五二ノ業 押し込めた憎悪、葬られし怪霊衆
目を覚ましたディアナの視界に最初に映り込んだのは点々と星の煌めく涼しい夜だった。
その視界の外で骨を断つ時のくぐもった音と血肉の弾けるような音がして、ここが敵地であることを思い出した彼女は冷や汗混じりに飛び起きた。
しかしその不安は杞憂に終わる。
見れば音の源はスティリウスが食らいついている火車の死体だった。
彼は目を覚ました彼女を一瞥すると、刃に具象変化させて部位を切り取っていた左腕をスッと彼女へ向け、右手で肉を食らい続ける。
彼の右脇には髑髏の山、そして正面には死体の山がある。
想像した惨事では無かったにしろ、敵のはずのスティリウスがすぐ傍で食事をしている事は剰りに不可解で、彼女は様子を探りながらゆっくりと立ち上がる。
「…何故仕掛けなかったの…? …一体、何を企んで…――」
彼女は言いながら彼の周囲に眼を這わせ、そこで口を閉じた。
見れば彼の横の、それほど離れていない場所でルナが胡座を掻いて休んでいる。
ルナは食事中のスティリウスの背中をじーっと見守っていたが、ディアナが起きてきた事を知って眼を合わせると、途端に苦味走った顔で笑った。
「あぁ、起きたかディアナ。にぃちゃんのことは警戒すんな。ぬらりひょんを倒すまで一時的に手を組もうってことになってんでい」
「…手を、組む……って…」
ディアナは流石に困惑していた。
スティリウスにとって自分は同胞達の直接の仇で、どう転んでも協力関係にはなれないはずの相手だ。
そう簡単に信用するわけにはいかない、と、そう直感していた。
見張るような視線をスティリウスへと送り続けているディアナの表情は、その心情を鮮明にルナへと知らせた。
ルナはそんな彼女を失望に似た眼で射抜く。
「…視線が煩わしいな。何だよ、そんなにオレが怖いか? ええ? 剣聖ディアナさんよ」
スティリウスは火車を一体骸骨に変えると、次の一体に手を伸ばしながら笑う。
彼女は暫し彼の言葉の裏を探ろうと睨みつけた後、「まさか」と嘲笑を返した。
「僕がその気になればあなたを殺すことは訳無いよ。僕が自分からあなたに仕掛けないでいるのは、ルナを不用意に悲しませたりしないため」
「ハッ! そうかい。じゃあ聞くが、あんたがオレを見逃すことで人間達は着実に数を減らしていくことになるが、あんたの立場としてそれは如何なもんなんだ?」
「あなたは人間を殺すことを怪霊衆――…いいえ、怪霊王ラーベルナルドに止められている。だからここで見逃しても今すぐ人類が滅亡する訳じゃない」
「辺境の集落なら別に攻めても文句は言われないんだぜ。人類滅亡とはいかなくても、あんたがここで日和ることで何百、何千、何万という人間が死ぬことに変わりはない。…で? これを聞いてあんたの意見はどう変わった?」
「よく喋るね、死にかけてた癖に」
「口論に負けたら嫌味で反撃か。馬鹿を相手に喋るのは疲れるよ」
敵視の体裁を崩さないディアナに、スティリウスは鼻で笑って食事を続ける。
ルナは、まだ何か言いたげなディアナに対して鋭く睨みを利かせながら「黙れよディアナ」と強い口調で窘めた。
「仲間になったっつってんだろ。仲良くしろまで言わねぇからとりあえず協力はしろ。どのみちぬらりひょんを倒すのにオレっち達だけじゃ心許ないのは確かなんだ。今全滅しないで済んでんのもにぃちゃんがいたからで、そもそもおめえは早々と眠りこけて何の役にも立たなかったんじゃねぇか。今おめえに発言権はねぇ。説明してやるから状況を把握できるまで静かにしてろ」
ディアナは、珍しく心の底から腹を立てているルナの様子にビクリと肩を震わせて萎縮したが、しかしスティリウスに対する考えには根強いものがあり、変わらず彼を睨み付けていた。
