四七ノ業 悦びを求むる悪魔、冷徹非道のリーラハールス!
ノサティスは怯えて震え上がっていた。
リーラを裏切るような先程までの発言は、全て本人に聞かれていたのだ。
しかし、当のリーラは全く気にした素振りもなく、「ノサティス」と呼び掛けた。
「アーク・オーガが憎いでしょう? 戦ってくれていいですよ」
「…い、いえ、…滅相もございません…。い、一時の気の迷いです。お許しください…」
「おや、そうですか。それは残念ですね、因縁の勝負が見られるかと思ったのですが」
リーラはノサティスの返答に失望の視線を送った。
裏切りには目を瞑り、今の問答には失望するという彼の心内がノサティスには理解できなかった。
「リーラぁぁあああッ! 貴様この俺様の前で胸糞悪い真似しやがってぇ…! ただで済むと思うのかぁぁああッ!!」
ヴィスは今にも噛みつきそうな怒り心頭の表情でリーラを睨み叫んだ。
リーラはそれを穏やかに眺めて顎に手を触れた。
「…おや、こんなに怒られるとは予想外でしたね。以前ならば少しの小言で済んだはずですが。……王の封印から今日で二ヶ月……剰りに短い期間ですが、この内にあなたの心境を大きく変える出来事が何かあったのですかね。もう私への『信頼』など無くなったようだ」
「ブツブツと何を勝手に納得してやがる…。…この世に汚されていい誇りは敗北や逃亡をした奴のものだけだ。戦いとは誇りの奪い合いだ……だから俺様は戦いを好むし、敵の誇りを絶つことに喜び、または誇り高き敵を認めて勝敗を有耶無耶にしたりもする。そこには一種の平等さと真摯さが不可欠だ。……しかし、今の貴様の行動は何だ…!? 意味の無い破壊を楽しむためだけに戦おうとする者達の意志を蹴落としたのだ! 己の誇りのために命を懸けようとした者達を嘲笑った! 誇りある戦いを愚弄したのだぞ!! 貴様には怪霊獣としての誇りというものが無いのかこの快楽主義のペテン野郎ッ!!」
「…クハハ…散々な言われようですね。意味が無いことはありませんよ、これくらい派手にやった方があなたや剣聖ディアナとやらの闘志を奮い起たせ易いではありませんか。案の定あなたはこうして牙を剥いてくれた。それについては見込み以上の成果ですよ」
「…ッ!」
ヴィスはキリキリと奥歯を噛み締め、有無を言わさず右腕を突き出し最大火力の我霊謝を放つ。
朱殷の肌が黒く痣立ち筋で張った辺りは僅かに逆剥ける。
凝縮しきれず太くなった赤い光線は超高速でリーラの目前へ迫った。
しかし、リーラは避けなかった。
ただ左手を突き出して待ち構えた。
表情には、その力を受けて立ち、力量を測ろうという余裕が滲んでいた。
赤い光はリーラの手にバツンッと弾かれて霧散する。
見るとリーラの手は紫色に薄く痣がついているが、血は衝突箇所から掠り傷程度にしか出ていない。
そしてその傷も、数秒もすれば跡一つ残さず癒えてしまった。
「…ほう、あのあなたがこれ程までに弱体化しているとは…。ただの人間の封印ではないはず。やはり凄霊長が現れたと考えるべきでしょうね…」
「…く、クソッタレめ…! スカしやがって…!」
恨み言を言うヴィスだが、その腕は降ろされた。
勝ち目が無いことが明白になった以上戦っても仕方がない。
しかしそれを認めるのも癪に障り、膨れ上がった怒りは突如フッとヴィスの手足から力を奪っていく。
「…くっ…ち、畜生…封印が強まって…」
ガクンと崩れて膝をついたヴィスが悔しげに顔を上げると、リーラはそれを興味深く見つめ、封印の謎へと思案を繰り広げる。
その二人の間に今更ノサティスが飛び出して、彼はヴィスの頭へと目掛けて手を指した。
「…ヴィスドミナトル…、よくもリーラ様に手を上げたな! お前と云えどもリーラ様に刃向かう者はこの私が許さぬ! 退け!」
「…チッ、馬鹿が…! 頭が無いと人生が楽しそうだな、裏切られてもなお主を信じると言うのか!」
「…な、何を言うのか…! リーラ様がこの私を裏切るなどと、下らぬ戯れ言を…!」
ノサティスは狼狽えながらも必死に疑念を振り払った。
そんな手下の姿を、背後に立つリーラは涼しい顔で見ていた。
