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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
五行之篇
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六一ノ業 工業都市ロンドランの暗部、待ち受ける南の神獣

 ロンドラン市街はその中央を工業都市として栄えさせているものの、その周りをC字状に囲う貧困地帯は凄惨なものであった。

 元は市の発展を願って進められ、初期には住民達の手で運営されていた工場群は、今や各地から抜擢されたエリート達の運用に擦り替わってしまい、元いた従業員達は大規模リストラを受けて工場都市区域を追われた。


 貧困地帯に住むのは工業都市や他の地区からはみ出された難民達とも呼べた。


 そこに、貧困層には似つかわしくない美しい豪邸が建っていて、一階、二階、三階と、あらゆる部屋の窓から過激なドレスを着た様々な女性が身を乗り出して、道行く人々に笑顔を振り撒いていた。


「団体さぁん! 時間、空いてるー?」


 姦しい女達の笑い声に混じって、一人が二階の窓から明るい声を張り上げている。

 それに釣られてか、他の部屋の女達も声を上げる。


「お兄さん達、仕事帰りーっ?」

「ねぇ寄ってって! 休んできなよ、疲れなんか吹っ飛ばしちゃうからっ!」

「あっ、一番前の人あたし好みかも! ねぇねぇ、こっち向いて! あたしのところに来て!」


 美女達の熱烈な歓迎にだらしなく頬を弛めて顔を見合わせている隊員達。

 その一人が冗談めかして、「隊長、呼ばれてますよ」と声を掛けてくると、クレドは彼らしくもない冷たい声を掛けた。


「今は仕事中です、集中してください。行きたければ、調査が終わってから個人的に行けばいいですし」


「あはは、分かってますよ。フォルティス伍長は真面目ですね。……っと、あぁ、まずディアナ様がいらっしゃいますもんね。こういったところへは普段もあまり来られませんか」


「そうですね、あまり…」


 クレドは言葉少なに答えるとスタスタと足を速めていく。

 窓から呼び込もうとしていた女性達もクレドが揺らがないことを知ると、また標的を変えて黄色い声を上げ始めた。


 その内、工業都市の方から歩いてきたスーツ姿の団体がいくらかその豪邸へと進んでいく。

 それに合わせて豪邸の十数部屋が窓を締め切った。


「…それにしてもこんな儲かりそうもない場所にあんな立派な建物まで構えて売春ってのも分からないですね」


 隊員の一人が未練がましく豪邸を振り向きながらそう溢すと、クレドは少し不機嫌になりながらも口を開いた。


「……工業都市なんかの富裕層が御忍びで通う用の娼館ですよ。ある程度の規模感のある施設の方が良いけど世間にはあまり大っぴらにしたくない、というのでこんな場所に設けられてるんです。それと、あの豪邸は娼館として建てられたものじゃないですよ。元々ここに建っていた豪邸が安値で売られたので、それを難民達の集金で買い取ったんです」


「へぇ…。伍長、何か詳しいですね。実は常連だったり…」


「気に入らないから調べただけです」


「……ピリピリしてますね、今日」


 少々威圧されてしまって苦笑いしている隊員に、八つ当たりだったと思い直したクレドは「…すみません」と一言謝った。

 居心地の悪い静寂が一団を包む中、その最後尾を歩くルキウスは退屈そうに鞘を掴み、親指を鍔に掛けて刃を抜いたり納めたりと手悪さをしている。


 クレドの背後を歩く隊員は沈黙を埋めるように口を開く。


「……しかし、ここがこんな有り様だとディアナ様も悲しいでしょうね」


「……」


「ほら、ディアナ様が暮らしていたのも、ここロンドラン市街なんでしょう? …あぁ、でも、高貴な産まれで豪邸も持ってらしたんでしたっけ。じゃあ中央区の富裕層だから、貧困地帯のことは関係ないですかね。あはは…」


「さっきの豪邸がディアナが昔暮らしていた家です。二年程前までは今歩いているこの道路もあの豪邸の敷地内で立派な塀に囲まれていましたが、娼館にするために撤去されたようですね」


