四八ノ業 離別と獲得、死に代わる価値
ヴィスは腹を立てて先の戦いでできた岩屑を蹴り壊し、既にリーラのいなくなった空へと吠えた。
ルナは苦々しい顔をしてヴィスを眺め、ディアナはクレドの傍に寄って彼に怪我がないことを確認してから同じようにヴィスを見た。
クレドは彼女の手を取って慰めようとしていたが、その手は触れる前に引っ込む。
彼が見ていたのはノサティスだった。
ノサティスは、アーク・オーガ軍団が撒き散らした大量の血痕を呆然と眺めていた。
「…リーラめ、相変わらず餓鬼のような野郎だ…! 誇りを汲むほどの器すら持ち合わせておらん!」
ヴィスは吐き捨てるようにそう告げると、キッとノサティスに視線をぶつけた。
ノサティスは彼の眼にゆっくりと振り返るが、表情は虚ろだった。
「貴様、何を腑抜けてやがる! もっと怒れ、恨め! 今自分の目で確かめただろう、リーラハールスの下についた者達の末路を! 奴が貴様らのような下っ端を大事にしてくれる訳などないのだ! まだそれが分からんのか、貴様は!」
「…いや、…アーク・オーガはリーラ様を裏切るような言動をし……そして勝手に死んだ…。……だから、部下達がその責めを負ったのだ……ただ、それだけに、過ぎぬ…」
「…裏切ったから何だ、あの者の最期は敵ながら称賛に価するものだった。…その悲願を、リーラは全く省みなかったのだぞ…! 大体貴様だってリーラを裏切ったのだろうが、同じ目に遭うのは明白だ! …それでもまだ奴についていくのか…!?」
ヴィスの厳しい追及にノサティスは口を閉ざした。
ヴィスはそんな彼を試すように睨みつけると、返答が無いので背を向けて舌を打った。
「…行くも行かんも貴様の好きにすればいいが…誇りを貫くなら貫け、変えるなら変えろ。そうやって中途半端にしているのが一番気に食わんのだ。貴様の信じるものとは一体何かもう一度考えろ。それも分からず、妄想や妥協のために道を踏み外すならば、そんな貴様の命に価値など無い。誇りを見失った者の生き様など醜いだけだ、そんなものこの俺様が引導をくれてやる」
ノサティスは彼の言葉に対し、自信を持って返せる答えを持ち合わせなかった。
言葉なくヴィスの背を見つめる彼の様子はと言えば、まるで捨て子のようだった。
ヴィスの関心は既にノサティスから去り、今はクレドと寄り添う彼女へ向いている。
「ディアナ、ここでグダグダしていても仕方あるまい。街の様子を見てくるがいい。クレド、貴様も城の奴らが気になるだろう。行ってこい」
今度の彼の言葉は底抜けに柔らかかく囁くようだった。
二人がそれに戸惑っていると、彼は打って変わってシッシッと鬱陶しそうに手で追い払う。
二人は顔を見合わせた後ゆっくりと歩き始めたが、「ルナ」と彼が視線を移すと同時に立ち止まり振り返っていた。
ジッとヴィスを見ていたルナはそうして不意に眼が合っても、然程驚きもせず受け答えた。
「行ってこい。アクセウリだか何だか知らんが、貴様も心配な者がいるのだろう。それと馬達の様子も見てこい。……結果は見えているがな」
「…おめえもくればいいじゃねぇか。イプセのこと、心配だろ」
「心配も何もない、アレではもう死んでいる。確実にな。……冥福を祈るくらいのことはこの場所からでも出来よう。俺は奴らの死体になど興味は無い」
「……見てみなきゃわかんねぇさ。それに、ここに残ってどうすんでい」
「見張りだ。そこのリーラの腰巾着が何を仕出かすか分からんからな。元々こいつとは一時共闘するというだけの話になっていた、ならば今は敵同士だろう。そもそも先程の戦いも結局共闘しなかったのだしな」
ルナは腕を組んでしかめ面で答えるヴィスを憂うような眼で見ると、ちらりとノサティスを見た。
ノサティスは彼女の視線に何らかの意図を勘繰ると、怯えたように忙しなく声を上げた。
