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第九章 閉ざされて、二人 <2>

「私のお父さんはね、昔から、家にいたことがあまり無いんだ」

「ジャーナリストだから、ですか?」

「そ、お父さんの場合、ジャーナリストの中でも、戦争とか紛争地帯に出かけていって、そこの状況をリポートや記事を書く仕事してるんだ。いわゆる、戦争ジャーナリストっていう区分になるのかな」

「せ、戦争地帯に行ってるんですか?」


 清人は驚いて素っ頓狂な声を出す。


「そうよ、嘘偽りの無い、生きるか死ぬかの本物の人と人との戦い、そんな場所で活動しているの」

「それは……すごいですね」


 清人は感想を言おうとして、言葉が迷子になり、そんなことを言ってしまった。誰にでも言える、小学生レベルの感想である。


「すごい?」


 成実も顔をしかめる。


「いえ、すごいと言っていいのか、とにかく、日本にいる僕には、想像もつかないことで、とても、立派なことだと思います」


 彼女はそれを聞いて、納得したように頷く。


「立派、か。確かに誰でも出来ることじゃないわよね。安全地帯にいるのではなく、自分から望んでそんな場所に行くのだから」

「当然、危険な目にも会うわけですよね」

「そりゃもう。小さい頃だったから私はよく覚えてないけど、母に聞かされたことには、銃を突きつけられたりしたことも何度もあったらしいわよ。撃ち殺されそうになったって。ミサイルが頭をかすめて飛んで行ったこともあるって言ってたかな」


 そこで清人は成実の言葉のニュアンスに引っかかりを覚える。

 小さい頃。

 母から聞かされた。

 まるで、今は父親が存在していないかのような。


「あの、先輩。も、もしかして」


 すると、彼女は清人の反応を見越していたように、こう喋りだした。


「お父さんはね、もう十年以上も家に戻ってきてないの」


 それを聞いて、二の句を継げなくなる。自分は質問で、聞くべきではない彼女の暗い記憶を掘り起こさせてしまったのか、と後悔した。


「私もどういった原因か知らないけどね。ある紛争地帯で、仕事中に、武装集団の衝突に巻き込まれたんだって。街の中だったらしくて、かなり激しかったらしいの。爆弾なんかも至るところで爆発して、銃声が響いて、建物もばらっばらの瓦礫になってらしくさ、人、たくさん死んで、それで、そこでお父さんは行方不明になった」

「……」

「遺体は見つかってないから、今でも死んでるのか、生きてるのか分からない。でも、もう十年以上も連絡がないんだし、私も分かってる。そういう希望はないって」

「先輩」

「お父さんの記憶なんてね、大してないんだ。だって、あんまり会わなかったんだもの。私、いつもそれが悔しくて、今思うとね、どちらかと言えば、お父さんのこと嫌いだったかもしれない」


 成実はまるでそのことを嫌悪するように、膝に置いた手でスカートの端を強く掴んだ。言葉を続ける。


「でも、だから、だからこそ私決めたの。お父さんがどんな生き方をしたのか、知りたいって」

「え?」

「どんな信念でもって、戦場に赴いてジャーナリストとなったのか、どんなものを見て、どんなことを思って生きていたのか。知らないことが多すぎるから、知りたい。それを知るためにもジャーナリストを目指すって」

「そう、だったんですか」


 清人はそのときになって自分があまりにも彼女のことに無知だったかということを思い知らせた。彼女が目指しているものの背後に、そんな碇のような、父の記憶があることなど、知る由も無かった。


 清人が彼女に抱いていたイメージとは違う答えである。

 単純に、子が親に抱いている憧れとは違う。親がパイロットだからと、短絡的にパイロットを夢見る少年とは向かう方向を異にしている、と思った。


 それは彼女と父親という希薄な人間関係の上に生まれた、無知の上に存在する一種の使命感に基づき、成実は自らの道を選択しているのだ。

 戦争ジャーナリストの父のことを知りたい。その先に、必ずしも喜びが待ち受けているとは限らないだろう。きっと辛い現実が待っていたり、挫折しそうな壁にぶち当たることもあるに違いない。


 彼女だってそのことを承知しているだろう。

 それでも、それを選ぼうと、いや選んでいる。

 自分から進んで、父親のことを知りたい、と。


 果たして、自分が彼女の立場なら、必ずしもそうするだろうか。

 分からない。

 そんな事実など知らなくていい、そう言って逃げるかもしれない。


「全然知らなかった、です」

「そりゃ、全然話してなかったからね」

「先輩も、立派ですね」


 それは清人から出た素直な気持ちだった。


「ありゃ、これはどういう風の吹き回し? 妻沢君が私のことを褒めるなんて」


 成実は気味が悪そうに目を細めて清人を見る。こころなしか、座る距離を離したようだ。


「本当にそう思って言ってるんですよ。他意はありません」


 それだけ言って、清人は眉間の辺りを人差し指で掻き、少々恥ずかしそうに、


「先輩にも尊敬できるところがあるんですね」


 と言った。


「妻沢君にそう言ってもらえる日が来るなんて、光栄至極だわ」


 ふさけているのか、成実は感情の籠もらない棒読み口調だ。


「茶化さないでください。ほんとに思ってるんです」


 清人はむっと口を突き出す。


「ハハハ、だってそんなことを大真面目に言われたってさ……」


 すると、成実の言葉が不自然に途中で終わり、直後、「ぐうう」という得体の知れない第三者の唸りが聞こえた。

 身の危険を感じ、慌てて清人は辺りを見回す。


 しかし、誰かが部屋に入ってきた様子はない。加えて、その音は自分のすぐ近くから聞こえてきたようだった。


「あれ、先輩、今聞きました?」

「き、聞いたわよ」


 彼女を見ると、なぜか恥ずかしそうに赤面し、前かがみになってお腹を押さえている。

 その様子から、清人、もありなんと理解する。


「……稲葉、先輩」

「何よ。失礼なことを言ったら、ビンタだからね」


 彼女は眉間に皺を寄せ、近づいたらひっかくと言わんばかりに握った拳で猫のように爪を立ててみせる。


「お腹、空いてるんですか?」

「悪い? だって、晩御飯食べてないし、そりゃお腹だって減るわよ」

「そうですね。言われてみれば確かに僕もお腹減ってます」

「食べられるもの、持ってない?」


 腹の虫の音を聞かれたのがショックなのか、視線を泳がせたまま、彼女は訊いてきた。


「残念ながら、こんな場所に篭城するだなんて計算してなかったので」


 清人はそう言いながらも、一応ポケットをまさぐってみる。すると、思いがけないことに指先に何かが触れる。

 取り出してみる。


「こんなものがあります」

「何?」

「板ガムです、クールミント味」

「……飢えを満たすにはこの上なく不向きな食べ物ね。飲み込むためのものではないもの」

「まあ、そうですが、ないよりはマシかと」


 清人は九枚入りのガムを公平に二人で四枚と半分に分ける。成実はしばし、手渡されたガムを侘しそうに見て、


「涙ぐましいわね。親が見たら泣くわよ」


 とすすり泣く振りをした。


「そうですね。僕も晩御飯に板ガムなんて食べるのは初めてです」

「きっと今度から板ガムを食べるたびに今日のことを思い出したりするのかなあ。あのときはひもじかったなあって」


 成実はガムを一気に二枚口に入れながらしみじみと言う。


「極力回想したくない思い出ですね」

「大丈夫、時がくれば笑い話になるわ。時間は、薬だから」

「それはまた含蓄のある言葉です」


 清人はガムの包み紙を開ける。

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