クリスマスリース
クリスマスリース
安岡 憙弘
クリスマスがやってきた。ぼくは赤と緑に金色のベルのついたのついたリースをかざりつけしてある戸口に立って部屋の中を見わたしていた。みがきあげられた木製の戸びらによりかかってぼくは暖炉であたためられた家の中のぬくもりにクリスマスらしい聖なるふんいきをかんじていた。
ぼくはコップの水を一杯のもうと台所へとむかって部屋の奥へとすすんでいった。キッチンにはあかりがついておらず手さぐりで蛇口をひねってしめた。それはクリスマスらしい神さまからのきよらかな一杯のおくりもののようだった。
ぼくはふとクリスマスというものについてかんがえてみた。いつからかイエスやどうのこうのということはぼくには関係なくなっていた。ただ今日は彼の誕生日だということ、そしてすべてのひとが特別な愛情につつまれるそういう日がクリスマスであればいいとねがっていた。
キリストの生涯は安穏ではなかった。裏切りや地獄の業火のような苦しみ、にくしみと愛情のすべてがつまったものがぼくにとってはこのクリスマスという日の歴史のような気がしていた。
ぼくは居間にもどった。居間にはぜいたくにきらきらとかざりつけされたモミの木のクリスマスツリーがおかれていてその下にはさまざまな包装紙につつまれたプレゼントもおかれていた。
クリスマスはなにより子供達にとってのものであるはずだ。ぼくらの子が孫が永遠に平和で栄えつづけるようにそういうねがいの儀式でもあるのがクリスマスだ。
もうすぐ僕の愛しい家族がかえってくるにちがいない。
ぼくのような理解しがたい男をあいしてくれている家族にぼくは感謝しなければならない。
この世はものごとがただしく評価されているわけではない。
かつてキリストが処刑されたように。しかしながらそれでも人間はただしいことをこころみようとかわりものあつかいされながらも炎のように生きる。そしてそのことは歴史がながれ、水がながれるのとおなじようにはてしなくつづいていく。