「わ、私もついていこう! それならば、ヴィスドミナトルも街に帰られる…!」
わざとらしく気を遣うような素振りを見せたノサティスの言動に、ヴィスは喜びなどしない。
寧ろ彼は振り向くと堰を切ったように怒鳴り付けた。
「チッ…! この大戯け者めがッ! 貴様、俺達側につくと言ったかと思えばリーラ側につき、そしてまた俺達の側につくのか!? その場その場で楽な方へと流されやがって…! 怪霊獣の恥晒しはアーク・オーガなどではない、貴様のような者のことだッ! …俺様が頑として貴様を怪霊衆に加わらせなかった理由がこの期に及んでまだ分からんのか…! そんなに望むのであれば今すぐここで引導を渡してやってもいいのだぞ、えぇッ!? この鶏鳴狗盗の風見鶏が!!」
ノサティスはビクリと震えたが、拳を握って眼を逸らさす声を絞り出した。
「リ、リーラ様は私に、スティリウスとルナを頼むと仰せられたのだ! …わ、私は、その任務を遂行せんとしているだけで…! 楽な方へ逃げてなど…!」
「…ならば、俺は貴様を敵と判断していいのだな…!? 貴様は敵からの視察員であり味方ではない、ただルナを守るには利用できる…そう考えていいのだな!? 貴様が例え死にかけようが俺様は助けんし、貴様がルナにとって害だと判断した瞬間貴様に裏切りの意図がなくとも首を刎ねていい! 貴様の言い分はつまりはそういうことだ! …いいんだな!? あぁッ!?」
「……そ、それで…いい。……あぁ、それで…いいとも…」
ノサティスがその気迫に圧倒されながらもおずおず答えると、ヴィスは苛々と舌を打ち「妙な真似をすれば死ぬと思えッ!」と吐き捨てるように言い放って歩き出す。
そうして、振り向いて待っていたディアナとクレドに並んでパロへ歩いた。
ルナは去っていく三人の背を眺めると、その向きに逆らって駆け出し、言葉無く項垂れているノサティスの前に立った。
そして彼が頼りなさそうに顔を上げると、ニカッと明るく笑いかけた。
「さっきは腕吹っ飛ばしちゃって悪かったな。よろしくなっ、ボディーガード。頼りにしてるぜ」
「…私から敵対したのだ、腕は気にするな。どうせ数十分もすれば治る。……しかし、お前が私に守られる必要など、無いだろう…。…私はどうせ、監視程度にしか期待されてはいない…」
「リーラハールスの野郎がどー思ってんのかなんて知らねぇし考えたくもねぇけどよ、オレっちはおめえが守ってくれるって期待してるぜ。大体オレっち、怪霊領域狭いから持久戦くらいしかできねぇし、どの技も効果が出てくるまでに時間食っちまうから、決着を急がれたら敗けちまうんでぇ。だから、おめえが守ってくれねぇと死んじまうんだ。そしたらおめえだって困んだろ? 協力しようぜ」
完全に自信と心の支えを失っていたノサティスには、彼女の甘過ぎる言葉は恐ろしかった。
安易にそれを信用すると、何かの拍子に足元を掬われるような気がして素直に受け取れなかった。
そうして彼が渋々頷いていると、彼女は遠くの三人に聞こえないように顔を寄せて小声で告げ口した。
「ヴィスもおめえのこと期待してっから、あんま怖がんねぇでいいぜ」
「こ、怖がってなど…いない。……それに、見え透いた嘘も要らない」
「嘘なもんかよ。ヴィスは、期待してない奴にあんな真剣に怒ったりしねぇ。…多分さ、おめえに後悔してもらいたくねぇんだと思うぜ。…ディアナだって、おめえなら街に連れてっていいって思ってるから今何も言わねぇんでい」
ノサティスは思わず呆けて口を開け、返事も見つからずルナを見つめた。
彼女は母親のような笑みを浮かべてコクリと頷き、元気付けるようにぺちぺちと彼の肩を背伸びして指先で叩いた。