「分からんのか!? アーク・オーガの軍勢はただの陽動、此処で俺達が迎え討ちに出ることもリーラの作戦の内だ! 本命は先程の雷で、狙っていたのは俺達が離れた後のパロだった! これらは全て、目の前で街を破壊してディアナに危機感を抱かせるという過剰な演出に過ぎん! そして貴様の忠誠心や俺達相手に芽生えた僅かな恩情、それによる行動の全ては作戦の効力を高めるための補強に利用されたのだぞ!」
「…く、…だ、黙れ! 我らはただリーラ様の御心に従うのみだ! 作戦のためとあらば我らのプライドなどいくらでも捨てる! …そうだ、敵を騙すにはまず味方からと言うではないか! この作戦にはそれが必要だった、だから我々に作戦を偽ったのだ! 大体お前がリーラ様の何を知っているのだ!!」
「……貴様は、本当に飼い犬の鑑だな。主の如何なる横暴をも肯定し、決して反論も反抗もしない。…貴様はその崇高な忠誠心を、リーラの右腕として返り咲くために一時だけ蔑ろにした。葛藤を抜け出すのは容易ではなかったはずだ。大いに苦しんだろう。しかし貴様が裏切ることすらリーラは計算の内だった。…分からんか、リーラハールスは、貴様が自分に忠誠を誓っていようがいまいが何ら動揺などしないのだ! 奴は貴様のことなど何とも思っておらん! 貴様などただの駒としか思わん!! そんな者の傍について歩いた先に一体何があるというのだ!! 再三忠告してやったというにまだ続けるのか貴様はッ!!」
「…ま、万一それが事実だとしても、私が一度裏切ってしまったことは事実なのだ…。私のリーラ様への忠誠はもう二度と揺るがぬ!」
ノサティスは頑なにヴィスの忠告を聞き入れなかった。
何と馬鹿な奴だとヴィスは苦い顔をするが、それ以上しつこく追及することはなかった。
ノサティスの熱烈な忠誠の宣言をリーラは他人事のように笑いながら、パチ、パチ、パチ、と三拍子手を叩いて称賛した。
その言い合いを外野から眺めているアーク・オーガ達は、そこに口を挟んでも良いものかと悩み、そのまま口を噤んでいた。
クレドは真相などどうでもよく街への被害が気になり、また守るはずだった街域の半分以上の範囲から黒煙が上がっている事実に頭が真っ白になっているディアナの手を握っていた。
そんな中、ずっと青冷めた顔で俯いていたルナが唐突に街へと駆け出そうとした。
「ルナちゃん!?」
クレドの呼び掛けにも無視で走るルナ。
直後彼の声で気が付いて振り向いたディアナが「ルナ、どこへ行くの!?」と叫ぶと、ようやくその足を止めて振り向いた。
「セクレトとメモリアとインプ、三匹ともやられちまってるかもしれねぇ! アクセ売りのおっちゃんも怪我してるかもしんねぇ! は、早く行って助けてやらねぇとっ!」
「…! そ、そっか、城がやられてたら馬小屋も…!」
気付かされ、自分も共に行こうとしたディアナだったが、すぐにリーラやアーク・オーガ軍団の存在に注意が戻りその場から動けなくなる。
ディアナを待って数秒足踏みしていたルナがまた走り出そうとすると、そこへヴィスが「ルナ、ここにいろ!」と声を張り上げて呼び止める。
「貴様が人間に混ざって何ができる!? 被害者どもを介抱する心得でもあるのか!? そんなことは兵士達や住民に任せ、今はこいつらをどうにかするのが先決だ、違うか!?」
「…そ、そうだけどっ…。で、でもよ…」
「さっさと蹴散らしてしまえばいいのだ! 俺達全員でやれば、すぐに――」
「そ、そりゃあ、む、無理だ! おめえの攻撃が片手で凌がれてんだぞ、オレっち達が一斉にやったって同じじゃねぇか!」
ルナはそう叫び返しながらも踵を返して戻ってきた。
理屈では勝ち目の無い戦いだと確信しているが、それでもヴィスなら何とかしてしまうのではないかと、そんな期待も足取りに滲んでいた。
「…案ずるな、リーラには今の俺達を仕留める理由などない。…屈辱だが、こんな叩き甲斐の無い俺達を倒しても奴はちっとも楽しくなどないはずだ。今回は飽くまで怪霊衆討伐を急かすことと、俺達の力量を測ることしか目的としていない。…だろう、リーラハールス…!」
ヴィスは封印が弱まり立ち上がりながらそう訊ねた。
リーラはフッと楽しげに笑い、ノサティスを片手で脇に退かしながら頷く。
