出しても恥ずかしくないです」

「それはどうか知らないが……少し周辺を見てきてもいいか?」

「はい。聖女様は、今日は丘の上の方にいらっしゃると思います。町の東にある城壁には近づかないようにしてくださいね、警戒が厳しくなっていますから」

「……その城壁というのは、国境壁のことか?」


 ミレイナは頷く。その瞳が陰るように見えたが、すぐに彼女は笑顔を見せた。


「壁の向こうはお隣の国との緩衝地帯になっているんです。その辺りで魔物の群れが発生したとか……中央から調査が来ることになっています」

「……そんな情報が入ってくるのか?」

「祖母のこともあって、私も名前は知られていますから。守備隊にも知り合いがいますし」


 ミレイナははっきりと言わないが、緩衝地帯の異変について知らされるということは、辺境の守備隊から協力を求められているということだ。


「これは私……いえ、この町全体の問題ですから、何も心配はいりませんよ。今までもあったことですから」


 国の中央から離れるほど、魔物の脅威は大きなものとなる。それを分かっていて、人々には辺境に暮らす理由がある。生まれ育った土地、愛着のある場所――辺境に暮らすこと、それ自体が国にとっての役割ということもある。


「一人で抱え込むことは無いと思うぞ。俺もいるし……神を戦力に数えるのもどうかと思うが、アーシャリスがいる」

「ふふっ……そうですね、私たちには神様がついていますから。それにシード君も」


 ミレイナはそう言うが、少し注意して見ておかなければと思う。


 当面この町を拠点とする以上は、地盤を固めることが必要だ。外敵の脅威があるならば、それを払うのは必然と言える。


「……どうしましたか?」

「いや、何でもない。ひとまず、あいつに会ってくる」

「行ってらっしゃい。夕食は、今日は外で摂りましょうか」

「ああ、分かった」


   ◆◇◆


 ミレイナの家を出て、町の北側にある丘に向かう。


 俺は花の名前に詳しくないが、辺り一面に花が咲いている。その中に、銀色の髪をした少女がいて、子供たちと一緒に花輪を作っていた。


「……はい、これで完成です」

「わあ、お姉ちゃんありがとう!」


 近隣の家の子供だろう、嬉しそうに花輪をつけたままで走っていく。


 それを見送ったあと、彼女――アーシャレルトは、俺がいることに気づき、手を振ってきた。


「すみません、クレイドさん……あなたが目覚めるときは、近くにいたかったのですが」

「随分、子供に好かれてるんだな。それも一種の才能だ」

「い、いえ……みんな、良い子たちで。アーシャリス様は、私に代わってしまいましたが」


 あの女神が、子供と遊ぶのが苦手そうだというのは――何というか、想像通りだ。


「……失礼なことを考えているな。それが、魂を預けた相手に対する態度か」


 花のように微笑む聖女から、女神に入れ替わる――目が変わるだけで、これだけ違う人物に見えるのかと感心する。


「まずは、礼を言っておく。拘束術式から抜け出せたのは、あんたのおかげだ」

「完全な形ではない。分割したおまえの魂と、クレイドの身体は囚われたままではないか」

「……それを必要な犠牲というのも違うか。取り返すべきものの一つだな」

「おまえは自分のことに無頓着がすぎるな。我の方が一個の人間を案じているのは気分が悪い」


 思ったよりも、この女神は――と、彼女を測るようなことを考えるのは不敬にあたる。


「そうだ、自分の立場を弁えよ……と、戯れている場合ではない。新たな身体は馴染んでいるか?」

「少し慣らせば魔術の扱い自体は問題ない。術式を織る速度も衰えてはないな」

「その『人造素体』は、魔術を扱うために作られたようなもの。ミレイナには見るべき才能がある……だが、クレイド。おまえと出会わなければ、この地でただ埋もれていただろう」

「今はシードと名乗ることにした。慣れるには少しかかりそうだが」

「……シード。ミレイナが何か言っていたが、そういうことか」


 どういうことかと尋ねる前に、女神の気配が消える。入れ替わった聖女は――なぜか、その顔を真っ赤に染めていく。


「……どうした?」

「っ……アーシャリス様、どうして今……いえ、その……」

「落ち着いて、深呼吸でもしてくれ」


 今の状態では、俺よりも聖女の方が背が高い――もう少し少年らしくしないと、町の人々には違和感を持って見られるだろうか。


「……シードさん……そう、お呼びした方がいいんですよね」

「ああ。『さん』は要らないが……」


 ――私の、本当の名前を呼んでくださいませんか。『アーシャレルト』ではない名前を。


 神殿から彼女を連れ出すとき、言われたことを思い出す。


 なぜ、これほど緊張しているのか。それは俺に対して身構えているからというより――あの約束を、覚えているからか。


「……今が、その時か。約束だったな」

「……覚えていてくださったんですか?」

「魂に記憶は付随する……ということらしい。元から物覚えは悪くはないんだ」

「っ……」


 そんな反応をされると、こちらも尋ねにくくなる。


 これが、気後れするということか。こんな感情が自分にあったことさえ忘れていた。


「私の本当の名前は、シャルムと言います」

「……シャルム。これからは、そう呼べばいいのか」

「はい。よろしくお願いします、シードさん」


 シャルムは俺に手を差し出す。握手を求められているのだと気づくまで少しかかったが――握り返すと、もう一つの手で包まれる。


「……こういうときには、出ていらっしゃらないんですよ」


 囁くような声で言うシャルム。俺には、それを聞きながら苦い顔をするアーシャリスが想像できていた。


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