五四ノ業 檻の中の離別、踊らされた憎しみ
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ヴィスが読霊を展開して仁王立ちでいる中、ディアナは片膝を抱えて座り込み、左腰から抜いた剣に塗ったオリーブオイルを羊毛布巾で拭き上げていた。
それが終わり、彼女はその剣を月明かりに照らして鑑賞する。
剣身の中央には操霊により足し鋼で接合した跡が残っていた。
「…リーラハールスに急かされなければ、ね…」
その剣はメデューサとの戦いで折られたものだった。
鍛冶師達とは修理するよりも作り直す方が良いという話になっており、二週間を目処に作業を進めてもらっていたが、そこにリーラからの急かしが入ったため完成を待つことができなくなった。
急拵えで折れた剣を接合して持ってきたのだが、どこまで持ってくれるかは彼女にも分からなかった。
彼女はその剣を鞘に納め、暫し虚空を見るとなく見ると、腰巾着にオリーブオイルの小瓶を戻す。
すると指先に小さな輪の感触を得た。
彼女はそれを二指で摘み出すと、祈りを込めるように額に当てて、指に嵌めようとしてからピタッと手を止めた。
そして悩むと、地面に捨てていた幾つかの瓶に操霊を掛けてガラスの鎖を作り、輪に通してネックレスにして首に掛けた。
「……貴様は、ルナが自分の下を離れると言ったら、どうするのだ…?」
ヴィスは彼女のネックレスを見つめてそう尋ねた。
彼女はそれに、「分からない」と答える。
そうしてネックレスを服の中に隠してしまうと、彼女は不安を他所へやるように彼に笑い掛けた。
「そうなっても、あなた、あたしの傍にいてくれる?」
「……貴様にクレドがいるように、ルナの隣にはスティリウスがいることになろう。ならば貴様らは互いに寂しくはなかろう。しかし、その上でルナが不幸に見えたなら俺様はルナを守りに行く。貴様が寂しそうにするのならば俺様は貴様を支えよう」
「…うん。そうしてもらえると、すごく嬉しい。…ルナのこと、お願いするわね」
彼女は寂しそうにそう告げた。
彼はそれにしっかりと頷く。
ずっと三人で続けていくと思っていたその旅に、一つの転機が訪れた気がしていた。
「――ッ! ディアナ立て、敵だ!!」
唐突の呼び掛けにも彼女は素早く対応し、立ち上がると同時に両腰から抜剣して左正段に構えた。
ヴィスも彼女と共に敵の接近を待ち構えていたが、ふと彼は彼女と背中合わせに向きを変えた。
それというのも、現れた敵が一体ではなかったのだ。
高く跳び上がった三体の怪霊獣が、二人を取り囲む位置に着地する。
ヴィスの前に降り立ったのは、犬神。
布切れを身体に巻き付けただけの格好の犬神は、その手を突き出して我霊射の準備を整える。
「…来やがったな、犬神…。…だが、ぬらりひょんが強めた俺様の封印も、もうとっくに元に戻ってるぜ。貴様如きに手を焼くことなど……」
彼はそう言って後の二体にも睨みを利かせようとし、言葉を詰まらせた。
犬神、犬神、犬神……それぞれ身に付けている服に僅かな違いがあるものの、容姿は全く違いない。
見間違えようがない…三体の犬神が彼らを囲んでいた。
「な、何で三体も…。……犬神って単一存在じゃないの? 大量にいるもの?」
「否、我は単一だ」「繁殖に頼る雑魚共と同じ括りにされたくはないな」「からくりがあるのだ、複数で現れるからくりがな…」
ディアナの疑問に三体の犬神が順繰りに口を開く。
それはまるで、三体が同一の意識を有していると宣言するかのような行動で、神経質なディアナには大きな揺さぶりとなった。