「そうですね、あなた方はもっと強くなると期待していますから、折角ならもう少し様子を見て戦いたいところです。ヴィスドミナトル様の封印も順調に解除されてきているようですし、剣聖ディアナは単体でメデューサを倒すほどの力を得たのでしょう? そして…――」
リーラはルナを見るとにっこりと微笑んだ。
その笑みに、彼女は筆舌に尽くし難いおぞましさを覚え、全身が粟立った。
「…あなたが…ルナ、でしたか。実は以前あなたの霊力を読んだことがあるのですが、その時は二一九万でしたね。それが今や二倍の四三八万……。スティリウスより高いではありませんか。流石は成功体と言ったところか、それとも兄より良い環境に身を置いていたのか…。どちらにしろ、中々に期待させてくれる良い個体です」
ルナの怯えは、彼の言葉に出てきた一つの名前に引っ掛かって抜け落ちた。
彼女は忽ち見開いた瞳を憎しみで鋭くし、四〇九五もの怪霊力を費やした読霊を展開する。
その読霊はリーラの下まで届かなかったが、彼女の目的はそこにない。
「――『寄り競る光』――」
彼女が高く掲げた右の手の平に、展開された怪霊力が操霊によって収縮され紫の玉となる。
リーラはそれを見ると嬉しそうに笑って「ほう」と感嘆の声を上げた。
「素晴らしい、霊玉操ですか…。ヴィスドミナトル様が編み出された高度な複合怪霊術を、まさか一瞬で発動することができるとは…」
しかしリーラの称賛の言葉など、ルナは聞いてもいない。
それ以上に腸が煮え繰り返り、彼女らしからぬ低い声を出させた。
「…てめえだな…! てめえがにぃちゃんを怪霊衆の仲間に引き込みやがったな…!!」
直後、読霊が展開されては矢継ぎ早に霊玉操の一部へと吸収される。
一、二、三と、瞬くように繰り返される霊玉操の増幅は、剰りにも高速かつ膨大過ぎる怪霊力の動きによって空中に紫の光の波を映した。
逆向きの波紋のように光が彼女の手へと犇めき合い、玉の色は怪霊力の濃度上昇に連れて徐々に眩い白へと移ろっていく。
ぶつかり合った力の共鳴が凄まじい旋風のような甲高い音を絶えず響かせる。
「…なるほど、確かにその方法ならば怪霊領域の狭さを補える。……しかし、そのためには二つの術を同時に扱う高い技術力が必要となるはず。…術の技術センスだけで見ればスティリウスは愚か、既にこの私すらも遥かに超えている…。そしていずれは、数億超えの含有霊力を持つ強大な存在としてその技術を遺憾無く発揮するのでしょう。……何と素晴らしい…! ルナールとはこれ程の優良種でしたか! …あぁ、やはり私の見立ては正しかった! あなたとスティリウスこそ、この世を蹂躙と殺戮に溢れた最高の世界とし全てを束ねる神となるべき者達だ!!」
「…ざッけんなよ…! 勝手なこと言いやがって、全部自分のものになると思ってんじゃねぇ!! てめえだけはオレの命に代えてでもここでブチ殺してやるッ!!!」
ルナはその眼光こそ殺意でギラギラとしているが、行動そのものは冷静だった。
一秒に十回という高速で威力を高め続けた霊玉操は、纏まりきらず大きく膨れていた。
リーラとの会話の内にも三秒、四秒と過ぎ、そして五秒と経つ頃には怪霊力二〇万以上もの威力へ跳ね上がっていた。
「…あ、あれが…ルナちゃんの…実力…?」
「……す、凄い…まさか…あれがルナだなんて…」
クレドの問い掛けにディアナは同じく困惑の声を上げた。
彼女の技の成長を手伝ったヴィスは内心誇らしくはあったものの、相手がリーラともあってはいざという時に助けられない可能性が高く油断はできないと考えジッと様子を見ていた。
ルナは最後の読霊は展開したままにし、体勢を低く取って光の玉を手の平に維持した。
いよいよ攻撃だと言うのに動く気配の無いリーラに、「避けねぇ気か…?」とルナは腹立たしく呟いた。
「ええ、一度受けてみてあなたの力を測ろうかと思いましてね。まぁ、おそらく、そのくらいの威力なら急所にでも当たらない限り致命傷にはならないでしょうし」
「急所に当てる気なんだよオレっちは…。……いいさ、そうやって余裕をこいてりゃあ…」
何処までも涼しげなリーラの態度に、ルナは怒りのまま駆け出す。