 隊員は遂に口を噤んだ。

 クレドは今一度感情的になってしまったのを悔い、ぎこちなくも笑い掛ける。


「彼女が自分の意思で売却した家ですし、その後どうなっていたとしても僕達が感傷に浸る必要は無いんですけどね…」


 隊員が苦し紛れの苦笑いで応えると、その後はただ無言で目的地へと歩き続けた。

 ふと、最後尾を歩くルキウスを一瞥すると、彼もまたクレドの後ろ姿をじっと凝視していたらしいことに気が付いた。


「…ルキウス様、くれぐれも私の指示の範疇での行動をお願いします。今回、隊長は私ですからね」


「…散々な言い様だな。勿論そうしようとも」


「ならまず剣をちゃんと鞘に納めて手も柄から放してください。タチの悪い冗談は止すことです」


「……フッ」


 ルキウスは半分ほど抜いて陽に照らしていた刃をカチャリと鞘に全て納めると、ゆっくり両手を肩まで上げて見せた。


「ここは暑くて好かない。剣は冷たくて好きだ。触れればこの火照る手の平から熱を吸い、輝く様は清涼そのものだ。…あまり暑いと、苛立って敵わん。思わず血を浴びて涼みたくなる程にな」


「…水でも浴びていればいい」


 クレドは冷たく言い放ち、ルキウスは静かに両手を降ろした。

 その一触即発の空気に隊員達は背筋を伸ばした。


 人通りの多い路地をもうじき抜ける頃、赤煉瓦の小さな店の前に複数の親子連れが屯して楽しそうに騒いでいるのが見える。

 クレドはそれに気が付くと、神妙な面持ちで足を止め、じっと眺めていた。


「…隊長? どうかしたんですか?」


 すぐ後ろの隊員に呼び掛けられると、クレドは「いや」と首を振ってまた歩き出そうとした。

 しかし丁度同じタイミングで赤煉瓦の店主がズカズカと歩いてくると、クレドは自らもそちらへ歩み寄っていった。


 店主の男の表情が猜疑心と敵意に充ちているのを感じると、クレドは少し寂しく笑った。


「軍人さんが遥々こんな掃き溜めに何の御用ですかね?」


「失礼しました。たまたま通り掛かっただけなのですが、和やかな空気に、つい足が……」


「…そうかい。まぁさっさと行きな。俺も昔は兵士だったからあんたらのお立場ってやつも分かってやれるつもりだが、この辺はあんたら軍人を恨んでる奴らばっかりだ。あんまり無駄に歩き回ってっと刺されちまうぞ」


「はい、ご忠告感謝します。……ただ、一つ」


 クレドは男の前で一度佇まいを正した。

 男は面食らって彼の目を見る。


「ルナちゃんが以前お世話になりました。…一ヶ月前になりますけど、その、ネックレスの作り方を教えていただいたとか…」


「ルナ……って…―――おぉ、もしかしてあんた嬢ちゃんの知り合いか! あの尻尾生えた!」


「あ、そうです。その節はありがとうございました」


 男は打って変わって嬉しそうに笑い出すと、自慢するように親指で自分の店を指した。

 店の前ではアルバイトらしき若者が数人、その男に代わって子供達の小物作りの手伝いをしている。


「礼を言うのはこっちってもんだ。あの一件でやり方を変えてな、最近は近所のガキども呼んでレクチャーしてやってんだよ。ま、相変わらず売れねぇのは変わらねぇけどよ、それでも買ってく奴は買ってくようになってきたんで、それなりに暮らせてる」


