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第八章 キメラの急襲 <3>

「あの、本当に行くんですか?」

「行くに決まってるじゃない。妻沢君ね、あなたが先に言い出したことなのよ。麻子に話を聞こうって」

「……それはそうですが」

「弱気ね。そんなことでどうするのよ。ジャーナリストならこれくらいことなんということもなく出来なくちゃ」

「いえ、今度ばかりはさすがに、偽の情報を掴まされたんじゃないかと」

「あら、どの口がそんなことを言ってるのかしら? 意思がぐらついているわね。麻子の事を信じるなら信じる、信じないなら信じないと最初から決めてもらわないと。意見が二転三転するようじゃ、誰にも信用されないわよ」


 清人、そう言われては返す言葉がない。

 居心地の悪さをごまかすように、こほり、と一つ咳をして、窓から外の町を見る。


 もうすっかり陽は暮れていた。

 交差点を通り過ぎていく車達の頭上では三色の信号が鮮やかに光を灯している。

 青から黄色、今、赤に変わった。

 腕時計の針はすでに九時を指している。


 校舎にはもう生徒は誰も残っていないはずの時間だった。教師だって、特別仕事が残っていない人間は帰宅している。もうしばらくすれば、事務室の鍵も閉まってしまうだろう。

 そうなれば、後に残されるのは、昼間の活気を失った闇に沈む校舎である。

 そんな場所で部室に隠れ、清人と成実は動き出す時を見計らっている。



 どうしてこうなってしまったのか。

 それは遡ること数時間前、麻子の話した話に起因する。

 部室の前に突然現れた彼女の言葉によって。


「あたしに、また話を聞きたいらしい人間がいるらしいようじゃの」


 部屋に入っていた彼女は嬉々とした様子で、スキップをしながら、清人と成実の周りをくるりと一周すると、机の上に座った。


「きよぽんがそうやって頭を下げるなら話してもいいぜ」

「え、何かまた新しい情報があるんですか?」

「ああ、そうさ。そうでなければ、あたしはここにはこないもん。麻子は風の子、渡り鳥。この町の空を飛んでるんさ。風の家に住んでりゃ、向こうの方から噂は飛び込んでくる。何をせずとも、話の尻尾を掴むのには慣れてんさい」


 何を言っているのかよく分からないが、情報屋として自分が優れている、ということを表現したいのだろうか。


「先輩、それなら話してくれますか。とても重要なことなんです」

「おうおう、ついに、あたしの前で情報欲しさに手をあわせる人間が出現したぜ。これは何かの吉瑞きちずいか?」

「いや、参考として聞くだけよ」


 成実は冷めた表情でしれっと言う。


「なるみん、つれねえなあ。もっと空気読んでさ、土下座とかしてよ。『麻子様、お願い』とか」

「馬鹿げたこと言ってないで、さっさと話しなさい」


 そう突き放されて麻子はしゅんと落ち込む。

 まずい。清人にとって彼女に機嫌を損ねて欲しくなかった。

 思いつきで机からパック詰めされたあめ玉を取り出すと、それを麻子に差し出す。


「こ、これをお納めください」

「はあ? それ私のあめじゃない」

「ほう、気が利くな。きよぽん、ぬしにはテレパシーの才能がある。あたしが保証する」

「そ、それはどうも」


 清人はぎこちない愛想笑いをしてみせる。あんたに保証されても、という言葉は飲み込んだ。

 麻子はためらいなくあめ玉を口に放り込み、うれしそうにころころと転がし始めている。それを見ている成実は不愉快この上ない様子だ。


「妻沢君、あなたのやったことは責任重大よ。あとからそれと同じものを買ってきなさい」

「いいじゃないですか。たかが一つですよ」

「一つでも、メロン味だろうがあ!」


 ばたばたと足を踏み鳴らし、成実は子供のように埃を立てた。よほど、メロン味のキャンディが好きなのだろう。


 心底やっかいな先輩だ。


「分かりました、分かりましたから。コンビニで買ってきますよ。それで、狐坂先輩、話を」

「おおほのこおか、ほれわな、ふぁいいふはんひ……」

「……あめ、飲み込んでからでいいです」

「冗談だってきよぽん、普通にしゃべれるよ」


 ああ、こっちの先輩も面倒だ。

 泣けてきそうだ。


「……それで?」

「話では、体育館に、いる」

「は?」

「キメラが、体育館に戻るんだって。夜に」

「夜に体育館に?」

「キメラの本拠地なのかな。きっとね、これはあたしの推測だがね。キメラはきっとこの学校を乗っ取るつもりなのかもしれねえぜ」

「乗っ取る?」

「そうさ、ここはあたいのもんだって、縄張りを張るみたいなもんさ。そう主張してる。ここをね、キメラのにするつもりなのかも」


 目配せをしながら麻子は、がりり、とあめ玉を砕いた。



 成実は先ほどコンビニで購入してきたライトにまるで弾をこめるように乾電池を入れながら、深呼吸している。

 さながら、敵地に潜入するスパイのように精神統一でもしているのだろうか。

 彼女が喋ったのを最後に、二人は黙ってしまっている。


 その二人の代わりにというか、机の上では、最近の流行歌が流れていた。ウィークリーのヒットチャートをランキング方式で紹介していく番組で清人も時々聞くことがあった。

 曲と曲の合間に陽気なDJの声が入る。まるで、こんな部屋に隠れ、外に出るチャンスを窺っている二人をおちょくっているように、神経を逆なでする甲高い声だった。

 いつもそんなことを思うわけも無いのに、なんだかそう思った。


 自宅には、携帯電話で連絡を入れ、今日は友達の家に勉強するために泊まると嘘を言っておいた。それは成実からの念のための指示で、それで明日の朝まで帰らなくても親が心配することはない。


 だが、これから向かうであろう体育館に何かいるのだろうか?

