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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
樹海之篇
53/67

四九ノ業 上陸する樹海の孤島、妖怪達の大乱戦!

遅れてごめんなさい。

 仙儒の孤島ジーファン――薄白い空の下、青々とした樹海は虫食いのように点々と切り崩されていた。

 その虫食いを、妖怪達の死体が埋め尽くす。

 土竜のような黒い体毛に覆われた四尺胴の土蜘蛛(つちぐも)、頭から首にかけて不潔に伸びた鬣を垂れ下げた干からびた蛙のような姿をした河童(かっぱ)、骸骨のように痩せて皺だらけの土色の身体をして縮れた白髪の下に充血した目玉をぶくりと突き出した山姥(やまんば)、その他数々…。

 そこへ無数に湧いて出た紫の体毛に朱と金の斑模様を描く化け猫――火車(かしゃ)が貪り散らかす。


「…ハァ……ハァ……」


 その虫食いの一つに、まだ火車が手をつけていない場所がある。

 そこで土蜘蛛の死骸と丸太が転がる中に立ち、全身に血を浴びて息を切らしたスティリウスは、両腕を刃から元の姿へと戻した。


「……チッ…飯を食う暇も無いな…。連戦も…厳しいか、消耗し過ぎだ…。逃げるしかないか…」


 濁って光を失った目で樹海を睨み付け、彼は我霊閃で返り血を弾き飛ばした。

 具象変化の応用で伸ばした皮膚の中に着ている衣服をしまい、そのまま小さな白鷲へと姿を変える。

 そして薄く全身に展開した怪霊力のバリアで敵からの読霊から身を守り、同時に追跡を免れるために自身の臭いを断つ。


 彼が空高く飛翔した直後、火車が駆けつけ土蜘蛛達を食い散らかした。


「…クソ……品の無いハイエナめ…。…オレが万全の態勢なら…お前らなんか……」


 スティリウスは火車の群れを上空から忌々しく見下ろし、ゆらゆらと覚束無い飛行でゆっくりと立ち去っていく。


 彼はこの数日間一度も寝ていなかった。

 ジーファンにいる間は警戒が途切れれば襲われる…その危機感が彼の意識をギリギリの一線で繋ぎ止めていた。

 この狭い孤島に、それこそ無数と呼ぶに相応しい大勢の怪霊獣がせめぎ合っている中へ、彼はたった一人で飛び込んできたのだった。


 彼が休息を取るためには、この孤島を脱出し、海の真ん中に降りるしかない。

 海の中にも当然野生の怪霊獣は棲み着いているが、統率が取られていない分この孤島の者達より脅威ではない。


「…小鬼や末端の雑魚どもに続いて、今回で河童に、山姥…土蜘蛛も全滅できた……収穫は十分だな。…もう一度海に出て休んで、…次は火車と烏天狗(からすてんぐ)どもを全滅させれば…厄介な雑魚はもういなくなる」


 朦朧とする脳髄に鞭を打つため、そうして考え事を声に出して言い聞かせた。

 しかし、疲労と焦りは彼の頭と心を鈍らせる。


「……今回で完全に奴らを敵に回した…。…海岸は火車と烏天狗に固められてる。…この分じゃ正面衝突は避けられねぇな。最悪、海に出ても天狗に追われ続けるか……。…どうする……」


