五八ノ業 破壊の化身九尾!牛鬼の願いを聞き入れて…
ヴィスは牛鬼と睨み合い、立ち上がると我霊閃と読霊を放ち、ぬらりひょんの状態を読む。
「…ぬらりひょんの身体には僅かの動きも無い。それに霊力がガクンと減った。…確実に死んでいるな。…それにしても、我霊閃に大気中の怪霊力による手応えが無かった。火車どもはぬらりひょんの死を察知して読霊を解いたようだな。今頃島を逃げ出すか、俺様達を上手くやり過ごすための算段でも立てているのだろう…」
ヴィスはディアナやノサティスに視線を向けて告げると、少し下がって走り出せる体勢を取った。
牛鬼はそんな彼を、探るような視線でジッと見ているが、今すぐ襲い掛かる様子は無かった。
「余裕そうだな…えぇ、おい!」
ヴィスは左手の我霊射を牽制として放ち、正面から突撃する。
牛鬼は後ろの二本足を深く地面に突き刺すと、残りの六本を高く掲げ、内一本で我霊射を防御する。
ダメージは無く、更に残りの五本で素早く攻撃に移る。
薙ぎ払い、突き刺すという単純な攻撃ながら、手数の多さで高速のヴィスに対抗する。
流石のヴィスも接近戦は不利と考え、回避に徹してから隙を見て後退し、間合いを外れてから牛鬼の観察を始めた。
「速度では多少の優勢があっても、この手数は脅威だな。…ならば中距離を維持し、その脚を一つずつ確実に破壊するまで。……仙活湯で回復力の増した俺様ならば、多少身体の負担が大きい威力の我霊射でも連発できる。…見えたぞ、この勝負」
ヴィスは分析を声に出し、牛鬼の動揺を誘ってみていた。
牛鬼の顔が僅かにも険しくなったと窺えて、その分析は間違ってはいないようだと判断できたが、妙なことに牛鬼は対策を打とうという素振りも無い。
それどころか、ヴィスの方から動かない限り構えも取る様子が無かった。
ヴィスは警戒は怠らず、更にゆっくりと距離を取りながら牛鬼の様子を見ることとした。
「…なぁ、あんた」
そこへ、スティリウスはヴィスの背中へと声を掛けた。
牛鬼に隙を突かれるかと更に気を張ったヴィスだったが、やはり牛鬼は動かない。
「…あんた、…何でオレを庇った…? ……あんたは、オレを敵と見ていたはずだが…」
「…今回は協力関係だとルナが言ったからな、それに従ったまでだ。……今後どうするかは、…またルナの意思に任せる…」
ヴィスは見向きもしないままそう答え、スティリウスは複雑な思いで俯いていた。
そんな二人の会話や態度を見ていた牛鬼は、少し考えてから警戒の強張りを解いて訊ねた。
「……お前は…ぬらりひょんの…敵か…?」
重低音の金管楽器のような音色だった。
ヴィスはディアナを見ると、「貴様らは休んでいろ」と片手を追い払うように振って、それから問いに答えた。
ディアナは小さく頷き、ノサティスの傍に寄って「こっちへ」と手を引いて牛鬼から離れていく。
「その通りだが、そういう貴様は何だ? 主を殺し、たった一人で俺様とやり合える気か?」
「……主ではない……この男は…憎き相手だ…。……何かある度…俺を海へ…閉じ込めた……。…殺す……機会を…窺っていた……」
「フン、悲願が叶って何よりだな。…で? その機会をくれてやった俺様にはどうしてくれる?」
「………お前達は…確かに…ぬらりひょんを…止めてくれた……。……その恩義は…確かだ……。…だが……この島の…怪霊獣は……元は…俺の仲間だった……。…仲間を殺したお前達を……簡単には…許せん……」
警戒して背を向けないように歩いていたディアナとノサティスは、その言葉に足を止めた。
それまで皮肉っぽく話していたヴィスも、ふと口元に浮かべていた笑みを消し、牛鬼の黒々とした目を真剣に見つめた。
「……このまま…立ち去れ…。……もう…争いは…終わりだ……。……俺は…減ってしまった…火車とともに……静かに…この島で過ごす……」
「……貴様はそれで気が済むのか? 俺が貴様の立場なら、その選択は必ず悔いが残る。仇討ちは考えんのか?」
