第一話 幽閉と再生
『鋼の城』という機関は、四百年前の『聖戦』において活躍した魔術師たちが、アスカーナ国王から与えられた小さな古城が始まりだと言われている。
魔術師はそれまで、公にその価値を認められる存在ではなかった。魔術師たちは魔術を使えない人間たちと関わりを持たず、人間でありながら、いわば異種族のような扱いを受けていた。
――その状況は、魔術師が戦争の結果を変えたことで大きく変化する。
魔術師は国王の庇護を受け、一部は貴族の中に食い込むほどの特権を与えられた。権力構造を覆されることを恐れた貴族たちは激しく抵抗したが、『鋼の城』が選択したのは国の内側での抗争ではなく『懐柔』だった。
『鋼の城』は国王だけでなく、貴族にも魔術師の力を貸し、魔術の利便性という毒で自らの地位を盤石にした。
小さな古城は拡張を繰り返し、ごく初期に三つの分城が作られた。そのうちの一つは魔術師たちから、畏怖を込めて『監獄』と呼ばれている。
その名の通り、ここは魔術師にとっての監獄だ。
『鋼の城』に戻った俺は、罪を犯した魔術師が送られる裁判所に出頭させられた。
逃げるという選択はない。俺の魂を縛る拘束術式がその選択を否定し、『鋼の城』に忠節を尽くせという言葉で思考を塗り潰す。
意識が何度も途切れ、気がつけば俺は、がらんどうな空間の底にいた。
高く離れた場所にある幾つかの窓から、こちらに突き刺さるように日光が差し込んでいる。それぞれの窓には、光を背にして立つ魔術師たち――全員の姿に覚えがある、いずれも特級だ。
そのうちの一人が、口を開く。俺を高くから見下ろしながら、その男は――笑っていた。
「クレイド・ルーザス。君は聖王陛下の発した勅であり、『鋼の城』の威信をかけた任務に失敗した」
特級魔術師の一人、エルガル。俺が特級に上がる前から悪意を向けてきていた男だ。
その理由は、俺がじきにエルガルの序列を追い抜くと言われていたことだろう。序列を上げることに執心しない魔術師もいれば、無論その逆もある。
「聖女アーシャレルトは神殿から姿を消した。クレイド、君ともあろう者が、接近を察知されて任務対象に逃げられたというわけだ。上層部は君に失望している」
「前置きは要らない。判決はもう決まっているんだろう」
俺の言葉を強がりと受け取ったのか、エルガルは長い金髪をかき上げる――口の端を吊り上げ、愉悦を隠そうともしない。
「『鋼の城』は君の魔術行使権を剥奪し、幽閉する。君の特級たるゆえん……『不死の魔術師』としての能力は、保存するに足るものだ。処刑するには惜しいと上層部は判断している」
「保存……幽閉の間違いじゃないのか?」
「我々は、それを『魔術による死』と呼ぶ。自らの意志では抜け出せない異空間で、ただ一人無為に流れ続ける時間を体感する。魔術師でなければ一日も持たずに発狂し、魔術師でもいずれは意識が風化し、植物と変わらなくなる」
監獄に送られた特級魔術師は、死罪と認定された場合は処刑に等しい刑罰を受ける。その刑罰を受けて監獄から出てきたものはいない。
「君は神とともに、聖女を殺めなければならなかった。『鋼の城』は聖王の信頼を裏切り、逃げ出した神による恐怖は人々を蝕むだろう」
「聖女が神殿から消えたことを、お前の言う『人々』が知ることは……」
「――誰が口を開いていいと言った!」
「ぐっ……ぁ……あぁっ……!」
エルガルの得意とする雷の魔術。その用途は主に拷問だと揶揄されている――魔術の撃ち合いを好まず、エルガルは狙う相手を罠で嵌め、魔術は責め苦を与えるために使う。
言ってしまえば、俺とは全く趣味の合わない魔術師だ。それもまた、エルガルに気に入られない理由だろう。
もっとも、俺を殺したいとまで思っているとは――いや、そんな甘いことを言うつもりもない。
「神経が焼ききれるほどの雷撃……それでも君は、拘束術式の制限を受けずに肉体を再生させている。君は間違いなく怪物だよ。しかし今はまだ未完成で、僕のような凡愚の前に膝をついている」