 残る霊力は数百程度、収霊で霊力の補給を行うためには一旦バリアを解く必要があるが、解いた瞬間攻撃を受けてしまう恐れがある以上、下手は打てない。


「ひひひ」


 彼の横で声がする。

 感情の読めない、無機質な笑い声が…。


「ぬぅらり…ぬぅらり……いひいひひ…」


 彼は背に嫌な汗を帯びて振り向く。

 彼の横で、灰色の着物を靡かせて後頭部に長い瘤を伸ばした小柄の老人――ぬらりひょんが漆黒の眼球を見開いて飛んでいた。



※※※※※※※※※※※



 三頭の首切れ馬が海面を走る。

 先頭にはディアナが駆る栗毛の馬、左にヴィスが駆る青鹿毛の馬、そして右にはルナが駆る白毛の馬と並び、その頭上をノサティスは一人操霊で飛んでいた。


「…驚いたわ、本当に水の上を走られるのね」


 ディアナの感嘆の声に、「うむ…」と抑えつつ少し浮かれた声でノサティスが返した。

 ヴィスは彼女の様子を盗み見つつ黙々と進み、ルナは白けたような表情で淡々と馬を走らせる。


「別に原理などはない。怪霊獣にも速度が出ていれば水面を走ることができる者はいる。人間には珍しい光景かもしれぬがな」


「そうね、初めて見たわ。…もう数分もしない内にジーファンにも着くわ。凄いものね、首切り馬というのは……」


「まぁな。何しろその一頭に百頭もの馬の死体を使っているのだ。パワーも十分だろう」


 ディアナが密かに複雑な面持ちになったのを、頭上のノサティスが察することはない。

 彼は胸を張って、前方に見えてきた孤島の海岸に眼を向けた。


 しかし、その海岸は普段と様子が違っていた。

 彼はすぐに緊迫し尖った声で「…おい、何か変だぞ」と告げる。


「今更気が付いたか愚鈍め。俺様達は全員とっくに気が付いておったぞ」


 ヴィスはハンと鼻で笑って言い返す。

 海岸には、壁を築くように火車と烏天狗が群れ成していた。

 烏天狗は身に纏った山伏装束を漆黒の羽で突き破り、灰色の嘴と爪を鋭く尖らせ、大小の太刀を差している。


「…鳥みてぇなのの霊力は六十万、猫の方は…十三万ぽっちか。オレっちは猫を優先的にやるよ。小迫(ヴェンティラ)り女(ビトリクス)の加速で速度が育ったら鳥の奴もやる」


 ルナの判断は冷静だった。

 アーク・オーガ軍団との戦闘から三日の空き時間、彼女は更に経練の業を重ね、怪霊領域は一万六千…今のディアナと並ぶレベルにまで到達していた。

 しかし、その力を過信せず、自分の立ち位置を弁えた。


 ヴィスはフッと頼もしそうに笑って頷き、ディアナに視線を送る。

 彼女も速やかに振り向いて大きく頷いた。


「烏天狗と火車だ。…ふむ、それが良かろうな。火車はオーガの上位互換でしかない、気楽な戦いだ。練習台にでもしてやれ。…烏天狗は俺様とディアナで殺す。天狗は狐連中と同等に多彩な術を用いるが、同時に剣術の心得もあるから少々厄介だろう。とはいえ、瞬仙攻を得たディアナには等しく雑魚だろうがな」


「そんなに褒められるとプレッシャーなんだけどね…。……いいわ、それで行きましょう。じゃあ、ノサティスは岸についたらセクレト達………じゃない、首切れ馬を守ってて。お願い」


