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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
樹海之篇
59/67

五五ノ業 辿り着いた暗躍の真相、ノサティスの決意

 派手に砂利を散らして地面に背中を打ちつけたディアナ。

 左手の剣は離れて転がる。


 衝撃による眩暈と、不意な暴力への困惑とで、彼女はよろよろと起き上がって弱々しい視線をルナへと向けた。

 そんな彼女の口の片端からは一筋の血が顎へと伝っていた。


「…ディアナ…てめえッ、にぃちゃんに助けてもらっといて殺そうとしてやがったなッ…! てめえみてぇなヤツぁ…てめえみてぇなヤツぁ…!! ―――独りで勝手に死んでりゃよかったんだこの恩知らずめッ!!」


 ルナの眼は怒りに満ち、その目尻は般若のように吊り上がる。

 怒声は山まで響き渡り、ディアナは彼女の澄んだ殺意にビクリと震えた。




「――ルナ…」


 二人のやり取りを見ていたノサティスの胸中には、言葉にしようの無いモヤモヤとした感じが拭えなかった。


「……いや、――」


 しかし、彼にはすべきことがある。

 今しがたルナに頼まれた、鵺との決着が残っていた。


 鵺は顔と脚を負傷し、今は思うように動けない。

 加えて鵺の前方には土の壁があり、回避できる方向も限られている。

 この一瞬、鵺がスティリウス達を攻撃する心配も無い。


 この条件であれば、隙を突きさえすればノサティスの力でも十分鵺を殺すことはできる。


「………」


 ノサティスは右腕に八万の怪霊力を集め、赤く輝かせた。

 鵺の骨を砕ける適切な威力――これは、ヴィスからアドバイスを受けていたことだった。


 しかし撃てば反動でノサティスの骨も粉々になってしまう。

 狙うべきは即死を見込める顔面部分。


 ルナに気を取られている鵺の横顔に、慎重に狙いを定めた。


「…鵺よ、覚悟…!」


『ぬらり』


 しゃがれた声が、はっきりとノサティスの頭に響いた。

 その途端に怪霊力はふわりと身体から抜け出ていく。


 ハッと振り向いた鵺はノサティスに反撃の我霊射を撃とうとしたのも束の間、すぐにそれを取り止めてノサティスの頭上を跳び越えた。

 前肢の支えを失っている鵺は不格好に着地をしてよろけると、岩陰に顔を突っ込む。


 鵺がその顔を上げた時、口にはずっと岩陰に隠れていたぬらりひょんの着物の襟を咥えていた。


「や、やはりいたのか…!」


 ノサティスは苦々しく眉を寄せ、駆け出そうとした。

 しかし彼の正面には上空から犬神が降り立ち、その追撃を断ち切った。


「貴殿に追われると少々厄介だ。私でよければ、相手になろうぞ」


「……邪魔だ…!」


 ノサティスは怯まず大振りに殴り掛かる。

 速度で劣りながらも犬神は読みで後退して回避し、右手を突き出して我霊射を放つ。

 しかし、その射撃はノサティスの手に腕を掴まれ、大きく照準が狂う。


 ノサティスはそのまま反対方向へ背負い投げ、地面に叩きつけると左手を強く犬神の胸に押し当てた。


「お前如きの力に負けはせぬ!」


 そして透かさず、怪霊力一万の我霊射を撃ち込む。

 犬神には胸を中心に紫の痣が広がり、反動でノサティスの左腕も痣にまみれた。


 しかし、威力は胸骨を砕くには至らないものの、その衝撃で犬神は心停止に陥りガックリと顔を横たえた。


「…か、勝った…!」


 安堵し、笑みを溢すも、すぐにぬらりひょん達のことを思い返してノサティスは振り返る。

 しかし、既に鵺とぬらりひょんの影は遠くに消えてしまい、追跡は危ぶまれた。


「……まんまとしてやられたのか…私達は…」


「貴殿の強さは予想外だったがな」


 その思わぬ返答は、ノサティスの背後に降り立った足音とともに放たれた。

 それに振り向いた瞬間、ノサティスの腹部は深い膝蹴りに貫かれる。


 そこには新たに五体満足の犬神が立ち、先程倒したはずの犬神はサイクロプスへと姿を変えていた。


「う、ぐっ! ぐぉお…!」


「力加減も分からず我霊射を撃つだけかと思いきや、体術と最低限のパワーだけで始末されるとはな。…しかし我には貴殿を手に掛けられぬ事情があるのだ。そこで暫し悶えていろ」


