第七章 富豪の少年と喪失の少女 <1>
案内された応接間で全員がもれなく溜息を漏らしたのは言うまでもない。
壁際には洒落た淡いオレンジ色の電球。それに灯された室内は洋館を思わせるレトロな雰囲気だ。天上にはぶら下がっているのが不思議なくらいの豪奢な装飾のシャンデリアがあり、壁には、おそらく有名な画家の作品なのだろう、力強いタッチで描かれた人物画が飾ってある。
床はまるで当然のことのように鮮やかな模様の絨毯が敷き詰めてあり、部屋の中央にあるテーブルと椅子は思わず座るのを躊躇してしまうほどの丁寧な彫刻が施されたアンティークなアームチェアだ。
「こちらで少々お待ちください」
そう白髪交じりで体格のいい老人(いかにも執事といった出で立ちで、美濃という名前だった)に案内され、五人は一瞬固まっていたものの、おずおずと手前の椅子から座った。
その老人が立ち去ってしまうと、場に沈黙が下りた。
皆それぞれ、自分たちがどれほど場違いかを脳内で認識しあっているのであった。
きっと今誰かからマイクを向けられたなら、
「普通の高校生ですいません。無性にすいません」
と開口一番、謝ってしまいそうなそんな空気さえ漂っている。
清人は訳もなく緊張し、手のひらは汗でびっしょりだった。喉が渇いている。誰かに飲み物を頼みたいところだが、あいにくここはレストランというわけではない。
そんな彼の服の袖を成実が引っ張った。耳元で囁いてくる。
「ねえ、仙崎君って私達をこんなところに呼んでどうするつもりかしら? 私達の目的が事件の調査ってことは分かってるはずよね。でもこれじゃ、まるで接待されてるような雰囲気だわ」
「そうですよね。今回の事件の失踪者である篠田かすみさんの家まで、ついて来てくれるのかと思っていたんですけど。リムジンでお迎えが来て、彼の家に連れてくるというのはよく分かりません」
清人は言いながら、おそらく仙崎が入ってくるであろう応接間の入り口を睨んだ。成実は肩をすくめると、
「彼から何の説明もないし、なんだか変な感じ。お金持ちって一般人と感覚がずれてるってイメージがあるけど、思考パターンも違ってくるのかしら。部屋の仕様や家具なんかを逐一、事細かに自慢を始めたらどうする?」
とげんなりと妄想した。
「どうするって、さすがにそんなことはないと思いますよ。第一、情報をくれたのは向こうです。僕達をそれを目的に連れてきたんですから、事件のことを無視するなんてことはないと」
「まあ、そうよね。仕方ない、本人が来るまで待っていましょうか」
成実は納得がいかない顔のままだったが、とりあえずは疑問を引っ込めた。ふと他の三人を目をやると、いつの間にか三人は三人で会話に花を咲かせている。
「門から豪邸までに自分、歩数を数えたんだけど、七十歩はあったよ。どでかい庭だよね」
「私、昔こんな家に住みたいなってあこがれてたかんね。庭から庭の端まで花を植えて、毎日手入れするの。これだけ広ければ鬼ごっこするのにも場所は事欠かないし、いいよねえ」
「ふふふ、そうだね。私もこんな家に住んでみたいかも。ああ、でも自分の部屋がどこにあるのか分からなくならないかな」
などなど。初めて見た豪邸の感想を各々が言い合っているようだ。
そこに緊張感のかけらもない。完全に当初の目的を忘れた彼らの姿があるだけだ。
のんきなものである。
すると、清人の隣で成実が立ち上がった。興味引かれるものがあったのか何かを目指して一直線に進んでいく。
応接室の入り口の脇の壁、年月の経過を思わせる古い木製の本棚があった。彼女はその手前まで歩き、大きさで綺麗に整頓された分厚い本の一つを手に取った。持つだけでずしりと重いその本の表紙は立派な革で作られている。
それだけでかなり高価なものであると分かった。
重量感のある表紙を開くと、目に入ってきたのは1ページに所狭しを貼り付けられた写真だった。まるでひしめき合うように(よくはみ出していないものだ)、居場所を取り合う一瞬の記憶たち。
成実はその中の一枚に目がいく。
おそらく、仙崎家がどこか海外旅行へ行ったときに撮影されたらしい。成実が知らない異国の綺麗な町並みとその向こうに見える瑠璃色の海を背景に家族が笑っている。
父親に両脇を抱え上げられている子供は、きっと幼い頃の仙崎少年なのだろう。いたずらっぽく舌を突き出し、右手でピースサインをしている。
パラパラとページを捲っていく。
旅行が終わり、この豪邸で撮られたと思しき日常の写真や、仙崎少年の学校での発表会などもある。だが、次第に気がつく。