 そうして、ディアナの視線が頭上のノサティスへと向けられる。

 信頼を孕んだ彼女の明るい笑みにこそばゆくなり頬を掻いた彼だったが、…ふと、先日馬小屋で起こった小さな出来事が気に掛かった。


「……馬を守るのは構わぬが……剣聖ディアナ、お前、右腕の調子はいいのか?」


「え? …右腕…って、何で?」


「…いや、何ともないなら良いのだが」


 彼女は首を傾げつつもスッと前方に顔を向けた。

 その頭上で、ノサティスはやはり何かが胸に引っ掛かり浮かない顔をしている。


「…ん…! ヴィス、オレっちの読霊が奴らに弾かれたぜ! 多分こっちに気が付いたんだ!」


 ルナのキンと強くなった声にヴィスとディアナの眉根が寄る。

 ディアナは周囲の気配を直感で察しているため岸の状況までは分からないが、ヴィスとノサティスは目視で察知していた。

 ヴィスはジッと目を凝らして動向を探ると、腹の奥底から昂る衝動を滲ませた獰猛な笑みを浮かべた。


「らしいな、天狗どもが此方へ飛ぼうとしている。…いいぞ、楽しくなってきた…!」


「…戦闘狂は相変わらずね、あなた」


 ディアナは半ば呆れたような、内心安堵しているような朗らかな溜め息をついた。

 そしてその直後、五十体もの天狗の軍勢が一斉に海上へ飛び立った。


「……ノサティス、あたしの馬任せるわ。代わって」


「む? 何を――」


 どうした意図か分からず訊き返した彼だったが、天狗は高速飛行により一秒の間にも目前に迫ってきていた。

 彼女は質問には答えず首切れ馬の鞍を蹴ってヴィスの前へと跳んだ。


「ヴィス!」


「ああ、行くがいい!」


 ヴィスは一言答えると迷わず彼女の靴裏を左手で支え、彼女の踏み台となった。

 そして彼女は深く両足を畳むと、仙攻丹の放電を全身に帯びた。


「――一気に潰す!」


 ディアナは叫び声と青い雷を残し、彼の左手を蹴り抜いて翔んだ。

 彼は軽く曲げた腕だけの力で受け切り馬まで衝撃が行き渡らないようにし、飛んでいった彼女を見送った。

 その横でノサティスか慌てて首切れ馬に跨がる。


 烏天狗達は前方から迫るディアナに驚愕し柄に手を伸ばした。


「人間だと…!? 人間が、何故(なにゆえ)にかほどの速さを…――」


 しかし、次の瞬間にはその烏天狗も首を刈られている。

 ディアナは柄に手を掛けたままの死体を蹴って方向転換し、次の一体を斬って蹴り飛ばす。

 一秒間、誰一人彼女の動きに回避の予備動作すら取れず首を斬り飛ばされていく。


 そしてまた、一体の烏天狗を蹴ると同時に次の一秒が始まる。


「―――そのまま止まって死になさい」


 彼女の声を聞いた者は等しく戦慄した。

 凍えるような冷たい声、鋭い鷹のような目、目にも留まらぬ脅威の速さ…。

 彼らは風の噂に聞いたその話を――メデューサ殺しの剣聖ディアナを、現実と理解した。


「…ほう、楽しそうな戦い方をするものだな。……俺様もやりたいところだが……ふむ、鞍を退くとこの馬は停まるのだったな…。それはマズい………と、なると……」


 ヴィスはディアナの戦い方を眺めて楽しげに笑うと、彼女が手をつけていない方向で飛んでいる天狗達に視線を移した。

 そして左手を掲げ、最低限の威力を保って一体ずつ我霊射を食らわせていく。

 彼の赤い光を食らった天狗達は、いずれも羽根か胸骨をへし折られて海へと墜ちていった。


「…やれてもこの程度か…。ふむ、まぁいい。すぐに……」


 不満げに一人言ちながら天狗を撃ち落とし続ける。

 ヴィス自身があまり動きを変えることもできないために天狗達は容易に避けていくが、牽制としては申し分無い。

 五十もの軍勢は既に残り二二へと減りそして三頭の馬は岸へと辿り着かんとしていた。


「――来た…! おい風見鶏、馬の面倒は任せるぞ!」


「…へ? は―――」


 ヴィスは当惑したノサティスの返事も待たず操霊で宙へ飛び上がった。