 犬神は膝をついて腹を抱えたノサティスの頭を横から蹴り飛ばして倒すと、透かさずヴィスの方へと歩き出す。




 警戒心を剥き出して睨み付けてくるルナに困惑していたディアナは、土の壁の向こうでの騒ぎに意識を逃がした。

 何度も想像し、覚悟を繰り返したルナから殺意を向けられる現実だったが、それでもやはりディアナには堪えがたい恐怖だったのだ。


 しかし、そのお蔭と言うべきか、ディアナはヴィスへと近づいていく犬神の存在に気が付くことができた。


「…!? ヴィ…――」


 彼女は急いで助けに向かおうとした。

 彼女の視線の先を見て、ルナもそれを承知していた。

 しかし、ルナは、憎しみの眼を変えること無く声を上げた。


「――『悪魔の牙(デント・ディアボリ)』!!」


 ルナの足下から鋭い鋼鉄の槍が伸びてディアナを襲う。

 ディアナは当惑を御せぬまま咄嗟に右腰に納めた剣を抜いて縦に構え、防御に移った。


 そして剣は、足し鋼で誤魔化してきたメデューサに受けた傷元から、ボキッと、折れた。


「てめえはそこ動くんじゃねぇ!! 一歩でも動きゃあ心臓を貫くからな!!」


 ルナはそう叫ぶと紫の稲妻を全身に巡らせて急加速し、スティリウスの下へ走る。

 そして気絶寸前なのを気力だけで耐えているスティリウスを素早く脇に抱えると、再度振り向いてディアナへ悪魔の牙(デント・ディアボリ)で牽制を掛ける。


 ディアナはよろよろと身体を倒し、辛うじてそれを避けると後はただ突っ伏して見ていた。

 依然として彼女は言葉を失っている。




「…ヴィスドミナトルよ、貴殿に楽しい報告をしに来たぞ。殺されたくなくば静かに聞くがいい」


 犬神はヴィスの前にしゃがむと見下すようにしてそう告げた。

 怒りが限界をとうに超えているヴィスは当然従うはずもなく、まともに動きもしない身体をどうにか両肩で押し上げようとしながら犬神を睨み付けている。


「何が楽しい報告だクソ下衆がッ…! 貴様らのことだどうせあくどい企みで翻弄しようと言うのだろう!! こそこそとチキりやがって、犬の糞で敵取ることしかできんのかこの弱腰共がッ!!」


