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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
9/67

七ノ業 殺し殺されのアンビバレント、神仙様はてんてこまい…?

 シャワーの水が途切れると、「はい」とディアナがルナにタオルを手渡した。

 排水溝に落ちていく水をじっと眺めて終わるのを待っていたルナはパッと顔を上げたが、差し出されたタオルを見ると不思議そうに首を捻る。


 ディアナは仕方ないなといったようにタオルを取り直してせっせと髪を拭いてやっていたが、その表情は少し楽しげだった。


「…チッ、やっと終わったか。待たせやがって」


 シャワーと一緒にルナの疑問点の解消が済んだので、不満たらたらに呟いた彼は組んでいた腕を解いて振り返った。


 彼が向く先には丁度シャワー毎の仕切りから出てきたルナの姿があり、彼女は腰から伸びた先端だけ白い朱色の尻尾をピシッピシッと振って水を切りながら頭を拭かれるのに身を任せて棒立ちでいた。


 ヴィスが見ているのに気付いたディアナはサッとルナの前に立って身体を隠し、「まだ向こう向いてて!」と叱りつけた。


「あ? 何故だ、もう済んだのだろう?」


「終わってないよ! まだルナの身体拭いてる所だから見ちゃダメ!」


「…何故見てはいけない? 先立っては貴様も俺の目の前で自分の身体を拭いていただろうが」


 そう言われるとディアナはまたうぐっと言葉を詰まらせる。

 ルナは不思議そうにそんなディアナを見つめると、乾いた尻尾を動かして腰回りを拭きながら、少し乾いてきた髪から水気を抜き切ろうとブンブン頭を振り始めた。


「あっ、ま、待って! ルナ、待って! まだ髪の先が乾いてないからっ!」


「お? あ、そっかそっか。すまねぇすまねぇ」


 少しだけ髪の先から水が飛ぶのを見て、窘められたルナは頭を振るのを止める。

 乾いた頭の上の方はふわふわと柔らかい髪が膨らんでいて、ディアナはそれを見ると少し気を引かれたが、ハッと気を取り直してヴィスへと向かい直る。


「さ、さっきは、僕だけあなたのを見たのであっては不公平だと思って、それでそうしただけだよ! …だ、だから…」


「…ふむ…?」


「ほら、あなた、玉座の間では服を全て取り上げられていたでしょ? …だから、僕も脱いでみせた方がいいかと……」


「その理屈も分からんが、それで何故その餓鬼を見てはいけない?」


「……も、もういい! とにかく、僕がいいと言うまで背を向けていて!」


 ヴィスは「面倒くせぇ…」と舌打ちしながらも言い付け通り背を向けた。

 ディアナはその場から退かずにルナの身体を拭きに戻り、ルナの髪と尻尾のボリュームに気を取られながらシャワー時の話題に戻った。


「それで、ルナ、大体は理解できた? 分からないところはもう一度教えるけど…」


「おうっ、ダイタイだいじょうぶでい! …えーっと、まずレイリョクリョウはレイリョクってやつをもってるかずだろ。で、カイレイジュツはカイレイリョクってやつをつかったわざだ。ヘンレイジュツはカイレイジュツのうちのイッコだ。…そんで、レイリョクとカイレイリョクについては、シンセンさまってのがおしえてくれるんだよな?」


「ええ、そう。旅に出る前に二怪霊神仙様から稽古をつけてもらってある程度戦えるようにしておかないとね。その時に教えてもらう。僕より詳しい人から教わった方がいいからね」


「がってんでい! …そいから、カイレイジュウってのがそこのヴィスみたいなかんじのバケモノたちのこったろ? ヤコってのもそんなかの…イッシュルイ…? なんだろ? そんで、カイレイシュウはそんなかでもとびっきりつえぇキュウヒキのことだ」