 そして岸で待ち構えている天狗と火車の群れへと先んじて突っ込んでいき、我霊射を連射していく。


「…バッ…! う、海に乗り捨てていくな! おい待てヴィスドミナト―――」


「わりぃ、ノサティス。オレっちもメモリア預けるぞ」


 困ったような苦笑いを浮かべながらルナからも一言。

 ノサティスが振り向くと既に彼女は馬を飛び降り、海水を用いて『小迫(ヴェンティラ)り女(ビトリクス)』を発動していた。


 一歩毎にその足裏を海水に押し出され、秒速一万六千メートルもの加速度で突き進み、ヴィスを追い越して岸へと上がる。

 そして足元からは鉄杭に化けさせた土を放ち、両手に発動した霊玉操を踊るように投げつけて次々に怪霊獣を撃破する。

 その振る舞いはノサティスにしてみれば、まるで化け物のような凄まじさだった。


「…ど、どいつもこいつも私に雑務を押し付けおって……」


 文句を言いながらも、ノサティスは余力で走り続けている二頭を両脇に抱えた。

 股がっている栗毛の馬でもって、ヴィスとルナが切り開いた道を突き進んでいく。


「ぬぅ……、つ、強いぞ、この二人…! これではどうあっても勝てまい…! …ならば、先に攻めるべきは馬を連れた奴! 火車どもよ、かかれ!」


 場を仕切る一体の烏天狗の号令で、ノサティスの下へと五体の火車が一斉に飛び掛かった。

 ヴィスはそれをチラリと見ると無視して火車達を拳の一撃でズタズタにへし折って回り、ルナは火車とノサティスの実力差を少し計算してから「いけるか!?」と声を張りつつ霊玉操を乱射する。


 ノサティスはその馬が無事上陸すると、地に降りて空中から取り囲んだ五体の火車を睨み回す。


「――あまり私を舐めるなよ…!」


 その全てを同方向へと一体ずつ、殴る、蹴る、投げる、受け流し突き飛ばす。

 その各一撃はいずれの火車にも赤黒い大痣を作り、そして五体が一ヶ所に積まれ山となると、トドメの我霊射を撃ち込み砂塵を巻き上げる。

 ノサティスの右腕は肌が剥け血を撒いたが、火車達はバラバラに弾けて辺りに転がった。


「…いくら今は落ち目と言えど、お前達雑魚どもにやられる私ではないぞ!」


 更に続けて火車が十体纏めて飛び掛かる。

 彼は怖じ気づかず睨みつけて血塗れの右手を握り締める。


「ダメだぜ、ノサティス。おめえは馬を守るんだから、怪我しちゃあ後が不利だろ」


 そう優しい声を響かせて、ルナが彼の前を一瞬通過し、また遠くへと跳び去っていく。

 後から飛んできた十の紫の弾が火車達に命中し、一斉に爆発を起こした。

 火車達は綺麗に心臓だけを破裂させられ、鼻口から滝のように血を漏らして落ちた。


 ノサティスは彼女の背を見送ると、「…私が守れるのは馬くらいなもののようだな」と苦笑した。

 そしてその横に、海上の烏天狗を全滅させてきたディアナが衝撃波と共に降り立つ。

 彼女の足元には小さなクレーターが出来上がる。


「…あたしが殺った分でここら一帯の烏天狗は全部消せたみたいだね。見る限り烏天狗はあそこで司令塔をやってる一体しか―――」


 右手に一振り剣を提げた彼女は余裕綽々に辺りを見回して呟いたが、言い終わらない内に彼女の視線の先の烏天狗はヴィスの回し蹴りに打ち飛ばされ、腰からぐしゃりと大きく曲げられて転げていった。

 そうして下半身を動かせなくなった烏天狗は、追撃を受け入れるように目を瞑り、再度駆けつけたヴィスの足に心臓を踏みつけられて眠りについた。


「……あ、相変わらず邪悪な殺し方だけど…うん、まあ…けりはついたか。これで火車を掃討すればここも落ち着くはず…」


 ディアナが苦笑いを滲ませて納得している横で、ノサティスは「いや…」とゆっくり首を振る。


「…一時は落ち着くだろうがすぐに次が来ると考えた方がいいかもしれぬぞ。おそらくだが、ぬらりひょん傘下の怪霊獣達はこの島の海岸を隙間無く囲うように布陣を敷いている。この島の中に侵入した敵が逃げにくくなるようにな…」