「…フン、企みなど…。我の趣味で告げてやるまでのことだ。まぁ最後まで聞け」


「聞く必要はねぇな、どうせ貴様は今日明日には永久に口を閉ざすことになるのだから―――」


「今日中に九尾の封印を解く」


 ピタリと、ヴィスの口が止まった。

 暫し瞠目結舌とし、それからすぐにヴィスは静かながら鋭利な眼光を犬神へと向ける。

 そして、ガクン、ガクンと不規則な脱力を繰り返しながら、両足の力でゆらりとその場に立ち上がった。


「…やはり、ぬらりひょんが九尾を持ってやがったか…」


 声音こそ冷静だが、その奥には濃縮された殺意が燃え上がる。


 一方、犬神はちょっとした計算違いに僅かに表情を苦味走らせて立った。


「…それほどの殺意を持ちながら、立ってくるのか。…やはり見積もりが甘かったようだな。貴殿の封印は、もっと徹底的に強めなければならなかった……この分では…」


「ほざけ…所詮貴様ら程度ではこの俺様を縛ることなどできはせんのだ…!! 貴様らが九尾を手にしていようと関係無い、この俺様がッ、全員まとめて潰すまでだぁあッ!!」


 ヴィスは怒号と共に回し蹴りを放つ。

 しかし犬神はその脚を腕で容易に防ぎ、ピクリとも動かない。


「…大口は叩いても未だ封印は御しきれぬか。…ふむ、どうしてくれよう。ぬらりひょん殿のおられぬ今、始末は出来ぬが…しかし、このまま置いていてはいずれ…」


 敵を前にしていながら冷静に思案している犬神のその態度は、ヴィスにとってはこの上無い屈辱となった。

 しかし、両腕を失っている今の彼には選べる手段が少な過ぎる。


 どうやってこの状況を打破すべきか、焦り早まる心で考え始めたヴィスの目の前で、―――


「ゴボッ…!」


 犬神の心臓を背後から太い槍が貫き、犬神は吐血して膝が崩れ出す。

 槍は紫の放電を起こしながら小さな細い手へと変わり、犬神は腕を引き抜かれた拍子にバタリと倒れる。


 犬神の陰から現れたのはスティリウスを片脇に抱えたルナだった。


「…フッ…時間切れの、ようだな…」


 犬神は彼女の顔を見上げると薄ら笑いを浮かべ、そしてヴィスへと視線を移す。

 その目はゆっくりと生気を失う。


「…私が…貴殿と話すのも…これが最後となろう…。…今日、貴殿が九尾に殺されなければ…或いは…だがな…」


 犬神は言いたいだけ言い切るとガクリと眼を伏せ、その身体はサイクロプスのものへと変わった。

 ヴィスは最後に言い残された発言を噛み締めてキリキリと拳を握り、ルナは死体の変貌を見届けて不可解そうに目を細める。


「……あのクソ野郎…言い逃げやがった」


「…犬神か…きっと何かあるとは思っちゃいたけど、こりゃ謎過ぎるな。…死んでサイクロプスになるなんて…」


「……噛みついた相手に乗り移り使役できるのだ。それも複数人を一遍にな。…チッ……だが今の口振りでは、おそらく本体はもう出てくる気は無いようだがな…! あの陰険野郎め…!」


 苦々しく言い放つヴィスに、ルナは然程驚かずフムと頷く。

 そこへフラつきつつもノサティスが歩いてくると、ルナは彼と入れ替わるように背を向けて歩き出した。


「…なんだ、思った程厄介じゃなさそうだな。そんなことならビビらなくても大丈夫さ。接近戦にさえ気を配れば、オレだけで全滅させられる」


「………何ィ…?」


 ヴィスはピクリと目尻を震わせて彼女の背を見つめる。

 ルナは彼の不機嫌な声音に一瞬振り向くと、隣まで歩いてきたノサティスを指でクイクイと招き、


「この島の戦いは全部オレに任せろ。ヴィス、おめえは島を離れてどこか安全な場所で封印解除に専念してくれ。はっきり言って今のおめえにここにいられても、庇うのが面倒なだけだ」


「……貴様…!」


 ヴィスは青筋を断ち切りそうな程の形相でルナを睨む。

 …しかし、飛び出すと思われた罵詈雑言は胸の奥へ引き返し、彼はパッとルナに背を向けて走り出した。

 ルナは少し寂しげに微笑むと、「じゃあな、ヴィス」と言い残して仙攻丹で駆け出していく。


「…お、おい! ヴィスドミナトルを一人で行かせていいのか!? ディアナは置いていくのか!?」


 ノサティスは、未だ呆然と折れた剣を見つめて無気力に項垂れているディアナを一瞥して、慌ててルナを追いかける。

 ルナは振り向きもせずに答えた。


「…ヴィスはプライドの塊だけど、状況を読めねぇほど馬鹿じゃねぇ。封印をそのままにして戦えねぇのは分かるはずだ。必ず封印をどうにかしてから戻ってくる」


「ディアナは!?」


「知らねぇよ。戦いたきゃ戦えばいいし、戦えねぇならどこにでも隠れてりゃいい。怪霊領域を閉じて森ん中に蹲ってりゃディアナならやり過ごせる。世話を焼く必要なんか微塵も無ぇよ」


 ルナの声は冷めきって聞こえた。

 ノサティスはそんな彼女を訝しく見る。


「…どうしたのだ、ルナ」


「何が」


「仲間を心配しないお前など、お前らしくない」


「…おめえだって、元はリーラハールスの部下で、オレっち達の敵だったじゃねぇか。らしくねぇこと言ってんのはどっちだよ」


 ルナの返答には苛立ちの色が垣間見える。

 なおも無言の視線で突き刺してくるノサティスに、彼女はうんざりだと言うように溜め息を溢して答えた。


「仲間じゃねぇよ、もう。…決めたんだ。これからのオレは、にぃちゃんだけの味方になる。ディアナと敵対したって、構うもんか…」


 ズンとノサティスは胸に重々しい痛みを覚えた。

 目頭が熱くなる。

 それは、彼にとって全く初めての感覚だった。


「…おめえにはにぃちゃんとオレっちを護衛する義務があるから、これからも仲間だ。おめえとは仲良くしていくつもりはあるぜ。…けど、おめえがヴィスやディアナを助けようとすることは別に止めねぇ。オレっちは、にぃちゃんさえ苦しまずに済むならそれだけでいいんだかんな」


