五九ノ業 妖怪島の決着!心の力で立ち向かえ!
島を割りながら振り乱される九つの尾、ヴィスはその全ての速度を圧倒的に上回りながら避け続ける。
スティリウスが変化したアームバングルからは、全身に赤い稲妻が、万全を期して一秒に十という果てしない頻度で流れている。
走力は既に、秒速およそ一〇二〇キロメートル。
九尾の二倍以上の速度を以て、その手数の差を解決していた。
「ルナ、やれるか…!?」
尾を回避して接近を果たしたヴィスはそのまま九尾の脚を駆け登り、顔を目指して突撃していく。
アームバングルと化したルナは口を使えないため、テレパシーで『おう』と答える。
そして間も置かず、九尾に心と声を送り始めた。
《もう暴れんのはやめろ、天狐!》
九尾は大きく牙を剥き出しにした恐ろしい形相のまま、ヴィスへと我霊射の狙いを定めていた三つの尾のをピタリと止めた。
すぐに思い出したように我霊射は発射されたが、逸早く回避の準備を整えていたヴィスは九尾の背の上を踊るように動き、軽やかに躱していく。
《おめえがどんな憎しみを背負ってんのか知んねぇけど、おめえにはもっと大事にしたいものがあったんじゃねぇのか!? それを思い出すんでい!》
ヴィスを振り払おうと引いていた九尾の前肢が止まった。
その隙にヴィスは九尾の背中から飛び降り、腹の下を潜り抜ける。
九尾は今更に前肢を振ると、見失ったヴィスを探して腹立たしげに辺りを睨み回す。
《オレっちは直接聞いた訳じゃねぇ…だけど、牛鬼はおめえが優しい奴だって言ってたらしいぜ! 今日っつーか、さっき会ったばっかりのオレっち達を庇って死んでった、そんな牛鬼がだ! …オレっちも会ってみてぇな、そんなに優しい奴ならさ…!》
「…ギ…ゥ……キ……!」
ヴィスは聞こえたその声にハッと上を見て立ち止まる。
…今のは、他でもない九尾の口から放たれた言葉だ。
獰猛な獣でしかなかったはずの九尾が言葉を介して反応を示している。
《そうだ、牛鬼だ! おめえの友達だよ、覚えてんだろっ? ……残念だけど、牛鬼は死んじまったんだ…。でもさ、牛鬼は最期までおめえを友達だって思ってくれてたはずだ! …オレっちには分かるぜ! 牛鬼には会ったことねぇけど、オレっちにも、どんなことがあっても友達だってそう言ってくれる奴がいるからさ! …『応えたい』って、そう思わねぇかっ? 牛鬼が友達だって言ってくれるから、胸張って友達でいてもらいてぇってさ…!》
九尾はピクピクと身体を震わせ、ギリギリと地面に爪を突き立てている。
そして、一瞬身を深く屈めて全ての尾を大きく振り上げ―――
「…だッ、…マ…レェェエエエエッ!!」
九尾は尾を地面に叩きつけた勢いと共に空へと飛び上がり、宙で一回転して四肢を広げた。
暴風に見舞われながら見上げていたヴィスは、ハッキリと九尾と眼が合うとゾワリと寒気が背筋を走ったのを感じた。
先程までの獣の眼ではない―――あれは世界中の憎しみをかき集めたような恨みの眼だ。
「ソナタ達ニ何ガ分カルッ!? ソナタ達ハ唯殺シ合ウノミ、奪ウノミ、其レヲ唯悦ブノミ…!! 此ノ世ニ蔓延ル憎シミヲソナタ達ハ何ト考エテイルッ!?」
九尾の尾はいずれも細長く角張った脚のように変化し、その先端は銀に光る鍵爪と化す。
「…あれは…牛鬼の脚か…!」
ただでさえパワーでは圧倒的な差をつけていた九尾の尾が、爪という得物によって貫通力を手にした。
ヴィスは、ググッと引かれたその七本の尾に注視し、助走をつけようと走り始めた。
…しかし、ふとその足が止まり、彼は再度尾の数を数え直した。
「……七本…?」
尾が二本、減っていた。
それに、牛鬼の脚を模倣したこともそうだ。
九尾に掛けられた洗脳は確実に解け始めている。
「……いけるぞ、ルナ! そのままの調子で続けるのだ!」
《おうよっ》
直後九尾―――否、天狐の鋭い突きがヴィスへと襲い掛かる。
天狐にしてみればヴィスなど小さな的……彼本体を狙うのは七本の内の精々三本だった。
残りの四本でヴィスの行く手を正確に阻み、脚を止めた彼へと着実に仕留める心積もりだ。
「…チッ…速度は落ちたが頭を使い始めたな…! だがこの速度差は致命的だぜ、貴様はもうこの俺様に指一本とて触れることは出来んッ!!」