「…ふむ…そうだね。ルナが『島全体が読霊で覆われてる』って言ってたし、そう考えた方が良さそう。……でも、それならあたし達がやってくる前からその布陣を敷いてたのはどうして――」


 ――その時、突如白いものが高速で地面に叩きつけられ、二人の傍で轟音と砂塵を立てた。

 会話をやめて共にそれを見たディアナとノサティスは、その一瞬に顔を引き攣らせた。


「――…スティリウス……!?」


 驚愕したディアナの呟きに、耳敏くルナが振り向く。

 ヴィスは余所見をして移動姿勢が崩れたルナが転倒する前に掴まえて宙高くに跳び、「死ぬ気か馬鹿ッ、何を見て―――」と怒鳴りながら彼女の視線を辿る。


 そこには、黒装束の背中を破かれ、その穴から肉を剥き出した背中から血を垂らして、全身痣だらけで這いつくばるスティリウスの姿があった。

 彼は震える手で身体を起こしながら、息を切らし、見えてもいないはずの盲目の瞳で上空を見上げていた。

 …そしてその身体は、パサリと静かに力を失って倒れた。


「――にぃちゃん!!」


 ヴィスに抱えられながらもルナは必死に手を伸ばした。

 ヴィスは彼女を逃がさないように、しかし押さえすぎて潰してもしまわぬように、力加減に四苦八苦しながら捕まえていた。


「よせ、冷静さを欠いて飛び出すのは死に急ぐのと同義だ! 奴のことなど今は放っておけ!」


「でもっ! あんなボロボロじゃ、にぃちゃんがッ!」


 ルナはヴィスの目を懇願するように見つめた。

 しかし彼の目には非情の色が滲み、彼がスティリウスを見る目には明らかな敵意が込もっていた。


「奴は俺達の敵だ! 人間を滅ぼしてディアナを殺すと明言している上に、貴様だって奴に腹を刺されたのだろうがッ! このまま放っておけば、奴は死ぬ! このまま手を出さず火車どもに殺させてやればいいのだ!!」


