第十章 牙を持つ者 <3>
作者のヒロユキです。
この作品は現在連載途中ですが、すでに最後まで内容を書き終えていますので、これから微調整をしながら、一日一回ではなく、間隔を早めて二回ずつ更新していきたいと思います。
そして、朝食を済ませた二人は再び学校の校門をくぐった。校舎の大時計は九時を回ったところで、校内には部活の練習に来た生徒たちがちらほら見受けられる。
成実は清人を先導し、事務室に向かうと、図書室の鍵を貸してもらえるように頼んだ。
「一応今日は、管理者の先生が来られないから、休みの日なんだがね。たぶん、君らぐらいしか使わないだろうから、鍵の管理はしっかり頼むよ」
「はい、分かってます」
事務員の説明に元気よくお辞儀をして、彼女は鍵を受け取って微笑んだ。
階段を上がり、休日のがらんとした校舎の廊下を通って、二人は図書室の前まで来る。
成実が鍵を開け、先に室内に入る。何の説明もないまま、自分ひとりで本棚の方まで歩いていき、一冊の本を持ってきた。
「あれ、それは……」
彼女が持ってきたのは、清人が以前、キメラに関して資料を探していたときに、成実に見せたものだった。
「これよ、これを探していたの」
成実は誰も居ない、図書室のカウンター横の閲覧席で、ぱらぱらと捲り、問題のキメラのページに行き着いた。
そして、そのページの文章を読むのかと思いきや、怪物に関する挿絵をなにやら必死の形相で見つめている。
すると、突然、
「ああ、これよ。これ」
となにやらページの一部分を指差した。
「なんですか?」
目を向けると、そこに描かれていたのは、白いたてがみのペガサスに乗った一人の戦士の絵だった。その勇猛果敢な様は、一種の神々しさすら感じさせる鮮やかな絵で描かれていた。
「英雄、ベレロフォン……」
成実がそれよ、と指を鳴らす。
「実は、昨日から気になってたのよ。キメラを倒したっていう英雄のこと」
「なぜそれが引っかかっているのか、僕には分かりません」
「言ってたじゃない、清人君。キメラって物語の最後でこの人に倒されるんでしょ。それが普通だろうとかなんとか、偉そうに話してたわよね」
「偉そうか、は別として、確かに言いましたが」
清人はしばし以前の記憶を探って頷いた。しかし、それが今回のことにどう結びついているのか、よく分からない。
「そこで出てくるのが、犯人が流してたキメラの噂よ」
「今度は噂ですか」
「これも昨日あなたが言ってたことよ。犯人の目的は『来るべき時』だって」
「ええ、はい。ってまさか」
清人はそこでようやくその事柄が結ぶ意外な結論に気がついた。
つまり、もし、この事件がキメラの物語に乗っ取って行われているとしたら。結末を犯人がそう考えているとしたら、という不気味な仮定である。
だが、もしそうだとしたら、
「そうよ。犯人は待っていたのよ」
重々しく、成実の言葉が響く。
「キメラを倒してくれる英雄が現れる《・・・》ことを」
「ど、どういうことですか? 犯人はキメラを倒してくれることを望んでいたんですか?」
清人にはまるで意味が理解できない。
「さあ、それはよく分からないけど、英雄の出現を望んでいたんじゃないのかしら。そして、それこそが犯人の真の目的」
「でも、その英雄って誰です?」
そうだ、まだ清人には分からないことがある。犯人がこんな事件まで起こして待ち望んだ英雄とは誰なのか。
「実はね、つい二日前、私はこのベレロフォンの絵をあるお宅で拝見したの。アルバムの最後のページでね」
「え?」
「それに、そこへ向かう車の中で、妻沢君だっていってたじゃない。英雄がどうのこうのって、ずいぶん熱っぽく」
成実にそう言われ、清人は血の気が引くのを感じる。
そして、脳内で、二日前リムジンの中で話したことを瞬時に思い出した。そして、それが導くことがどういう意味なのか、理解する。
成実の言うことが本当なら。
彼女が言う、事件の黒幕って。
「まあ、それはあくまで推測。後は本人から聞かせてもらいましょうか。そこで聞いてるんでしょ、入ってきたらどう?」
「先輩、本人って」
清人がそういいかけて、背後の入り口のドアが開いた。静かに靴音を響かせて、一人の人物が入ってくる。
振り返りながら、清人はその少年の姿を眼に捉えた。つい、二日前に会ったばかりのその少年の姿を。
茶に染めた髪を片手で払いながら、もう片方の手をポケットに突っ込んで、仙崎透が立っていた。
「すごいな、分かってのか」
透は言葉の割りに、少しも冷静さを失っていない、むしろ余裕さえ感じさせる口調で言った。
「あなたって、尾行が下手ね。体育館のところから気づいてたわ」
観念したように透が肩をすくめる。
「最初からか、これは参ったぜ。上手く隠れていたつもりだったんだがな」
「何か見られてるって、視線に気がついたの。いつだったか、ここで妻沢君と調べ物をしていたときに感じた視線もあなただったでしょ?」
清人は成実が体育館を離れるとき、不審げに周囲を振り返っていたのを思い出した。彼には察知することが出来なかったが、おそらくあの時、彼女は自分たちとは違う第三者の気配を察知してたのだ。
しかも、透の口ぶりから、どうやら今までずっと後をつけられていたらしい。
しかし、全く気がつかなかった。