 清人はううむ、と首を捻る。

 麻子の話はやはり情報量が少なく信憑性に欠けるものだったが、先の二件の噂が的中しているところをみると、もしかすると、という緊張感の高まりは否めなかった。


「行くわ」


 時計の針を見て、成実が言った。


「ああ、はい」


 清人はラジオを切り、その彼女を追う。すると、成実は入り口のところで顔だけ清人に向け、意外そうな顔をした。


「なに? 来るの?」

「え、そりゃもちろん」


 まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったので、清人も目を丸くした。


「さっきまで行きたくないって言ってたじゃない」

「それは語弊があったようですね。行く意味があるのかなあ、と疑問を抱いてはいましたが」

「あら、そうなの。まあでも、無理してついて来なくていいわよ」

「僕が行かなかったら一人で行くつもりだったんですか?」

「そうよ。だからその時には、妻沢君にはここで留守番でもしてもらおうと思ってた」

「一人で行くなんて怖くないんですか?」


 まあ、彼女がそんなことでしり込みするような度胸のない人間とは思えなかったが、清人は一応聞いてみる。


「それよりも知りたいっていう好奇心の方が勝ってるわよ。キメラがいるのか、いないのか。はっきりするじゃない」

「知りたい、ですか」

「そう、知りたいの」


 そう彼女は強く繰り返した。

 まるで、それが自分が一生貫き通す必要がある信念であるかのように、表情には力が籠もっていた。

 そして、さらにこう付け加える。


「だって、ジャーナリストだから。真相を究明して、そして、何が起こっていたのかを皆に伝えるのよ」


 ジャーナリスト、だから。

 その言葉が清人の中で跳ね返るように反響した。

 事あるごとに彼女が言う、その言葉。


 そこにいったいどれくらいの意味があるのだろう。

 少なくとも清人には分からない。

 平穏無事で、かなりの割合で同じことを繰り返すのみの、管理されたような日常を選ばず、自ら身体を張って、不可解、混沌の中に首を突っ込むようなことだ。


「……」


 どちらかと言えば、自分は日常に平穏を求めるタイプの人間だ。何事もなく、平和に、凹凸の少ない道を歩きたい、そんな人間だ。

 だから、自分から厄介な物事に関わりあうのは、好きではない。

 でも、彼女は違う。


 知りたいから、自分がどんな道を歩もうと気にしない、気にならない。

 そんな生き方を選ぶ。

 ジャーナリズムとはそういう考え方をするという意味もあるのだろうか。

 ともかくそういう点で、清人と成実は、いろんな意味で、そもそもがかみ合わない人間同士なのだ。


 たまたま今は同じ部員として一緒にいるが、本来であれば、関わりあうこともないだろう。

 もしそうだったら、清人にとって成実は、ただ全校で知れているちょっと綺麗で無茶をする先輩で、成実にとっては、清人など名前すら知らない、後輩の中の一生徒に過ぎないのだろう。


 そうだ。

 そう考えれば、自分は無理して彼女に付き合う必要はないのかもしれない。

 清人はそう自問する。

 

 でも。

 現実はそうじゃない。

 清人は成実と同じ新聞部に所属している。

 こうして、一つの事件の解決に向けて、目的を同じにしている。


 本来なら、交わらない平行線を辿ると思われる自分たちの線路は今、交差しているのだ。


 そこに何かしらの意味があるとすれば、自分は彼女に協力すべきではないだろうか。

 彼女が自らの信念を貫くのを手伝う、そういうのも悪くないかもしれない。

 考えてみれば、別に自分は彼女のことを嫌いなわけじゃないんだから。

 

「もし、もしもですけど。何かいたらどうするんです?」


 ポケットに手を突っ込み、清人はそう訊いた。


「何かって?」

「この事件の犯人です。こう考えられませんか。キメラというのは犯人、自分のことをそう呼んでいるのだと」

「つまり体育館には犯人がいると? そう主張するのね」

「ええ、ありうるとすればその可能性が高いと思います。話を聞いて面白がって来た人間をどうにかするつもりかもしれません」

「どうにかする、抽象的ね」

「最悪、殺されるかもしれません」


 冗談ではなく大真面目に清人はそう言った。


「可能性はあるかも。まあごく僅かだけど」

「一人で対抗できるんですか? そういう危険性があることを考えていたんですか?」


 そう言うと、返答に窮する成実。

 ほうら、やっぱり。

 成実はこういうところで抜けていることがある。勢いはあるが、そのせいで大事な部分を見落すのである。


「だから、僕もついて行きますよ」


 そう言って一歩前に出た清人は、無意識に自分に背を向けている彼女の右手首を握っていた。


「……」

「先輩一人なんかじゃ、行かせられません。もしものことがあったら……」


 そう言ってから、ずいぶん自分は歯の浮くような台詞を吐いてしまったと気づく。しかも、しっかりと手まで握っていた。

 呆けたように自分を見る成実から視線を逸らし、こみ上げてくる恥ずかしさに目を瞑って堪えた。


 何を言ってるんだ。僕は。


 もしかすると、妙な誤解を生む発言だったかもしれない。


「……妻沢君」


 背後から名前を呼ばれ、びくりと反応する。


「はい!」

「拳銃」

 

 成実がぽつり、と言う。


「はい?」

「犯人が拳銃持ってたらさ、二人いてもさすがに死ぬよねぇ」

「……そうですね。きっと死んじゃいます」


 妙に間延びした彼女の声に空振りしたように気抜けして清人は答えた。


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