「ディアナ、細かいことはいい! 何体いようが殺せば関係無い!」
ヴィスが声を上げて犬神の一体へ駆け出そうとすると、その一体が透かさず右腕を破裂させながら我霊射を放つ。
ヴィスは読霊を絶って斜め後ろに我霊射外しを行い、そのまま直進する。
彼の動きは犬神の反応速度を大きく上回り、いとも簡単に犬神の腹を横蹴りで打ち抜いた。
「ぐ、ぼぉっ…!」
犬神は残った左手で腹を抱えてよろよろと後退るが、ヴィスは立て続けに上段へ突きを放つ。
そして犬神が突きから身を庇おうと左腕を上げた瞬間―――
「ハッ! 終わりだ!!」
犬神の背に手を添えて深い膝蹴りを、先程蹴り抜いた腹部へぶつけた。
犬神は吐血し、悶えながらその場に倒れた。
犬神は、必死に顔を上げ、最期にヴィスの脚に噛みついた。
知恵も何も無い苦し紛れの抵抗に、ヴィスは鼻で笑いながら顔を蹴飛ばし、繰り返し折れるまで首を踏みつけた。
もうその犬神は動かなかった。
「…二体、片付けた。残り一体任せるぞ、ディアナ」
「え?」
乱暴な殺し方に心が引いていたディアナは、呼び掛けられて辺りを見る。
丁度その時、バタリともう一体の犬神が倒れた。
それは先程ヴィスに外された我霊射を腹を受けた犬神で、声も出せないまま死んでいた。
「なるほど、効率の良い殺陣だな。しかもこれは、我らが意思を共有し合っている場合も考慮しての行動のようだ。…粗暴に見えて案外頭がキレる……あのお方の言う通りだな」
「……え…? あ…!」
生き残った犬神の発言の意味が分からず、聞き返したディアナだったが、その犬神の手がヴィスの背中へ向いていると分かると瞬間身体が動いた。
「させないッ…!」
ディアナの叫び声に気付いた犬神は素早くその手を彼女へ向け直す。
瞬仙攻で加速し、そして放たれた我霊射を寸前に予測して避けた彼女は、左手の剣でその首を――
「――…あ、れ…?」
ディアナの左手は、何もない場所で振られた。
犬神にまだ近づききっていない内に、それと気付かず剣を振り始めてしまっていた。
何の仕掛けもない、ただの凡ミス。
「も、もう一度…!」
危うく横を通過してしまう頃になって、彼女はくるりと回転しながら右手の剣で斬りかかる。
今度こそ正しい距離で攻撃できたはずだった。
…しかし、その右手は力が抜けて、スポッと剣が手から離れて飛んでいった。
「………え……?」
彼女は犬神を通り過ぎた後、困惑して立ち止まった。
遠くで地面に突き刺さっている剣へと振り向き、そして自分の右手を見つめる。
「…な…何だ…?」
一連の動きを見ていたヴィスはその不可解に眉を潜めた。
そんな二人を見た犬神は、思わず、というように吹き出した。
「…これは、傑作だな。折角ヴィスドミナトルが剣聖ディアナの戦い方を観察されないように自分一人で二体を片付けたというのに、当の本人がミスをしてまんまと戦法を露呈してしまうとは…。この記憶は持ち帰って十分活用させてもらうぞ。…剣聖ディアナ、恐るるに足らずとな…」
ヴィスはキッと睨み付けて怒声を上げたが、犬神はそれを小馬鹿にしたように見つめた。
「…犬神…、貴様、ディアナに何をしたッ!?」
「検討違いだな。我は、この娘に何もしていない。勝手にミスを重ねたのは娘の方だ」
「貴様…白を切れると思うなよ…! 痛め付けて何としても吐かせてやるからなッ…!」
敵意を剥き出しにしたヴィスは、直後封印に押さえつけられガクリと膝をつき、立ち上がれなくなる。
それでもなお犬神を睨み続ける彼に、「…違う…」とディアナがポツリと呟いた。