勝ち誇って叫ぶヴィスは、直撃スレスレで身を翻して尾の隙間を縫うように回避行動を取る。
天狐は逆上して連続で尾の突きを放ち、その反動によって滞空し続ける。
「フハハハハッ! どうしたよ、その程度の攻撃で俺様を殺れると―――」
《ヴィス、あんま刺激すること言うなっ! 今あいつに必要なのは敵じゃねぇんでい! ちょっち黙ってろ!》
「…う、うむ……」
勢い付いていたヴィスはテレパシーでルナに叱られ、決まりの悪い顔で黙り込む。
彼がそのまま回避のみに専念するようになると、ルナは改めて天狐に呼び掛けを始めた。
《落ち着けよ天狐! 他の奴らがどうだったか知んねぇけど、少なくともオレっちはおめえを殺す気なんかねぇぜ!」
「黙レッ、姿ヲ隠シテ念ヲ送ルダケノ分際デッ!! 其ノヤリ口ハヌラリヒョント変ワラナイ!!」
「確かにな、オレっちが今やってることは、ぬらりひょんがおめえにやったことと変わらないかもしれねぇ…。けどな、オレっちの気持ちはおめえにじかに伝わってるはずだ! そいつを見つめてくれ、感じてくれ! オレっちはおめえに、殺意なんざこれっぽっちも向けちゃいねぇんでい! 思い通りにしようともしてねぇ! あるのは唯一つ―――》
「黙れト言ッてイル!!」
《―――おめえを受け止めたい心だけだ…!》
天狐の尾が二つ減り、攻撃の勢いは更に軟化する。
天狐は滞空を止めて降りてくると具象変化を解き、尾の一本で地面をなぞって薙ぎ払う。
回避のために宙へと飛び上がり、身動きを取れなくなったヴィスへと目掛け、更にもう一本の尾が振り下ろされる。
「…フンッ、空を飛び回避するまで――」
しかしそうして高を括ったヴィスは次の瞬間、忌々しく「チィッ…!」と強めに舌を打っていた。
天狐の尾からは小刻みに連続して我霊閃が放たれ、ヴィスの操霊は阻害される。
スティリウスは具象変化をヴィスに掛けて、自身とルナをヴィスの皮膚の内へと沈め、更に身体の奥へと収納する。
《あんたは読霊でバリアを張れ! オレがあんたに操霊を掛けて飛ばす!》
「馬鹿がッ、外の状況が見えんその状態で何処へ飛ぶ気だ! 仙攻丹を続けろ! 俺様だけで対処するッ!!」
《な、何を馬鹿な…! どうする気だ!? 仮にあんたが受け止められたとしてもオレ達は衝撃に耐えられないんだぞ!?》
スティリウスの提案を一蹴したヴィスは、迫り来る尾へと両脚を向け、「要は当たらねば良いのだろう!?」と笑ってみせた。
そして両の足を交互に突き出して、我霊射を連発し始める。
「―――ゥラウラウラララララララララァァアアアッ!!」
一発毎にへし折れるヴィスの両脚は、仙活湯の効力で立ち所に治る。
そして治った端から次の一発を繰り出していく。
体毛が飛び散り、肉が弾け、骨が砕かれていきながらも、天狐の尾はヴィスへと迫る。
「貫けぇぇええええッ!!」
ヴィスの額に僅かばかりの汗が滲む。
一秒にも満たない短い時間、彼は可能な限り我霊射を撃ち続けた。
「終れェエッ!!」
天狐は痛みを堪え、決して尾の勢いを止めることはしなかった。
そして尾は遂に振り切られる。
――しかし、ヴィスは変わらずそこにいた。
振り切られた一本の尾には、大きく開けられた一つの風穴が残されている。
ヴィスのギラリと光る金の目が、真っ直ぐに天狐の血走った目を射抜いた。
「怯まず攻めた胆力は褒めてやる…。だが、迷いと焦りに塗れた貴様の殺意など俺様には通らん。…本当の強さとは、その迷いを超えた場所にしか有り得んのだからな」
「……ッ!」
天狐はその言葉に瞠目した。
更に尾が、三本減る。
残るは二本―――ヴィスはルナのアームバングルが埋め込まれた腕を大きく引いて、
「最後だ、行ってこい…ルナ!」
振り上げた腕からスルリと抜けるように投げ出されたアームバングルは、狐の耳と尻尾を持つ少女の姿へと還っていった。
「おう、行ってくる…!」
ルナは自身の操霊で更に加速して天狐の鼻先まで飛んでいく。
天狐は動き出すことができなかった。
最早争いなど此処には無い。
あるのは前進への期待だけだ。
「初めましてだな、天狐! オレっちはルナ、さっきから呼び掛けてた声の主でい! …やっと自分の口で話が出来て嬉しいぞ…!」
