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第七章 富豪の少年と喪失の少女 <3>

「ねえ、聞いていい?」


 彼女が横目で眇め見たのは透だった。


「あん? 俺のことか?」

「そう。ここに来る車の中で聞いたけど、あなたのお父さんって会社の社長で相当なお金持ちなんでしょ」


 清人はむっと口を結び、飲もうとカップに伸ばしていた手を引っ込めた。

 彼からは成実が事件のことに興味を失ったのか、情報が集まらず、むしゃくしゃした気分を紛らすために、違う話題に触れたように見えた。車の中でも言っていたように、彼女はあわよくば、とこの豪邸に住んでいる仙崎少年のことを記事にでもしようとしているのかもしれない。

 あまり話題から逸れすぎるようであれば注意すべきだろうか、と警戒する。


「まあ、一般的にみれば、それなりにだろうな」


 彼は遠慮がちにそう言ったが、ここで言うそれなりとは、とても、という意味なのだろう。


「そのお父さんはやっぱり忙しいの?」

「そりゃ、ね。数十年前ならともかく、今じゃ世界を相手にした商売だからな。社長と言えど、世界各地を転々としてるらしいぜ。いったいどんなことをしてるのやら。今じゃここに帰ってくるのは、年に一回あるかないかだ」

「……年に、一回……」


 寂しそうに成実が繰り返した。


「いったい今いまどこにいるのか、それすらよく知らない。電話だって一月に一度か二度、その程度だ。半年以上、何も連絡がないときだってある」

「それで、あなたのお母さんはここに住んでるの?」

「離婚したんだ」


 間髪入れず、彼は答えた。

 離婚という言葉は他人の前に出すには通常憚られるものに思えたが、彼は何の抵抗もなくさらりと言ってのけた。


「……!」

「当然と言えば、当然だろ。母さんが望んでたのはこんな父親不在の空っぽの家族生活じゃなかったんだからよ」

「じゃ、それが嫌になって」

「ああ、5年前にすっぱり別れて、今は時々俺の顔を見に来る程度かな。だから、今この家で暮らしてるのは俺と世話人くらいだ。隣の建物には塾の経営してる叔父さん家族が住んでるけど、まあ、あまり付き合いはないわな。ときどき食事するくらいだ」