「…素直じゃない奴ばっかで戸惑うだろうけどさ、ああやって変なところで本音を胸に押し込んじまうのは、それだけおめえが『どうでもいい奴じゃない』ってことだと思うよ。仲間の証みてぇなもんだ…捻くれてっけどな」
「……なか…ま……?」
「おう。ヴィスは否定するだろうけどさ、オレっちは仲間だと思ってるよ」
ノサティスは目の前の出来事を頭が処理できずにいた。
仲間と呼ばれたことなど、人生を通しても今日が初めてだ。
彼は掻き乱された胸の内を言葉にできないままルナの手に引かれて歩き出した。
街は、南側半分を綺麗に黒焦げにされていた。
僅かな兵士と北区の住民達によって、全身にヒビのような火傷を負った被害者達が次々に担架で病院へと運ばれていく。
多くの者は非常事態に気を取られていたが、住民の何人かはやはりヴィスとノサティスのことを気にして訝しそうにした。
しかしその視線はディアナへの信頼によって取り下げ、住民はすぐに救助へと走り出していった。
「ルナ、アクセ売りのおじさんというのはどちらに住んでる方なの? もし被害範囲内に住んでいるのなら病院に向かった方が早いし、そうじゃないなら今は救助に手を貸してるだろうから会えないかもしれないわ」
ディアナは口惜しい表情で焦げた街を眺めながら訊ねた。
ルナは少し安堵した様子でそれに頷く。
「後者だから、とりあえず安心ってことでいいかもな。状況が落ち着いてからまた店まで顔見せに行ってみるよ」
「そうして頂戴。…ならこのまま城まで直行ね」
ディアナが先頭に立って、被害者達を運ぶ担架を横切りながら進む。
守りきれなかった後悔に胸はガラス片が刺さったように痛むが、クレドの表情は彼女のそれよりずっと悲痛だった。
…先の戦い、彼は全く前へ出ることができず、ただディアナ達の後ろ姿を見ていることしかできなかったのだ。
「…クレド、あたし達は馬の様子を見てくるから、あなたは先に城の状況を確認して被害者の救助に参加して」
クレドは「いや…」と彼女に反しようとしたが、思い直し自嘲して首を縦に振った。
「…そうさせてもらおうかな。…ディアナ達は、馬と城を確認したらそのままぬらりひょん討伐に出るの?」
「ううん、数日間だけこっちにいるわ。まだメデューサとの戦いで折れた二本目の剣が直ってないもの」
「そっか。……ヴィスが言ってくれていたように僕もついていければと思ってたけど、…無理だな僕は。とてもついていけないよ」
「…あなたは、いいのよ。戦うための人になんてならないで」
クレドはフッ…と笑って俯き頭を振った。
「僕は兵士だよ」
「あたしの恋人よ」
「それでも意地があるんだ」
「それでも心配なの」
並行し混じり合うことの無い主張と感じると二人の言葉はそこで途切れた。
その後ろで、ふとルナがヴィスに訊ねる。
「…あの雷、リーラハールスの技か?」
「いいや、麒麟という奴がいるのだ…。四神の連中がリーラに命じられて呼び出したのだろう。…詳しいことはいずれ話す。今はぬらりひょんを倒すことを考えるべきだ」
その後はただ無言で歩いた。
そうして辿り着いたそこには、一部が足場から崩れて倒壊した城と、その前にずらりと横たわって面布を被せられた兵士達がいた。
数人の軍医がまだ面布を被っていない兵士を診察していくが、いずれも瞳孔と胸部の確認をしただけで首を振り、時刻をメモして次へと移っていく。
それに助手が付いて回って面布を被せていく。
「…予想はできたことだけど……これじゃあ、僕はただ難を逃れただけだ…」
クレドはその光景を眼にして唇を噛み締めた。
ディアナは彼の震える拳をそっと両手で握り、額を肩に擦り付けて慰める。
そこへ男の駆け寄る足音が聞こえた。
見るとそれは鎧を捨てて身軽になったフリヴォラで、ディアナは静かにクレドから身を離した。
「クレド、無事だったか! 良かった…お前だけでも生き伸びて…!」
「軍総司令も…よくぞご無事で…」