「……そなたは…其の姿…怪霊獣か…?」
「怪霊獣だぜ! …でも人間でもある。オレっちは、人間の都合で作られた、人間と怪霊獣のハーフなんでい!」
「混血…か…」
ルナはぴとんと天狐の鼻の上に乗る。
天狐は目を寄せて彼女を見つめた。
天狐の眼には再び憎しみの炎が燻り始める。
それはルナに対してではなく、ルナを苦しめたであろう戦いと悪意の歴史である。
天狐はルナに自身を重ねていた。
「……そなたは…何故そうして笑っていられる…? 人間が憎くはないのか…?」
「思うところがねぇ訳じゃねぇ。正直言って、人間と関わるのは遠慮したいくらいでぇ。…でもよ、恨むこたぁねぇさ。恨んだり憎んだりしなくたって、別のところで生きてける。…少なくともオレっちは今、仲間達とここにいる」
「馬鹿な…そんな筈無いであろう! …私は常々憂いていたぞ、怪霊獣達の飽くなき殺戮の慣習…そして人間達のおぞましき非道……絶える事無きその連鎖を…! 数千の年月を経て尚変わらぬ、此の世の地獄…! 私はその全てを解決したかった…!」
天狐は自らそうして口にしていた。
二つの尾は既に地に垂れ下がり、臨戦態勢は何処へか消えた。
離れた場所からヴィスと、具象変化を解いて服を身に纏ったスティリウスが見守る中、ルナと天狐はただ話し合っていた。
「…それがおめえの恨みか。…でも、どうして平和を目指すのに暴力を使っちまったんでぇ?」
「…私とて、初めは言葉で解決を目指した。……しかし、そんなもの誰にも届きはしなかった…。怪霊獣も人間も、私の口が閉じる事も待たずして拳を、火矢を放つのだ…。……言葉では世は救えぬと悟った」
「…おめえ、すげぇよ…。オレっちなんかよりずっと周りを見ようとしてる。世界中の悲しみを一身に背負おうとしたんだな。…でも、本当は見えていたはずのことを見落としてんだ。…今おめえが言ってるほど、おめえの生きた道は捨てたもんじゃなかったはずだぜ」
天狐の眼が泳いだ。
そして、その眼は遠くに転がる一つの死体を熱く見つめる。
「…志を等しくする友と出会えた。私は、牛鬼と共に在れれば其れで好しとも思うようになった。…此の世への憂いも、いずれ塗り替えられようと…そう思えた。しかし其処にぬらりひょんが現れたのだ」
「………」
「ぬらりひょんは此の島の者を配下に従えた。怪霊獣達は其れ以前とは別人のように粗暴に、凶悪に変わった。…しかしすぐに分かった…あれは洗脳などではないと…。皆が皆、己の内に魔物を巣食っていたのだ。ぬらりひょんはそれを解き放ったに過ぎぬ。…私も同じく本性を引き出されようとしていた。ぬらりひょんに諭されずとも気付いた…私の本性とは、此の世の因果に纏わる絶望への深い怒りだ…! …だが、私は簡単に屈する訳にはならなかった」
「……その歯止めになったのが、牛鬼の存在だったってことか」
天狐はじっと牛鬼の顔を見つめると、頬に涙を伝わせた。
「牛鬼は信じていた。……言葉で世は救えると……ただ時間が掛かるだけなのだと…。……心の底から信じていたから、ぬらりひょんが付け入る隙など何処にも無かったのだ。牛鬼こそ、真に強い者だった。……しかし其れが災いし、牛鬼は海へと閉じ込められてしまった。…牛鬼が傍からいなくなると、私は、…呆気無く憎しみに支配されてしまった。其の後はひたすらに、此の世を力で均すのみを目的に破壊を繰り返した…」
「………」
ルナは天狐の涙が滴るのを静かに眼で追い、締め付けるような胸の痛みを右手でぎゅっと押さえつけて耐える。
天狐は振り絞るように、喉を震わせて呟いた。
「…私は…牛鬼を殺したのか……! …憎しみに…身を委ねたばかりに……!」
天狐の胸の内を駆け巡るのは、憎しみではなく悲しみだった。
…ぬらりひょんの登場は、世界を革新するための神の啓示だと考えていた。
一向に救われない世の中に業を煮やした神が、自身に力と覚悟をお与えになったのだと、憎しみを吐き出す言い訳にするためにそんな妄想に囚われた。
そんな天狐の顛末は、自我を失い親友を手に掛けるという愚かしい終着地点に落ち着いた。
天狐は己の浅はかを呪う他無かった。