ルナは彼女の態度に胃の奥がムカムカと熱くなり、「おい…」と低い声を漏らしかけたが、スティリウス本人が「プハッ…」と軽い調子で笑っていたのですぐに冷静さを取り戻す。
「マジになんなよ、キョロすけ。剣聖さんはビビってんのさ、このオレがお前らを騙くらかして闇討ちするんじゃねぇかとさ。そもそもだ剣聖ディアナ、あんたはオレとキョロすけにはかなりの負い目を感じてる。訳もなく敵対心を顕にするはずがねぇ。謂わばこれは、オレを信用していないことをアピールすることでオレが仕掛けてこないようにするための牽制ってとこだろ。なぁ?」
スティリウスの指摘はルナを落ち着かせ、図星を突かれたディアナは両腰の剣に手を掛けてじっと彼を見つめる。
彼は断ち切った火車の脚に一口噛りつき、飲み込むと、「安心しろよ」と爽やかに笑った。
「あんたを殺すのは人間を滅ばした後、つまりまだまだ先だ。メインディッシュは大事に取っとかなきゃな。この場では、裏切りの心配は要らない」
「…そう…納得してあげる」
「どうも」
ディアナは素っ気なく、スティリウスは見下げたように、互いに返して口論を終える。
ルナはディアナを一方的に睨むと一つ溜め息をつき、立ち上がって彼女の前まで歩いてきた。
そしてディアナの両肩に手を伸ばし、上から押して座らせる。
「これからおめえが寝てた間に何が起きたか教えてやる。んで、その前にあっち見てみろ。とりあえず今何をしてるかを先に知ってもらった方が早いからな」
「あっち…?」
しゃがみ込んだルナが顎を振って示すと、ディアナはペタンと座ったまま上体を捻って後ろへ振り向く。
そこではノサティスがヴィスへと駆け込み、大振りながらも突き蹴りの連撃を繰り出していた。
ヴィスはその全てを上手く往なしながら避け、ノサティスの姿勢が崩れれば自らも攻撃を仕掛ける。
「……あれは…組み手? ヴィスが修業つけてるの?」
「そーだな。数時間くらい前まではヴィスも封印が強すぎてまともに動けなくなってたけど、段々回復してきていつも通りの力が出せるようになってきたから、ノサティスに格闘戦術を教えんだとさ。そうすりゃ、もしまたヴィスが封印を強められちまっても、ノサティスがぬらりひょんを倒してくれっからな」
「……封印が強まる……ノサティスが、ぬらりひょんに……勝つ…?」
「おう。んで、ぬらりひょんが怪我を治すまで次の攻撃はまだ来ないから、その間をオレっちが読霊で見張って、にぃちゃんにはしっかり休息を取ってもらうことにしてたんでぇ。でももう既に十時間以上経ってて身体も気力も十分回復したから、今は思い思いに過ごしてもらってるって感じだ」
「……う…ん……ん…?」
混乱しているディアナにルナはようやく少しは優しい笑みを返す。
「まぁ、これから話すから聞いてくれ。今の状況に至るまでの経緯をそのまま伝えっから」
※※※※※※※※※※※
「―――…なるほど…それで、ぬらりひょんには術が通じないからノサティスに戦ってもらうことにしてたのね。でもヴィスが戦えるようになってきたから案を練り直す余地も生まれた」
ルナは彼女が眠ってからぬらりひょんが撤退するまでの戦闘模様を事細かに話した。
ディアナはそれをすぐに理解して、話は早くもぬらりひょん攻略の相談へと移行していた。
「うん、そうなんだ。ヴィスが戦えるなら、ヴィスとぬらりひょんの直接対決をしてもらった方がいい。実際ヴィスなら『ぬらり』を食らっても、ぬらりひょんの動きを大きく上回って攻撃ができる。でも、それで勝てればいいんだけど、もしまた封印を強められたりしたらノサティスに助け出してもらうしかなくなる。…だから初めからノサティスに戦ってもらった方が安全かもしれないんだけど、ノサティスだとぬらりひょんにどこまで通じるかの確証が無いんだ」