 ディアナはニコニコ笑って頷くと、「そうそう。よくできたね」と甘い声で囁いた。

 そして丁度他人が拭ける部分を拭き終えたので、「あとは自分でやってね」とタオルを押し付ける。


 ルナは受け取ってから暫くぽーっと眺めて首を傾げていたが、そのうち見様見真似で未だ濡れている箇所を拭き始めた。

 その間にディアナは篭から着替えを拾い上げる。


「…けどよぉ、ヴィスがそんなかでイチバンつえぇなら、ぶっころさねぇといけねぇハッピキってのもつよくねぇんじゃねえの?」


 ルナの一言に「あ゛ぁ!?」とヴィスが背を向けたまま怒鳴り返す。

 ディアナはそれにクスクスと笑い声を溢したが、こればかりはヴィスであっても可哀想だと思い少し注釈を入れる。


「彼は封印される前までは本当に強かったけど、僕の姉が封印を施してくれたお蔭で今では僕でも対処できる程度の力まで弱まってるよ」


 何とかディアナのお蔭で暴れる前に踏み留まったヴィスは眉間に皺を寄せたまま舌打ちして済ませた。

 そして直後ディアナが「万歳して」と呼び掛けながら服を着せてやり始めると、言われた通りに腕を上げてシフトドレスから首を出したルナがニカッと笑った。


「ディアナのねえちゃんってエレェんだな! エラいやつにあったらあいさつしろってにぃちゃん……え、えと、ヒャクニジュウゴバンタイがいつもいってたんだ! …だから、いつかあいさつにいくぜ!」


「……あ、いえ、…その…」


 ディアナは土壇場で戸惑ってしまった。

 返答を濁すなり、嘘をつくなり、やり方は幾らでもあったのに、彼女は感情の整理がつかず何もできなかった。


 そして、空いた間を誤魔化す言葉を探していたはずの彼女は、それを口にしようという時に不意に在りし日の姉を思い出し、俯くと別の言葉が溢れ落ちていた。


「………もう、姉さんはいないよ」


 言ってから、彼女はしまったと思った。

 けれどすぐに大丈夫だろうと思い直したのだ。

 ルナには何も分からないはずだと思ったのだ。


 しかし、顔を上げたディアナが眼にしたものは、怒りを露にして目を見開いたルナの姿だった。

 ルナはその目でディアナを見ると、確信を持ってゆっくりとヴィスに顔を向けていった。


「…てめえか」


 ルナは、彼女らしくないひどく低い声でボソリと呟いた。

 それは疑問ではなく事実確認のような響きだった。


「てめえだろ…」


 そしてそれに、遅れてヴィスが鼻で笑った。


「…ッ、ふざけんじゃねぇ!!」


「ま、待って! いいのルナ、僕は大丈夫だから!」


 一発殴ろうと走りかけていたルナの両腕をディアナが掴み止める。

 ルナは必死になってその腕を振り解こうとしたが、全身に淡い放電を纏ったディアナの腕力はルナの一歩先を行っていた。


 踠いて怒りをぶつけようとするルナを嘲笑うように、ヴィスがゆったりと振り返って睨み付けた。


「だったらどうする。貴様ごときがこの俺様を殺れると思っているのか? 肉弾戦でさえなければ今の俺様でも貴様など簡単にあしらえるぞ」


「うるせぇ! さっさとディアナにあやまれ! ディアナのねえちゃんにあやまれ! ころしてきたやつらとのこされたやつらのみんなにあやまってボロクソにしんじまえ! このくそったれ!」


 ルナの言葉を負け惜しみと思ったヴィスは高笑いしていた。

 それが余計にルナの心に憎悪の熱を与える。


 しかし、間も無くディアナがルナを抱き締め、そっと囁くようにして訴えるので、ルナは怒りの留め所を見失って狼狽えた。


「ルナ、お願い。僕は気にしないから、揉めたりなんかしないで。姉さんは確かにヴィスを封印するために命を落としたけど、それは姉さんが自分の意思で死んだのであって、彼が手を掛けて殺したわけではないから…」


「…そ、そんなの、あいつがころしたようなもんだ! オレもなかまをみんなころされたから、ディアナのきもちはいってぇほどわかんだ! しかもそいつが、あんなふうにわらってやがるなんて、ぜってぇゆるしちゃダメだ…!」