「…殺してはくれぬか……私を、そなた達の手で……」
それが天狐の、心からの願いだった。
「……なぁ、天狐」
ルナは右手を降ろし、声を掛けた。
天狐が後悔のために伏せていた眼を上げて見ると、彼女は天狐の鼻の上で涙していた。
「オレっちも、おめえのようになったかもしんねぇ。……オレっちには、にぃちゃんと、一緒に暮らしてた仲間がいたんだ。…全員、オレっちと同じ境遇だ。でも人間は、そんなオレっち達に優劣をつけて、自分達の都合で一人を生かしたんだ。…それがオレっちだった」
「……!」
「オレっち以外は皆殺された。いつか人間に歯向かうかもしれないって、憶測だけで殺されたんでぇ。…にぃちゃんだけは逃げ出せたけど……そのにぃちゃんは、今も人間達への復讐を考えてる。……皆を殺したのは、ディアナっつー人間の女の子だった」
天狐は黙って聞いていた。
ヴィスとスティリウスも同様だった。
…天狐とヴィスは一時も見逃すまいとルナの姿を視界に入れている中で、スティリウスだけは、苦痛から眼を逸らすように俯いていた。
「オレっちはそんなの知らねぇまんまディアナと出会った。…ディアナはすごく繊細で、怖がりで、優しい女の子だった。…いつも何かに謝ってた。いつも泣いてて、たまに眠るとうなされて飛び起きたりすんでぇ。……そんなディアナの姿を見てて、オレっちは、ディアナが自分を許せる日を望んでた」
ルナは優しい顔で懐かしそうに空を仰ぐ。
「…ある時、にぃちゃんと再会して、復讐に生きていることを知ったんでぇ。その時、ディアナが皆を殺したことを知った。……ディアナが苦しんでることを知ってたから、オレっちまで復讐を考えることはなかったよ。ディアナは皆の仇で、でも同時にオレっちの友達だった。…オレっちは、罪滅ぼしを続けるディアナの傍にいることを決めた。……でも心の奥底で、ディアナの存在に苦しめられ続けてるにぃちゃんへの心配と、少しずつ悩みから解放されてくディアナへの小さな不満が、日を追って大きく募ってった」
そして今度は、ヒタヒタと天狐の眉間に右手を触れながら、ソッと身を寄り添わせていく。
「…この島に来た時、オレっちには確かにディアナへの怒りがあった。ぬらりひょんはそれを見抜いて、オレっちの殺意を解放した。…まんまとそれに乗せられたオレっちは、迷わずディアナを殺すことを選んでた」
「……そなたは…自分の力でそれを、抑え込めたのか…?」
「うんにゃ、オレっちだけじゃダメだったよ。……ノサティスって奴が止めようとしてくれて、ディアナもオレっちのことを信じようとしてくれて…。……そんで、やっと思い出したんだ」
「…思い出した…?」
「ああ。…オレっちはディアナのことが、大好きだったってことをさ…」
ルナの表情は晴れやかで、天狐はそれに眼を奪われていた。
私もルナのようになりたい、雲掛かっていた天狐の心に、清んだ光芒が差した。
「オレっちがディアナを殺そうとした事実……こいつぁ変わらねぇ。でも、その後ろめたさを理由に立ち止まってなんかられねぇよ。……ディアナが大好きだから、今からでも必死にやれることやるんでい。…それがオレっち流の罪の受け止め方だ」
「……私は、牛鬼を殺した。……他にも大勢殺しただろう。…そのような私でも、其の道を選べるだろうか?」
「…人生に手遅れなんてことは絶対にねぇよ。生きてんだから、必ず次があるんだから。……どうしたらいいか分かんなくなったら、オレっちが相談に乗ってやっからさ。そんで、また上手くいきそうになかったら、今度もオレっちが止めてやるっ。……だからさ、天狐―――」
ルナはにこりと微笑むと、その背をぐっと伸ばして、天狐の額に額を付ける。
「――友達になろうぜ、オレっちと!」
天狐は大きく見開いた両目から、ボロボロと大きな涙を落とし、やがてその身体は眩い光に包まれていく。
「…うむ……」
光が去った後には、一回り小さな赤い勾玉の斑を持つ白い狐が、一本の尾をふわりと浮かせながらルナと額を突き合わせている。
「…ありがとう」
天狐は穏やかで優しさに溢れた、吐息のような声でルナに応えた。
※※※※※※※※※※※
怪霊王国北東、リーラハールス仮拠点。
その地下室―――