「ッ…!」


 信じられない現実にルナの目は飛び出そうに大きく見開かれた。

 …ヴィスはスティリウスの死を望んでいる…知っていたはずのその事実が、これ以上無く残酷に突きつけられた。



「…ど、どうして彼が……。…彼の実力なら烏天狗や火車なんかには遅れを取るわけが……――」


 相手がスティリウスとなると近寄るにも近寄れず、ディアナは少し後退って距離を取りながら彼を眺めた。

 ノサティスも馬の傍を離れる訳にはいかずそのままの場所にいたが、スティリウスへ攻撃した何者かがまだ近くにいるはずだと周囲に目を光らせていた。


 …ぬぅらり。


 無数の唸り声が重なったような不気味な音色だった。

 その声はノサティスの背後から聞こえ、振り向くと彼の腰ほどもない小柄な老人が皺だらけの顔で笑っている。

 …百鬼の頭領、ぬらりひょん。


「…ぬらり……ケケケ…」


「…う…ぅおおッ…!」


 ゾクリとノサティスの首筋を恐怖が伝う。

 彼は急いで腕で振り払った。

 しかし、ぬらりひょんは彼が動作に移る前から滑るように後退り、ノサティスの腕は既にぬらりひょんが去った後の虚空を払って過ぎた。


「…ほうか、ほうか…。怪霊衆に仇なすか…。身の程を知らぬな……ケケ…いひひ……」


 ぬらりひょんはノサティスを逃れるとポタポタとスティリウスへ向かって歩く。

 その得体の知れない空気に呑まれてしまったノサティスは、半歩後退って追撃も何も無くぬらりひょんの背を凝視した。


「…ぬらりひょん…!」


 彼に代わり飛び出したのはディアナだった。

 大気を(つんざ)くような怒号と勢いで突撃を掛ける彼女だが、仙攻丹の威力は怪霊力二千に抑えている。

 …狙い目は、ぬらりひょんの回避行動の直後。

 攻撃を仕掛け、相手が避け始めた時にこそ瞬仙攻で急加速し、回避不能の一撃で仕留めきる…。


 いくら回避が得意な相手であれ、予想不可能な攻撃で崩れないはずはない。


「……ケケケ…」


 ぬらりひょんはちらりとも彼女を見ず笑った。

 彼女は既に近間に詰め寄っていた。

 彼女の心に動揺は無く、その足取りに迷いも無い。

 抜剣の一筋は上体を前に倒したぬらりひょんに軽々と避けられたが、それも計算通りだ。


 彼女は右手が長剣を上段に振り被る直前の位置まで上がると、怪霊力二千を引き出し、瞬仙攻を仕掛ける―――


「―――ぬらり」


 ぬらりひょんは、ぼそりとそれを呟いた。

 ディアナは剣を唐竹に振り下ろしたが、ぬらりひょんはするりと身を仰け反らせて避け、ぐわりと彼女を見上げて笑った。


 …ぬらりひょんは高速で避けたのではない。

 瞬仙攻を使った彼女に並ぶ速度など、持ち合わせてはいない。

 今の回避はそれ以上に異質な現象の上に成り立っていた。


「…しゅ、瞬仙攻が…発動し…ない……?」


 彼女は目を疑った。

 視界に映る自分の身体は僅かな放電を帯びているだけだった。

 それはぬらりひょんに駆け寄る前に発動した仙攻丹のもの…瞬仙攻によって加算されて激しくなったはずの放電現象が、そこにはなかった。


 ……そして何より信じがたいのは…瞬仙攻に使うつもりであった二千の怪霊力だけが、何の恩恵も齎さないままにごっそりと失われていることだった。

 間違いない、と彼女は確信する。

 ぬらりひょんは瞬間的に怪霊術を無効化する術を持っている。


「ぬぅらり、ぬらりり…ひひひひひひ」


 そっ…と、ぬらりひょんの指先が彼女の顎を逆撫でた。

 嘲るような手つきに、彼女が感じたのは屈辱ではなく、畏怖だった。


「くっ…!」


 ディアナは咄嗟に跳び退いた。

 動揺し立ち呆けていた彼女は仙攻丹の制限時間をとっくに過ぎ、その回避は鈍足極まりない。


 しかし、ぬらりひょんはわざわざそこへ追い討ちなど掛けなかった。

 そんな事をするまでもないとでも言うように、じっと彼女の行く先を眺めていた。