「噂はパロまで届いてきてますよ。…そういえば今月のジュエリー展覧会、ご自身の作品を出展するそうですね。出展元にいつもは見ない店名があって少し驚いたんですよ」


「おぉ、まぁ、昔の教え子のコネでな。兄さん、若男の癖して宝石展なんか見んのかい。入場料も馬鹿にならない式典だってのに」


「あ、いや、知り合いに以前連れられたことがあって、その内また行きたいと思っていたところに号外が飛び込んできたもので」


 ほーん…と面白そうに笑っていた男は、ふと思い出したようにクレドの背後で待機している隊列を見て後退る。


「引き留めて悪かったな、兄さん。仕事中なんだろ、行きな」


「あ、はい! …すみません皆さん、行きましょう」


 クレドは男の視線を追って我に返り、せかせかと目的地へ歩き始めた。

 男はその場から見送ろうとしていたが、「お、そうだった!」と大声を上げて、今一度クレドを呼び止める。


「嬢ちゃんによろしく言っといてくれよ。あと、その内また顔出してこいってな」


「……」


 クレドは暫しキョトンと男の顔を見つめると、妙に胸の内から沸き上がってくる温かい気持ちに表情を柔らかくした。


「…はい、伝えておきます」


 クレドは小さく会釈をして去っていった。

 店を十分離れてから、隊員が彼にポツリと訊ねる。


「あの、『ルナちゃん』ってルナールのことですか?」


「ええ、そうですけど」


「あまり一般の人間に認知されるとマズくないですかね? 隊長は人が良いからアレを普通の人間と一緒くたにできるんでしょうけど、実際アレは軍が機密扱いにしてる生物兵器だって事実は拭えないんですよ。…それに、そうじゃなくても、……こう言うと私が性格悪く思われてしまいますが、事情も知らずにアレを見て他の人間と同じように接することができる人間なんてほんの一握りですよ。…ルナールだって実験の被害者と言えばその通りですが、それなら尚更人間からは引き離した方がお互いのためなんじゃ……」


 隊員は最大限クレドに気を使いながら、言いたいことを真っ直ぐに伝えてきた。

 その口調にはフリヴォラの時とは違い、明らかな後ろめたさも介在している。


「…仰りたいことは分かります。でも、…僕は彼女と友達になれました。ディアナも、二怪霊神仙様も。…そして、さっきの人も。……ほんの一握りかもしれないけれど、それは彼女が積極的に関わってくれたからこそ生まれた絆です。その機会をただ奪ってしまうことが、正しいことのようには思えないんですよ」


 静かに訴え掛けてくるクレドの言葉だったが、隊員はやはり渋い顔を横に振った。


「…一握りは一握りですよ。ルナールがいくら人間を許して、味方をすると口にしたとしても、地下での経歴を知っている他の人間にはとても信じられませんよ。ルナールが腹の底で人間を恨んでいないだなんて、裏切らないだなんて、どうやって証明することができるんですか」


 クレドにも事の難しさはよく分かっている。

 一介の兵士でしかない彼の耳には、常々ルナールに対する率直な言葉が流れ込んでくる。


「ルナールに復讐されるかもしれない恐怖を軍が抱いている限り、その壁が消えることはありません」



※※※※※※※※※※※



「よし! やっと帰ってこれたなっ!」


 普通の狐サイズまで縮小した天狐の背中に股がったルナは、走り出して数十分でパロが見えてくると万歳して達成感を表した。

 隣を走っていたヴィスはそっとその背中に手を添えて、「振り落とされるぞ、掴まっていろ」と窘めた。


 天狐は目前に迫りつつある人の気配に憂鬱そうに瞳を伏せ、縋るようにルナへと振り向く。


「…ルナ、私が人里へ踏み入っても本当に良いのであろうか。人は怪霊獣とは違い、異なる存在に対し異様に辛辣だ。一度相見(ひとたびあいまみ)えれば騒ぎは免れぬ」


「まぁそーなっかもな。オレっち達全員人間じゃねぇし。人間に捕まんねぇよーに屋根の上一気に走り抜けて城に行こうぜ。そこでディアナとノサティスと落ち合うことになってっから」


「…ふむ、人間は避けて行くか。やはり人間全てと分かり合えた訳ではないのだな。そのディアナという人間とルナとが分かり合えたのは、紆余曲折の賜物という事か」


「ディアナだけじゃねぇぜ、ディアナの(つがい)のクレドって男も友達でぇ。…クレドにも、会ったら色々ちゃんと謝んねぇとだけどな。それと神仙様とか、アクセ売りのおっちゃんとか…」