「……こ…ここは…?」
目を覚ましたラティナ皇帝が眼にしたのは、地面から鎖で繋がれている両脚と、衣服を剥かれた自分の身体だった。
朦朧とする意識のまま左右を見ると、両腕は天井から鎖で繋がれている。
首には万が一のためか、緊箍蛇が巻き付けられていた。
「ほう、それで命からがら逃げ仰せたという訳ですか」
「は、はい! …九尾は解き放たれ、ぬらりひょんも恐らく殺されているでしょう。我が従うべきものはもう何もありませぬ。故に、我が命、今後一生リーラハールス様に捧げる事を誓い致します!」
暗闇に眼が慣れてくると、鉄格子の向こうで話し合っている二つの影に気が付く。
一つは山伏姿の小さな犬。
そしてもう一つは、黒いローブを身に纏う長い黒髪の男。
しかしその男が人間などではないことは、その白緑の肌や、冷たい黄金の目を見れば明らかであった。
「…犬神、一つ伺いたいのですが、私が差し向けたスティリウスとノサティス―――まぁ他にも何人か介入があったとは思いますが、いずれにしてもお前達の島を襲ったのは私の部下です。それを知っていて、お前は私の部下になると仰っているのですか?」
「…はい、重々承知しております。しかし、それはスティリウス殿を時期怪霊王へと成長させるための試練であったとのことは、リーラハールス様とぬらりひょんとの間で予め取り交わされていたこと…。……つまり、ぬらりひょんの死はリーラハールス様のご命令であった、というのが我が見解に御座います。…ぬらりひょんにとって貴方様のご命令は絶対、ならば我にとってもリーラハールス様が絶対に御座います! リーラハールス様が我を配下に招いて下されば、我はそれを喜んでお受け致しますまで!」
「そうですか」
リーラはニコリと微笑んで受け取ると、犬神の口元をじっと眺める。
そしてもう一度、「ではもう一つ確認ですが」と続けた。
「お前の能力は、『噛みつく』という契約行為を行った相手に憑依術を掛ける……そうですね?」
「はい、その通りで―――」
犬神の言葉はそこで終わった。
一瞬の出来事だった。
犬神は胸を内側から現れた腕で突き破られ、血に噎せ返りながらバタリと倒れていた。
「そういう面倒な能力を持った雑魚は見掛けたら殺すことにしているんですよ。では」
虫を片付けたような何気無い顔で犬神の絶命を見届けたリーラは、ラティナ皇帝がいる牢へとゆったりと歩く。
犬神の胸を貫いた謎の腕は、霧となって消えていった。
「…それにしても、犬神の記憶の中のスティリウスは随分と活躍していませんでしたね。……いや、剣聖ディアナの御一行の成長が想定よりずっと早いということか。…特にルナ……彼女は素晴らしい。怪霊術のセンスはスティリウスを優に超えている。サイクロプスを食べ尽くしたのですから、今日か明日にはとてつもない霊力量を誇る強者になるでしょうね。あれで殺戮への抵抗感さえ克服してくれたなら更に良いのですが……。…ふむ、ルナに触発されたスティリウスがどのように成長するか期待するとしましょうか」
リーラは真っ直ぐに鉄格子へ進むと、幽霊か何かのようにスーッと鉄格子をすり抜けて牢の中へと侵入してくる。
ラティナ皇帝はビクッと恐怖に身体を跳ねさせ、逃げ出そうと踠くものの、やはり鎖で繋がれた四肢はどうにもならない。
「そう怖がらなくていいですよ。あなたは別に殺しませんから」
また、リーラはにこりと微笑む。
その笑みは形通りに信用してはならない類いのものであるということは、皇帝にもよく分かっていた。
「…な、何だお前は…! …お、お前が私を帝国から誘拐したのか…!? この私に何をする気だ!」
「誘拐の件は、ラティナ帝国へのクーデターを謀っていた武装集団がいましてね、その方々にご協力いただきました。ご安心ください、情報保護のため皆さんには死んでいただきましたから。それよりあなたの国で考案されたルナール計画というものがとても興味深くてですね、お話を伺いたかったので来てもらったんです」
「ル、ルナール計画…! ……わ、私は、何をされようと答えはせんぞ!」
「…ハハハ。話していただかなくて結構ですよ、既にあなたの脳を探って欲しい情報は得ていますから」