「でも、話を聞く限りじゃ封印をどうやって強められたか分からないんでしょ? 不確定要素の多い中、ヴィスを無力化される可能性が高いんだったら、やっぱりヴィスにやらせるのは避けるべきよ。ノサティスにやらせるのが一番ね。少なくとも、ノサティスとの戦闘でぬらりひょんが疲弊してくれれば、あたし達がそこに畳み掛けてトドメを差せるかもしれないじゃない」
「いや、それも無理だ。ぬらりひょんがいくら避ける体力が無くなってたって、『ぬらり』を使えば全員の術を封じられる。オレっち達の参戦は無駄だ。やるなら一から十までノサティスに任せなくちゃいけねぇ」
「…そうなると、あたし達ができることはぬらりひょんの取り巻きを倒すこと。…犬神と鵺…それと、明かされてないもう一体ね。でも、取り巻きとの戦闘にぬらりひょんが介入したら、あたし達は為す術無く殺される。……理想なのは、ノサティスに一人でぬらりひょんの相手をしてもらって、完全に引き剥がした取り巻きをあたし達がなるべくスムーズに倒すこと」
ルナは既にディアナに抱いていた怒りを鎮め終えていた。
それさえなければ、やはりディアナは彼女にとって誰よりも頼もしい相手であることは変わらないのだ。
「そーだろな…。でも、それだけじゃ足りねぇかもしれねぇ。犬神は一見簡単に倒せそうに見えたが、それだけに大天狗と同等の地位にいることが怪しくなる。何か裏があるって考えた方が良さそうだ。それと鵺…ありゃ大天狗より明らかに強い。一対一ならヴィスやディアナが倒せると思うけど、油断はできねぇ」
「あたしは大天狗を見ていないから分からないけど…そんなに強いの?」
「ノサティスより強くて、ヴィスよりは弱いって感じかな。鵺とヴィスのどっちが強いかは、ちょっとまだ何とも言えねぇ…。…そんで、まだ明らかになってないもう一体なんだけど、心当たりがあんだ。ここで休憩を始めたくらいの時間に、海面に一瞬顔を出した奴がいた。…そいつが、霊力量が二八〇万もあったんだよ。…あれが最後の四従士で間違いねぇ」
ディアナは暫し思案に暮れ、ルナは真剣な彼女の表情を見つめながらノサティス達の組み手の掛け声を聞いた。
既に半日近く経っているが、襲撃される気配は無い。
相手からの読霊を受ける心配の無い今こそ作戦を練るチャンスなのだが、情報が少なく難航していた。
「…やっぱ『ぬらり』をしっかり対策して、全員で攻撃できるようにした方がいいよな」
そうルナは呟く。
それは間違いなく正しい判断だったが、言うは易しと云うものだ。
その手立てをいくつか考えてはいたが、果たして通用するのか分からない。
「…全員で耳栓でもして突っ込んでみるか? ぬらりひょんがテレパシーで『ぬらり』を使ってこれるのは一人相手だけだ。オレっち達が敢えて連携を取らずに攻撃すりゃあ、案外スパッと倒せるかもしんねぇ。それか…洗脳変化を使って……」
そうしてブツブツと悩んでいるルナの後ろで、ふぅ、と息をついてスティリウスが立ち上がった。
ルナがそれに振り返ると、一瞬眼が合った彼は具象変化を解き、背を向けてスタスタと歩き出してしまう。
「え、ちょっ…どこ行くんだ?」
思わず声を大きくして立ち上がったルナに、スティリウスは歩みを止めること無く行こうとする。
ルナはパタパタとその前まで駆け、両腕を広げて立ちたはだかった。
「ど、どこ行くんだよ、にぃちゃん。協力してくれんだろ?」