「…違うの…ヴィス…。……これ、多分…犬神の仕業じゃない……。…あたしの、身体が……」
ディアナの言葉は震えていた。
…いつかは、その日が来るとは知っていた。
神仙に何度も忠告され、それを覚悟して今日まで続けてきた。
けれど、それを体感して初めて、彼女はようやく現実の事として意識することができたのだ。
今更に恐怖する。
彼女には今まで、真の意味での理解が足りなかった…。
「…仙攻丹の…副作用が出たのよ……」
…ヴィスは絶句し、顔を強張らせた。
かつて神仙から伝えられていた言葉を思い出す。
――『仙攻丹、あれは命を蝕む技じゃ』――
犬神の糸のような細い目と犬のような顔のために表情は分かりにくいが、声には嘲笑の色が滲む。
「…さて、ならば我はこれで退散しようか。我は初めから貴殿達を殺すために来たのではない。貴殿達の実力を見られればそれで十分。殺す楽しみはぬらりひょん殿に残しておかねばならぬ故な」
ヴィスは舌を打ち、立ち上がろうと踏ん張るも、封印に邪魔されて動くこともままならない。
「ふ、ふざけるな…! 貴様はここで、この俺様がッ…!」
「…粋がってはいるが、封印が強まってどうにもならぬようだな。貴殿は、ぬらりひょん殿に強められた封印を元に戻したと勘違いしたようだが、そう単純ではないぞ。そもそも貴殿が大天狗に蹴りを入れた時と同じ力が出せたなら、我を倒すのに一撃で十分だったはずだ。貴殿は我らのような敵を眼にすると封印が強まるようになっている。そして激昂すると完全に封印に屈するのだ。大人しく跪いていろ」
犬神はそう言い残すと素早く跳び去っていこうとする。
しかし、ディアナがそれを許さない。
彼女は両手を深く引く。
「い、行くか…しかし、貴様は万全ではない。あまり深追いは――」
「大丈夫。追い掛けはしない」
ディアナはその腕を絡み合う蛇のように交差させて突き出し、その両手は牙を向いたように上下から指を折り曲げる。
そして両の眼を凝らし、狙いを定める。
「…食らえ」
全身に瞬仙攻の激しい稲妻を走らせ、それが消えるまでの一秒の内に両手から我霊射を同時に撃ち出した。
二つの青い光線は腕の延長のように絡み合って螺旋運動して突き進む。
それは徐々に一つの光線へと凝縮していき、先端が槍のように尖っていく。
周囲の空間が僅かに歪み、まるで嵐を纏ったかのように大気を巻き込んでいく。
「『我霊双嵐槍』――…なんてね」
彼女は呟きながらその場にペタンと座り込む。
持ち得る全ての力をこの一撃に込めたのだ。
そしてその嵐の槍は、猛スピードで犬神の背へと到達する。
「…なッ…―――」
犬神は当惑の悲鳴を上げながら、青い光に撃ち抜かれた。
その衝突は背骨を破壊し、肉を抉り、腸を潰す。
血反吐と臓物を口から撒き散らして落下する犬神は、受け身も取れず地面へと激突し、遂に事切れた。
「……で、できた……。…でもまだ、…完成形には…程遠いかな…」
激しく消耗したディアナは痺れる両腕をだらりと垂らし、息を切らしながらも満足そうに笑う。
しかし、ヴィスの方へと振り返った時、彼女の笑みは凍りついた。
「…ふむ。我霊射も使えたか。しかも改良して威力と射程を底上げしたものを使うとはな…。しかし、使うには『センコウタン』と呼ぶ特殊な術の併用が必要のようだな。ならば我霊射は、飽くまでも最終手段というところか」
そうしてディアナの技の解析をしていたのは、ヴィスではなく…犬神。
しかしその犬神が着ているのは、紛れもなくヴィスが着ていた深碧のチュニックだった。
彼女はすぐに理解した。
ヴィスの身体が、犬神になったのだ。