 ルナはそうして挙げている内に追憶を深め、遠くを見るように目を細めた。


「…今のオレっちなら、ソウラモンブルの奴らとももっと上手いこと友達になれたのかな」


「ソウラモンブル…?」


「ん、あぁ、こっちの話でぇ。ま、誰とでも友達になろうってなぁ、難しいってこったな」


 そう言いながらもルナは朗らかに笑う。

 天狐は、不思議と力強さを感じる彼女の笑顔を神妙に見つめると、また前を向いて話し出す。


「話を戻させてもらうが、そのディアナという人間と合流した後、ノサティスという怪霊獣と別れるのであったな。ノサティスというのは元々、怪霊衆リーラハールスの部下であり、経緯上ぬらりひょん討伐に際して協力関係にあった。そしてその協力はこの合流を以て打ち止めになる。ここまでの理解は良いだろうか?」


「んー、まぁそんな感じでぇ。語弊はあるけど、細けぇとこ突っつくと天狐が混乱しちまうし、その理解でいい」


「うむ。…今までにメデューサとぬらりひょんの二体の怪霊衆を倒し、残る六体を倒すため旅を続けるのだったな。つまり、私がルナに同行するということは、私も怪霊衆との戦いに参戦するということになる」


 ルナはそれを聞くと僅かに身構えていたが、天狐は然程心を乱された様子は無く会話を続けた。

 会話に交じらず並走するヴィスはただ前を向いて傍聞いている。


「牛鬼の意思を背負いたいおめえからしてみりゃあ、こんな殺し合い不本意だろ? …無理についてこなくたって、良い住み処を見つけたらそこに住むようにすりゃいい。オレっち、旅の合間々々で会いに行くよ」


「確かに無益な戦いであるならば遠慮はしたいところだ。けれども、私はその前に『怪霊衆』とは何なのか…それを明らかにしたい。私が九尾となる以前にはそんな集団は無かったが、私の仲間達を洗脳して引き込んでいったぬらりひょんのあの行為こそ、怪霊衆が編成される前兆であったろうことは分かる。……この世には道理の通らぬ悪が在る。ぬらりひょんは、滅ぼさねばならぬ悪だった。ぬらりひょんのような悪がのさばる集団であらば、それを容認することはできぬ」


「なるほどな。…まぁそれでも積極的に戦うこたぁねぇさ。元々オレっち達の戦いだ。天狐まで出張ってくるこたぁねぇ」


 一度九尾へと堕ちた天狐は、自分が牛鬼のようにはできない事をよく理解している。

 だからこそ、現実的に実現できる線引きを設けていた。

 それ故の天狐の結論が、『怪霊衆殲滅への合意』だった。


「…ディアナと…人間と行動を共にすんのは…どうだ? 確かおめえ、人間にもひでぇことされたって…」


「悪意ある人間もいればそうでない人間もいる事くらいは私とて理解している。少なくともそなたが信を置いている人間に悪い者などいないであろう」


「そっか。そんなら安心だなっ」


 少々不安な面持ちだったルナも安心するとニカッと笑みを返す。

 しかし、不意にそこで天狐の脚がピタリと止まる。

 ヴィスも一歩遅れて立ち止まると「何だ?」と訝しそうに天狐に訊ねた。


 天狐は険しく眉を顰めて空を見上げ、ルナ、ヴィスと続けて天を仰いだ。

 そしてその直後、迫り来る異変を悟ると同時に三者は散り、大きく三角の陣形を取った。


 上空から真っ直ぐに降下してきた何者かが、着地の勢いで土煙を巻き上げてその身を隠している。


「…ほう、こうも早々に、しかも貴様から攻めてくるとは思わなかったぜ。誰の入れ知恵でやって来たか知らんが、せっかちな性分は相変わらずのようだな…―――」


 土煙が薄まり、大きく、燃えるような鮮やかな赤色の羽を折り畳んだ怪鳥が、七色の尾を気分良さそうにふわりと振り上げながら三者を見下ろした。

 その荘厳な見た目に反し、怪鳥の目は俗っぽい粗暴さを孕んで笑っている。


「――なぁ、朱雀」


 言って不敵に笑うヴィスに、朱雀はクククと喉の奥で笑う。

 そして翼を広げて大きく羽ばたき、嵐のような風を起こして十メートル程上昇する。


「ヘッ、その上から目線も久しぶりじゃねぇかよ。前に麒麟の雷で撃ち抜いてやった時、リーラの野郎からお前らの根城がパロだってのは聞いてたからな。ここで待っていれば必ず会えると思ってたぜ」