皇帝は恐ろしさの剰りガクガクと両膝を震わせ、半ば何を言われているのかも理解できないまま虚勢を張り続けている。
リーラは楽しそうにクスクスと笑いながら皇帝を見下ろす。
「それにしても、あなたの経歴も凄いですね。帝位継承のために他皇子と実の母親を毒殺していたとは…。おまけに私用の別荘は目を掛けた女子供を下人として雇い、売春宿紛いの有り様…。少し人間社会の事を調べてみましたが、あなた程の悪党も珍しいようですね。なかなかに楽しそうだ」
「だ、黙れ! 獣の分際でこの私に偉そうな口を叩くな!」
「けれど、これではあなたが帝国を離れた時点で代わりの皇帝が用意されているでしょうね。国外まで悪評が轟く有り様ですから。今更戻っても失脚していると思いますよ」
「…!」
リーラは皇帝の前に静かに膝をつき、皇帝の顎をクイッと片手で押し上げる。
そして真っ直ぐに眼を合わせ、またにっこりと微笑んでみせた。
「女好きのあなたには天国な仕事がありますよ。引き受けてくださいますね」
ゾクリ、と全身を悪寒に包まれた皇帝には、それを拒否する力など持ち得るはずもなかった。
※※※※※※※※※※※
怪霊王国中央の戦地に、エ連軍精鋭部隊百余名。
その殿には、二怪霊神仙レイ・テッカイの姿があった。
「―――総員、準備は良いかの?」
辺りにはワイバーンの死体が数々あり、既に神仙をはじめとして軍はそれらに眼も向けていない。
彼らが目標としているのは更にその先にいる、ヒュドラとアポピスであった。
その二体の怪物は、両者とも未だぬらりひょんによる封印の鋼柱に組み伏せられたままでいる。
今の状態の二体であれば確実に一撃を与えることができると考えられた。
その一撃で終わらせる……それがエ連軍の立てた作戦であった。
「…では始めるぞい! 各班、攻撃者を囲んで仙攻丹用意! 攻撃者はトライデントを構えよ!」
神仙の号令で、一班約十一名の全十班が配置につく。
それぞれの班が円を描き、その中心に立つ一人が両腕で担ぐようにして巨大な三叉槍を構える。
円となった怪霊術者達はそれぞれ片手を中央へ向け、領域内の怪霊力を攻撃者の波長へと変化させる。
「―――『仙攻丹』、行け!」
神仙が叫ぶと、全ての円が一斉に青い稲光を攻撃者へ放つ。
攻撃者はその稲妻を全身に行き渡らせ、そして自らも全ての怪霊力を使って仙攻丹を発動した。
出力は充分―――満を持して、神仙はヒュドラとアポピスへ向け、手を振り下ろした。
「トライデントッ、行けッ!!」
「「ウオオオオオッ!!」」
十の三叉槍が二手に別れて流星の如く二体の怪物へと降り注ぐ。
それらは的確に心臓を目掛けて飛来した。
ヒュドラの横腹へと向かった槍は、一、二と当たっては先端のみ肉に突き刺さる。
更に後からやってきた二本が既に刺さった内の一本へとぶつかると、その槍は更に深く刺さりヒュドラの心臓へと到達する。
そして最後の一本はそれらとは少しずれた位置へと突き刺さったが、心臓を傷つけることができたことは明白だった。
アポピスへの五本はそれぞれぶつかることなく到達した。
それぞれの方向から心臓へと向かって突き進んだ槍は、すんなりとアポピスの胸へと深く沈み込み、そのまま背中へと槍の先端が飛び出す勢いであった。
「ギィィイイイイイイイイッ!!!」
「ゴォオアオオオオオオオッ!!!」
遅れて叫び声を上げた二体。
百余名は今の一撃に全てを捧げていた。
そのため後は祈りながら成り行きを見守るしかない。
追撃しようにも、逃げ出そうに、もう彼らには余力は無かった。
ヒュドラとアポピスは共に暴れ出し、鋼柱を蹴散らし、自らに突き刺さった槍を弾いて引き抜く。
そしてヒュドラの傷口からは滝のように血が吹き出し、アポピスからは―――
「…な…なんじゃと…! …あ、ありえん…! …ありゃあ…ば、化け物などと可愛いもんじゃない…!」
アポピスの傷口は槍を引き抜いた端から、ポチャンと波紋を広げながら水のように元の状態へ戻ってしまった。
そしてヒュドラの方は、グッタリと脱力してきて息絶えるかと思いきや、急にボッと鈍い音を上げて九つの頭の一つを破裂させ、黒い血の雨を撒き散らす。