リーラも一目置く彼女の突撃にアーク・オーガ達はヒヤリとしていたが、精々秒速一六〇メートルの走力だと分かると安堵してまた静かになろうとしていた。
「――『小迫り女』――!」
突如、ルナの足場が秒速四〇九五メートルの速度で大きく盛り上がり、その勢いを彼女の移動速度に加算した。
操霊で地面を操り自らを押し出す――一目見れば理屈の分かる簡単な技だったが、一切彼女のバランスを崩すことなく連発されるその技は、みるみる内に彼女の鈍足を帳消しにしていく。
――四、二五七――八、三五二――一二、四四七――……。
「や、やめろルナール! リーラ様に刃向かうならばこの私が相手を――」
叫んだノサティスがその足を止めさせようと駆け寄っていくと、ルナは透かさず「――『悪魔の牙』――」と蹴り離した土の足場から鋼鉄の槍を放つ。
槍は回避したノサティスの横を通り過ぎる頃になって、突如四方八方へと無数の刺を伸ばした。
読霊を受けてもいないはずの物体が突然変化するという謎の現象に驚いたノサティスは、振り返って我霊射を放ちその槍だった物体を撃ち抜く。
その物体は攻撃を食らうなりただの土となって四散し、ノサティスが元の方向を向く頃には既に彼女の姿は無くなっていた。
「なッ、く、クソッ、陽動術か!」
キョロキョロと見回した彼は、リーラよりも遥か後方へと迂回して小迫り女を重ね掛け、もうじきノサティスにも並び得る速度を手にしたルナの姿を確認する。
――三二、九二二――三七、〇一七――四一、一一二――……。
ノサティスは恐怖した。
…このまま泳がせていては対処のしようが無くなる…!
「リ、リーラ様、奴を甘く見てはなりません! 奴は本当にあなたを殺すつもりです! 技を食らおうなどと考えるのはやめて早くお逃げください!!」
ノサティスの必死な呼び掛けにリーラは悪戯のようにフッと笑う。
「おや、事前に彼女のことをお前に聞いた時は『大したことはない』と言っていたと思いますが?」
「わ、私とてこんなことは予想外でした! 奴はこの数日あまりの内に格段に強くなっているのです! メデューサ基地にいた時の奴とはまるで別人です!」
ノサティスは叫び声を上げながらルナとリーラの間の位置へとがむしゃらに我霊射を撃ち厚く弾幕を作り、リーラの下へと急いだ。
剰りにもレベルの違う激しい戦いに茫然としていたアーク・オーガも、リーラの危機と思い及んで「サイクロプス達、かかれ!」と号令を出した。
二五〇にも亘る怪霊獣の兵が全て棒立ちを余儀なくされる程の、圧倒的な実力差がそこにはあった。
五体のサイクロプスは一斉にルナへ目掛けて走り出していたが、直後その全員の背中を順に赤い我霊射が射抜く。
彼らの命中箇所には紫痣が染み付き、振り向いた先には傷付いた右腕を構わず突き出してヴィスが笑っていた。
「俺様の部下の晴れ舞台だぜ。…むざむざ邪魔などさせると思うか」
「く、ヴィ、…ヴィスドミナトル…!」
アーク・オーガは忌々しく彼を睨むと、直ぐ様身体を背後の軍団へ向け直した。
オーガ、オーク達の視線が一斉に集まると、その右手をピッとリーラへ向ける。
「サイクロプス隊は外野の足止めだ! 我らは砲台となり肉壁となり命に代えてリーラ様をお守りするッ! 行けぇえッ!!」
「「「オォオオオッ!!」」」
アーク・オーガ率いる軍勢は雄叫びを上げて半数はリーラの下へと、もう半数はルナの妨害へと走る。
先にリーラの下へと辿り着いたノサティスが張った弾幕を避けて進み、そのまま取り囲むのを目標とした。
しかし高速となったルナの進撃を食い止められる程の力量を持つ者などいるはずもなく、彼女は彼らの目に留まることもなく間をすり抜けていく。
その速度は既に秒速六十キロメートルを超えていたが、一切の衝撃波を起こさず、ただその影が空間を切り裂くように突き進んだ。
「ハッ! 雑魚どもが今のルナを止められるはず無かろう!」
ヴィスは笑いながら、自らに襲い掛かるサイクロプスの一体に誘導我霊射を見舞う。
特性を理解しなかったその一体は紙一重で避けようとした挙げ句に頭蓋を叩き割られ、慣性力で地を転がる。
続いてまた右手で誘導我霊射を放つも、今度の一体はそれを大きく跳び上がって避ける。