「…そんなこと言ったら、僕だって……」


 ディアナはそう言ったきり思い詰めて目を細めて固まっていた。

 ルナはその言葉の先を求めて振り返り、彼女の悲しく重たい表情に心を奪われていたが、ふとヴィスが笑い止んで楽しそうに声を上げたのでまた険しい顔で彼を見た。


「おい餓鬼、他人事のように言ってるが、貴様だってその大切な仲間とやらを殺した張本人なんだぜ」


「な、なんでぇそれ! てめえといっしょにすんない! オレはあいつらをころしたりなんか――」


「貴様が選ばれたから他の奴らは死んだ。俺様のせいでそいつの姉が死んだと言うなら、貴様だって同胞殺しだろうが」


 ルナは息を呑んで身体を強張らせた。

 彼の放った言葉は過酷な現実を彼女に思い遣りもなく叩きつけたのだ。


 そしてフラフラと足の力が抜けて揺れ、ディアナの手が離れるとそのままペタリと手をついて座り込んでしまう。


 ヴィスは途方に暮れた少女を馬鹿にしてゲラゲラと笑い出した。

 そしてその瞬間、これまで抑え込んでいた思いがとうとう爆発し、純粋な殺意のみを抱いたディアナが彼の目の前へと迫っていった。


「――ぐぼぁっ!!」


 水月へ深く抉り込んだボディブローにヴィスが悲鳴と血反吐を吐くと、ディアナは間を置かず左手で彼の後ろ髪を掴み、顔を引っ張り上げてから再び拳でその鼻先をへし折った。


「ぐおぉ…! き、貴さ――」


 そして更に身体の放電を激しくさせ、底上げされた腕力で頭から投げ倒すと膝で彼の両肘を磨り潰す勢いで馬乗りになり、思う存分殴り付けた。


 額やこめかみや顎などの脳を震わす部位は避け、徹底して目や鼻など苦痛を強いられるものを狙ってなぶり続ける。


「き、貴さ――ウグッ…! こ、このボフッ…! お、俺を誰だとおボッ! ぶち殺してやブフッ…!」


 発言など許さないというような気迫で無言で殴り続けるディアナに、ルナは自責の葛藤など忘れて放心していた。

 しかし、ひたすら拳を振りかざしている彼女の背中が何処か弱々しく縮こまって見え、ルナは何だか見ていられなくなった。


「も、もういいって! やめろよ、もう…」


 そう言って、ルナはディアナを背中から抱き締めた。

 ハッと息を呑んで振り上げていた拳を止めると、身体の放電を止め、またゆっくりと手を降ろして振り向いた。


「…こいつがいってるとおりだ。オレっちのせいでみんなしんだんだ。…けど、オレっちはこいつとおんなじにはならねぇ。しんじまったやつらをわらったりしねぇし、ひらきなおったりしねぇ。どんなきもちでいたらいいか、いっしょうけんめいかんがえてみるぜ」


「…いえ、ルナ、あなたのせいじゃないよ。……あなたの仲間を皆殺しにしたのは、本当は…」


 ディアナはまた、口を閉ざし葛藤した。

 今、この場で言うべきではないのは分かっているが、彼女自身の感情が黙っていることを許さなかった。


 そうして無言が漂う中、息を切らして二人を睨み付けていたヴィスの身体に赤い光が灯った。


「ぜ、絶対に許さんぞ…虫けらどもがぁッ!!」


 ディアナは急いで振り向き、ルナを庇って身構えたが、ヴィスはすぐに光を失い力も抜けていった。

 この期に及んでまだ罪を省みず殺意を滾らせている彼を、ルナは怒りより哀れみを胸に見下ろした。


「…すこしはいいやつなんじゃねぇかとおもってたオレがばかだった…」


「ち…、ちくしょう! うるせえんだよ餓鬼がッ! 俺様は怪霊王だぞ、この世を統べる究極の王だ! 甘ったれた貴様らのくだらん情などにこの俺様が染まってなるものか!! 封印を解き次第纏めて殺してやるから覚悟していろゴミどもめぇええッ!!」