「……お前達も…己の身を…守るために戦った……。…その結果…俺の仲間だけ…死に過ぎただけだ……。…恨みは……俺の中で…終わらせる……」
牛鬼の顔は表情を読みにくかったが、声音はとても悲しげに響いた。
ヴィスは暫し眉を潜め、戦闘姿勢を止めて真っ直ぐに立つと、その場で深々と頭を下げた。
「…貴様は強い。この一礼、貴様への敬意と、殺めた者達への弔意として受け取れ」
「…ありがとう…」
牛鬼が染々と礼を言うと、ヴィスは数秒して顔を上げ、「……しかし、」と続けた。
「…悪いがこのまま貴様の願い通りに立ち去ってはやれん。…九尾をどうにかしなくてはならんからな…」
「……九尾……。……そうか…ぬらりひょんが…解き放ったか……」
牛鬼の声はまた沈む。
「……無理は…承知だが……頼む…」
そうして、再び重々しく開かれた口から出たのは、―――
「……あいつを…殺さないでくれ……」
―――必死な哀願の言葉だった。
※※※※※※※※※※※
「――ぐッ…! だぁああッ!!」
仙攻丹を三度重ね掛けたルナは九尾が振り降ろす爪を掻い潜り、その肩へと跳び乗る。
具象変化で右手を刃に変え、首へと斬り掛かる。
しかしその瞬間、九尾が全身から放つ赤い閃光に襲われ、空中へと投げ出される。
「――我霊閃だけでこの威力かよッ…! …くっ、そぉ!!」
それでもめげず、瞬時に霊玉操を発動し、その紫の光弾を九尾の額へ投げて爆発させる。
九尾は両目を瞑り、軽い衝撃にくらりと揺れただけで、すぐに九つの尾を振り乱して叩き落としに掛かった。
「――ち、ちくしょうっ! 全力の霊玉操でもデコピンレベルかよ!」
ルナは全力の操霊で何とか紙一重で一本の尾を避けると、その尾が去る前に踏み台にして次の尾も避ける。
回避に徹するため怪霊力は全て仙攻丹のみに割き、尾の乱舞を脱出して地面へ降りると、両手に作った霊玉操を飛ばして両目を潰そうとする。
しかし、霊玉操を操る怪霊力の糸は、九尾が軽く放った我霊閃に吹き飛ばされ、術は消え去ってしまう。
「…だ、ダメだぁ…! 暴れるだけかと思ったらけっこー頭良いぞこいつ…!」
九尾はどしりどしりと巨大な足で岩を踏み潰しながら近づいてくる。
ルナはじっとその場に立ち止まり、一秒に十回ペースでの仙攻丹を試みる。
「…寄り競る光で霊玉操の威力を上げる余裕はねぇし、威力上げても消されちゃ意味ねぇ。…あれだけの手数がある相手に接近戦は危ねぇけど、…重ね掛けできる限り仙攻丹を掛けまくって、スピードで押しきるしか…!」
どんなに術の発動速度が速くとも、一秒に使える術は十回が限度だ。
けれどこれなら、瞬間的に出せる最大スピードは秒速で約一六三〇キロ――九尾の動きも十分凌げるはずだった。
「……やってやる…! おめえは、オレっちが…命に代えてでも…!!」
既に掛けている一回分の仙攻丹に重ね、更に一、二―――
「ゴォォオオオオオオオオオオッ!!!」
三回目を発動しようとした瞬間、九尾が一気に距離を詰める。
そして大振りの爪で迫り、回避したルナにはノーモーションからの尾の乱舞を見舞う。
「…くっ…そ……これだ…! どうあっても四回目は出させねぇってんだな…!?」
――どうにかして、最低でも四回目に辿り着がなければ…。
このままでは勝てない…勝たなきゃいけない、身体を犠牲にしてでも、ディアナ達を守るために―――
「…仙攻丹を……―――」
しかし、その瞬間、脳裡に過ったのはボロボロの身体で戦うディアナの姿だった。
…ルナは、隙をついて最後の仙攻丹を重ねると、操霊も駆使して尾を避けながら地面へ降りた。
「…違う…それじゃダメなんだ……今無理して、死んじまうのは…ダメだ…!」
――そして、地面の土に操霊を掛け、走りながら進行方向に足場を突出させていく。
その連続で加速して、九尾の尾の鞭に対抗する。
「……今回だけじゃねぇ…この旅の全てを決着させてディアナに謝るんだ…! それまでオレっちはぜってぇ死ねねぇ!! 何より、これ以上ディアナは悲しませらんねぇ…!!!」
初速で既に九尾と張り合っていたその速度が、見る見る内に九尾の動きを突き放していく。