1ページあたりに占める写真の枚数が減っていって……。
「悪りいね、待たせて」
突如、真横で扉が開き、驚いた成実がアルバムを取り落とした。
「あっ」
テーブルの椅子に腰を下ろしていた清人たちの視線が扉を開けた茶髪の少年に向けられるのに対し、彼女の瞳が捉えていたのは、偶然に開かれたアルバムの最後のページだった。
しかし、そこにあったのはそれまでの写真とは違う、様々な糸の刺繍の施された絵である。
成実が感じたのはいわゆる、既視感。
どこかで、これ、見たことあるわ。
しかしそう思った矢先、アルバムがパタリと閉じられる。腰を落としてそれを拾い上げたのは、アルバムの写真が撮られたころからずいぶんと成長し、男らしくなった仙崎透だった。
「あんたが、新聞部部長の稲葉さんか?」
彼はアルバムを元の本棚に戻しながら、そう訊いた。
「そ、そうよ、私が稲葉成実。あなたが事件のことで呼んでくれた仙崎透君?」
「おう、その通り。俺が仙崎だ」
そう言って目元にかかった前髪を払いのける。そんな彼を成実はしげしげと頭からつま先まで見つめた。
「なんだ?」
そう訝って訊いた彼に、
「いや、なんだかお金持ちって感じがしないなって、あなたの恰好を見てそう思ったの」
そう返した。
確かに、今の彼の恰好は英字新聞がプリントされたTシャツに紺色のジーパンというとても金持ちとは思えないラフな服装だった。
さっきのリムジンの運転手といい、お金持ちのステレオタイプが段々成実の中で崩壊していく。
「金持ちが金持ちっぽくしてないとまずいか?」
「いいえ、別にそうは言ってないけど。ただ、イメージと違うなって思ったの」
「ふうん、まあいいや。とりあえず、椅子に座ってくれよ」
「事件について話してくれるんでしょうね?」
「ああ、もちろんするって、せっかちだな」
透はとっつきにくそうに成実に眉をひそめる。しかし、彼女は謝るどころか、語気を強めて彼に詰め寄った。
「あのねえ、あなたはそう仰いますけど。私達はどうしてこんなところにつれて来られたのか全く分からないのよ。最初は校門で待ち合わせるはずだったのに、説明もなく高級なリムジンに乗せられて、あなたの住んでる豪邸につれてこられて、こっちの気持ちも考えてよ」
これは確かにもっともなことで、清人も椅子に座ったまま頷いた。すると、透も自らに至らないところがあったと自覚したのか、素直に謝る。
「ああ、そうだよな。ごめん。今日ここに二人を呼んだのは、って、あれ? ずいぶん多いな。檜山と藤咲もいるし」
透はその時になって初めて、人数が想定していたものよりも多いことに気がついたようだった。奥に座っていた少女二人が挨拶し、会釈している(それに混じって、風馬が自己紹介をしていた)。
「どうして居るわけ?」
それには成実が説明する。
「檜山さんが事件のことについて知りたそうにしていたから、私が連れてきたの。知ってるでしょ、藤咲さんが記憶を失って行方不明になってたこと。もしかして、ご迷惑だったかしら?」
「いや、迷惑なんてことはねえよ。むしろ多い方がいいかもな」
「仙崎先輩、それはどういうことですか?」
これには、清人が質問した。透はそれに対し、先ほど言おうとして、言い損ねたことを話した。
「今日、皆をここへ案内した理由なんだけど。実は落ち着いた場所で、事件に関する意見交換がしたかったんだ」
「意見交換?」
「そう、俺もこの奇妙な事件に興味を持っててさ。確かに、事件そのものに犯罪の持つ凶悪さは感じられないけど、どうにも変だと思ってんだ。失踪者が示し合わせたみたいに記憶を消すなんてありえないだろ?」
「そ、そうだったんですか」
これは初耳である。清人は自分たち以外に本格的にその説を考えている人間がいるとは思わなかったのである。
「そしたら、新聞部もどうやら俺と同じ考えで調査をしているって聞いてさ。話をしてみたいって思ってたんだ」
「そこへ、今回の篠田かすみさんが失踪するって事件が起こったのね」
「そう、藤咲が居なくなったときも驚いたが、また俺の知り合いの子だったからさ。さすがに深刻に思えてきてよ。まあ、無事に戻ってきたから良かったけどさ。やっぱり記憶をなくしてるって言うし、この機会に新聞部の方々と話をしようと思って呼んだんだ」
腕組みをしている成実が頷く。
「なるほど、どういうことかは大体把握したわ。それで、その失踪してたっていう篠田さんって人はどこにいるの? 本人から話を聞けないんじゃ、来た意味がないわ」
「大丈夫だって。もちろん来てもらってるからよ」
透が背後のドアを軽くノックする。