「『センコウタン』というのは肉体を強化する術という認識で良いのか? あのスティリウスと名乗る半怪霊獣も同じような術を使っていたはずだ。それならば我霊射と併用していたのにも納得がいく」
「…ヴィ…ヴィス……!」
ディアナは震える脚で立ち上がると、犬神の発言など気にも留めず茫然としていた。
そして、左手の血管が浮き出るほどに強く、剣の柄を握り締める。
「…よ、よくも、ヴィスを…!! …ヴィスを返せぇぇえええッ!!」
走り出す。
彼女には使える霊力など残っていない。
技術も、工夫も、何も無い。
ただ走って斬りかかる。
犬神はそれを笑って待ち構え、そして、反撃の一歩を―――
「…ぬ…?」
バタリと、不意に犬神が倒れた。
ディアナは困惑しつつその場に踏み止まった。
犬神は、クククと愉快そうに笑って這い上がろうとするが、やはり力無く地に伏せる。
「……これが…ヴィスドミナトルが受けている封印術とやらか…。身体も動かなければ、怪霊力も込められぬ…。なるほど、これは、どうにも御せそうにない…」
ディアナはキッと睨み付け、左手の剣先を犬神に突きつける。
「観念したなら…ヴィスを返しなさい。…今すぐに…」
「…ク、フフフ…。…確かに、この身体ではどうにもならなそうだな。……だが、念には念をと…言うものだ」
犬神がそう言ってクククと笑い、それを彼女は怪訝に見つめた。
そして次の瞬間、彼女は背後から迫っていた一羽の烏に気付いた。
彼女が警戒心からパッとその場を離れると、烏は顔面だけを犬神に化けさせて虚空を咬み切り、旋回して再び接近する。
「センコウタンとやらを使う霊力はもう無いようだな! 観念して餌食となるが良い!」
「……」
犬神はその口を大きく開けて肩へと噛みつきに掛かる。
しかし寸前、ディアナは膝を沈めて体勢を低くし、紙一重の回避に出る。
そうして右肘で犬神の喉笛を打ち上げようとしたが、上がりかけていた右肩はあるところからガクンと力が抜けて落ち、犬神は更に上空へと飛翔していった。
「…センコウタンが無くとも烏程度は相手取るか。まぁいい、深追いはすまい」
犬神はそのまま、何処へとも知れず去っていく。
ディアナはその後を眼で追うと、ハッと我に返ってヴィスに視線を戻した。
ヴィスは既に犬神の姿から元へ戻り、封印に抗ってよろよろと立ち上がってきた。
「…ヴィス、大丈夫!?」
「………チッ…あの野郎……ふざけた真似をしやがって……」
ヴィスは腹立たしそうに額に脈を浮き上がらせながら周囲を見渡す。
ディアナは自分の手を離れた剣を拾いに歩きながら会話を続けた。
「犬神に噛まれると、…細かい理屈は分からないけど、自分も『犬神』にされてしまうみたいね。…あぁいうタイプは最後まで本体を隠し通して攻撃を仕掛けてくる。…ルナが言ってたように、とても厄介な相手のようよ」
…しかし、彼は返事をしなかった。
その会話以上に気に掛かることがあったのだ。
彼女は不審に思って彼へと振り返り、彼が見ている景色を同じように眺めた。
そして、彼と同じ違和感へと辿り着く。
「…何故だ……」
彼が見ていたのは、先程まで犬神だった者達だった。
ヴィスと同じように、それらは犬神から元の姿へと戻っている。
そしてその姿は、本来リーラの指示がなければ表舞台に現れるはずのない者達だった。
「何故……ここにサイクロプスどもがいるのだ…!?」
※※※※※※※※※※※
突如池に落とされてルナは目を覚ました。
全身を包む水の冷たさ、ついた脚を擽って通る稚魚の群れ、そして鼻と口を不意に塞がれた息苦しさに、彼女は噎せ返りながら立ち上がった。