…しかし、加速の仕組み上急旋回が不可能なため、この狭い地下では剰りにも戦い難い。
一度外へ出ようと壁を伝い、天井の穴へと突き進んでいく。
しかしそこへ、九尾が九本の尾の全てを地面に叩きつけ、衝撃波と大岩の雨をルナへと浴びせ掛けた。
※※※※※※※※※※※
「…殺すなとはどういうことだ? このまま放っておけば、俺様達はおろか、この島に住む怪霊獣どもも無事では済まんぞ」
ヴィスは真っ直ぐに牛鬼と視線を合わせた。
牛鬼は唇を悔しげに噛み、請うように頭を下げた。
「…九尾は…ぬらりひょんによる…洗脳術の…被害者だ……。…ぬらりひょんの…洗脳のせいで……化け物に…されてしまった……」
「…そういえばぬらりひょんが言っていたな。…『九尾は天狐の憎しみと殺意を増幅させて魂魄昇華を促して作ったものだ』とか…。……もしや、その天狐というのは…貴様の……」
「………天狐は……俺の…友達だった……。…命を尊ぶ…気の良い友だ……」
ヴィスはそうと聞くと短く「…そうか」とだけ頷いた。
暫し両者が押し黙ると、話の腰を折るのを承知でディアナが小さく片手を上げる。
「…ごめんなさい、イクシード・ソウルというのは…?」
「……あぁ…。…簡単に言えば、強い意思の力によって起こる種としての進化―――と言うより、突然変異と呼ぶべきか。そういうものがあるのだ。今の話で言えば、天狐という怪霊獣が憎しみをトリガーに九尾へと突然変異を起こしたということだろう」
「…なるほど。…洗脳術で感情を操れるぬらりひょんが、意図して誘発させたのね」
「おそらく大天狗や犬神、鵺などの側近もぬらりひょんによって強化された可能性がある。…今となっては確証立てるものは何も無いがな」
ディアナがスッと手を下げると、それを見送って少し考えたヴィスは、あまり自信は無いという風に、彼にしてはおずおずと牛鬼を向いた。
「…牛鬼よ、九尾の憎しみを取り払えば、九尾は天狐に戻ることができるか?」
「…分からない……が……言葉さえ…届くなら…」
「うむ、暴走を止めることくらいはできるはずだ――」
ヴィスの笑みに牛鬼が希望を見たその時、遠方から唐突の地鳴りが走った。
「――な、何…!?」
「…地震かッ…!?」
ディアナ、ヴィスと、更に残りの三者も続いて衝撃の発生源を見た。
土煙が空高く巻き上がり、無数の岩の欠片達が四方八方へと流星の如く降り注ぐ。
その中で、ヴィス達へと飛来してくる岩の一つの陰に、へばりつくようにしている見知った後ろ姿があった。
「…キョロすけ…!」
スティリウスは思わず声を上げ、走り出しかけた。
しかし、彼という『立場』がすぐにその足を止めさせた。
スティリウスという人物がこのタイミングでルナを助けようとする、その違和感を今更に自覚して彼は動けなかった。
「「ルナ!」」
ヴィス、ディアナ、ノサティスと声が揃った。
そしてヴィスは横に腕を突き出して後の二人に待ったを掛けると、自身は飛んできたルナの下へと飛び上がり、岩を破壊しつつ受け止めて降りてくる。
ヴィスは慌てて顔を覗き込み必死に呼び掛け、ルナはそれに苦笑で返す。
「怪我は無いか!? …お前、額を打ったか!? 血が――」
「かすっただけだ、平気でぇ。それより九尾は……」
ルナはヴィスの腕からさっさと逃れて立つと、元いた方向へと向き直る。
そして森林の先に、赤い光が空を照らしつつあるのを見つけると、ルナはゾッと顔を青ざめさせて叫ぶ。
「――ノサティス、全力の読霊でオレらを囲え!! 全員防御だ、ヤベェのが来るぞ!!」
直後、遠くでぼんやりと放たれていただけの赤い光は、凄まじい勢いで広がって辺り一面を呑み込んだ。
ギリギリ早く展開された読霊は、急いでノサティスの周りに集まった四人を纏めて包み、ヴィスはその中でディアナとルナを庇うように抱き込む。
ディアナ、ルナ、そしてスティリウスはそれぞれ最大限の仙攻丹で肉体を強化して姿勢を低く取る。
…そしてノサティスの読霊の外では、それを包み込むように牛鬼が自らを盾になり、更に強大な怪霊力のバリアを張って全員を守っていた。