弧を描いた閃光は辛うじて右脚に命中し脛骨を粉々に砕いたものの、三度の我霊射のためにヴィスの右腕は折れてしまった。
「…チッ、リーラなど撃たなければ…!」
ヴィスは苦々しく呟いたが、言う間にもサイクロプスは迫ってくる。
脚の折れた者は良いとしても他に三体もいるのでは剰りに厳しい。
…格闘戦で何処までやれるものか……――そう考えた時、彼の横を雷光が走り抜けた。
怪霊力を一五〇〇と節約して仙攻丹を帯びたディアナだった。
「負傷してるでしょう、前の奴らは任せて!」
「…フン、余計な世話だったがまぁいい。見せてもらうぞ、貴様の修業の成果とやら!」
不器用な激励を受けたディアナはクスリと笑うと一腰の長剣を右手に抜き、表情を消して冷たく目を細める。
サイクロプス三体が正面から我霊射の一斉掃射を放っても、彼女はただ冷静に柄の握りを緩めるだけだ。
「…『瞬仙攻』」
彼女の纏う放電は突如稲妻が落ちたような凄まじさへと変わり、光が去ると彼女の姿は消えていた。
十もの我霊射はその光の後を貫き、何者も殺さず地の果てへ過ぎる。
そして次の瞬間、何かが衝突、もしくは爆発したような乾いた轟音がし、…サイクロプスの一体が気付く。
左右を走っていた二体は首の肉が弾け、隙間から血と骨粉を溢しながらあらぬ方へとその首を垂らしている。
そしてそのままヨタヨタと余力で走ってからパタリと倒れ、身動きの一つも取らなくなった。
「グ、ゴォォオオオッ! オォオォオオオッ!!」
残った一体は狂乱とも捉えられる震えた声を上げて立ち止まり辺りを見回す。
すると背中をトンッと弱い手が叩き、慌てて跳び退きながら振り向く。
そこには弱い放電を帯びただけのディアナが立ち、「ご機嫌よう」と白々しく笑っている。
「ガェギガァァアアアアオオオオッ!!」
サイクロプスは突き出した両手を赤く輝かせる。
至近距離の我霊射に望みをかけたのだ。
しかしそれはディアナの思う壷だった。
「…『瞬仙攻』…――」
また一層強い放電と共に彼女の姿が消えた。
そして彼が『消えた』と理解した時、彼の両腕に集中していたはずの怪霊力が根刮ぎ消え去っていた。
まるで彼の身体から自ずと放出されたかのような不気味な感触だけが残っている。
「――『吸霊』…」
ポツリと彼の背後で声がした。
そしていつの間にか背に触れていた小さな手の感触が離れると、次の瞬間には首への衝撃と共に全身の感覚が無くなり、勝手に視線がぐわりと天へ向き、そして意識は闇へと薄れていく…。
「思ったよりも簡単な相手だったわね」
ディアナは足下に仰向けになった斬首死体を見下ろして一言呟いていた。
「…なるほど、ルナに続いてディアナまでもがこれ程の強化を…。…俺様もうかうかしておられんな」
ヴィスはディアナの戦いぶりに密かに称賛を送ると、落下しつつ我霊射を激しく連射した最後のサイクロプスに眼を戻した。
走り抜け、細かく『我霊射外し』を繰り返しながら距離を取ったヴィスは敢えて照準を外した弱めの誘導我霊射を四連射し、軽く地面を撃って砂の煙幕とする。
サイクロプスは操霊で空を飛び逃げに徹した。
しつこく追い掛ける四つの閃光を何とか回避し、それらが空の彼方へ消えていくのを見送った直後、強烈な衝撃と共に彼の胸が粉々に砕かれた。
破裂した心臓から喉へと血が迫り上がる。
「グボハァッ…! …グプッ…オブゥ…!」
血に溺れながら頭から落下していくサイクロプスは、死の寸前、先程まで自分がいた場所の目の前にヴィスの姿があったのを知る。
「フハハッ、俺様の姿が分からなかったか? よもや俺様が『洗脳変化』を使うなどとは知らなかったようだな。正面から我霊射を受けて、何と間抜けな死に際なことか…!」
ヴィスはスッとその場に降りてディアナと視線を交わし、互いの勝利を分かち合う。
そして、今まさにリーラへと迫ろうとしているルナへと向いた。
「…く、クソッ! な、何がアーク・オーガだ…! 私などではまるで歯が立たぬではないか…!」
ルナはリーラを防衛する布陣の周りを円運動しつつ悪魔の牙を繰り返し、ジリジリと怪霊獣の数を減らしていた。