「フン、そんな事だろうと思ったがな。大人しく基地でふんぞり返っていればその内攻め込んでやったものをわざわざ出向いてくるとは」


「怪霊王ともあろうお方が随分お疲れじゃねぇか。ぬらりひょんを倒して帰ってきたとこか? …ってことは、九尾の野郎にも会ったはずだが、まさか倒せたのか?」


「その通りだと言ってやれれば俺様も誇らしいのだがな、残念だが今の俺様には倒せん。…だが代わりに、憎しみに囚われた九尾を改心させ、元の優しさを取り戻させた。九尾と呼ばれた化け物はもうおらん、今は天狐という一匹の小さな怪霊獣に過ぎん。しかしそれを俺様達の手柄とは言うまい。…その小さくとも強い心の力が、九尾という憎しみの権化に打ち勝ったのだからな」


 ヴィスは饒舌に九尾の顛末を語った。

 それは、九尾に対抗心を燃やしていた朱雀に対する礼儀として、九尾の正体たる天狐が如何に称賛に価する相手であったかを伝えたい真摯な気持ちからだった。


 しかし、それを聞いた朱雀の表情はというと、気の抜けたようなものだった。

 それは九尾に対しても、ヴィスに対しても向けている失望の眼差しだった。


「…九尾が戦いの中で散らず、そんな消化不良なまま消えてしまったのはいただけねぇが……何よりガッカリなのはお前だぜ、ヴィスドミナトルさんよ」


「あぁ? 何が言いたい」


「『憎しみ』…『改心』…『優しさ』……『心の力』だぁ…? 昔のお前はそんな下らねぇことウダウダ言わなかったぜ。暴力だ、全てを暴力と支配で片付けてきた。俺はそんなお前が気に入ってたんだ、好敵手だと思ってたよ。だが今のお前は駄目だ、てんで甘ちゃんに成り下がりやがった。…ひ弱な人間どもと馴れ合っていたのが悪いんだよ」


 ヴィスは朱雀の言葉に「あぁ…」と頷くと、逆に見下げたような視線を突き返した。

 そうとは気付かず朱雀は天狐に眼を移す。

 天狐は朱雀の敵意に探るような視線で応じる。


「で、そこにいるのが『九尾だったもの』ってことか。…天狐だったか? どうすれば九尾に戻る? 確か、憎しみを優しさで塗り替えたとかほざいてたな……もう一度その憎しみとやらを引き出してやれば戻るのか?」


「……何故そなたは九尾に拘る? もしそなたの恨みを買うような事をしたならば、それを教えてはくれぬか。謝罪をして然るべき償いをしたい」


「……フ…プハハッ! 何だよ、お前もヴィスドミナトルと同じか! 恨みだの謝罪だのと…馬鹿馬鹿しい事を口走るな。現実ってのはもっと簡単なもんだぜ。…殺したいから殺す、楽しいから殺す、それ以外に何があるってんだよ。…九尾とは一戦交えたが、あれは満足行く楽しい殺し合いだったぜ。だがあの時、敗けた俺にお前はトドメを差さなかった。だからまだ戦いは続くのさ…! 殺して楽しい奴がいる限り俺の戦いは終わらない…!!」