「――プハッ…! ケホッ…ゥエホッ…! …ぅ、…ん……?」
前髪を押し上げ、手で顔を脱ぐって目を開ける。
すると、彼女の前には衣服を脱ぎ去ったスティリウスが目を瞑ったまま面倒臭そうに息をついて立っていた。
「…な、な、な……!?」
「起きたか、キョロすけ。数時間は寝させてやった。もういい加減起きてろ、いつ襲撃を受けるとも分からないんだ」
顔を真っ赤にしているルナとは対照的にスティリウスは水面に浮かべた衣類を手早く洗っていく。
ルナは警戒するように彼の顔を見張りながらサッと自分の身体を腕で隠して池に肩まで浸かっていき、顔を正面に向けると「ひゃあ!」と叫んで背を向けた。
スティリウスは鬱陶しそうに眉を寄せ、「何騒いでんだ…」と衣類を絞った。
「…な、な、なんっ、何でオレっち、にぃちゃんと…! み、水浴びなんか…!」
「…お前はオレの臭いを追ってきたんだろ? だったらさっさと消臭しておかないとマズい。で、折角ならお前もと考えただけだ」
「いやっ、…オ、オレっち、女だぞ!? んでにぃちゃんは男だろ!? ダ、ダメだよ!!」
「……お前、人間みたいなこと言うんだな。地下ではそんなの日常茶飯事だったろ。お互いに見知った身体のはずだ。…何で今更そんな反応になるんだ、訳分からねぇな」
ルナは溜め息を溢すスティリウスの傍で浮いている自分の服を奪い取ると、水の中でいそいそと着替えて足早に池から上がった。
そして我霊閃で水気を弾き飛ばすと、近くの木の陰に背凭れて眠っていたノサティスに気が付いて近寄る。
ノサティスは彼女の接近を悟るとパッと立ち上がって振り向いた。
「…あ、わりぃ。起こす気は無かったんだけどさ」
「いや、空が白んできた。もう起きた方がいい。助かった」
彼は生真面目そうな表情で礼を言うと、傍に操霊で作った石造小屋を指差し、
「私が読霊で警護するから、お前はその中で休め――」
――その時、森中の木の葉が鳥の群れに羽ばたかれ、さざめきながら舞い散った。
それに遅れ、海岸の方から地響きと爆発音が轟く。
二人はすぐにその方を向き、そして思い至る。
――あの方向には、ディアナとヴィスがいたはずだ。
「…予定変更だ、行くぞルナ! スティリウス!」
躊躇い無く駆け出そうとしたノサティス。
しかし後に続くはずの足音が無く、彼は困惑して振り返った。
ルナは迷うようにその場で足踏みをしていた。
「…どうしたのだ!? 二人の危機かもしれぬ、立ち往生している暇は無いぞ!」
「…そう…だな。…うん、行くべきだよな」
ルナは真っ直ぐ過ぎる彼の視線から逃れるように眼を逸らし、池から上がったスティリウスへと振り向く。
ふと、スティリウスの背中に赤や黒の大きな痣を発見して眼を引かれたが、裸を見てしまっていることばかりに意識を引き戻され、いそいそと顔を伏せる。
そして悠長に着替えを始めた彼に「…に、にぃちゃんはどーする?」と上擦った声を上げた。
「剣聖ディアナはオレのメインディッシュだ。易々と他の奴にくれてやる気は無い。当然行くさ」
「……にぃちゃんが、ディアナを助けんのか」
ルナの表情には、安らぎの感触がか細い焔のように点いたり消えたりしていた。
ディアナを救うことをスティリウスが許してくれる、その安堵。
そして同時に、ディアナという彼女にとって女の象徴とも呼べる存在に、スティリウスの意識が向くという、フツフツと煮えたタールのように濁った感情が犇めき合っていた。
「勘違いするなよ、命を延ばしてやるだけだ。着いてからも敵が剣聖にトドメを差そうと油断するその時までオレは手出しするつもりは無い」