本来陽動としての機能を考慮されていたはずのその技も、ただのオーガやオークなどの雑魚が相手では単なる刺突攻撃と化す。
具象変化の助けで精巧な槍の形状となった土の触手は、彼女の操霊の威力のみで次々に彼らの心臓を刺し貫いていく。
そしてその脅威が目前に迫ってきていることをアーク・オーガも重く理解した。
彼は、チラリと背後のリーラへと振り向いた。
主は大勢の部下が何もできずに死んでいく様を見ながら、怒りも、悲しみも、失望もしていない。
どんな感情も湧いていないのだと、ヴィスが叫んでいた事柄を理解した。
…そしてノサティスを見る。
ノサティスはただ懸命に我霊射の弾幕を広げようと画策していた。
リーラへの忠誠心は健在で、リーラを守ること以外何も考えていない。
自分が報われるかどうかなども、全く眼中に無いのだとアーク・オーガは理解した。
「…所詮私は、使い捨ての駒ということだ」
この戦いは、アーク・オーガ軍団の全滅を前提に計画された。
初めからリーラはアーク・オーガに何かを期待したりなど一切していなかったのだ。
…それを受け入れた彼の頬には、細く涙が伝った。
「――私の部下よ! 今、ここに生きている私の部下達よ! この防衛はもはや意味を成さない! 私達は奴を止めることなどできない! この戦いは無駄だ! このままでは我々は無駄に死ぬのだ! 意地を張らずこれを受け入れ、そして私の最後の命令を聞き入れてくれ!」
アーク・オーガの声に軍団は攻撃の手を弱めず耳を傾けた。
ルナはその声量、その声質に真摯さを感じ、攻撃を手控えて回避に専念する。
ノサティスはただ一人、アーク・オーガの唐突な宣告に困惑した。
「な、何を言っているのだお前は! …お、お前…まさかとは思うが…!」
アーク・オーガはノサティスに一瞬フッと微笑んだ。
それは嫌味など何処にもない、尊敬すら孕んだ視線だった。
「…私の部下達よ、攻撃の手を下ろし膝をつけ! もう攻撃の意思が無いことを奴に示すのだ! ここで死にたいと云う者だけ立ち続けろ! これは命令だ、逆らうことは許さん! …そして、聞こえるかルナール! 部下達はこれから貴様に頭を垂れる! 命を乞うという屈辱極まりない行為だ! 我々は既に貴様に敗けているということを、その行為を以て認めるのだ! だからルナール! 貴様に戦士の慈悲があるならば、ここで乞われた命は全て見逃せ! …そして私はただ一人、既に死んだ者達の責めを負ってここに立ち続ける。貴様に慈悲があるならば、この私だけを殺すがいい!! 今、私は正々堂々リーラ様を裏切った! そのような私が今日までのリーラ様への忠誠を真実と証明するには、今ここで貴様に殺される他に手段など無いのだ!! さぁ、私こそたった一人の防衛線だ…リーラ様を殺したくば、この私を殺してからにしろぉお!!」
ルナは理解ができなかった。
彼のそれが怪霊獣として正しい選択だとも思えず、生物として利口な生き方なのかも分からない。
ただ、それが彼が一生を投げ打ってでも果たしたい誇りなのだということだけ、汲み取ることができたのだ。
「ば、馬鹿なことを…! 死をも覚悟するのなら、何も最期の瞬間に主を裏切ることなど無いだろうに…!」
ノサティスは思わず手を止めて嘆いた。
アーク・オーガはノサティスの前方へと進み出ると、大腕を広げてルナを待ち構えた。
「…私には、ノサティス様…あなたほどの力は無い。命に代えてでもルナールを食い止めるなどとは、とても言えぬ。……ならば私は、せめてこの軍団を率いる長として、部下達の信頼を誇りたい! 非力ながら誠実な彼らの奮闘を誇りたい、だから生かしてやりたいのです…!!」
ルナは一度円運動を大きくし、その弧を徐々に直線に代えてアーク・オーガへと突撃を掛ける。
アーク・オーガはノサティスが捲し立てる説得の言葉を一切無視し、迫り来る死を見つめ続けた。
特大の霊玉操を右手に維持したまま、左手には通常サイズの霊玉操を瞬時に作り出す。
そして素早く読霊を展開し直すと、彼女はその左手の狙いをアーク・オーガの左胸へと定めた。
アーク・オーガは彼女の目尻からパラパラと後ろへ流れた煌めきに気がつくと、満ち足りた笑みを浮かべた。
