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第六章 第三の事件 <4>

 大した振動もなく、滑るようにリムジンが走り出したところで、ようやく成実が口を開けた。


「っで、どっきりのネタばらしはいつなの?」


 彼女は今まで掻いたことのない冷や汗を垂らしている。


「先輩、少なくともそれはないかと。どこかの著名人ならまだしも、こんな高校生を騙すにしてはお金がかかりすぎです」


 清人は、ソファの前にある豪華なバーセットをしげしげと眺めながらそう言った。とてもではないが触れるわけにもいかないので、ショーケースに飾ってある宝石を眺めている気分だ。

 デパートの化粧品売り場にいるような高級な匂いが所在無げな全員を浮き足立たせている。視線があらぬ方向をさ迷い、ぶつかり、伏せがちになる。


「仙崎先輩ですから、これくらいは当然のつもりなのかもしれません」


 説明責任を感じたように仙崎の知り合いの由貴が話し出した。


「何? 仙崎君っていわゆるブルジョアってやつ? うん? ボンボン?」


 同級生であるのに、成実は仙崎なる生徒のことをまるで知らない。


「ソフトウェア会社のSZソフトウェアって言えば分かりますか? 先輩はそこの社長のご子息になるんです」


 彼女はまるで何でもないことのようにさらりと言ってのけたが、それを知っているものにとっては、開いた口がふさがらなくなるほどの事実だった。


「……あ、あの世界的にも有名な、ソ、ソフトウェア会社の?」


 そして、衝撃に目を剥いたのは、清人ただ一人。あまりの衝撃に清人はうまく呂律が回っていない。


「はい、そうです」


 こくりと由貴が頷く。


「ああ、聞いたことがあるような」


 すると、清人はぼんやりと言った成実に襲い掛かるほどの勢いで喋る。


「あるような、じゃないですよ。大変なことです。その会社は僕らが普段使っているパソコンはもちろんのこと、携帯電話なんかの身の回りの機器の開発に携わってます。どれだけの大会社だと思ってるんですか? 最近は新たな分野の開拓だって言って、ゲーム機の製作にも着手を始めたって注目を集めてますよ。昔は国内だけのほんの小さな企業だった聞いてますけど、今では世界にその規模を広げている国際的な会社です。そんな会社の社長がこんな町に住んでいたなんて、全然知りませんでした。それもその息子さんがこんな普通の高校にいるなんて、全く持って信じられません」


 興奮しながら息継ぎ無しにそこまで話す。そして、ようやく一拍置いたかと思うと、


「しかも、その社長さんはバブル崩壊時に破綻寸前となったその会社を見事な采配によって、見事会社の経営を持ち直し、そのまま一流企業へとのし上げた英雄として、広く知られています。英雄なんですよ、英雄!」


 そうまくしたてる。その怒涛の話しぶりで興奮した彼を肩を抑えながら成実が制した。


「ちょっと落ち着きなさいよ」


 この場にもう一人の風馬が出現したほどの思いで、留まらせようとした。それによって清人がそこで大きく深呼吸をする。


「ああ、すいません。僕としたことが取り乱してしまって」


 すると、それを見かねたのか隣に座っていた風馬がどこからグラスを取り出し、ペットボトルから注いだ水を彼に差し出していた。


「この水を飲めよ。落ち着くよ」

「ああ、ありがとう」


 彼にしては気が利くな、と礼を言って受け取ろうとして、ぎょっと驚愕した。グラスの底になにやらマークを発見したのだ。


「そ、それってまさかバカラのグラスじゃ?」

「は? 馬鹿らのグラス? おいおい、いくらなんでもそれは持ち主に対して失礼だぞ、妻沢君」


 彼は大真面目にとぼけたことを言って、冷たい視線を向けてくる。


「違うって、高級ブランドのグラスって言ってるんだって。壊したら大変だ。す、すぐに元の場所に戻して」

「そうか? 普通のグラスに見えるけど」

「ちょっと明宮君、見せてみなさい。これは取材の材料にもなるわね。高級リムジンの内装なんてそうそうお目にかかれるものじゃないし、そんなグラスだってきっと高級品の中でも貴重なものに違いないわ」