そして次の瞬間には、心臓へと至る深い傷を跡形もなく再生して、ケロッとした顔でいる。
アポピスはキィキィと怒りの鳴き声を上げて軍勢を睨み回し、キィィィン…と金切るような高音を上げながらその両目を光らせた。
「…マ、マズい…! 全員ワシの後ろに―――」
直後、かち割った地面から溶岩を吹き出させる程の熱光線が、百の軍勢を切り裂いた。
※※※※※※※※※※※
「…だから、連れていこうと思う。いいか、ヴィス?」
ルナは天狐と共に戻ってくると、渋い顔をするヴィスを前にそう嘆願した。
天狐は申し訳なさそうに身を縮込ませ、けれど意思は揺るがないと言うようにジッとヴィスに眼を合わせていた。
気難しく考えを纏めていたヴィスが漸く口を開く横で、スティリウスは暗い面持ちのままずっと三者から顔を背けている。
「…牛鬼を殺したことを許せんと思っていた。…だが、先程の話を聞くに、俺様が天狐を恨む道理は無いようだな。…元々天狐が絶望するような世を作ったのは、俺様を筆頭とする多くの怪霊獣の殺戮欲求だ。……だがそれをすまなかったと言うつもりはない。これが俺達怪霊獣の元来の習性だからな、草木に光合成をするなと言うのと似たようなことだ。そう易々と変えられるものではない」
「…今は其れでも良い。ルナと共に歩む一時を私にくれ。今は其れだけを望んでいる」
「フン、いいだろう。貴様のような怪霊獣も珍しいからな、俺様も少々興味が湧いた。牛鬼の死に何を想い、何を為すつもりか……それを見せてもらうとしよう」
「うぬ、恩に着る」
天狐が深々とヴィスに頭を下げると、ヴィスはスタスタとそれを通り過ぎて、ラティナの方角にある海岸へ先に歩いた。
それを見送っていたルナと天狐に、ヴィスはピタリと立ち止まると苛立たしそうな溜め息を溢しながら片手を上げ、二指の先でクイクイと手招く。
「天狐、来い。ルナにもルナの事情がある。俺達は邪魔だ」
そう言ってまた歩き出したヴィスの背を、躊躇い気味に天狐が追い掛けていく。
その場に残されたルナは小さな笑みをヴィスへと向けて、それからスティリウスへと視線を戻した。
「にぃちゃん」
ルナの一声にスティリウスは渋々というように顔を上げ、視線を返した。
彼の眼は何も語らない。
強いて言うならば、何も語る気が無いと訴えるように強張っているだけだった。
ルナはそんな彼の真意は知らないまま、それでも自分なりに出した結論を真っ直ぐに伝えることを選んだ。
「オレっち、にぃちゃんが復讐するのを止めたい。…だって、あの地下の生活で、ペール・ルナールの皆との繋がりの大切さや、いろんな生き物に掛け替えの無い命があることを教えてくれた…そんなにぃちゃんのことが大好きだったから」
「…キョロすけ、オレはもう昔のオレに戻るつもりはない。お前の兄として生きていくことは永遠に出来ない」
「戻るも何も、変わってねぇよ…にぃちゃんは。オレっちが危ない時には、必死になって守ってくれる…昔のままのにぃちゃんだよ」
「いや、あれは…」
「いい。何も言わなくていい。…ただ、オレっちはそう信じてるってだけでぇ。否定するだろうってなぁ分かってる。……そんで、にぃちゃんにも色々な考えとか悩みがあって、人間への復讐を選んだってことも、何となくだけど分かるつもりでぇ。そんできっとそれは、人類を滅ぼすかにぃちゃんが死ぬか……そのどちらかじゃねぇと決して終わらねぇ」
ルナの表情は安らかだった。
曇りなど何一つ無く、晴天のような笑顔だった。
対してスティリウスの心は黒雨の最中に在る。
「…ディアナは殺させねぇ。にぃちゃんにも復讐なんかさせねぇ。両方を叶えて、オレっちの心にも決着をつけようとした時、……オレっちが納得できる答えは一つだった。……『にぃちゃんを殺してでも、復讐を止める』」
「…そうかよ」
ルナの答えを聞くと、彼は感情を押し殺したまま無難な一言を返した。
だが、それで終わりだと思っていた所へルナはニカッと笑ってもう一言加える。
「でも、にぃちゃんだけ殺してオレっちが生きてくなんてことにゃあならねぇぜ。…にぃちゃんが死ぬなら、オレっちもすぐに後を追う」
「……何でお前まで死ぬ必要があるんだよ。…生きればいいだろ、好きに」