「ノサティス様、リーラ様をよろしくお願いします。私のことは怪霊獣の恥晒し者だとでも、何とでも後で詰って構いません。…そしてリーラ様、どうかお許しください。この軍団は私の誇りでした。私をその長としていただいたこと、深く感謝申し上げます」
ルナがアーク・オーガの横をすり抜ける。
彼女の左手はアーク・オーガの胸を滑り、小さな光の玉がその胸に食い込む。
玉と左手とは依然操霊の放電で繋がっていて、ルナはその最期の引き金を断腸の思いで引いた。
「……――『命を掠め取れ』――」
霊玉操の爆発と同時に、アーク・オーガは天を仰いだ。
「去らばだ、私の誇り達よ―――」
彼の今際の叫びは轟音と紫の閃光に消えた。
そして彼女は、アーク・オーガの後ろに控えていたノサティスと相対した。
「お前だとて、…容赦はせんぞッ!!」
「…悪いこたぁ言わねぇ、引け! ノサティス!」
ノサティスは無数に我霊射を浴びせかけ、ルナはそれを小迫り女と我霊射外しの組み合わせによって回避する。
そして彼の我霊射を具象変化で身体を捻曲げながら潜り抜けて弾幕の壁を突破し、彼を通り過ぎてリーラの下へと突き進む。
残り数メートルで辿り着く…。
そう彼女が僅かに安堵した直後、彼女の前に最大出力の操霊で飛行してノサティスが飛び出す。
そして渾身の力を込めた拳は、彼女の対応が間に合わなくなる程の俊敏さで振り下ろされる。
「リーラ様には傷一つ付けさせぬ…アーク・オーガの願いのためにッ!!」
「…く、…くっそぉぉおおおッ!!」
ルナは遂にその右手の霊玉操をノサティスへ投げつけた。
その玉は彼の右腕に衝突し、そして彼女が引き金を引くと凄まじい地響きと衝撃波を生んだ。
ノサティスの右腕は二の腕からバツンッと弾けて宙を舞い、その身体は衝撃波で十数メートルと吹き飛ばされる。
ルナも同じく衝撃波を受け、ノサティスとは反対の方向へと飛ばされていった。
彼女は地面に触れる前に間一髪操霊で浮き上がり、空中で徐々に減速していってから地面に転がり込んだ。
それでもやはり身体中ボロボロで、至るところに出来た擦り傷に呻きながらヨロヨロと立ち上がる。
…そしてそんな満身創痍の彼女が顔を上げると、すぐ目前にリーラが立って見下ろしていた。
「素晴らしい力ですね。ノサティスの腕を引き千切る程の破壊力とは…。これでは確かに、食らっていたら私でも少し危なかったかもしれません」
「…て、てめえは…ゆ、許さ…ねぇ……」
もう霊力も使い過ぎてまともに戦えない彼女だったが、それでも恨みは捨てられずそうして威嚇した。
遠くからヴィスとディアナ、そして遅れてクレドも駆けつけようとしていたが、まだまだ間に合わない。
リーラがにこりと笑った瞬間、ルナは胸の奥に激痛と強い嘔吐感を感じてその場に跪いた。
「うぅぼおお…! うッうぅ! ぐ…ゲボッゲボッ…!」
「肺の中を蛇が駆けずり回る感触はどうですか? 酷い苦痛でしょう。それに懲りたらこのような無理なことはしないことですね。あなたは大事な時期怪霊王候補ですから。まぁ、私が勝手に決めただけですがね」
「…うぐっ…うっ……て、べぇ…ば! ゆ…ゆぅ…る……!」
「あまり無理に喋らない方がいい、炎症の素ですよ。…それとこれだけは断っておきたいのですが、彼は私に拐かされたのではなく、自分の意思で、人間を殺すために私を利用しているだけです。私が恨まれるのは筋違いですね」
彼が言いながら彼女に手を翳すと、フッと彼女の呻き声が収まる。
蛇が動き回るような感触ももう無くなっていた。
丁度そこへヴィス達が辿り着く。
ヴィスが痣になった左手を真っ直ぐ向けるのを楽しそうに見たリーラは、アーク・オーガの命令通りに膝をついて遠巻きに此方を窺っている雑魚達を一瞥してからノサティスを見た。
ノサティスは右腕の断面を押さえながら息を切らして歩いてきていた。
「ノサティス、あなたは本当に私の良い右腕ですよ。あなたにはこれからも存分に働いてもらいます。…その一環ということで、次のぬらりひょん討伐の際にはスティリウスと一緒にルナの面倒も見てやってくださいね。頼みましたよ」
ノサティスは返事が出来なかった。
どんな言葉が今この場に相応しいのかも分からず、また何を言う気にもなれなかった。