「…グ…ゥ……!」
ノサティスの読霊の外で、牛鬼が苦しげに呻く声が聞こえた。
ヴィスはハッと気が付いて「…おい、ノサティス!」と声を張り上げるが、ノサティスは悔しげに顔を歪めて首を振る。
「無理だ、助けられぬ…! 今からでは九尾の力に押されて読霊を拡げられぬのだ!」
「…チィッ…!」
ヴィスは拳を震わせて牛鬼の方を向いた。
牛鬼のバリアはいとも簡単に吹き飛ばされ、怪霊力の暴風をその身で直に食らい始める。
そしてノサティスが展開した読霊も、牛鬼の身体の隙間を抜けて来た力だけで吹き飛んでしまう。
それでも依然九尾の我霊閃は強力だった。
スティリウスは苦渋の末、覚悟を決めて自らに具象変化を掛ける。
「――キョロすけ、ディアナ! オレにセンコウタンを掛けろ、早く!!」
そうしてスティリウスの身体は衣服を内側にしまいながらドーム状の肉壁となって皆を包み、その身体に紫の放電が走る。
「スティリウス、あなた――」
「に、にぃちゃん、何で――」
「死にたいのかよ、さっさとしろォ!!」
困惑するディアナとルナに、スティリウスは決死の覚悟を乗せた声音で急かす。
二人は納得する暇も無くスティリウスへと駆け寄った。
ディアナはルナと手を繋いで怪霊力を分けてもらうと、それぞれに空いたもう片方の手をスティリウスに押し当てて、仙攻丹を重ね掛ける。
ノサティスの読霊を破った我霊閃が、スティリウスの防御へと到達した。
夥しい紫の稲妻を纏った壁はその赤い光を真っ向から受け止め、ズシリと重い衝撃を受けて揺れる。
しかし、損傷はその程度で、掠り傷一つ無い。
「…よ…よし…何とか、ダメージは最小限で食い止めたな……オ…オレ達だけ……」
光が過ぎ去ってからスティリウスは具象変化を解いた。
彼は背中全体を強く殴られたような鈍い痛みを覚えてガクリと膝をつき、ルナはすぐに彼の傍に駆け寄る。
「にぃちゃん…! 大丈夫か!?」
「…あぁ…オレは軽いもんさ。……だが、他の連中は……」
スティリウスはヨロヨロと立ち上がると辺りを見た。
ルナもそれに続いてゆっくりと見回す。
…森、山、川も、全て消し去られ、平地が続いている。
島の周りの海水は押し出され、生み出された巨大な津波が波紋のように世界へと広がっていく。
そして海岸に追いやられた無数の火車と動物達は、その全身を原形無くズタズタに引き裂かれ、肌を埋め尽くした裂傷から骨と血が飛び出していた。
それらは既にその重体と霊力の枯渇が故に即死していた。
「…ひ…ひでぇ……!」
ルナはその凄惨さから目を背けないでいるのがやっとだった。
しかし、その大量の死体の中、ディアナは三つの無惨な死体を眼にしてハッと息を呑んだ。
「…首切れ馬が…!」
ヴィス、ノサティス、そしてルナと続いて彼女の視線の先を追った。
そこには、本来の黒、白、茶の毛色など面影も無くなってしまった血塗れの動物がいた。
辛うじて馬だったと分かるのは、原形が残っている数本の脚の骨と蹄だけで、胴体は僅かに残った肉塊から骨と霊石の欠片が溢れ出ていて生き物だったとは一目では判別出来ないほどの有り様だった。
「……既に死んでたものだって、分かってはいるけれど……」
ディアナは伏せた瞳からポタポタと涙を落とし、ルナはそんな彼女の横顔を見つめてぎゅっと唇を固く結んだ。
ノサティスは彼女の肩をゆっくりと擦って言葉無く慰める。
そして、今度はヴィスが声を上げて駆け出し、ルナはずっと頭の隅で燻り続けていた疑問と共に彼の向かう先を眺めた。
「…おい! おいしっかりしろ、牛鬼!!」
そこでは巨大な蜘蛛が四本の前肢を大きく上げ広げた格好のまま硬直していた。
ヴィスはその死体の上に駆け上がり、牛の姿をした顔に手を当てて呼び掛けた。
返事は無い。
即死だった。
外傷は無く、死因は九尾の我霊閃による霊力の完全消失だった。
石のように固くなったその死体は、霊力が無いために早くも端々から腐り始めている。
「……それ、怪霊獣だよな…?」