「…そういう訳にゃあいかねぇよ! 先にヴィスが殺られそうになるかもしれねぇしな! オレっちとノサティスは好きな時に出てくからな!」
ルナの声は知らず知らず覇気を取り戻した。
そうして、スティリウスとルナは準備を整えてノサティスの隣に並ぶ。
「行くのだな?」
今一度ノサティスが意思を確かめる。
スティリウスはそれに頷くと、予め左手を刃に変えた。
「ノサティス、読霊は此処で解いていけ。島中が火車の読霊で包まれている以上、どうせ現地の戦闘に加われば読霊を維持することは不可能になる。そしてそれは今剣聖達と戦っている敵も同じことのはずだ。ある程度近付いたら物陰で息を潜めて機会を待つ。いいな?」
「…気は進まぬが、私一人で行ったところで役には立たぬだろう。お前に来てもらうため、この場は頷くとする」
ノサティスは渋い顔をしたまま、兄弟を後ろに引き連れて走り出した。
※※※※※※※※※※※
爆発の現場に辿り着いたルナ達は眼で動きを捉えられるギリギリの距離まで接近すると、先程の爆発に起因して隆起したらしき地面の陰に隠れた。
目の前では、一切手傷を負った様子の無い鵺と、右手を庇いながら焦り顔で立ち回るディアナが対峙する。
そして彼女の後ろでは、両腕を失ったヴィスが額に激しく青筋を立て、激情任せに怒鳴り声を上げていた。
「――クソッ!! 舐めた攻撃しやがってこの屑猫がッ、八つ裂きにしてマントルに沈めてやるッ!!!」
威勢は良いが、彼の動きは重りを付けたように鈍い。
傷のせいもあるが、それ以上に封印が更に強まっているためだと窺えた。
ルナは今すぐ飛び出していきたく思ったが、それよりも、ディアナの行動に違和感を覚えた。
「…くっ…! このッ…!」
ディアナは全身に仙攻丹の放電を帯びて鵺に接近し、しかし怖じ気付いたように飛び退いてを繰り返している。
まるで、攻撃が当たる確実な機会が来ない限り、戦う素振りしか見せないというような、そのような雰囲気をルナは感じ取った。
しかもディアナは、飛び退く際には五回に二回、剣を取り落としたり、躓いて倒れたりしている。
鵺はそんな彼女を脅すように爪を振り上げはするが、決して当てるようなことはしなかった。
…まるでお遊戯だった。
鵺は、ディアナがついて来られるギリギリの動きでしか攻撃を仕掛けていないのだ。
そしてディアナも、先日会得したはずの瞬仙攻を出し惜しみ、手加減してくれている鵺の動きに何とかついていける程度の仙攻丹だけで逃げ回っている。
そんなことをしている間にも、ヴィスは両腕の怪我で苦しそうにしているのに…。
「…何ふざけてんだ、ディアナの野郎…」
ルナから湧き出した感想は、その呟きだった。
いつものディアナはもっと颯爽としている。
普段通りの彼女ならばヴィスに怪我をさせるようなことはなかったはずだ。
どんな事情があるかは知らないが、この島に辿り着いてから何一つとして良いところの無いディアナの姿に、ルナはただ苛ついていた。
「――く…ぅあぁあッ!!」
それまで逃げの一手だったディアナが、半ば自棄になったように瞬仙攻で鵺との距離を詰めた。
しかし、抜剣の薙ぎは擦れ違うタイミングに間に合わず、通り過ぎてからかなり離れた地点で振り払われていた。
…何をどうしたらそんなミスができるんだ、とルナの胸には失望と怒りがとぐろを巻いた。
絶対にわざとだ。
わざと負けそうになってオレ達が来るのを待ってるんだ。
さっきの言い争いの仲直りでもしたいのか?
それともにぃちゃんが自分を助けるとでも思ってるんじゃないか?