クレドはフリヴォラに肩を叩かれても、あまり素直には喜べなかった。
ディアナ達は彼らを残して馬小屋へと歩き出す。
フリヴォラはヴィスの後ろをルナと共に歩くノサティスに警戒の視線を送ったが、ハッと思い返してクレドを向き、重大そうに問い質した。
「クレド、ずっと外にいたお前に訊いても仕方がないかもしれんが……皇帝の姿を見てはいないか?」
「…皇帝陛下でありますか。いえ、謁見の間で見送っていただいたのが最後ですが…。……ま、まさか行方が…?」
あり得ないだろうと考えたクレドの不安に、フリヴォラは大きく頷いて答える。
「あぁ、落雷以降何処にもお姿が見えなくなったのだ。落雷の直前、街に不審な輩がいると通報があって私は皇帝のお傍を離れたのだが、…残してきた兵士達は何者かの銃撃を受けて全滅していた。…人間の仕業だ……皇帝を誘拐した人間の集団がいる」
クレドは再度、辺り一面に横たわる死体の群れを眺めた。
あの雷は間違いなくリーラハールスの計画で発動した――決してただの天災ではない。
そしてそれと時を同じくして皇帝の誘拐――それも人間の手によって実行された。
「…人が、怪霊獣に手を貸したと…? …何故…」
「その理由は幾らでも見当がつく…『怪霊獣に脅された』、『怪霊獣と利害が一致した』、『既存のテロ組織が誘導された』…。私はそれより、怪霊獣が力の無い人間をわざわざ使役した意味の方が気になるのだがな…」
クレドも軍人の端くれ、極限状態下の人間が成してきたあらゆる業を歴史として知っている。
それを思えば、怪霊獣の脅威に開き直った一部の人間が怪霊獣に服従することなど然程不思議でもない。
ならばフリヴォラの言う通り、どう対処すべきかに重点を置くべきだというのも納得できた。
「クレド、被害者達のことは他に任せて私と来てくれ。本件について早急に会議が必要だ。…まだ決定ではないが、お前には前線で戦ってもらうことになるかもしれん。覚悟はしておいてくれ」
言って、フリヴォラは城内へ歩いていく。
クレドは強く頷いて「承知致しました」とその後を歩く。
今日何も出来なかった償いをと心に決め、彼の足は進む毎に速まった。
ディアナ達は馬小屋の、彼女が借用している収容スペースの目前まで来ていた。
小屋は屋根が割れ、斑に炭と化している。
飼育員は雷に巻き込まれて全員死亡し表に並べられていた。
収容された騎士達の馬はほぼ全て絶命していて、ディアナは自分達のスペースで積み俵に隠れている三頭の様子を確認する勇気が出ず、ゲートの前で立ち往生していた。
「…ディアナ、入ろうぜ」
ルナは彼女の背をグイグイと押したが、やはりディアナの足は動かず、顔も上げないでいる。
ルナは少し溜め息をついて彼女を追い越し、ゲートを開けて中へと進んだ。
そして俵の陰へと覗き込み、手っ取り早く読霊を使って診ると、熱くなった目頭を瞼で抑え込むように暫しの黙祷を捧げた。
その様を見たヴィスは、何も言わず腕を組みゲートに背を向けた。
「…メモリア、セクレト、イプセ……みんな死んだ。……こんなことなら、もっと構ってやればよかったな…」
ルナは涙を見せること無く目を開いた。
そして大きく口を開け、彼女が馬の首に囓りつこうとした瞬間、「ま、待って!」とディアナが声を張り上げた。
「…分かってる、食べることがルナの追悼の儀だってことはよく知ってるの……だけど、………だけどっ……」
「…リナリアが死んだ時のオネットと一緒だな。人間は、情の入った相手が死ぬと、その死体に触れられるのを変に憤る。風習にもよるみてぇだけど。…なぁ、じゃあどうして欲しい? 焼いて骨にしてばらまくか? ただ土に埋めるだけか? どっちも何百年と時間をかけて土に還って、新しい命を芽吹かせるだけ。今ここでオレっちが食うのと何も変わらない。…でも、気ぃ悪くさせたら謝っけど、オレっちにゃあおめえら人間のやり方はゴミを廃棄してるようにしか見えねぇんだよ…。ただ朽ちるだけの肉体なら、自分の血肉として同化して、一生寄り添うオレっち達の思想の方が正しいとしか思えねぇ」