 ――そして、跳び退いた彼女は、そのまま背中からバタリと地面に倒れ込んだ。



「…ッ!? ディアナ!!」


 早々なぬらりひょんの登場に気を取られていたヴィスは、突如倒れて身動き一つ無くなったディアナに気が付くと、叫びながら駆け出していった。

 彼の腕から放り出されたルナは空中に浮いたまま体勢を立て直し、去っていくヴィスの背を見ると続いて駆け出そうとした。

 ディアナのことは彼が何とかするとしても、スティリウスを助けてくれる者など此処にはいない。


 ぬらりひょんなどと大物を相手にノサティスにその役を押し付けるのは酷だと思ったのもあるが、何より自分の手で兄を助けたいと思ったのだ。


 …しかし、駆け出す前に違和感に気が付く。

 周囲に散らばって反撃の機会を窺っていたはずの火車達が、攻撃に出る様子もなく、大人しく海岸沿いを一列に塞いでいくのだ。

 まるでそれは、『ここで戦うのは自分達の役目ではない』と心変わりしたかのように見えた。


「やらせるかよ、下級怪霊衆風情めが!!」


 ヴィスは高速でぬらりひょんへ迫る。

 蹴り飛ばされた地面は窪み、割れ、あるいは吹き飛ぶ。

 その速度は、実にぬらりひょんの十倍以上あった。


「ぬ…速いのぉ……おそろしや…おそろしや……ひっひひひひ…」


「フンッ、そうやって笑っていろよチビジジイ! 貴様などに怪霊術は不要だ、この手で引き裂いてくれる!!」


 ヴィスは怒鳴り返して飛び上がり、倒れたディアナの上を追い越していく。

 目前に迫ったぬらりひょんに、彼は何の工夫も無く右腕を大きく引く。


「ぬらり…ぬらり…」


 ぬらりひょんはまたもそう呟く。

 しかし、今度はぬらりひょんから笑みが消えていた。

 そうして焦るように、『ぬらり』を呟き続ける。


 ヴィスの右手は重々しく、かつ素早く下段に突き下ろされる。

 ぬらりひょんは足を引いてギリギリで避けると、次の裏拳を先読みして身を屈め、腕が頭を掠めて通り過ぎると大急ぎで飛び上がろうとする。


 …しかし、間に合わない。

 次は左脚の回し蹴りだと容易に読めたが、読めても身体の動きがそれに対応しきれていない。

 ぬらりひょんの得意の回避は、早くもその弱点を浮き彫りにしていた。


「ハッ…! 貴様が如何なる攻撃も読むと云うのなら、存分に読ませてやればいい! 俺様は貴様の読みと反応の僅かな間を圧倒的な速度でブッチギるだけだ!!」


「…ぬ…ッ……―――」


 ぬらりひょんの顔が遂に苦痛に歪む。

 『この蹴りは当たる』――ヴィスがそう確信できるだけの状況は整っていたはずだった。


 しかし、予想し得なかった新たなる介入が、彼の攻撃を事前に掴み止めた。



「…くッ…! ……ぬらりひょん様、ご無事で…?」



 突如天から降り立ち、膝をついてヴィスの蹴りを右腕で受けた怪霊獣は、損壊した腕に苦悶の表情を滲ませながら、背後にぬらりひょんを庇ってヴィスを睨み付けた。

 それは真紅の肌に厳つい顔つき、伸びきった高い鼻が特徴的な、黄金の山伏衣装を身に纏う大男だった。


「…何だぁ貴様は…。邪魔だ、失せろよ三下…」


 ヴィスはその大男を毛虫を払うような眼で見ると素早く脚を降ろして後退る。

 大男は袖の破れ目から肌の抉れた腕を覗かせ、じっとりと袖を血で濡らしながら立ち上がる。


「ぬらりひょん様の四従士が一人、大天狗(おおてんぐ)と見知りおけ。その名に掛け、俺はここを退くわけにはいかぬのさ」


「ほぉ…、偉そうに言うじゃねぇか。俺様に勝てると本気で思っているのか? その腕で、あぁ?」


 ヴィスはニタニタと笑って彼の腕を見た。

 大天狗は自らの有り様を鑑みて、「…そうだな」と自嘲するように笑う。


「確かに俺では今のお前を倒すことはできぬだろう。…だが、この位置からでも捨て身でやればそこの女を殺すくらいのことはできるのだぞ。…お前が迂闊に動けば、その瞬間…な」