「では私は帰りますよ。皆さんの実力の程は十分分かりました。全員とても期待のできる良い戦士でしたね。ではまたいずれ」
不気味な程に爽やかに言った彼は、地上の遥か先にまで届くほどの膨大な怪霊力で読霊を展開する。
これで一先ず脅威は去るのだと、ディアナもクレドも、ヴィスも内心安心していた。
しかし彼は最後に「おっと、忘れそうでした」と、冗談のように軽く言ってパチンと指を鳴らした。
その直後、生き残ったアーク・オーガ軍の怪霊獣達が悲痛な叫び声を上げながらバタバタと倒れていく。
倒れた後には血が溢れ、身体の所々から指やら骨やらが不自然に生えている。
そして最後に死んだオーガの一体に至っては、身体の内側から真っ黒な腕が飛び出して心臓を貫いていた。
その腕はオーガが倒れる寸前にふわっと宙に溶けて消え、リーラは悪戯をしたような無邪気とも言える笑みを浮かべた。
「あの死体、全てルナに食べさせてやるといいでしょう。彼らのような非力な者達まで掻き集めたのは実はそのためなんですよ。ルナ、彼らを食べて是非とも霊力量を増やしてください。もし私を殺したいのでしたら少しでも強くなることが必要ですからね。それにあなた方ペール・ルナールという種族は、命を無駄にできないのでしょう? どうぞ全て食べてください。陰ながら、今後も応援していますよ。では、また――」
全員、絶句していた。
アーク・オーガの意思を尊重したルナとノサティスは勿論、これ程までの醜悪な存在を目にしたことの無かったディアナとクレドは衝撃に心を忘れていた。
そしてヴィスは、またしても躊躇い無く彼らの誇りを踏み躙ったリーラに激しい憎しみを抱いた。
ヴィスは衝動的に全力の我霊射を放つ。
しかしその閃光は、瞬間移動で消えてしまったリーラの残像を貫いただけで、何処までも空虚に宙を彷徨っていった。
誰一人口を開けない静寂の中で、涙を流しキリキリと拳を握り締めたルナは、大気に充満させた怪霊力を凝縮させて全ての死体を封じ込め、それを口の中へと静かに放り込んだ。
・ヴィスドミナトル(封印解放度0.06%)
握力2,505t
パンチ力7,013t
キック力17,032t
耐久度4,207,980
走力170,323m/s
霊力99,999,999
怪霊領域59,999
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、操霊、発霊、幻弄、洗脳変化
回復力:6,000
・ディアナ
握力90kg
パンチ力220kg
キック力550kg
耐久度132
走力9m/s
霊力8,210
怪霊領域16,384
術: 仙攻丹、我霊閃、我霊射、読霊、収霊、吸霊、発霊、操霊
回復力:1
・ルナ
握力2.7t
パンチ力5.75t
キック力17.2t
耐久度3798
走力162m/s
霊力4,383,300
怪霊領域4,096
術: 我霊閃、我霊射、霊玉操、読霊、吸霊、与霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊
回復力:9
・クレド
握力135kg
パンチ力330kg
キック力830kg
耐久度200
走力10m/s
霊力306
怪霊領域128
術: 我霊閃、読霊、収霊、発霊、操霊
回復力:1
・リーラハールス
握力4,000t
パンチ力10,667t
キック力26,667t
耐久度6,666,667
走力266,667m/s
霊力8,000,000
怪霊領域8,000,000
術:我霊閃、我霊射、読霊、収霊、吸霊、具象変化、操霊、発霊
特殊技能:半凄霊長…???
回復力:26,667
・サイクロプス
握力500t
パンチ力1,333t
キック力3,333t
耐久度833,333
走力33,333m/s
霊力1,000,000
怪霊領域1,000,000
技:我霊閃、我霊射、読霊、操霊、発霊
回復力:3,333
・アーク・オーガ
握力95t
パンチ力100t
キック力125t
耐久度7750
走力50m/s
霊力6000
怪霊領域6000
術:我霊閃、我霊射、読霊、操霊、発霊
回復力:20