 すると、調子に乗った成実が思ってもみないことを言いだす。この少女、こんなときに限って取材根性を燃やすのだから困ったものである。


「いや、やめた方が……」


 しかし、清人が止める前に彼女は椅子から立ち上がっており、風馬からグラスを受け取ったその瞬間、タイミング悪く車にブレーキがかかった。


「きゃっ!」


 車体がぐっと前のめりになるのを感じ、成実が振動で体勢を崩す。グラスを持ったままつんのめって倒れこんだ。そのはずみでグラスがものの見事、手を離れた。

 清人はグラスがこう自分に喋った気がした。


 おいおい、洒落にならねえぜ。


 中に液体が入ったまま、グラスが問答無用で、宙を浮遊する。清人の目にスローモーションで、ゆっくりと弧を描き、飛んでいく。

 それが窓から差し込む光を受けて、まるで宝石のようにきらめいた。なるほど、確かに高級品だ。


 しかし、悠長に眺めている時間はない。


「檜山さん、キャッチ!」


 咄嗟に出たのはその言葉だった。

 その声が彼女に届き、反応をするまでにどのくらいの時間がかかったのかは分からない。


 しかし、彼女は、本能的に、両手を、伸ばした。


 そして、そこへ棒高飛びをやり終えた選手のように頂点で一度失速したものの、再び速度を速めたグラスが落ちてくる。


 だが、それは命がけのダイビング。

 グラスにとっては生きるか、死ぬか、乾坤一擲けんこんいってきの大博打。


 そして今回は、彼を粉砕する硬い床の上ではなく、千穂の手のひらのクッションの上にうまく着地することに成功した。


「やった」


 しかし、喜んだのもつかの間。


「あ、わ、うわあ」


 今度は身を乗り出してグラスをキャッチした千穂がバランスを崩していた。そのままでは前のめりに倒れてしまう。

 グラスに一度免れたはずの地面衝突の危機が再び駆け寄ってくる。


 そこへ動いたのが隣にいた由貴だった。


「千穂!」


 彼女の腰に手を回し、危ういところで倒れ行く千穂の身体を抱きとめた。

 間一髪、グラスが千穂の手の中で一命をとり止めた瞬間だった。


 誰もが、息を呑んでいた。


「お、おお……」


 中身の水はこぼれてしまったものの、それは皆が涙をこぼしながら頭を下げて謝罪をするという未来の悲劇を回避した形になる。


「おお! ブラボー!」


 座ったままの風馬が一人で盛大な拍手を送る。千穂が胸を押さえ、荒く呼吸をしながらケースの中に収めている。


「ブラボー、じゃないでしょう。だから、やめてくださいって言ったんですよ」


 清人は倒れている成実を助け起こしながら、彼女と風馬の不注意を責めた。


「だって、じっくり見たかったし」


 うじうじと口を尖らす成実に、清人は子供じゃないんだから、と眼鏡を光らす。


「だってもへちまもないです。全く、そういうことは今しなくたっていいでしょう。だいたい先輩は行動が軽率すぎるんですよ。いつも言っているように……」

「うわぁ、また始まった」


 成実が清人の説教から逃げるために耳を塞ぐと同時に、今度は車内に叶野の声が響いた。どうやら、運転席からマイクを通してアナウンスが出来るらしい。


「おうい、大人しくしてろよ。思った以上にやんちゃなやつらみたいだな。いいか? 車内で走り回っていいのは、小学校三年までだ。高校生にもなったら、分をわきまえて、静かにしりとりでもして時間を潰せ」


 どうやら、運転席にまでこちらが騒いでいる声が聞こえていたようだ。叶野の声は騒いだことにはそれほど怒っていないようだったが、苛立っているのは分かった。

 それは紛れも無く自分たちの責任である。


 だが、しかし、分をわきまえてしりとりというのもいかがなものか。

 成実は眉を寄せる。


 そもそも、この叶野という男、いったいどういう人間なのだろう。大金持ち専属のドライバーにしてはどうにも品がない気がする。言葉遣いは乱暴だし、身だしなみも整っていなかった。映画に出てくるようなハイヤーに乗る富豪には不釣合いなイメージである。

 本当に雇われているのだろうか。


 成実は心の奥で、分をわきまえてないのはどっちよ、と舌打ちした。


「おい、返事は?」


 誰もが無言だったため、彼がそう言って了解の言葉を促した。


「はい、分かりました」


 他の人間の声を押しのけて、風馬が元気よく返す。狭い車内に容赦なくびんびんと響いた。


「なあ、今時の高校生は声量のコントロールも出来ないのか?」


 と叶野はうんざりしている。

 いえ、彼だけです。

 風馬を除き、その場にいた全員がそう思っていた。


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