 ヴィスは反省もなく怒鳴り返すが、殺意が抜けない限り彼は身動きが取れない。

 ディアナは立ち上がって彼の頭の先へと歩くと、その髪を引っ張り上げて起こさせた。


「がぁッ! き、貴様ぁ…!」


「痛い? そ、じゃあ離してあげる」


 彼女は冷たい眼で見てそう告げると、空いた手で手刀を作り彼の髪をスパッと切り裂いた。

 短くなった彼の髪がハラリと広がり、オールバックにしていた前髪も重さを失って前へと垂れていく。


 そうして再度床に倒れたヴィスが苦痛に呻きながら見上げる先で、切り離した長髪の束を持ち上げたディアナが見下していた。


「優しくしてあげていたのに付け上がった罰だよ。今回は髪を切り離した。…次、勝手なことをしたら右腕を切り離す」


「貴様ぁああッ…ただで済むと思うな――」


 ドスッ、と重い音を響かせて再び水月へ拳を打ち込む。

 虚弱化した身体で受けたヴィスは一溜まりもなく気を失った。


「…騒がせてごめんなさい。ルナ、早く着替えて神仙様のところへ行かないとね」


「お、おお…」


 ルナが頷いて篭の場所まで戻っていくと、ディアナは手の表面に水を発生させて付着した血を洗い流しながら近づいていった。

 そして着替えを再開すると、ルナは倒れたままのヴィスを見つめながら与えられた赤いコルセットに身体を通す。


「……ヴィスのやろー、おきたらまたあばれっかな?」


「でしょうね。封印のお蔭で、人を殺そうとすると動けなくなってくれるけど、とてもそれだけじゃ制御してられなさそう」


「そのくせおこりんぼだもんなぁ。オレっちもうあいつとモメゴトおこさねぇけど、やっぱなかよくできねぇよ」


 愚痴をつくルナに、フッ…と涼しく笑ったディアナは、仕上げにピンク色のペティコードを着けさせる。

 一応は人の前に出るのでジャケットかガウンも必要かと一度は思ったディアナだったが、既にルナが窮屈そうにしているのでやはり要らなかったかと思いほくそ笑んでいた。


「ディアナぁ…こいつおもてぇしくるしいぜ…。にんげんってなぁホントにこんなんまいにちきてんのかぁ?」


「ええ、そうだよ。今日は神仙様への最初の顔見せだからそれで我慢だね。明日以降は動きやすい好きな服装でいて大丈夫だから」


「ならいいけどよぉ~…」


 少し不満げなルナに赤い靴下と黒い靴を差し出し、脱ぎ捨てられた染み付きの白チュニックを篭に入れたディアナはヴィスを左脇に担いで立つ。


 脚を覆ったルナはその感触にうへぇと苦々しい顔をしてディアナの後に続く。

 シャワー室を出た二人は篭を置くために部屋を目指す。


「ヴィスを制御するための『良い物』を神仙様が持ってらっしゃるの。譲ってもらえるよう頼んでみましょう」


「いいもの?」


「そ、良い物」



※※※※※※※※※※※



「おそらくここにいるはずだけど…」


 部屋に戻った後に一度目が覚めて大暴れしたヴィスを再び殴って眠らせたディアナは、何も起きなかったかのように悠然と多目的フロアを歩いていた。


 ドン引きして後ろに続いていたルナは一面木材張りの広い空間に驚いたが、そこにたくさんの男達が個別にスペースを取って作業しているのを見て更に驚いていた。


 男達は皆服を(はだ)けて武器・防具の手入れや薬品調合など諸々の仕事を行い、一部の者はそれを納品すべき所へ抱えて走ったりしていた。


「こいつらみんなにんげんかぁ。いってぇなにやってんでぇ?」


「軍の裏方の人達だね。戦いに参加しない人達もこうして必要な準備のために頑張ってくれてるの。…仙活湯を作れるのは神仙様だけだから、今日もここを離れてはいないと思うけど…」


 ふーん…、と感慨深そうに頷いたルナの眼を、不意に遠くの人影が引いた。

 未だキョロキョロと探しているディアナの袖をルナが控え目にちょいちょいと引いた。


「シンセンさまってなぁどんなかっこうしてんでぇ?」


「髪とお髭が長くて白いご老人だよ。そういえば眉毛も長かったか。とても聡明なお方で、寝る間も惜しんでここの人達と一緒に支援物資の用意をしてくださってるの。怪霊術の権威だから自ら兵の育成にも携わっているし、多分ここで一番働いているよ」


「かみとひげとまゆがなげぇってんなら、あいつがそれじゃねぇか?」


 ルナが遥か先の老人を指差す。


 先述の容姿に加えて長裾の白い漢服を着た高貴そうな老人が額に汗を滲ませて用意された椅子に腰掛け、人々が列を作って次々に運んでくる水入りの小瓶の一つ一つに両手を翳し怪霊力を注ぎ込みながら「ああああもうやだああああああ!!」と泣き叫び地団駄を踏んでいた。


「あれだろ? シンセンさま」


「……そ、そう…だね。うん、あれ…」


 ディアナが苦笑いしている訳が分からないルナはじぃーっと威厳もクソもなく泣き喚いている老人を見つめた。


「なんかたいへんそうにしてんなぁ。…あ、ディアナ、そーめいってなんでぇ? そういやぁこーはいもざっしゅなんとかもまだきいてなかったしよ。おしえてくれぇ」


「い、いまはちょっと…。あ、後でね。後で」


 ディアナはハハハ…と乾いた笑みを返しながらルナの手を引いて歩き出した。

 そうすると神仙様と呼ばれた男のみっともない叫び声も近づいてくる。


「やだやだ! もうわしやだ! 毎日毎日薬作って指導しての繰り返しで休む暇が無いんじゃ! どう考えても他の奴よりよっぽど仕事しとるのに全然金貰えないし何でわしこんなに頑張ってんの!? 老い先短いわしにこんなことさせて胸痛くなんない!? あーもー知らんもんねー絶対働いてやんないもんねー! あいつらみんなタンスに小指ぶつけて死ねばいいんだ! バーカバーカ皇帝のバーカ!」