 …もう本当に、取り返しがつかない程に擦れ違ってしまったのだろうかと、ノサティスは一人肩を落とす。

 そして、今の彼女の傍にいることが剰りに耐えきれず、スティリウスの拠点を目前にしてノサティスは脚を止めた。


「…ならば、せめて最後に義理として、ヴィスドミナトルとディアナをラティナまで送り届けたい。私が全力を出せばそう時間も掛からないはずだ。必ずお前達と合流を果たすから、ぬらりひょん達と戦うのはそれまで待ってくれぬか?」


「別に許可は要らねぇぜ。ほら、行きな」


 ルナは無表情のまま一瞬振り返ってそう頷くと、彼を置いてさっさと拠点へ進んだ。

 ノサティスの足音が遠ざかっていくのを背中で感じながら、ルナは脇に抱えていたスティリウスの肩をトントンと叩く。


「…にぃちゃん、にぃちゃん、起きてっか?」


 甘ったるく高くした声でヒソヒソと呼ぶ。

 スティリウスは少し遅れて「…あぁ」と答えると、そのまま身動ぎ一つせずルナに運ばれていった。


 そしてルナは森林の中の小さな池の傍に石造の小屋を見つけると、その屋内に入ってスティリウスをそっと座らせた。


「起きてたんなら、にぃちゃん話聞いてたろ? ノサティスがヴィス達を送って、引き返してきたら、オレっち達でぬらりひょんに大逆転してやろーぜ」


「…いや、もうオレも大分意識がはっきりした。今すぐ戦っても――」


「ダメダメ、焦んなって。味方はいるに越したことねぇんだし、ノサティスが戻るまで休んどきゃいいんでい。…オレっち達は耳も目もずっと良いんだから、敢えて読霊はやめて、怪霊領域を閉じてしまおう。ノサティスがいない今、そうした方がずっと見つかりにくい。んでもってリスでも何でも変化しときゃあ完璧っ。見つかりっこねぇ」


 ルナはスティリウスの隣に座り、肩を引っ付けて笑う。

 ほんのりと赤みが差した彼女の様子にはまるで気付かず、スティリウスは思い詰めた表情で俯いて「あぁ…」と生返事を返した。


「それにしても、にぃちゃんまで怪霊衆との戦いに巻き込まれてるなんて、変な話だよな。ルナールだかなんだか知らない変な肩書きでディアナに付き合わされたオレっちも、ディアナの剣から逃げ切ってひとりぼっちになったにぃちゃんも、結局同じ場所で戦うことになってるなんてな。…これからも怪霊衆と戦い続けてたら、ディアナ達と顔を会わさなきゃいけねぇのかな? …オレっちやだな、もうディアナなんかと鉢合わせたくねぇ。にぃちゃんとだけ一緒にいたいよ。…こんな旅、やめられるんならやめちまってさ、オレっちとにぃちゃんでのんびり暮らしていきてぇな」


 ルナは長々と捲し立てる。

 楽しい話題など無いけれど、スティリウスとの時間を楽しく過ごしたくて、まずは言葉で埋めてみたのだ。

 スティリウスは少し考え込んだ後、唐突に口を開いた。


「…オレには復讐を成し遂げる義務がある。人間共を皆殺しにし、最後は剣聖ディアナだ。だが、そのためには人間を滅ぼすことを許されなくちゃならなかった。この旅の目的は、怪霊衆を倒し、強さの証明をすることにある。その果てに怪霊王の座へと登り詰めるか、全ての怪霊衆を殺すかして、自由に人間を手に掛けられるようにしなければ、オレはスタートラインにすら立つことができねぇ」


「…人間を大勢殺すのなんか、やめてくれ、って、言っても無駄なんだろうな。…オレっちは、たくさんの命を無駄に斬り捨てるような真似してるにぃちゃんなんて、見たくねぇんでぇ…」