「手を組むとは言ったが、力を合わせてなんてオレはごめんだね。お前らはお前らで好きに動けばいいし、オレはオレの好きに動く。そもそもお前らと連携を取るには互いに手の内を明かす必要があるだろう? これが終わればまた敵対すると分かっていてそれができる奴がいるのか?」
「……オレっちは…できる…」
「お前だけだよ、他の奴らは渋るに決まってる。…敵対はしない、獲物の奪い合いも無し、手助けが必要ならケースバイケースで手を貸す。それさえ守ればこれ以上干渉し合う必要も無いだろ。ヴィスドミナトルやそこの剣聖さんだって、いつ寝首を掛かれるか警戒しながら背を預けるくらいなら、端から別行動の方が気も楽だろうぜ」
「け、けどよぉ!」
「そんなにおかしなことは言ってないつもりだが、まだうだうだ言うのか? …あぁ、だがノサティスはオレが貰っていくぜ。あいつはそもそもリーラの部下でオレの駒だ。まぁ、あいつの自由意思に任せるがな」
チラリとノサティスに一瞥をくれた彼にルナも続く。
ノサティスは会話を聞き視線にも気が付くとその場で足を止め、また組み手に付き合っていたヴィスも腕を組んで彼の選択を待った。
更にディアナも選択を委ねるように眼を向けてくると、ノサティスは苦渋の末に決断し、重い足取りでスティリウスに歩み寄っていく。
「…私はルナを守る以前にスティリウスを守るという任務を授かっている。スティリウスが別行動を取ると言うのなら、私はスティリウスについていくだけだ」
スティリウスは不敵に笑い、「あぁ…よくできました」と拍手のフリをした。
ルナは彼とノサティス、ディアナとヴィスの、二組に別れた陣営を眺めた。
彼女は思い返した。
ぬらりひょんを前に手も脚も出ず倒れた二人。
そして、分析と機転を以て勝ちを制した二人。
どちらにつかなくてはならないかなど一目瞭然だった。
しかし、感情が理屈を揺るがす。
彼女はどうしても、スティリウスを放ってはおけなかった。
「…オ…オレっち……も…」
ルナは唇を震わせながら懇願しようとした。
しかし、スティリウスの顔を見た瞬間、彼女の言葉は途切れる。
目の前の彼の微笑みは、かつて地下の日々に見たものと同じ――
「…オ…レっち…は………」
――妹を憂いる、儚い優しさの笑み。
「………行け…ない…」
スティリウスは隣にノサティスがやってくると、何も言わずに走り去っていった。
ノサティスはどことなく不安げに彼と彼女とを交互に見るも、置いていかれないように直ぐ様追従していく。
ルナは振り返って彼らの背を見送ることすらできず、ぎゅっと拳を強く握って目を瞑り、天を仰ぐ。
涙を溢さず飲み下す。
ヴィスとディアナはゆっくりと彼女の傍へ歩く。
そして正面に立つと、ヴィスは優しく彼女の肩をポンポンと叩き、言葉無く慰めた。
ルナはそんな彼を心配させないように笑い返したが、喉は熱く詰まるような感じがあり、思うように言葉は出なかった。
そしてディアナにも同じように笑みを向けたが、その笑顔は戸惑いと共に消える。
ディアナは作戦を練っていた時と変わらない真剣な――敵を見据えた眼をしていた。
「ルナ、読霊でスティリウスの霊力は見ていたわよね? 彼の霊力はどのくらいになった?」
「え…?」
ルナは大きく見開いた眼で彼女の顔を食い入るように見つめ、真っ白な頭で答える。
ヴィスは驚愕と、僅かな怒りを湛えた険しい顔でディアナを見た。
「…寝て起きた時には、四八六万くらいだった。そっから烏天狗と火車を食い続けてて、今は…八九一万…くらい……」
「そう、ありがとう」
ディアナはそれだけ聞くと踵を返してルナから離れていく。
その背中を眺めている内に、ルナの思考を覆っていた靄が晴れていく。