 朱雀は心から楽しそうに、声高に答えた。

 胸を張ってすらいるように見えた。


 天狐はそれを見上げながらに直感する。

 チラリと、いつでも霊玉操を使えるように臨戦態勢を取っているルナを一瞥し、天狐は静かに言い放つ。


「ルナ、そなたの旅に私も積極的に関わっていくこととした。…この者は滅ぼさねばならぬ悪そのものだ」


 朱雀はニヤリと笑うと、今一度大きく翼を振り被る。


「良い心掛けだ、ならさっさと九尾に戻れよ…!」


 叫び、天狐を目掛けて急速に飛び掛かる。


「――ッ! 速ぇな、オレっちじゃあ間に合わねぇ!」


 ルナが少し焦った調子で声を上げる中、朱雀は周囲への警戒は怠らないまま更に突き進み、最短距離で天狐を狙う。


 天狐は具象変化を解いて体高五メートルの大きさに戻り、そのまま頭上に振り上げた尻尾を赤く輝かせる。

 朱雀は嬉々として自らも虹色の細い尾をぐるりと身体の上で曲げて前を向かせる。


 そして両者同時に我霊射を放つ。


「力比べと行こうじゃねぇか! 九尾狐の残りカスよぉ!!」


 朱雀は避けもせず直進し、天狐は先が読めるとすぐに横への回避に転じようとしていた。

 互いに尾を痛めない最低限のレベルに抑えた出力だったが、それでも力量差は歴然だった。


 天狐の我霊射はバチンッと朱雀の我霊射に弾かれ消し去られる。

 生き残った我霊射は鋭く、真っ直ぐに天狐の胴を目指し、回避に要する時間や余裕など決して与えない。


 そしてそれは、見事に天狐の腰に命中する。


「グウッ…!」


 身体を打たれ転ばされた天狐だが、傷は薄い痣で済んでいる。

 それもそのはず、朱雀の我霊射の目的は天狐を殺す事には無い。

 殺す気で撃てば朱雀の尾も無事ではなかったのだ。


 朱雀が繰り出すトドメの一撃は、常に決まってその鋭利な嘴によるものだった。


「こんなもんか!? 早く九尾になれよッ、このまま殺されてぇかあッ!!」


 朱雀の叫び声に天狐はキッと睨み返す。

 そして咄嗟に起き上がれない身体を具象変化で流動化し、地面をズルズルと動いて回避しようとする。

 しかし、速度差が二倍以上になる朱雀を相手にして回避などできるはずもなく、天狐の移動はまるで間に合っていない。


「興醒めだぜクソ狐! そんなに死にてぇなら――」


「――愚直な突撃…貴様はまるで変わらんな」


 突如朱雀の怒声を遮ったのは、その進行方向を先読みして跳び蹴りを仕掛けたヴィスだった。

 予備動作に発光が伴って気付かれ易い我霊射より、自らの肉体で攻撃を仕掛けたのだ。


 しかし朱雀は驚かない。

 一対三であることは初めから頭にあったのだから当然だった。

 朱雀は天狐がまだ暫く元の姿に戻らないであろう事をチラリと確認しながら急旋回してヴィスの蹴りに蹴りでぶつかる。


 大気を通して地面が揺れるような強い衝撃波を生みながら衝突した彼らの脚には互いに痣が付く。

 ヴィスにはくっきりとした黒痣が付き、朱雀は赤黒い痣から血が滲み大きく膨れ上がっていく。

 更に脚骨が軋むような感触に、朱雀はヴィスとの肉体の差を明確に理解した。


「…クッ…強いな…! だがッ…!」


 朱雀は元々の進行方向から少しずれた方へと落下していきながら尾を素早くヴィスへと向ける。

 我霊射を放たれるのは明白だが、空中での移動手段が操霊しかないヴィスでは回避し続けるにも限界がある。


「動きを鈍らせれば殺れねぇ事はねぇな!!」


 朱雀は身体の上に伸ばした尾から矢継ぎ早に我霊射を撃ちつつ、羽ばたいてその場に滞空する。

 地上に降りられなくなったヴィスは低速で飛び回らずを得ないであろう、我霊射に注意を向けて隙が出来ればそこに突撃を仕掛ければいい―――それが朱雀の策だった。


「どうだよ、愚直かどうかその眼で見やがれ!」


 自信に満ちた朱雀の笑い声。

 しかし、落下進路に待ち受けるように迫る数発の我霊射を、ヴィスはフンと鼻で笑っていた。


「あぁ、()()だな。避ける以外にも手はある」


 ヴィスが行ったのは、たった一発、直上に向けた弱い我霊射。

 ヴィス自身はその推進力で急下降し、朱雀からの我霊射は引っ張られるようにヴィスの頭上へと反り上がって通過した。


「――なッ……に…」


 呆気に取られた朱雀はそのままヴィスが無事に着地してみせるまで見送る。

 ヴィスはそんな朱雀に再び嘲るようにフンと鼻を鳴らした。


「貴様の短絡的な我霊射など恐れるに足らん。確かにかつてのような強大なパワーは失ったが、封印による弱体化はこの俺様に創意工夫の余地を与えてくれた。力弱くとも、術を高めた今の俺様ならば、貴様程度は十分に相手取れる」