「……思ってもないことを言うのは、止めたらどうだ。顔に出てるぜ」
「僕は君を評価していた。しかし評価している相手をこうして凌駕していくんだ。君がそうやって無様に転んだことも、すぐに忘れられるさ。クレイド……君の妹も含めてね」
俺を見下ろしている特級魔術師の一人――その中に、妹がいる。
「特級魔術師ティアナ。君には兄であるクレイドの研究を引き継ぎ、管理する権限を与える」
「……罪人の研究を、私が引き継いでも良いと?」
「君は上層部の覚えがいい。肉親であっても、この裁判の場において干渉を試みる兆しもない。これは君に対する信頼の証左だよ」
「分かりました。彼の研究は私の管理下に置きます」
妹の表情は見えない。ただ、淡々とした声が聞こえてくるだけだ。
エルガルか、彼と繋がった魔術師に俺の研究を弄られるよりは、まだ妹の方がいい。しかし妹もまた、上層部の要請を受ければ情報の開示を拒否しないだろう。
「すべては『鋼の城』の意志のままに」
ティアナにとっては、自分を育てたこの『鋼の城』が全てであり、上層部の命令は絶対だ。
魔術師として成長する過程のどこかで、妹は何者かによって洗脳を受けた。俺は『ティアナ自身の意志』を、もう五年は見ていない。
だが、俺が処刑されてもティアナに累が及ばないという状況も、妹が『鋼の城』に忠誠を誓っているからこそだ。
解放は容易ではない。だが、必ず取り戻す――妹、そしてここに残していく何もかもを。
「クレイド・ルーザス。聖女暗殺任務の失敗、『鋼の城』に対する重大な背信により、君を大罪者と認定する。刑罰は即時執行される」
エルガルが手を上げると、上級魔術師が二人やってきて俺を連行していく。
魔術を封じられていても、彼らは俺に触れることを恐れていた――だが、俺が素直に歩き始めると、そのうちの一人が言った。
「クレイドさん……俺はあなたに憧れていました。こんなことになって、残念です」
俺は応じる言葉を持たなかった。
彼が俺に憧れていたとしても、当の俺が『鋼の城』に縛られた自分を肯定していないのだから。
◆◇◆
『魔術による死』――その刑罰を執行するには、『鋼の城』において秘術とされる『時空転移』の魔術を利用する。
『時空転移』によって、『鋼の城』が保有する異空間『虚空の間』に受刑者を転送する。自分の意志で抜け出すことはできず、自害もできない。
執行者はエルガルだった。彼の魔術が俺より優れているということはなく、上層部から貸し出された古代魔術具を使ってのことだ。
古代魔術具は神の手で作られたとされる。アーシャリスがあらかじめ『魔術による死』を防ぐような術式を施せなかったのは、それが理由だ。
(古代魔術具に対抗する手段がなければ、どれだけ魔術を極めても十分とはいえない。ただ『死なない』というだけでは、まだ弱い)
魔術師として何を目指すのか、多くの魔術師が夢見るのは『強くなること』だろう。
俺の場合は自由を手に入れること、そしてこの世全ての魔術を手に入れること。他の魔術師がそれを目標にしないのは、求めても手に入らない魔術がこの世界に多すぎるからだ。
そして人間には寿命があり、魔力は全盛期を迎えたあとは衰えていく。
(『不死の魔術師』でも不老じゃない。与えられた時間は有限で――何の手立てもなくこの『虚空の間』に送られていたら、そこで終わっていただろう)
『虚空の間』に送られた『クレイド・ルーザス』の身体。そこに宿る魂は、分割された片割れだ。
時空転移を行うその瞬間に、俺は自分の魂が二つに分かれていること、この世界に俺という存在が二つあることを再び意識した。
『虚空の間』にある自分の意識は、一度眠らせる。
聖女の身体に施した血印、そこに宿る俺の魂。そちらを目覚めさせ、動き出す。
――上手く行っていると思いたい。俺の魂を入れる新たな器を用意してくれる魔術師は、信頼はできる人物だ。
それほどのことをしてもらうのに、一生かけても報いられるか分からない。彼女はそんなことを言えば、『目的が一致しただけです』と笑うのだろうが。