「ご明察。あれにも気がつかれていたとは、正直驚きだ。一瞬目があった気がしたのは覚えているが、まさかそれだけで、とはね」
「女をなめない方がいいわよ。勘が鋭いんだから」
「あの、ちょっと」
清人は自分が話に置いていかれている気がして、そこで口を挟む。
「仙崎さんだったんですか?」
「だからそう言ってるだろ。尾行してたって……」
「そうじゃなくて、この事件を起こした人間ことかってことです」
「ああ、そっちのことか。そうだ、俺がやった」
あまりにもあっさりと彼は肯定する。その軽々しさは、「食器? それなら俺が洗っておいたよ」という日常程度の会話と同列にも聞こえるほどだ。
それに対し度肝を抜かれ、椅子から飛び上がりそうになる清人だったが、成実がさらに追い討ちをかける。
「そうよ。彼こそが今回の事件の首謀者。キメラの正体よ」
「しゅ、首謀者? 本当に?」
「そうだぜ。俺がこの事件を全て計画し、実行に移した張本人だ」
これまた、ためらいもなく首肯する透。
「あの三人を使って記憶喪失になった振りをさせ、狂言の失踪事件を起こしたのね?」
「おいおい、そんなことまで分かってたのか」
そこで初めて彼は本当に驚いた表情を見せる。てっきり、その推理を知っていたのだと思っていた成実は目を見張る。
「当たり前じゃない。そこまで考えて、あなたが事件を起こした人間であるところまで行き着いたのだもの」
「ああ、なるほどね。全部バレバレか」
彼は手のひらをひらひらとさせて、力が抜けたように二人の手前の椅子に座った。
至近距離に彼が来たことで清人はいつでも立ち上がれるように身構える。事件の犯人だと分かった以上、油断できないと思ったのだ。
そういう人間というものは、いつ隠し持ったナイフで胸元を一突きされるか分かったものではない。
しかし、彼はそんな清人を見て笑いながら、大丈夫だ、と首を振る。
「別に危害を加えるつもりはないって。俺は話しあいに来たんだから」
「本当ですね?」
清人は念を押す。すると透の表情が少し強張る。
「お前、妻沢って言ったか? あのな、俺はそんなことで嘘はつかない。信用しろ」
「これだけの大騒ぎを起こしておいて、そんな人間を信用しろと? 無茶言わないでください」
成実は強い警戒を込めた睨みで透を牽制する清人の肩を持った。
「大丈夫よ。彼から敵意は感じないわ。落ち着きなさい」
「でも……」
「いいから、腰を下ろしなさい」
そう言われて、彼は渋々ながら警戒のレベルを下げたようだった。ちらちらと透に視線を送りながらも、椅子に座る。
「ご理解、感謝する」
丁寧に透は礼をした。
「それはどうも。話し会いをしにきたのよね。それはどういうこと?」
「まあ、分かってるんだと思うが、昨日の夜、あんたらを襲ったのは俺たちだ。正確に言うと、俺と叶野さんだが」
「叶野って、あの運転手の?」
成実はタバコを吸い、くたびれたシャツでリムジンを運転していた中年の男を思い出す。およそ、お金持ちとは無縁そうなだらしなさがにじみ出ている男だった。
「そう、この件にはあの人にも協力してもらっていた。手伝ってくれる人は俺の家にはいないからな」
「そう、あの人も共犯。それで? 続きを話して」
「……実は、あんたら新聞部が事件のことを調べていると知った時点で、俺は警戒していた。自分の計画が邪魔されるんじゃないかと、冷や冷やしていたというわけだ」
彼はそう言って、ユーモアのつもりか、掻いてもいない、額の汗を拭う振りをする。
「この前、篠田が行方不明になった事件であんたらを呼んだのは、どのくらい事件について、積極的に調査をしているか気になったからだ」
「なるほど、その度合いによっては、自分の計画に支障が出ると思ったわけね」
「そうだ。それでその結果、言葉は悪いが『目障り』だとという結論に達した。あんたら二人はそれなりに頭が切れそうだったからな。余計な影響が出る前にすぐさま、迅速に手を打った方がいい、そう考えた」
「お褒めに預かり光栄ね」
成実は薄い微笑で透に返答する。だがそれが、上辺だけの言葉で感情のないジョークだとはすぐに分かった。
「いやいや、光栄だなんてとんでもない。話を戻すが、そういった理由で、昨日の騒動を起こした。あれであんたらが懲りてもう事件の調査をしなくなってくれればよかったんだが、朝になるまで待って尾行してみると、こうして、図書館に来てまだ調査をしている」
徹は作戦が失敗したと考え、それで全てを諦めると、成実たちに直接対話を申し入れると同時に、交換条件を提示することにしたのだと言う。
「交換条件?」
「事件の全てを話すから、黙ってて欲しいってことだ」
「それはまた虫がいい話ですね。知りたい情報を教えるから、新聞部に黙秘しろと? 相談する相手が違うんじゃないですか?」
清人がここぞとばかり身を乗り出し、透の提案に敵意をむき出しにする。
「ちょっと、妻沢君、待ちなさい」
「で、ですが」
「仙崎君、とにかくこの事件のあらましを話してもらえるかしら。私達がそれを黙っておくかどうかはそれから判断させてもらうわ。それでもいい?」
「ああ、もはやこっちがどうこう言える立場ではないと思ってる。もしここで交渉が決裂すれば俺はあんたらを止めることは出来ないと思うし」
それじゃあ、と彼は椅子の上に深く座り、体勢を整えなおすと、事件の全てをとつとつと語り始めた。