「そりゃ兄妹だからなっ。生まれてからずっと一緒なんだから、死ぬ時だって一緒だよ!」
「オレはもうお前の兄じゃねぇって言ってんだろ! だからお前にそんな責任は無い! 再会したあの日、オレはお前の腹を刺しただろ! 縁はもうあの時切ったんだ、さっさとオレのことは―――」
「兄弟の責任だけじゃねぇよ。…兄弟だからだけじゃねぇ。……オレっちは、にぃちゃんのことを愛してるから…だから添い遂げたいんだ」
ずっと睨むような顔をしていたスティリウスは、その一言に思わず目を丸くしていた。
ルナは彼の顔を見ている内に、ほんのりと頬を染めて出し抜けに笑い出す。
「に、にぃちゃんのそんな顔、…初めて見るや…あ、あははっ…」
「………笑い事じゃねぇよ…何の冗談だ…」
スティリウスは叱りつけるような低い声で呟きながら、また彼女から眼を逸らした。
ルナはそんな彼の態度にチクリと少し胸を痛めながらも、気丈に笑い掛ける。
「…兄弟の縁を切ったってんなら、男女の縁ってことでやり直すよ。……何だっていい、オレっちはにぃちゃんの……スティリウスの、傍にいたい」
ルナはくるりと背を向けて、ヴィス達の向かった先へと歩き始めた。
そして振り返らないまま、暫しの別れに挨拶を告げる。
「オレっちを殺したくなかったら、復讐なんてやめてくれよ! オレっちの頑固さだって、兄譲りなんだからな!」
走り去っていくルナの背を見送り、スティリウスは立ち尽くす。
そして彼女の姿が漸く見えなくなった頃になって、彼は踵を返して歩き出す。
「…止まらねぇさ、ルナ。お前に何を言われても、オレは止まる訳にはいかないんだ。…だからさっさと諦めてくれ。お前はお前の好きなように生きてればいいんだよ…オレなんかのことは放っておいて……」
スティリウスの頬を密かに光が伝う。
誰も見る者の無い場所で、塞き止めていた熱がポツリと溢れた。
「何でお前まで死ぬんだよ…バカ…」
・ヴィス(封印解放度1%)
握力2,951.25t ⇒4,589.45t
パンチ力8,263.5t ⇒12,359t
キック力20,068.5t ⇒28,259.5t
耐久度4,958,100 ⇒5,367,650
走力200,685m/s ⇒1,019,785m/s
霊力99,867,913/99,999,999
怪霊領域999,999
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、操霊、発霊、幻弄、洗脳変化
回復力:5,000,000(仙活湯効果)/100,000 ⇒5,122,865
・ルナ
握力2.7t
パンチ力5.75t
キック力17.2t
耐久度3798
走力162m/s
霊力5,702,056/8,224,380
怪霊領域16,384
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、吸霊、与霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊、司念波
回復力:9
スティリウス
握力4t
パンチ力8.63t
キック力25.8t
耐久度5697
走力243m/s
霊力8,885,164/8,914,246
怪霊領域8,192
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、吸霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊、仙攻丹
回復力:13
・九尾
押力15,300t
キック力・尾の攻撃45,000t
咬合力22,500t
耐久度9,900,000
走力423,000m/s
霊力4,963,617/9,000,000
怪霊領域9,000,000
術:我霊閃、我霊射、具象変化
回復力:30,000
・天狐
押力1,700t
キック力5,000t
咬合力2,500t
耐久度1,100,000
走力47,000m/s
霊力1,000,000
怪霊領域1,000,000
術:読霊、幻弄、洗脳変化、具象変化、吸霊、我霊閃、我霊射、操霊、発霊
回復力:3,334