ルナは恐る恐るその傍に歩き、悲しみと怒りで眉間に皺を作ったヴィスへと訊ねる。
ヴィスは悔しさを胸の内に呑み込んで、祈るように目を瞑ると、遥か前方を睨み付けて牛鬼から降りてくる。
睨んだ先では、周囲に遮るものが無くなった九尾が九本の尾で狂ったように地面を叩きながら空を見上げて雄叫びを上げていた。
「……こいつは…牛鬼は、ぬらりひょんがこの島を手に入れる以前、仲間達とここで暮らしていた者だ。…ぬらりひょんを倒した俺達に礼を言い、九尾を止めたいと話した。……九尾は元の名を天狐と言い、牛鬼の友だったようだ」
「……天狐…」
「アレはぬらりひょんの洗脳により元の優しき心を失い、化け物へと変えられてしまった被害者だ。……正直俺は、牛鬼という気高き者を殺した九尾を許したくなどない……! …だが、奴の死体など牛鬼には手向けにならん。…俺は、牛鬼の遺言を尊重し、…天狐を止める! ……殺さず、生かしたまま……」
ルナは、牛鬼の死に際とヴィスの覚悟を聞かされると、思い返すように自然とディアナの方を見ていた。
未だ馬達の死に涙を流している彼女を見ていると、ルナの中にも決して軽くはない決意の炎が宿り始めた。
「――手ぇ貸す」
「…恩に着る」
スティリウスはヴィスとルナの後ろ姿を眺める。
九尾との戦いに臨もうとする二人の背中には、恐怖など微塵も窺えなかった。
スティリウスはそんな二人の横へと進み出ると、「オレもやろう」と声を上げた。
「…貴様の狙いは飽くまでぬらりひょんだと思ったが、まだ俺様に付き合う気があるのか。…それともルナが気に掛かるか?」
皮肉っぽいヴィスの問い掛けに、スティリウスは皮肉は無く真剣に答える。
「違うさ。…あんた達から受けた借りは、この島にいる内に清算しておきたくてね。……情けないが、あんた達が来なければオレは大天狗すら殺せず返り討ちにあっていた。それ以外にも何度もぬらりひょんにしてやられたしな。…だが、だからと言ってオレがあんた達より格別劣っているとは思わない。ぬらりひょんとは相性が悪かったんだ。…ここでの戦いなら、少しは役に立てる自信があるぜ。策も思いついた」
「…フン、口だけじゃなければいいがな…。策とは何だ、言ってみろ」
聞く内にヴィスの表情にも笑いは消える。
九尾が吠えるのを止めて此方を見ていた。
平地に動くものがあったため興味を引かれただけだろうが、憎しみの化身となってしまった九尾の興味とは則ち殺意に遜色無いものだろう。
一触即発の空気が漂っていた。
「…火車のダメージから推察するに、九尾が放った我霊閃の怪霊力は四五〇万。九尾の霊力は最大で九百万――つまり残っている霊力はこれで半分以下だ。さっきと同じ攻撃をもう一度受けたとしても威力はさっきより弱く済む。オレとあんたとキョロすけなら、霊力を全て失う危険も無いはずだ」
「…ふむ、となると―――」
ヴィスはすぐにディアナとノサティスへ振り向いた。
その二人も会話を聞いて既に立ち上がり、ディアナは腕で涙を拭っていた。
「ノサティス、ディアナを連れてこの島を離れろ。貴様らはもう三百程度しか霊力が残っていない。次に我霊閃を食らえば、如何に威力が弱くとも即死は免れん」
「…うぬ、分かった。私達は一足先にラティナへ帰る。…だが、その前に一つだけ、良いか…?」
ノサティスの真摯な眼にヴィスも応えるように身体を向ける。
スティリウスはルナと共に九尾の様子を監視しながら「手早く済ませろ、余裕が無いんだ」と急かした。
幸運にも、九尾の注意は足下に群がった瀕死の土壌動物達に逸れている。
「……ヴィスドミナトル、お前は私に…三之明の味方をするか、リーラハールス様の味方でいるか、どちらかを選べと言ったな。…私は、お前達とは友になりたいと思った。…これほど温かな場所は今まで知らなかった。今も、ここにいたいと思う自分がいる」
「…ああ」
「しかし、リーラハールス様は、石にされた私を元に戻してくださった。…命の恩人だ。その恩に報いなければ、私は私の存在に納得ができない。…それが私の誇りとするものだ」