「………」


 朱雀は高らかに宣言したヴィスをじっと空から見下ろした。

 戦力差を思い知って戦意喪失でもしたかとヴィスは朱雀の神妙な顔を薄ら笑いを浮かべて見上げる。


 ルナは具象変化を解いた天狐の前に立ち塞がるようにし、両手に作った霊玉操に繰り返し怪霊力を凝縮していく。

 仙攻丹が無ければ機動力を得るのにそれなりの時間を使ってしまうルナは、この場では天狐の護衛に徹するのが最善と踏んだのだった。


「…なるほど、今のが『我霊射外し』か」


 朱雀がそのように呟いて一人で納得すると、ヴィスもルナも驚愕し目を見張った。

 『我霊射外し』という名称は、三之明(みのさや)内での呼称であり、怪霊獣に広まっているものではない。


「貴様、どこでその名を…」


「ヘッ、何驚いてやがる。相手の霊力波長と同じ我霊射を撃ち、その引力によって相手が撃った我霊射の軌道を逸らす……メデューサ戦で使った技だろ。そして、その場にはノサティスがいた。俺はリーラともそれなりに付き合いがあるからな、リーラを介して幾らでも話は聞いてんだよ」


「……フン、そういうことか」


 元々が敵対関係だったノサティスのやることをヴィスは責めたりはしない。

 寧ろこれ以上無く当然の理屈として受け止めていた。


 更に朱雀はその場から振り返ってルナを見る。

 臆しもせず睨み返してくるルナの眼と、紫から段々と白い光を中央に帯び始めていく霊玉操とを見て、朱雀は静かに読霊を伸ばしに掛かった。


「…なるほど、そいつがルース・コリジェンツとか言う技か。読霊の展開と操霊による怪霊力の操作・凝縮を一切の途切れ無く繰り返し、霊玉操を強化していく超難易度の応用怪霊術。……それにお前のそのデカい耳、尻尾、そして瞳……そうか、お前がスティリウスの妹…名前は確か、ルナとか言ったなぁ……」


「…勝手に自分の事知られてんなぁ気持ち悪ぃな…。自己紹介くらいしねぇのか、朱雀」


「…プッ…カハハハッ! おぉいいじゃねぇか、その返し文句。スティリウスにそっくりだぜ…」


 朱雀は満足そうに笑いながら、羽ばたいて上昇していく。


「逃げるのか」


 ヴィスが挑発めいた響きで呼び掛けるが、朱雀は何の気も無いように「ああ」と言い返す。

 両者は威圧するように睨み合う。


「ここで殺したいならそうしてくれても構わねぇんだぜ、ヴィスドミナトル。空を飛んで俺に追い付けるんならな」


「貴様が怖がって降りてこんからな。…臆病者め、貴様が接近戦を挑んだ暁には圧倒的な敗北をくれてやる」


「怖いねぇ。…認めてやるよ。甘ちゃんだが、お前はやっぱり俺より強い。殺り合うには俺も準備がいる。…例えばそう、麒麟の力を手に入れるとかな」


 負け惜しみと呼ぶには朱雀の笑みは剰りに自信染みていた。

 ヴィスはその最後の一言に、「麒麟の力だと…?」とピクリと目尻を震わせた。


「…麒麟が俺達四神の力と魂の結合体であることは分かった。…もう少しだ、後少し…ほんの一押しで、俺達が麒麟の力を完全に制御することができる。……その時こそ、お前らを、この手で…」


 朱雀は翼の一振りで旋風を巻き起こし、それに乗じてパロを飛び去っていく。

 ヴィス、ルナは腕で顔を覆って、天狐は身を縮めて土煙を凌ぎ、それが過ぎ去ってから朱雀の消えていった暗雲の空を睨み付けた。

・朱雀

握力1,500t

刺突力4,000t(嘴攻撃 ×100)

キック力10,000t(爪攻撃 ×100)

耐久度2,500,000

飛行速度100,000m/s

走力25,000m/s

霊力3,000,000

怪霊領域3,000,000

術:我霊閃、我霊射、読霊、操霊、発霊

回復力:10,000

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