「……それは…あたし達とあなた達では、食べるという行為の捉え方が違うんだもの…。…だからあたしは、時間を共にした相手をただの消耗品にしたくないって、考える……。…その違いに、善悪は無いとは思うけど…」
ルナは立ち上がって組んだ腕を指先でトントンと叩きながらディアナを睨み、「…おめえは?」とヴィスを見る。
ヴィスは僅かに振り向くと、少し離れた所で居心地悪そうに立ち尽くしていたノサティスへと視線を移した。
「おい風見鶏、貴様首切り馬の作り方は知ってるだろう? リーラの奴が部下用に量産しようとしていたはずだ」
「あ…あぁ、知っているが……。…馬の死体から頭部、内臓、水分を除き、薬と霊石を詰めて縫い合わせる。すると操霊の要領で怪霊力を脊椎に送るだけで一定時間活動するようになる。…ただそのままでは通常の馬より運動能力が低いから、複数体の馬の死体を操霊で一つに凝縮させる必要があるが…」
「この馬小屋にいる馬全てを使って首切り馬を作れ。霊石探しくらいは俺様がやる」
ノサティスは答え倦ねてチラリとディアナやルナの様子を見た。
ルナはウンウンと頷いていたが、ディアナは少し複雑そうにしている。
ヴィスはまずルナを向いて告げた。
「俺にとって、生きている間のイプセだけがイプセであり、残された死体はただの物だ。だが本人が死後の待遇に何かを望むなら、それに沿った処遇を与えようとは思う。イプセ達が何を望むかを考えてみたが、奴らは走るのが好きだった。ならばこれからも走らせてやればいいさ。貴様が食いたいなら、足が砕けて二度と走れなくなるその日まで待ってからでいい」
「うん、それがいいかもな。…オレっちもそれに賛成だ」
ルナは笑って答えたが、ディアナの面持ちは暗いままだ。
「…貴様は納得できんか?」
彼が訊ねると、ディアナは小さく俯き、しかし首を振って顔を上げた。
そうして作り笑顔を浮かべる。
「…それをやって、生きてた頃より便利に感じちゃうようなことになったら嫌だな、って、思っただけ。…そうなったら、あたしって嫌な人だなって、きっと思うから…。……でも、それも人の勝手なのかなって思ってて……。……だから、…色々思うところはあるけど、……反対では無い…かな…」
やはり口振りは重たいが、彼女なりの迷いと決意があっての言葉だとは伝わった。
ルナは少し考えた後、呆れたような顔でディアナを見て、しゃがみ込んで馬達の頭を撫でた。
ヴィスは真剣に彼女の目を見て、「捉え方の問題だな」と説いた。
「馬は移動手段の前に動物だ。道具なら当然質の高い物が価値有りとされるが、感情を持つ動物には別の価値があるだろう。だから一方的に使い勝手だけで価値を決めること自体がナンセンスと言わざるを得ない。そうではないか?」
「…そうだよね。ごめんなさい。…ダメね、気が沈んで変なこと言っちゃって…」
「剣と首切り馬の準備で時間があるからな、数日休めばいい」
ヴィスは静かに笑うと身を翻し、「任せるぞ、ノサティス」と言い残して馬小屋の外へ出ていく。
ルナは名残惜しそうに馬に振り向きながらヴィスの方へと駆けていく。
ディアナは複雑な胸中のままトボトボと歩き始め、何処か思い詰めたような表情のノサティスにか細い笑顔を向けた。
「…頼むね、ノサティス。できたらでいいけど、あの三頭の見た目は、頭以外あまり変えないようにしてくれると嬉しい」
「…ああ、分かった。…一日あれば作れるだろう。完成後も私はここにいればいいか?」