思えばよく打算で動くことがある女だったじゃねぇか。
「…助けてなんかやらねぇぞディアナ…さっさと自分で片付けろよ…」
ルナの胸の内は混線していた。
ディアナは愕然として自らの左手を見つめると、「…ハッ…」と掠れた笑い声を上げて腕を下ろした。
直後、鵺が尾で強く背後の地面を叩き、散弾のように勢い付いて飛んだ砂と石にディアナが突き飛ばされる。
彼女にはもう避けるだけの力も残っていなかった。
「ぎィあッ…!」
短い悲鳴と共に彼女は倒れた。
鵺は尾の先にある蛇の頭で彼女に狙いを定め、その尾に怪霊力を集めていく。
「…き、待ッ…てッ! 貴、様ッ…ブチ殺してや…るッ!!」
ヴィスは金縛りにでもあったようにその場で身体を震わせ、崩れるように膝をつきながら叫んだ。
そして腕で身体を支えることも叶わず、バタリと顔から倒れ込む。
――このまま助けが入らなければ、ディアナは死ぬ。
そうと理解したとき、ルナの胸にズキリと鋭いものが刺さって、脚は思わず立ち上がりかけた。
…しかし、彼女の脚は、結局伸びること無く、また陰に身を隠した。
胸の痛みは、気紛れだったかのように既に立ち消えている。
代わりに全身に広がったのは、震えるような興奮と、世界を照らす光のようなもの。
一瞬困惑したが、ルナはすぐに自覚した。
今、ディアナが死ぬのを悦んだオレがいた…。
「…分は悪いが、行くか」
ルナは不意に隣から上がったスティリウスの声に振り向いた。
彼は彼女の複雑怪奇な心情になど全く気付かず、当初の予定通りディアナの危機に飛び出していく。
鵺は『待っていた』と言わんばかりに蛇の顔を彼へと向けた。
そして放たれた我霊射はスティリウスの右手によって難なく上空に外され、彼は紫の稲妻を惜しみ無く全身に帯びて突撃を掛けた。
全力の仙攻丹を用いたスティリウスと、手加減を止めた鵺。
速度は大差で鵺が勝る。
衝突までにまだ一瞬だけ猶予がある。
スティリウスは額に汗を滲ませながらもう一度仙攻丹を試みた。
…しかし、先程の一回が全力ならば、更に一回を足してもまだ鵺には届かない。
「だ、ダメだにぃちゃん! 一旦退け!!」
今度こそは遂にルナも立ち上がり、飛び出していく。
しかし、流石のルナも今からでは間に合わない。
ノサティスもとっくに走り出していたが、彼ではまだ力不足だった。
彼らしくもなく無策で飛び込んでいったスティリウスは、早くも絶体絶命の危機に瀕していた。
彼自身もその自覚があり、見て分かる程に嫌な汗で背を濡らしている。
――しかし次の瞬間、彼は激しい紫の稲妻をそこに残し、砂塵を巻き上げながら遥か先へと鵺を横切って行った。
「…ヒョ……ウ…」
鵺は何が起こったのか分からない、と言うように首を傾げた。
そして傾げた拍子に、鵺は鼻から頬にかけての顔面と左肩に走る激痛に身を跳ねさせ、よろりと身体を泳がせながらその肩を見た。
左肩は、スティリウスの左手の斬撃を受けて大きく窪み、その前脚は伸びきった三角筋から力無くぶら下がっていた。
そしてその顔面も、同じように刃の衝突による窪みが出来ている。
「…チ……斬るには、足りねぇか…」
スティリウスは苦々しく笑うと、そのままガクリとその場に膝をつく。
見ていた者の殆どは、その事象の真相に理解が及ばなかった。
ヴィスは封印のことで手一杯で気が付かず、見ていたディアナも突然登場してきたこと自体に驚いてそれどころでない。
しかし、ルナは気が付いた。
そもそも怪霊領域の拡張法を知らないはずのスティリウスが、何故四千もの領域を獲得していたのか。
――その答えがこれだ。
スティリウスは、たった一人の戦いの中で何度も命の危機に瀕し、それを乗り越える強い意志によって覚醒を繰り返してきたのだ。
獣や野党、怪霊獣を相手に、誰の助力をも頼ること無く、ずっと一人で突き進んできたのだ。