 まるで他人事のように恬然てんぜんとした口調で話をする透に、成実が訊いた。


「寂しく、ない? そんな家に居て」


 それはまるで、堪えていたような切迫した声だった。

 これには、さすがに透も閉口した。息が詰まるように、胸の中にわだかまった生暖かい不満を吐き出す場所を探しているように見えた。


「今の状態がさ、いいものだなんて思ってないさ。親父は会社の危機を救ったなんて英雄呼ばわりされてるが、家庭内の危機は乗り切れてないんだぜ。母さんは居なくなった」


 ぽつりと漏らす。


「確かに、お金はあって何も不自由することなんてないかもしれない。でもよ、やっぱいいわけねえよ」


 透の声が次第に熱を帯びるように力が籠もり始める。歯を食いしばっているように見えた。

 清人は彼から獣のような、ただならぬ空気を感じる。


「押さえ様が無くイライラすんだ。時々な。このままじゃいけないだろって。俺の中がだまっちゃいねえ」


 彼は無意識に拳を握り締め、それをテーブルの上で硬く結んでいる。怒りを堪えているのは誰の目にも明らかだった。


「あの、仙崎先輩」


 それを察した篠田かすみが隣でなだめる様に呼びかけた。


「……! ああ、ごめん」


 それに気がつき、我に戻ったのか、


「なんか、辛気臭い話になったな。すまねえ」


 と素直に詫びた。


「いや、話を聞いたのはこっちよ。仙崎君が謝ることじゃないわ」


 成実はそう言いながら、直前の彼の様子を目に焼き付けていた。忘れてしまわないように。

 仙崎透。

 彼は自らの現状にかなりの苛立ちを抱えている。それも、我を見失ってしまうほどに。そう、心のノートにメモを取った。



 そのまま事件についての話も進展しないまま時間が過ぎていった。

 十分ほど経っただろうか。

 由貴が何度も時計と入り口の扉を確認しているのに透が気がついた。落ち着かない様子で、不安げにしている。


「藤咲、どうした? さっきからそわそわして」

「いえ、あの、千穂がまだ帰ってきてないので、どうしたのかと思って」


 言われてみれば、そうだった。

 先ほどからかなり時間が経過しているのに、ハンカチを洗いに行っただけの千穂が帰ってくる気配がない。


 どう考えても遅すぎた。


「まさか、迷子になったとか?」


 そう冗談っぽく言った清人だったが、由貴はうんうんと頷いた。


「多分、そうだと思います」

「え? そんなに遠くない場所でしょ?」


 成実は呆れ顔をしている。彼女の常識から考えれば、迷子になるにも程がある、という計算結果が算出されているのだ。

 すると、由貴もそれには同感なようで、苦笑気味に、


「ええと千穂は、その、方向音痴なんです」


 そう言って、立ち上がる。


「私、ちょっと探しに行ってきます」


 そして、由貴がドアを開けようとしたとき、向こう側からドアが開けられた。


「あっ!」

「えっ!」


 そこにはハンカチを握った千穂が立っていた。自分のことをたった今話されていたことを理解していないようで、ぼけっとした表情で立ち尽くしている。


「由貴ちゃん、トイレにでも行くの?」

「違うってば。千穂がなかなか帰ってこないから心配してたの」

「あ、ああ。そうだね。ごめん」

「あれ? 家の中で迷子になってたんじゃないの?」


 由貴がそう聞いたのも無理もない。彼女からは迷いに迷ってようやく帰ってこれたという安堵感が感じられなかったのだ。


「え? うん。ちょっと道が分からなくなりそうだったけど、お手伝いの人に教えてもらったよ。ただ、そう、ハンカチを洗うのに手間取っちゃって」

「それにしても遅かったじゃない」


 彼女の言うとおり、それを計算に入れても遅いものは遅かった。なんといってもハンカチを洗うだけである。どれだけ丁寧に洗ったところで、五分もあれば充分ではないだろうか。しかしそれに対し、千穂は、


「わ、私、のんびりしてるから」


 えへへ、と舌を出してみせる。


「まあ、いいって。彼女まで行方不明になったわけじゃなかったわけだし、記憶を無くしてるわけでもなさそうだしな」


 椅子の上で背伸びをして、欠伸をしながら透が言う。お疲れなのか、どうにも千穂が姿を消していたことには興味がないようだ。


「あ、はい。私、この通り大丈夫です」

「本当に?」


 由貴はやはり彼女を疑わしそうに見た。

 だが、そこへ透の声がかぶさる。


「というわけで、今日はこのくらいにしようか。これ以上話せることもなさそうだし。いろいろと新聞部の人たちの話も聞けたしね」

「ええ、そうしましょうか。私もいろいろと面白かったわ」


 清人は大して何も分からなかったのに、満足そうにそう言った彼女を見て、これは皮肉だろうか、と思う。


「そりゃ、良かった」

「また今度、話せたらいいわね」


 そんな二人はテーブルを挟み、向かい合ったまま、立ち上がる。と、透の方から手が出て、握手を求めた。

 成実は一瞬、戸惑ったが、すぐに自分も手を出して、握手に応じる。

 成実が彼の凛々しく強い印象の目を見て、興味深いわ、と心の中で思った。

 彼の内に潜む、意思の強さを感じ取った気がしたのである。


「面白い人ね」


 知らず、口をついて言葉が出た。


「ああ、あんたもな」


 もしかすると、透も同じことを思ったのだろうか。そんな答えが返ってきた。



 その後、全員が席を立ち、荷物を持って部屋を出て行き始める。それぞれが和気藹々《わきあいあい》と豪邸の感想を口にしている中、成実はさりげなく後に残り、集団の後ろの方にいた、篠田かすみの背後についた。

 肩を叩き、そっと耳元で囁く。


「ねえ、さっき気づいたんだけど」


 突然、成実にはなしかけられ、彼女はきょとんとしている。


「なんですか?」

「あなた、妙に隣に座ってる仙崎君のことをちらちら見てたわよね」


 成実が言うと、少女の顔がふっと赤くなったようだった。それを見て彼女は確信し、直球で質問をぶつける。


「仙崎君はあなたのことをただの知り合いとしか言ってなかったけど、もしかして、付き合ってたり、好きだったりするの?」

「い、いえ、そんなことは……」


 何を突拍子も無く、と彼女はかなり強めに首を振って否定した。加えて、今日初めて会った人間にそんなことを聞かれると思っていなかったのか、ひどく驚いているようだった。

 しかし、成実にはその動揺が逆に怪しく見えて仕方ない。


「じゃあ、どうして。彼を見ていたの?」

「ええと、ですね。それは……」


 そう彼女が言いにくそうに、言葉を濁らせたとき、通路の先から立ち止まっている自分たちを呼ぶ声がした。


「先輩! 置いてきますよ」


 この馬鹿でかい声は間違いなく風馬のものである。耳を塞ぎたくなるのを堪えながら返事をした。


「分かった。今行くから」


 すると、これが逃げるチャンスだと思ったのか、呼ばれたのをいいことに、かすみは成実の質問に答える前に早歩きで行ってしまった。


「あ、ちょっと」


 呼び止める間もない。駆け足なので、すぐに先に歩いている集団に追いついてしまった。

 しかし、しばらくその様子を見つめ、無言で立ち尽くしていた成実は、がっかりするかと思いきや、


「まあ、いいか。収穫はゼロじゃなかったってところね」


 そう独り言を言って薄っすら微笑んだ。

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