彼女の胸に浮かんでいた困惑が、じわじわと真っ赤な怒りに成り代わる。
「……おい…ディアナ」
「なに?」
何でもなさそうにディアナは振り返る。
その態度が、更にルナの心に染み込んだ激情を膨れ上がらせる。
「今の何だ」
「今の?」
「今、何でにぃちゃんの霊力なんか聞いた?」
ディアナは口を閉ざしたまま身体を向け直し、ルナの強い憎しみの眼を正面から受け止めた。
「…今、何で、にぃちゃんの、脅威を測るような真似、しやがった?」
その口調は誰が聞いても明らかな怒り――或いは殺意に類した感情を孕んでいた。
ディアナはそれに物怖じした風も無く、淡々と、常識を説明するような感触で告げる。
「知っておかないといざという時に危ないじゃない」
「そのいざってなぁ何だよ。何が危ねぇってんだよ。『いざ協力するときに』か? 『いざ助ける時に』か? いや分かってる、そんなことてめえは微塵も思っちゃいねぇ…」
ディアナは弁明もしなければ、悪びれてもいない。
その態度が何よりもルナの癪に障った。
「…『いざ襲われた時に』ってこったろ…! …あぁ知ってた、知ってたよ! てめえにはクレドがいんだもんな! にぃちゃんは人類を滅ぼすっつってんだから、何が何でもにぃちゃんを殺しとかねぇと大好きなクレドが殺されちまうんだ! そりゃ信用できねぇに決まってるよな!! いつまでも見逃せる訳もねぇよな!! 殺したいに決まってるよなぁ!! ……あぁ…人として何にも間違っちゃいねぇよ、大事な人を守りてぇのはみんな一緒さ…。…自分がにぃちゃんにやったこと棚に上げやがってッ!!」
ルナは激しく怒鳴りつけ、読霊を切ると白毛の首切り馬に股がった。
ディアナはそんな彼女から顔を背ける。
「お、おい、ルナ…! 少し待――」
「放っとけッ!」
ルナはヴィスの制止を振り切って馬を走らせた。
彼女の姿はすぐに遥か遠くへと消えていく。
残された二人はシンと静まった夜空の下で動かずにいた。
ヴィスはジトリとディアナを見る。
彼女は彼を一瞥すると弁明というには弱々しい空笑いを返した。
「…これでいいのよ」
「……チッ…」
ヴィスは苦々しく舌を打ち、小規模ながら読霊を展開して周囲に警戒した。
※※※※※※※※※※※
「…私としてはルナに来てもらった方が安心だったのだがな」
森林を掻き分けながら進む道中、ノサティスがそう呟くと、スティリウスは小馬鹿にしてフッと笑った。
「何だよ、あんたならキョロすけを守れるってのか? 言っちゃ悪いが、あんた一人には任せられないな。流石に弱い」
「言ってくれるな…。…まぁ、事実だと思うが…」
「ハハハッ! 冗談だよ、そんな落ち込むなって! あんた前より卑屈になったんじゃないか?」
スティリウスはカラカラと笑いながらどんどんと先へ進む。
ノサティスがついて来られるように仙攻丹を上手く重ね掛けした彼は、森林にポッカリと空いた空洞へ真っ直ぐに突入していく。
ノサティスは、何の迷いもなく走っている彼の背を眺めて不思議に思いながら後を走る。
「…それにしても、さっきからどこへ向かっているのだ? ここにお前の拠点のようなものがあったりするのか?」
ノサティスが問い掛けるとスティリウスは少し考え、
「読霊でオレごと包め」
島全域を火車の読霊で覆われている今、対策しなければ盗聴される恐れがある。
その対策として読霊が必要なことはノサティスにも分かった。
彼は速やかに我霊閃と読霊を放って盗聴予防した。
「…よし、話すか」
スティリウスは重い腰を上げるような口振りで話し始めた。
空洞は進む毎に寒く、暗くなり、空間は広くなっていく。