 スティリウスはルナを一瞥すると更に深く眼を伏せて、ルナに背を向けるようにして地面に横たわった。

 そしてポツリと、ただの思いつきのように呟いた。


「…オレの復讐を止めたいんなら、お前が剣聖ディアナを殺しゃあいい。復讐の楽しみを失えば、オレは何もしなくなるだろうぜ」


 ルナの息を呑む声に背くようにしているスティリウス。

 こう言えばルナは今日の選択を思い直すはずだった。


 しかし、彼女が返したのは、剰りにも冷静な一言。


「わかった。待っててくれ」


 スティリウスが耳を疑って振り返った時には、既にルナはその場から消えていた。



※※※※※※※※※※※



 空を飛んで引き返したノサティスは、すぐに二つの影を見つけた。

 一つは、足を引き摺るようにして、海岸とはまるで別の何処かへと向かおうとしているヴィスの後ろ姿。

 そしてもう一つは、先程戦った場所から一歩も動くことができず、ただ座り込み続けているディアナの姿だった。


「おい、ディアナ、大丈夫か!?」


 ノサティスは彼女を心配して先に声を掛けた。

 上空から降り立った彼を見上げると、彼女は表情を作る余裕も無くまたゆっくりと俯いた。


「…あたしのことは、…放っておいて。……あたしより、ルナの傍にいてあげて…」


「…ルナは私が守るまでもなく強い。…だが、今のお前は違う。守らねば、お前は勝手に死のうとする…」


 ノサティスはディアナの手を取り、少し引くと、後は彼女自身が立ち上がるのを待った。

 彼女は彼のお節介に抵抗するような気力も無く、流されるままに立ち上がった。


「…ノサティス、あなたが心配していた通りになった」


「なに…?」


「あたし、仙攻丹の副作用が出た。…右腕がもう、上がらない。…脚からは、力が抜ける。…右目が、さっきからずっと霞んでる」


 ディアナの突然の告白に、ノサティスは咄嗟の反応が出来なかった。

 しかし、先程の戦闘を見ていても既にその予感は感じられていた。

 ノサティスは彼女の腕を引いて強引に背負い、不安がらせないように静かに返事をした。


「…ならば、なおのことこんな場所に座っていてはマズい。…私はこれからヴィスドミナトルと合流してラティナまで送り届けるつもりだ。お前も連れていく」


「…ごめんなさい…足手まといで…」


「そんなことはない」


 ボソボソと頼りなく話す彼女に大した慰めも出来ぬまま、ノサティスはヴィスを追って走り出す。


 追い付くのは容易だった。

 ヴィスは今も封印に揺さぶられていて、歩くだけで精一杯の様子だった。

 そこへノサティスがやって来ると、ヴィスは強烈な敵意を滲ませた眼でノサティスへと振り返り、「来るんじゃねぇ!」と怒鳴り散らした。


 ノサティスはディアナを後ろに降ろすと、驚いた顔でヴィスを見た。


「…な、何だ…来るなとは。…今のお前だけで海を渡るのは得策ではない。私がついていく。…それに、お前、ディアナを連れていくのも忘れているではないか。私が戻ってこなければ今頃ディアナだって殺されていたやもしれぬのだぞ」


「…誰が海を渡るだと貴様……。俺様が大人しく逃げ出すとでも思うのか!? あ゛ぁ!? 大体余計なお世話なんだよ…ディアナが殺られることなど無い! ぬらりひょんの野郎も、鵺の野郎も、海の怪物も、犬神も九尾も…!! 全員この俺様がぶち殺してやるんだからな!!」


 そうして啖呵を切るヴィスを前に、ノサティスとディアナは看過しがたい違和感を覚えた。


 確かにヴィスはプライドの塊だ。

 勝敗を絶対とし、自らが最強であるという誇りのために行動を選ぶ。

 …しかしそれは、今となっては『ディアナとルナを危険に晒さない』という前提ありきでの考え方のはずだった。


 ヴィスがディアナやルナのことを気にもかけず、勝算も無いのに自らのプライドのために戦うことなど、有り得ないのだ。


「…どうしたというのだ…!? お前らしくもないぞヴィスドミナトル! ルナが提案した通り、ラティナに戻って封印を解くべきだ! 今のお前はとても戦えた状態ではない! 皆を助けたいのなら、今は海を渡るのが最善な選択のはずだろう!」


「貴様、言うに事欠いて俺様に逃げろと言うつもりか!? 敵を前にして逃げ出すような臆病な真似この俺様がする訳無かろうがッ!! 俺は逃げん、この身体でも戦ってやる! そしてディアナもルナも殺させはせん!! 強者とは選択せずとも全てを成し遂げられるものだッ!!」