「あ、あのぉ~……お…お師匠様~…?」


 恐る恐ると近寄って声を掛けたディアナに泣きっ面の彼が睨み返したが、彼女と分かるとパッと居住まいを正して「お、おお、よく来おったな」と体裁を整えた。


「これはディアナ様! 丁度良いところに御越しいただき助かりましたよ…! 神仙様がここ数日何回となくこんな風に騒ぎ始めるのでみんなで困っていたんです。ディアナ様からどうにか言っていただけませんか…?」


「こ、これ! でたらめを言うでない!」


 目の前で小瓶を差し出して仙活湯の精製を待っていた男が後ろの列の男達と顔を見合わせて笑うと、神仙は慌てて腕を振り、すぐに精製に取り掛かった。


 ルナが不思議そうに彼を観察する横で、やはり苦笑いを浮かべているディアナは脇にヴィスを下ろして彼のすぐ傍まで歩み寄り、腰を屈めて耳打ちした。


「ご多忙は承知ですし、大変痛み入りますが、どうか皆さんのためにもう暫し辛抱なさってくださいませんか。皆、お師匠様が頼りですから…」


「そ、そうか…。う、うん。じゃあ、頑張っちゃおっかな…」


 ディアナの一声であっさりヤケクソムードから切り替わり、

「お前達シャキシャキ動け! 仕事は待ってくれんぞ!」

 と威勢良く叫んで素早く目の前の一本を精製し終えた。


 神仙がやる気を出したのは大変良い事ではあるが、訪れた用事があるので中々切り出し辛く思いながらも意を決して、


「いえ、その、実はお師匠様にお願いしたいことがあって…」


 とディアナが打ち明けると、「お前達! やっぱ休憩!」とあっさり手の平を返して椅子から立ち上がった。


 列を成していた男達は呆れ笑いを浮かべて各々に文句を言いながら散らばっていった。


「すまんすまん、ほいで、どうしたんじゃ。もうお前にわしが教えることはないぞ。今のお前は教わるより自ら編み出す段階にあるのじゃからな」


「ええ、お師匠様の教えを享受し日々邁進しております。…本日は、例の怪霊王を手中に収めたので、彼を拘束するための物をお借りしたいのと、彼女に修業をつけてもいただきたく伺いまして」


 神仙はほうほうと頷くとうつ伏せに倒れているヴィスと、まん丸い目で見上げているルナとを見て今一度ふむと頷いた。

 そこでルナが向けられた視線に言葉を返す。


「なぁ、おめえがシンセンさまだろ?」


「うむ、如何にも。わしが巷で二怪霊神仙なんぞと呼ばれてるじじいじゃよ。名をレイ・テッカイと申す。よろぴく」


「ルナだ、よろぴく。そんじゃあよぉ、そーめいってしってっか? あと、こーはいと、ざっしゅなんとか」


「そうめん? 好きじゃよ。後輩…まぁディアナ嬢は師弟関係を終えたんじゃから今やわしの後輩と言っても過言ではないな。サッシュベルトは巻いてないぞい」


 ディアナは二人の会話を聞きながら頬をポリポリと掻いて、「お師匠様、拘束具を…」と急かした。


「分かっとる分かっとる。ほれ、そこの椅子の下じゃ。どうせ近い内に来るじゃろと思ったから持ち歩いておったんじゃ」


「そうでしたか。お心配り感謝致します」


 言われてしゃがみ込むと椅子の下には鎖を巻き付けられた鉄の箱が置いてある。

 ディアナは改めて頭を下げるとその箱を持ち上げて軽く揺すり、ゴトゴトという音を聞き届けて立ち上がった。


「それと、わしがこの子の面倒を見るのはちと無理じゃぞ。兵士どもとは事情が違うのじゃから一緒に指導するのは却って成長を妨げかねん。それにここの兵士は少し偏見体質が過ぎるもんじゃから、この子を同じ空間にやるのは承諾できんぞ」


「…やはり、難しいのですね。…それは困った…」


 ディアナは半ば理解してはいたというような諦めかけの態度で向かい合った。

 ルナはキョロキョロと二人を見て、「なんでぇ? むずかしいってか?」と話に置いていかれつつ不思議そうにしている。


 早々に予定が頓挫したかと気落ちするディアナだったが、神仙は平気な顔をして「心配要らんじゃろ」と声を掛けた。


「お前がその子の師匠になればええんじゃ」


「…僕が、ルナの…ですか?」


 神仙が頷くと、ディアナは放心したままルナへと視線を移した。

 この数年若輩者として弁えていた自分が師と仰がれるなどとは、ディアナは夢にも思わなかったのだ。


 ルナはぽかんと目を見開いてピコピコと耳を震わせていた。

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