「…にぃちゃ…――」
彼の孤独を憂い、悲しく呟きかけたルナだったが、ふとその視界にディアナの行動が映り込む。
ディアナは膝立ちの姿勢で秘かに両腕を螺旋のように絡ませ、その両手の照準を、スティリウスに合わせた。
「……てめえ…何して……」
一瞬茫然としたルナだったが、ディアナが見ている者の正体に検討がついた。
その瞬間、堪えがたい怒りがブチンと理性の糸を断ち切って全身を支配し、彼女はディアナへと真っ直ぐ走り出した。
「…!? お、おいルナ――」
「ノサティスは鵺を撃ってろ!!」
困惑して呼び止めようとしたノサティスに荒々しく言い返しながら、彼女は操霊で大地を動かして一瞬の内に鵺とスティリウスとの間に壁を立ちはだからせた。
ノサティスは条件反射的に鵺へと右手で照準を合わせる。
鵺は動きが鈍くなったスティリウスに攻撃を仕掛けようと振り返っていた。
それ自体は壁を作ったことで未然に防げたが、問題は、そんな鵺の行動に対するディアナの態度だ。
ディアナは、鵺がスティリウスを襲うのに合わせて我霊射を当てるべく、スティリウスに照準を合わせた。
彼女の行動には、『いずれ始末したいスティリウスだからここで巻き添えにしてもいい』という計算はあっても、つい先ほど自分を助けてくれた彼への感謝など微塵も無かった。
きっと彼女は、助けてもらったとすら理解していないだろう。
自分がやらかした過ちの結果、彼がどれ程に過酷で孤独な道の上を這いつくばってきたのか、…彼女は思い至らないだろう。
今やルナは、ディアナを冷徹な女だとしか思わなかった。
「…え、…ルナ…―――?」
きょとんと、ディアナが振り向いている。
そこへ、ルナは、思いきり振り上げた、固く握った右拳を―――
「――こ…ンのッ…バカヤロォオオオオッ!!」
――容赦無く、ディアナの頬へと打ち落とした。
犬神戦
・ヴィス(封印解放度0.03%)
握力1,500t
パンチ力4,200t
キック力10,200t
耐久度2,520,000
走力102,000m/s
霊力99,939,901/99,999,999
怪霊領域29,999
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、操霊、発霊、幻弄、洗脳変化
回復力:3,000
・ディアナ
握力90kg
パンチ力220kg
キック力550kg
耐久度132
走力9m/s
霊力6,210/8,210
怪霊領域16,384
技: 仙攻丹、我霊閃、我霊射、読霊、収霊、吸霊、発霊、操霊
回復力:1
・犬神の憑依体 (サイクロプス)
握力500t
パンチ力1,333t
キック力3,333t
耐久度833,333
走力33,333m/s
霊力1,000,000
怪霊領域1,000,000
技:我霊閃、我霊射、読霊、操霊、発霊
回復力:3,333
鵺戦
・ヴィス(封印解放度0.001%)
握力50t
パンチ力140t
キック力340t
耐久度84,000
走力3,400m/s
霊力99,874,913/99,999,999
怪霊領域999
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、操霊、発霊、幻弄、洗脳変化
回復力:100
・ディアナ
握力90kg
パンチ力220kg
キック力550kg
耐久度132
走力9m/s
霊力300/8,210
怪霊領域16,384
技: 仙攻丹、我霊閃、我霊射、読霊、収霊、吸霊、発霊、操霊
回復力:1
・鵺
押力4,000t
キック力12,000t
咬合力5,976t
耐久度2,640,000
走力112,000m/s
霊力2,400,000
怪霊領域2,400,000
術:我霊閃、我霊射
回復力:8,000