 言い合いを横で聞いていたディアナも、眼を疑っていた。


「…いつものヴィスじゃない…。…あなたはもっと、ここ一番で最善手を掴み取れる人だった。…今のあなたは、剰りにも冷静さに欠いてる…」


 それは、以前からヴィスと仲間として旅を続けてきた彼女の意見だった。

 そこでノサティスの中でパズルのピースがカチリと嵌まる。


 ノサティスは、ヴィスと仲間として行動し始めたのはつい最近のことだった。

 それ故に、その最後の確信を得るためにはどうしても過ごした時間の短さがネックになっていた。


 しかし、彼をよく知る彼女が、『いつもと違う』と明言したのだ。

 それはノサティスの立てた仮説に絶対的な自信を与えた。


「……やはりそうだ…!」


 ノサティスは、ヴィスへと詰め寄っていきながら声を張り上げた。


「ヴィスドミナトル、目を覚ませ! お前はぬらりひょんに操られているのだ! そもそも封印を強くするという芸当がある時点で気が付くべきだったのだ!」


「な、何だとッ…!? この俺様があんな野郎の好きなようになど―――」


「聞けヴィスドミナトル、お前の殺意はぬらりひょんの術によって意図的に増幅させられている! お前の封印は殺意や害意によって効力が増してしまうというのは、以前からお前達自身も知っていたことだろう!? ぬらりひょんは『ぬらり』を使うことでそれを知った! それに付け込み、殺意の感情を怪霊術で送り込むことによってお前の封印は強められていたのだ!! お前が今プライドを優先してぬらりひょん達を殺そうとしているのも、限界まで膨れ上がった殺意に理性を破壊されているからだ!! …思いつきで言っているのではないぞ! 最初の戦闘でディアナが眠らされたのもおそらく同じ術の仕業だ! 既に疲労していたディアナに『眠い』という感情を送り込み眠らせた! お前の封印も、この状況も、何もかも全てぬらりひょんが仕組んでいたことに過ぎないのだ!!」


 ディアナは大きく目を見開いた。

 彼女の脳裡に、自分を睨み付けてくるルナの表情が思い浮かぶ。

 しかし、彼女の表情は、そう易々とは浮かばれはしなかった。


 ノサティスの話に無言で耳を傾けていたヴィスも、その理屈にある程度納得してはいた。

 しかし彼は、ギリギリと奥歯を噛み鳴らし、血管が浮き出る程に両手を握り締め、狂犬のようにノサティスを睨み付けたままでいた。


「…ぬらりひょんの企み通りだというのは納得だ。…その理屈にだけはな」


「…そうか、分かって―――」


「だが、理解したとてこの胸に高まり続ける憎しみと殺意が無くなる訳ではない! 俺様はやはり、ぬらりひょんをこの手で討つ!!」


 頑なに、ヴィスの選ぶ道はそれだった。

 そう叫んでいる彼の両腕は未だ失われたままである。


「…説得しても、駄目だというのなら…暫し眠れ…!」


 ノサティスは覚悟を決めて、ヴィスの下へと走り出した。

 大きく実力の開いた今の二人では、もはや戦いにすらならない。

 接近して伸ばされたノサティスの右手を、ヴィスは避けることすら叶わず腹部に食らう。


 それは手の甲でふわりと当てるだけの攻撃とも呼べないものだったが、たったそれだけの衝撃でヴィスは腹部を押さえながらよろよろと後退し、膝をついていく。


「…お前は、この島に来る前に私に言ったな。お前達と、リーラハールス様…どちらを選ぶのか、と。…私にとって、誇りとは何なのか、と…」


 ヴィスは薄れかけの意識の中、必死にノサティスを睨んでいた。

 そんな彼に、ノサティスは、どうにか届いて欲しい一心で見つめ返しながら告げた。


「ヴィスドミナトル…『戦士としてのプライド』と、『仲間を守る心』…二つに一つだ。…お前自身の心で選んでくれ。そして目を覚ましたら、その時は、共に戦えるようになっていることを願っている…」


 その言葉は最後まで聞こえていたのだろうか。

 ヴィスはノサティスを睨んでいた目をぐるんと回し、バタリと正面に倒れた。

 ノサティスはそんな彼を脇に抱え上げると、それをディアナに渡して「頼む」と告げた。


 ディアナは気絶したヴィスを抱き止めると、元来た道を引き返そうとしているノサティスに「どこへ?」と訊ねた。

 ノサティスは彼女に身体ごと振り向いて、強い使命感の下に告げた。


「ルナもヴィスドミナトルと同じだ。その心をぬらりひょんの思惑に操られている。…ディアナ、お前はヴィスドミナトルの様子を見ていてくれ。また置いていくことになってしまってすまないが、お前とルナを会わせても、今はきっと良い方へは働かぬ。…だからこそ、ルナの目は、この私が覚ましてみせる」

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