ヴィスは満足そうに口の端を綻ばせると、それを隠すように鼻で笑った。
「ディアナをラティナへ送り届け、お前達が無事に戻ってくるのを待っている。…それから一日挟み、翌日から、私はお前達の敵になる。覚悟しておけ」
「フン、いいだろう。その日までは手を出さず見逃しておいてやる。首を洗って待っていろ、ノサティス」
ノサティスはフッと笑って海岸へと歩き出す。
しかし、その横にいるディアナはまだ歩き出せず申し訳なさそうにしていた。
ヴィスはノサティスに対してとは違い、穏やかな笑みを浮かべて彼女を見た。
「…ごめんなさい。この旅は私が始めたことなのに、…九尾の始末は全部任せることになってしまって…。……それだけじゃない、この島についてからは特にそうだったけど、結局あたしにできたことなんて、ほんの限られたことで……。…挙げ句あたしは、逃げ帰るだけで……」
「貴様が気にすることはない。メデューサに続き、ぬらりひょんも貴様が倒した。大戦果ではないか。…胸を張ってラティナに先に戻っていろ。ここから先は、俺様が俺様の意思の下に戦う。…そもそもこの俺様が、生半可な覚悟で貴様と旅をしてきたと思うか? 貴様が仮に旅を続けられなくなったとしても、俺様はこの旅を完遂する。…言っておくが人間どもの平和のためではないぞ。この旅は貴様との絆だからだ。だから成し遂げると言っている」
「…ありがとう、ごめんなさい」
ヴィスの回答に、やはりディアナは申し訳なさそうに、けれど安心したように笑っていた。
それに続いて、ルナが飛び出すような勢いでヴィスの隣に出てきて、決死の覚悟を滲ませながら声を張った。
「…ディアナ、オレっちもだ! オレっち、ディアナと旅ができて良かった! ディアナからいろんなこと教えてもらった! ペール・ルナールのことも、人間のことも、良いことも嫌なことも、たくさんたくさん、教えてもらったんでい! …何より、ディアナのことを知れて良かった! ディアナに会えて、ホント良かったよ! …ディアナと友達になれたこと、本当に嬉しかったんだ…!」
「……ルナ…」
ディアナは少し戸惑いながらもルナの目を見つめた。
ルナは瞳を潤ませて笑っていた。
「…だから、あとはオレっちとヴィスに任せてくれよ…! …ディアナは、もう立派に務めを果たしたんだ! 人間の身体なのに、無理してここまでやって来たんじゃねぇか…! 本当に、ボロボロになるまで、頑張ったじゃねぇか…! …だからさ……な、クレドを幸せにしてやれよ! あんなに良い奴、なかなかいねぇんだからさっ! 今までたくさん心配させた分、これからはたくさん一緒にいてやるんだぞ! オレっちもヴィスも、身体だきゃあ頑丈でい! 残りの怪霊衆なんか、バァーッとやっつけてやらぁ! ……そんで、そんでぜってー、みんな無事で帰ってやる。…約束な」
「……うん、約束。…ありがとう、ルナ」
「うん! …大好きだ、ディアナ」
「………うん…!」
ディアナは涙が溜まり始めた目を背けるようにして歩き出す。
そしてノサティスと共に、海岸へ進んだ。
島を立ち去る前に、首切れ馬の死骸に立ち寄る。
そこで三つの死骸から骨を一本ずつ拾い上げて、「せめてこれだけ」と巾着にしまう。
「…やっぱり、ちゃんと供養をしたいの。ラティナに帰ったら馬小屋の傍にお墓を作りたい。…ノサティス、ごめんだけど……」
「手伝おう。もう暫くは味方だ」
「…ありがとう」
二人が去っていくのを見届けて、ヴィスとルナは九尾へと振り向きスティリウスと並ぶ。
九尾は傍に落ちていた土壌動物達の死骸を踏みつけて遊んでいた。
「時間を取ったな。話の続きを聞いて良いか?」
ヴィスが訊ねるとスティリウスは直ぐ様話し始める。
いつ九尾が気紛れで攻撃を仕掛けてくるか分からない。
依然として気の抜けない状況だった。
「ここに残ったオレ達なら、霊力が無くなる心配は無い。だが、センコウタンはスピードとパワーを強化できても、防御力はそこまで強化されない。オレやキョロすけじゃあ、奴の攻撃を物理的に防ぎきれないのさ。そこで、戦闘はあんたに全部引き受けてもらう」
