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プロローグ・1

 この世界においては、魔術の実力が人の運命を決定づける。


 王国内の魔術師が集う『鋼の城』に俺と妹が引き取られたのは、魔術の才能があったからだ。両親はそれなりの見返りを得ただろうが、売られたことを恨むような気持ちはない。


 魔術の実力さえあれば『鋼の城』において日々の糧に困ることはなかった。初めは俺と妹が迫害を受けないようにという思いはあったが、そのうちに俺も妹も悟っていった。


 ――俺たちの力は『鋼の城』の上層部にとって利用価値がある。


 俺は十歳で中級魔術師となり、十二歳で上級に上がり、十五歳で特級と認定された。


 史上最年少の特級魔術師。『鋼の城』が始まって以来の才能と言われもしたが、実情は使い潰されるだけの駒だった。


 『鋼の城』は俺を育てた代わりに、俺の力を徹底的に利用した。『鋼の城』に依頼を持ち込む権力者にとっては、俺は顔を見ることもなく要求を満たしてくれる便利屋だっただろう。


 そんな自分の立場に疑問を持つことは許されなかった。もし任務を放棄しようものなら『鋼の城』はいつでも俺の魔術を封じ、無力化することができるからだ。


 『鋼の城』は魔術師を支配することでその権力を築き上げた。魔術師たちが必ず経験する通過儀礼を通して、反逆者の魔術を封じる術式を施していたのだ。


 逃げ出すことのできない牢獄。


 ここが牢獄だと知らず、苦痛を感じていない妹。救いたいと願っても、『鋼の城』の支配から逃れる方法は見つからない。


 魂にまで刻まれた拘束術式。それを解除する方法は『鋼の城』の最重要機密であり、近づこうとするだけで危険因子と目される。


 俺はどうしても自由を手に入れたかった。生涯の全てを『鋼の城』に捧げるのではなく、違う世界を見たかった。


 ただ任務を遂行するだけの日々の中で、その願いが擦り切れかけた頃。


 ――俺は初めて『鋼の城』の命令に逆らい、罪人へと落とされた。


   ◆◇◆


 『鋼の城』はアスカーナ聖王国の統治者である、聖王直属の魔術機関である。


 聖王にとって『鋼の城』が右腕ならば、左腕は『神殿』である。神殿の権力を支えているものは、神を宿す力を持つという聖女の存在だ。


 聖女は『アーシャレルト』の名で呼ばれていた。アスカーナ聖教において神聖な意味を持つというその名は、民衆にとって神に等しく畏敬の対象だった。


 アスカーナ聖教の神について、伝承では二つの顔があると語られている。豊穣をもたらす善神としての側面、そしてひとたび人間が怒りを買えば、国一つを容易に滅ぼす破壊の神としての側面である。


 聖女は代々その身に神を宿し、封印し続けてきた。それはこれからも同じであるはずだった――しかし。


 『鋼の城』が俺に命令を下した。今代の聖女を殺し、諸共に神を滅ぼせと。


 聖女がいるという神殿に潜入するのは容易だった。神殿兵を倒し、時には魔術で催眠をかけて聖女の居場所を聞き出し、神殿の深部にまで入り込んだ。


 魔術と本質的に変わらないが、力を借りる対象が違う『聖術』――神殿兵にもその使い手はいたが、『鋼の城』の特級魔術師に及ぶ力を持つ者はいなかった。ようやく上級に相当するという手練もいたが、体術の鍛錬が甘く、俺の相手にはなりえなかった。