「ここのことを知ったのは数日前。火車どもから逃げてきたオレはこの空洞を見つけ、中に伏兵がいないか確めるために読霊を展開した。その時、最初はオレも霊力の反応が無かったから安心してたんだ。だがすぐに違和感を覚えた。…確かに霊力は感じない。だが、読霊には明らかに生き物の感触が引っ掛かっていた。そいつは普通の動物なんかじゃない、もっと巨大な何かだった」
「…巨大な何か…? …怪霊獣ではないのか…?」
「それが分からなかったのさ。霊力を感じないということは怪霊領域が閉じてるってことだ。だが普通の怪霊獣は怪霊領域の閉じ方を知らない。だから消去法では動物のはずなんだが、デカすぎるんだよ。全長五十メートル近くあるぜ」
「五じゅ………は…?」
ノサティスも剰りのことに言葉を失った。
怪霊獣でもそこまでの巨大さを誇るものはそうはいない。
怪霊衆でもヒュドラとアポピスの二体だけで、それ以外には聞いたことがない。
…しかし、可能性としては、もう一体いた。
リーラと他の怪霊衆との会話の中で何度か出現したことのある存在。
その名は、―――
「――…まさか…九尾か…?」
「キュウビ…?」
スティリウスは少し振り返ってノサティスの顔を見た。
その表情は、畏怖と呼ぶには些か弱いものがある。
何せそれは彼が自分の眼で確めた脅威ではない。
飽くまでも言い伝え――お伽噺の類いであり、聞かされるだけの存在だ。
「…キュウビ…キュウビか……。…どこかで聞いた名だな…」
スティリウスは顎に二指で触れてフムと耽考する。
そこにノサティスが、何とか記憶を辿って絞り出した話を言って聞かせ始めた。
「…複数の尾に、膨大な霊力を蓄えた妖狐だと聞いた…。その尾の数は日に日に増え、その度に強大な力を手にした、と…。……朱雀様が戦ったことがあると仰られていたが、その時の尾の数は精々三本……そこから更に尾が増え、…最後には九尾と呼ばれる怪物へと変わった…」
「……なるほど、九つの尾ね…」
「……その者はかつてヒュドラ、アポピスと共に地上を暴れ回り、人間はおろか怪霊獣達をも震え上がらせた凶悪な怪物だった、と……。しかしある時、ヒュドラとアポピスの封印と同時期に消息が途絶え、以来知る者ぞ知る伝説と化したそうだ…。…故に、九尾が怪霊衆となることは無かったとされる……」
「…なるほど、なるほど……」
スティリウスは口元に笑みを浮かべてはいたが、口角は引き攣り、冷や汗がしっとりと前髪を額に張り付けている。
そして彼の足は、ふとそこで止まった。
訝しがりながらも足を止めたノサティスは、彼が仰ぎ見ているそれを見上げ、―――思わず息を呑んだ。
「……あんたを連れてきたのは正解だったよ、ノサティスさん。お蔭で疑問がすっかり解決だ。…どうやらビンゴだぜその話。こうしてお目に掛かれて光栄だよ。歴史の陰に葬られ、隠され続けてきた伝説級の怪霊衆…その実物が、ぬらりひょんの領土に封印されていた訳だ…」
全身を黄金の毛並みで覆い、九本の尾でその身を包む巨大な狐。
その巨体が、地面から交差して伸びた無数の鋼柱に組み伏せられ、穏やかに寝息を立てて上下に揺れていた。
死んでいない、眠っている。
…生きている。
霊力を測ることはできないが、推測はできる。
三本の尾を持つ状態で朱雀と戦い、それでも生きて進化を続けたというのであれば、三つの尾でも朱雀と同等であるということ。
それが今は九つの尾…――だとすれば、九尾の実力は――…。
「………とんだ化け物じゃねぇか…」
スティリウスはカラカラに渇いた口で悪態をつくと、背後に忍び寄っていた気配に気付きピクリと指を揺らした。
しかしその瞬間、聞こえた声と共にノサティスの読霊が破られる。
「…『ぬらり』……」