「なるほど。だが、俺様が九尾と戦っている間、貴様ら二人を庇って立ち回るのは少々厳しくはないか?」
「庇う必要は無い。オレがあんたを補佐して、同時にあんたの身体に守ってもらう」
「ふむ…?」
要はこうだ、と言いながら、スティリウスは自身の身体を細く変化させて、服を置き去りにしてヴィスの腕に巻きつく。
そのまま妙に髑髏などの装飾の凝った銀のアームバングルへと姿を変えると、表面に小さな発声器官を作って高い声を上げた。
「この状態であんたにセンコウタンを掛け続け、必要があればあんた自身に具象変化を掛けてあんたの皮膚を伸ばし、オレを覆ってガードしてもらう。…要するに、この場ではオレはあんたを強化する道具に徹する。あんたはオレの強化を受けた身体で、九尾の攻撃から逃げ回ってくれ」
「なるほど。…何となく読めてきたな、貴様の考えが」
ヴィスは大きく頷いてアームバングルを見下ろした。
スティリウスはその姿のまま、表面に赤い目を作ってギョロリとルナを見ると、更に続けた。
「そして、キョロすけ。お前が作戦の肝だ。オレは強化、ヴィスドミナトルは回避に専念し、お前は九尾に説得を試みてくれ」
「…説得…って…まさか、にぃちゃん…」
バングルの姿では表情は分からないが、その声音には笑ったような響きが乗っていた。
「オレは鷹に姿を変えて全て見ていた。…キョロすけ、お前はぬらりひょんの洗脳術を習得してる。…その術は確かにお前やヴィスドミナトルを狂わせ、九尾という化け物を産み出した。…だがそれはぬらりひょんの使い方だ。…お前は力を正しく使うだけの優しい心と柔軟な頭を持っている。…お前だけなんだ、九尾を止められるのは…」
「…にぃちゃん……でも……司念波に付加できる感情は、術者が持ってる感情だけだ。……憎しみを持って戦えば、相手には憎しみしか伝わらない。…恐怖も、怒りも……。…もし間違ってそれが相手に伝わったら、状況が悪化するだけだ。……あんまり確実な作戦にはならねぇかもしれねぇ…」
「大丈夫だ、キョロすけ。お前の心の綺麗さは、オレが一番良く知ってる。…お前なら、九尾の憎しみだって変えてやれる。その確信が、オレにはある」
ルナはスティリウスの瞳を見つめ返し、そしてヴィスの顔を見た。
ヴィスは真っ直ぐに彼女と視線を交わした。
「俺が貴様を命懸けで守る。恐怖など不要だ。…だからルナ、頼んだぞ」
ルナはやはり自信無く俯いたが、再度牛鬼の死に顔を見上げて決意を新たにした。
そしてスティリウスと同様に、身体と衣服をまるごとアームバングルに変えてヴィスのもう片方の腕に絡みつく。
その装飾は、ディアナに渡した指輪に準え、アメジストの宝石を嵌め込んだものにする。
「…では、行くか…。……俺達三人で、九尾を止めるぞ!」
ヴィスはグッとその両腕に力を込め、雄叫びを上げる九尾へと突撃していった。
・牛鬼
キック力14,000t
刺突力1,680,000t
咬合力6,972t
耐久度3,080,000
走力130,666m/s
霊力2,800,000
怪霊領域2,800,000
術:我霊閃、我霊射、読霊
回復力:9,333
・ルナ
握力2.7t
パンチ力5.75t
キック力17.2t
耐久度3798
走力162m/s
霊力6,160,781/8,224,380
怪霊領域16,384
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、吸霊、与霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊、司念波
回復力:9
・九尾
押力15,300t
キック力・尾の攻撃45,000t
咬合力22,500t
耐久度9,900,000
走力423,000m/s
霊力9,000,000
怪霊領域9,000,000
術:我霊閃、我霊射、具象変化
回復力:30,000