「…チッ、俺様を脅す気か。ディアナが貴様などに殺されてたまるものか。今に起き上がって貴様をぬらりひょん諸とも――」


「残念だったな、その女はぬらりひょん様のお力で強力な睡魔に侵されている。そう簡単には目を覚まさぬぞ」


 ヴィスはジトリと大天狗を睨み、続いてその後ろに隠れているぬらりひょんを凝視した。

 …敵を眠らせる術……しかし、ただの催眠術などではないはずだった。

 得体の知れない何らかの怪霊術…彼はその仕組みを考えるが、やはり覚えは無い。


「…ケケケ……悔しいか、怪霊王よ」


 ぬらりひょんは易い挑発でヴィスの眼を引いた。

 そしてぶわりと着物を浮かせ、波立たせ、異様な空気を漂わせながら笑い出す。


「…いひひひ…恨めしいか…殺したいか…? 女を倒され腹立たしいか…? ……ひゃひゃひゃひゃ……」


「…あ゛ぁ…?」


 それは剰りにも易く、粗末で、聞き流すべき挑発だった。

 しかし不思議とヴィスは、それを笑い飛ばす気にはなれなかった。

 ディアナをみすみす倒され、それを見ていただけだった事実…それを嗤われたことは、彼を嘲ると同時にディアナを嘲ることでもある。

 それを思うと彼は、腹の奥から激情がグツグツと煮え滾っていった。


「……フッ……フハハハハッ!! この俺様を相手にそこまで言うとはなぁクズどもの分際で……ブチ殺してすぐに後悔させてやるよゴミ虫どもがぁッ!!」


 ヴィスは叫びながら拳を振るった。

 その拳は真っ直ぐに大天狗の心臓を目掛けて進む。


 大天狗は避けなかった。

 ただじっとそこに留まり、その手が辿り着くのを静かに待っている。

 それは決して、速度に反応ができないというような様子ではなく、その身を以て相手を試すかのような殊勝な態度にさえ窺える。


 ヴィスの拳は、大天狗の胸にゴツリとぶつかると、そのまま何も傷つけること無くずるりと力が抜けていった。

 そうして、膝から崩れていき、ゆっくりと地面に倒れ込む。


「……な…なん…………な、何故……」


 身体が動かない。

 しかしそれは、操霊か何かの外的な力で押さえられているのではない。

 彼はその感覚を、よく知っていた。


「……何故…! …何故封印が…これ程に強まるのだ…!?」


 困惑の声が力無く漏れる。

 そんな彼の横たわる身体へと、大天狗は大きく振り上げた踵を素早く振り下ろした。

・ヴィスドミナトル(封印解放度0.06%)

握力2,505t

パンチ力7,013t

キック力17,032t

耐久度4,207,980

走力170,323m/s

霊力99,999,999

怪霊領域59,999

術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、操霊、発霊、幻弄、洗脳変化

回復力:6,000


・ディアナ

握力90kg

パンチ力220kg

キック力550kg

耐久度132

走力9m/s

霊力8,210

怪霊領域16,384

技: 仙攻丹、我霊閃、我霊射、読霊、収霊、吸霊、発霊、操霊

回復力:1


・ルナ

握力2.7t

パンチ力5.75t

キック力17.2t

耐久度3798

走力162m/s

霊力8,224,378/8,224,380

怪霊領域16,384

技: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、吸霊、与霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊

回復力:9


・ノサティス

握力675t

パンチ力1,800t

キック力4,500t

耐久度1,125,000

走力45,000m/s

霊力1,180,000/1,350,000

怪霊領域1,350,000

技:我霊閃、我霊射、読霊、操霊、発霊

回復力:4500



・火車

腕力200t

キック力1,000t

咬合力500t

耐久度140,000

走力26,000m/s

霊力135,000

怪霊領域135,000

能力:我霊閃、我霊射、読霊

回復力:300


・烏天狗

握力300t

パンチ力800t

キック力2,000t

耐久度500,000

走力19,500m/s

飛行速度22,600m/s

霊力600,000

怪霊領域600,000

回復力2,000

術:読霊、幻弄、洗脳変化、具象変化、吸霊、我霊閃、我霊射、操霊、発霊


・ぬらりひょん

握力250t

パンチ力666t

キック力1,666t

耐久度416,666

走力16,666m/s

霊力500,000

怪霊領域500,000

技:我霊閃、読霊、操霊、発霊、司念波、具象変化

特殊技能:ぬらり…???

回復力:1,666

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