「そうね…。少し休んでから様子見に来るわ。終わってたら私達の部屋まで案内する。ここにあなたがいることはちゃんとこっちで話を通しておくから。少し、戸惑われるかもしれないけどね」
フフ、と寂しい音色で笑った彼女は、彼の肩にポンと手を置こうと伸ばした。
しかしその腕は肩からガクンと力が抜けて、手は思うように彼の肩を捕らえずスカッと宙を泳いだ。
ディアナは不思議そうに自分の右手を見ると、狙いを定めて彼の肩を叩き直し、誤魔化すように「じゃあ」と手を振って去る。
ノサティスは彼女の姿が出入口から消えるまで見届けていた。
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エクソシズム連合軍本拠地パレゲオ。
その演習広場では五百人の精鋭部隊が列を成し、その前で指揮台の上に立った神仙が拡声器を手に声を張り上げていた。
それはここ十日間に渡って続いた命を振るいに落とすような凄まじい訓練の朝礼挨拶だった。
初日には二千といた人数がここまでに磨り減った。
それは、命を投げ捨ててでも怪霊獣に一矢報いようというエ連軍人の執念と、それに神仙が真摯に応えた結果だった。
「今ここにいるお前達はこのワシの修業を何度も何度も潜り抜け生き延びた古強者じゃ。並の兵隊とは比べ物にならんほどの実力と肝の据わりと悪運がある。…じゃが、それでもお前達は並の怪霊獣を一体でさえ倒せんだろう。それほどの強大な壁が、ワシら人間と怪霊獣との間にはある」
兵士達は真っ直ぐ神仙を見つめた。
承知の上だと叫ぶような力強い視線だが、神仙の気迫もそれに勝るとも劣らない。
彼が普段帯びている軽い空気は、今や面影すら何処にも無い。
もはや彼らに対する神仙の姿勢には、刑を執行するような冷酷さすらあった。
「これから最後の修業をお前達に課す。これは今日までのような命を落とす激しい修業ではない。だが、五日後にその修業の成果を見るために二人一組での殺し合いを行ってもらう。その時に死ぬ羽目になりたくなければ死ぬ気で修業することじゃ。そこまでやって初めてお前達は剣聖ディアナの後続となり得る」
今ここにいる兵士達は強くなることの他に何も望まない。
泥を啜れと言われれば泥を啜り、火に飛び込めと言われれば飛び込み、そして殺せと言われれば誰でも殺すだろう。
己の死にすら関心を失った鉄砲玉。
そんな彼らだからこそ、神仙はディアナ相手には決して善しとしていなかったその術を伝授しようと決めたのだ。
「…この術は一度使わば心を傲らせ、肉体を滅ぼす魔の術…。しかしお前達にはこれ以上無い最高の術であることじゃろう。この戦いを制した後、その身が滅んでも良いと心に決めたお前達を、ワシは人間とは思わん。お前達は銃弾だ。撃ち出され、敵を貫いた後には血溜まりに転がるのみ……そんなお前達にこそこの術を与えよう。…今ここで決めるのじゃ、生きたいか、死にたいか。…死にたい者は残れ。残った者には剣聖ディアナの術を授けよう。さぁ目を瞑れ。逃げる者は目を開けて逃げろ。誰もお前達を追い掛けはしない」
兵士達は言われるままに目を閉じた。
広場からは一切の音が消える。
逃げ出す足音も無い。
…一分経ち、神仙が空砲を空に撃つ。
兵士達は一斉に目を見開き神仙に注視した。
そして神仙は、拳銃を降ろして独り深く頷いた。
「…今からお前達は生きる屍だ。ワシから一つ慈悲を与えるとすれば、この忠告一つのみ。……『怪霊獣達との戦いが終結し、なおも生き残った者があれば速やかに自害するが良い』。術により破壊されたお前達の身体はいずれ機能を失い、二度と思い通りには動かなくなる。そうなる前に死ぬことだ」
そこに恐れる兵は無い。
「……では、教えよう。『仙攻丹』を…」
怒り、哀れみ、諦観……決して快い気持ちではなかったが、神仙はそれらを全て呑み込んで冷たい声を上げた。