 ――そしてたどり着いたのは、聖女の居室としてはあまりに殺風景な、石造りの部屋だった。


 遥か高い天井から差し込む淡い月光に照らされ、彼女はベッドに座ってこちらを見ていた。


「あなたは……」


 その両足には鉄の輪を嵌められ、鎖の先には鉄球が転がっている。元は銀色だろう長い髪は、ずっと沐浴さえ許されていないのか、くすんだ灰色に変わっている。


 そして目には布を厳重に巻かれている。魔術で音を消している俺の存在を察知することはできないはずだ――しかし彼女は、俺が見えているかのように振る舞った。


「……あんたが『アーシャレルト』か?」


 上層部から出された命令は『聖女を暗殺せよ』というだけ。彼女が答えても答えなくても、次の瞬間に攻撃魔術を撃つ。


 迷う余地はない。上層部に逆らえば魔術を封じられ、処罰を受けることになる――使えない犬は存在自体が罪だとされる。


 それが『鋼の城』の実態だと知っている者は少ない。目の前にいる彼女も、何も知らないままに死んでいく。


「あなたは、私を殺しに来たのですね」


 術式を織り上げ、魔力を送り込んで発動させる。


 呼吸をするように繰り返したその所作を止めたのは、命乞いをしない相手に対する興味からだった。


「あんたの身体には神が宿っているらしいな。アスカーナ教徒は誰もがあんたを恐れ、敬っている……こんな扱いを受けているとは知らずにな」


 皮肉を言ったつもりだった。


 しかし、頼りない燭台の明かりの中で、彼女は――確かに、微笑んでいた。


「民が何も知らぬからこそ、我に向けられる感情は絶対的なものとなる」


 ゾクリと肌が粟立ち、俺は魔術を放とうと構えた手を引いていた。


 聖女が、聖女ではない()()に、入れ替わっている。


 思えば、この部屋に来た時から感じてはいた。錆びた鉄の匂い――部屋のあちこちに残された黒ずんだ跡。


 それは彼女自身と、それ以外の誰かの血が流れた痕跡だった。


 聖女に宿る神――その怒りに触れて罰せられた者がいる。つまり、神は今、自らの意志で顕現することができるということだ。


「この娘を害しようとした者は、他にもいた。神殿に潜り込んでいた間者……ここに食事を持ってくる者が、先刻毒を仕込んできたばかりだ」

「……そいつを殺したのか?」

「我に盛った毒をそのまま食べさせた。この身体に宿っていても、それくらいのことは造作もない」


 本当に何でもないことだというように笑う。拷問を受けているとも言えるその姿を、彼女は憐れみの目で見ることを許さない。


 彼女はベッドの上で胡座を組んで座り、頬杖を突いてこちらを見た。まるでこちらの心を見透かす隠者か何かのように。


「どのような封印()も、いつかは読み解くことができる。他神が力を貸したとはいえ、三百年も封じられるとは思わなかったが……一度解放されれば同じ轍は踏まない」

「他神……そんな話を神殿長が聞いたら、どんな顔をするだろうな」

「アスカーナ教の崇拝する唯一神が、異教の神の力を借りて封じられていた。それはさぞ、都合の悪い事実であろうな」

「その崇拝の対象を、こんな扱いにしてるのはどういう理由(わけ)だ?」

「神を宿した聖女を、逃がすわけにはいかぬということよ。この娘は何も話さぬであろうがな。一度は目も焼かれた。手と足の腱を切られもした。そのどちらも、我の力で治癒したがな」


 善悪二つの顔を持つとされる不安定な神を、聖女ごと滅ぼす。


 それは誰かにとっては必要なことなのかもしれないと、今の今まで、俺は自分を納得させていた。


「人間はいつでも建前を使う。神を宿した聖女という偶像を布教に利用し、その裏では封印されたままの神を意のままにしたいと願っている。それでも神殿長はこの娘の目すら見ようとしない。この身体に宿る我に見られることを恐れているのだ。我を崇めながら、自らの権でねじ伏せたい……そんな欲望を読み取られることをな」


 ――考えないようにしていた疑問が、首を(もた)げる。


 彼女は、それほどに苛烈な仕打ちを受けなければならない人間なのか。善だ悪だと言うなら、俺が今遂行しようとしている任務こそが――。


「この娘の傷は癒えたが、この神殿の人間は残らず殺さねばならん」


 目の前にいるのが聖女に宿る神だとして、その言葉をありのままに聞き入れる理由はない。


 しかし神殿の全員を皆殺しにするというのは、彼女の受けた仕打ちに対して正当な復讐をすると、そう言っているだけではないのか。


「私はそんなことを望んではいません。神殿には、何も知らない人たちも多くいます」


 聖女の人格が表に出ると、座り方や立ち居振る舞いも全く変わる。


 演技ではないことは、見れば分かる。聖女ともう一人では、魔力の次元が違う。


「……魔力は万物の魂を根源とする。聖女には、もうひとつ別の魂が宿っている。つまり、あんただ」

「それを確信するには、優れた魔術師である必要がある。おまえの力は、人間としては並外れている……しかし、それはあくまで人としての範疇でしかない。人の常識に縛られているうちは、その『枷』からは抜け出せまい」


 その言葉に、俺は震えた。


 魂にかけられた呪縛とも言うべき、忌まわしい術式。それを解くために、俺が求め続けていた魔術の手がかりを、アーシャレルト――彼女に宿る神が持っているかもしれない。


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